最初は近畿大学。関東の方にはなじみが少ないかも知れないが、最近ではまぐろの養殖に成功したことで世界的に知名度が上昇した。前身は日本大学が設置した日本大学大阪専門学校だが、現在は日本大学との関係はない。関西には関関同立といわれる4私学が著名だが、この中で学生数3万を越えているのは立命館だけであり、いずれも医学を設置していない。医学部があることが大規模校の条件とは言わないが、付属病院を持っていることで財政規模が拡大することは間違いない。また、総合大学を目指す場合、設置を制限されている学部は唯一医学部であり、医学部を持っていることはフルラインナップに有利であることは間違いない。
近畿大学は医学部、薬学部をはじめとする11学部に、3つの付属病院を抱えている。また、2つの短大、1つの高等専門学校と1つの専門学校、付属高校は7、中学が5つに小学校1つと2つの幼稚園を擁している。また、大学には通信教育部も設けている。すべての学校の在籍者数(18年度)を合計すると54730名で、うち11648名が通信教育。財政的には、授業料収入が500億円、病院収入が450億円で、84億円の赤字ではあるが、基本金組入れが87億円あるので、実質的には3億円の黒字。しかし、520億円の支払資金があるので、財政的にはかなり余裕があると思われる。病院収入が450億円に対して、計上されている経費は270億円なので、病院が収益に寄与しているようにも思えるが、人件費の中に病院勤務している教員分が含まれている可能性もあり、公開されている資料だけでは判断が難しい。
現理事長は、前身の大阪専門学校創業者である世耕弘昭氏の子息の世耕弘昭氏で、その世耕弘昭氏の子息であり、参議院議員である世耕弘成氏も理事に名前を連ねていることから、世耕一族の経営であると見られる。理事の世耕弘成氏が国会議員であることから政界に一定の影響力もあろう。
創業者一族が経営にあたっていることから、意思決定が早く、政界へのパイプもあり、財政的に余裕があることを考え合わせると、設置校がすべて関西であることから関西における大学再編の核となりうる存在と考えられるが、いまのところ目だった動きはない。病院の新設は行っているようなので、関西では数少ない私学の医学部を軸にした拡大路線を検討している可能性もある。
2008年6月アーカイブ
大学の合併が進むと考えられるが、その動きを予測してみたい。国立大学も大学再編の核となると思われるが、まずは私学から検討してみる。小が大を食う可能性もあるが、ここでは常識的に大きな大学をピックアップしてみる。
現在、日本の大手私学で他大学を買収する余力があったり、積極的に拡大路線を取っている思われる例として、近畿大学、慶応大学、第一大学(都築学園グループ)、帝京大学、東海大学、日本大学、立命館大学、早稲田大学(50音順)について検討してみたい。
すべてを調べたわけではないが、規模が大きいか、知名度がある、もしくは最近積極的に大学新設や買収を行っていると思われるところをピックアップしてみた。これらを見ると、概ね学生数3万人が大規模校と言える水準のようだ。この中で日大は7万に近い学生数を誇り、群を抜いている。都築学園グループはHPを見る限り学生数を公表していない大学を含んでいるため、正確な学生数は分からないが、大学7、専門学校24などを運営しているグループなので候補に入れた。
明日以降、これらのグループを順に検証してみたい。
校地・校舎の基準が緩和され、キャンパスの共有が認められるようになると、大学の合併連合を促進するだろう。現在の設置基準でも、すでに複数の大学が合同して学部を作ることが認められるようになった。大学の学部は、細分化か学際化のいずれかで、複数の学問分野から発生する学際的な分野は、自大学だけでは限界がある。特に単科大学では、学部の発展が期待しがたい。複数の大学が共同すれば新しい分野の開拓も進む。合同で学部を作れば、次の段階として既存学部のキャンパス相互乗り入れ・単位互換、やがては合併へと進んでも不思議ではない。
すでに大学が合併する例が2、3出てきている。そもそも現在の大学の組織は、学部単位で構成されているため、同じ大学といっても、大学名が同じというだけという場合も多い。学部ごとに事務局も別にあったり、キャンパスが別々という例さえもある。こうなれば、大学の合併といっても、名前を変えるだけで実現してしまう。名前も、どちらかに統一しなくても、A大学とB大学が合併してAB大学とすればいい。合併後に、重複する機能を整理すれば、経費の節約ができる。次の段階で学部の統合や新設などを行えばいい。これは、銀行の合併と変わらない。合併当初はまったく別の銀行のようにATMさえ相互に使えなかったりしたが、徐々に統合が進み、いずれ行名も変更される。日本の都市銀行が主要3行に集約されたように、日本の大学も数グループになっていくのではないだろうか。
校地・校舎の制限が撤廃されれば、どのような形態の大学が出てくるだろうか。
まず、考えられるのは、分散型キャンパスだろう。小さな教室が各地に分散して存在する。分散する理由は、それぞれの科目の講義や実験に最適の場所を選択するからである。もちろん、通学の利便を考えて、主要なターミナルに教室を配置する大学も出てくるだろう。しかし、科目の特性から、企業内であったり、研究所内、ショッピングセンター、駅、空港、山や海の近くなど、教室での座学から現場での実践に近い形が可能となる。もちろん、教室を移動するのに時間を要するので、1日単位の時間割となるかも知れない。学生は、毎日違う場所へ通学することになる。
次に、考えられるのは、共有のキャンパスだ。例えば、駅前の大きなビルに複数の大学が入居し、教室を共用する。または、郊外に広大なキャンパスを用意し、グランドや福利厚生施設などを共用することも考えられる。共用するのは大学同士とは限らない。高校や小中学校はもちろん、公共の図書館、公民館などの施設や、民間企業との共用も考えられる。市民の方にも利用価値のある図書館、体育館、グラウンド、学食などは、大学専用とておく必要はない。市民サービスはもちろん、企業の福利厚生施設としても使える。昼間は大学が利用し、夕方からは仕事を終えた会社員が利用するということもあり得る。
ここで注意して欲しいのは、現在の設置基準を下回る校地・校舎しか持たない大学の教育環境が良くないとは限らないことだ。設置基準を下回るのだから、校地・校舎にかけるお金が少なく済むのは間違いない。しかし、その浮いたお金を何に使うかで大学の姿勢が分かる。他の教育環境の整備に使う、授業料を引き下げる、奨学金に当てるなど、いろいろ考えられる。もちろん、立派な校舎を建てるのも1つの選択肢である。すべての大学が同じ大きさの校舎を持たなくても、大学ごとに個性を発揮すればいいい。国民は、それぞれの価値観にあわせて最適な大学を選択すれば良いのである。もちろん、賢明な国民によって金儲け主義の大学は淘汰されることになる。
大学で講義を行わない通信制においも校舎は必須で自己所有を求められている。学部によって違うが、少なくとも3440平米の校舎が必要とされている。100平米あれべ40人程度の教室ができることから考えると、かなり大きな校舎である。通信制の場合、全国各地に会場を借りて、スクーリングを行えば、大学の校舎を使う必要はない(八洲学園大学は本学で行っている講義をライブ配信しているので、ここで言う通信制には該当しない)。それでも校舎を必要とする理由について、文部科学省いわく、教員の研究室などは必要で、教員の勤務場所としての校舎ということらしい。しかし、教員一人が20畳の個室を使ったとしても、3000平米あれば100室も出来てしまう。通信制で必要な教員の最低数は17名なのだが。
通信制では、使いもしない校舎を所有させられている可能性が高い。校舎は教育の用途以外に使うことはできないので、使わない教室だからと賃貸に出したりはできない。こうなってくると、大学にとって校舎とは何で、どれだけ必要なのかを問われるのは間違いない。
校地や校舎は自己資金で自己所有しているのだから、経費はかからない。しかし、取得するのにお金が必要ないわけではない。そのお金をITや他の教育用の機器に配分することはできる。これからは、立派な広い校舎を持つことが本当に、よい教育環境と言えるのが問われる。また、郊外に広いキャンパスを構えるのと、狭いながら駅前にあるのとどちらが良いかも大学がその建学の精神に照らして独自に決めればよい。大学だからと言って、一律に必要な面積を国が定めることはナンセンスと言われるようになるだろう。どのような教育環境を整えるかは、大学の教育に対する姿勢が分かりやすい形で現れるので、できるだけ裁量の余地を広くすべきである。
香港から無事帰って来た。香港は返還直前の視察以来なので、久しぶりになる。空港が新しくなったのは気づいたが、それ以外の景色に大きな違いはなかった。すでに中心部は街として成熟しているのだろう。
日本同様に土地が狭く、資源がない小さな国が、中国に返還されたことで、無限とも思えるような資源と市場を得たことによる経済的な恩恵は計り知れない。税率が15%前後と低いのも、軍事や外交を中国に依存することで経済活動に専念できるからだろう。香港は良くも悪くも、お金がすべて。そのお金を儲けるためには小さい頃から良い教育を受けて、大企業へ就職すること。今後、大学進学率が上昇する過程で、受験熱の過熱化が懸念される。いや、すでに始まっている。これは、日本がたどった道。
香港が発展できたのは、イギリス領として英語教育が浸透したことも大きい。しかし、中国という大きな市場に目がいくことで、英語より北京語に注目されるようになり、英語ができない若い人が増えているらしい。それでは、香港の活力が失われる。訪問した学校では、英語の教育はちゃんとやっているから心配ないと言っていたが、どうも、教育省の人が同席していたからの表向きの発言のようだ。とはいえ、日常会話が広東語の香港の人の多くが、学校教育だけで英語を話すのも事実。このあたりは参考になるだろう。やはり英語を話さないで国際社会でやっていくのは難しい。
今日は日本領事館を訪問し、佐藤総領事からいろいろお話を伺った。その中の1つに次のような話題があった。
いま日本食が人気を集めている。日本に観光旅行する人も人口比では世界一。その影響で日本文化、日本研究、日本語(3万人が日本語を学んでいる)の人気も高い。と言っても、やはり英語に比べて日本語というハンディキャップは大きい。また、香港は、世界中から優秀な人材を集める力がある。特に中国本土から優秀な人材が来ている。
午後は日本人学校の小学校と中学校を訪問。土地は香港政府から年間1ドルで借りている。在外教育施設として文科省から認定を受けているので、教員の人件費の大半は日本政府が負担。そのため学費は月3万程度と私学としては安いのだが、教育環境は整っている。グラウンドがない点を除けば日本の学校より恵まれているかも知れない。
教育内容の特色としては、香港という土地柄、英語を全学年とも週3時間行っている。日本を代表する企業が理事を出していることもあって、各社からの協力による特色ある教育もいろいろあるようだ。
本日はまず、中学校を訪問。中国関係の科目と芸術以外は英語で授業を行っている。香港はPISAで優秀な成績を修めている。視察の目的の1つはその理由を探ることだったのだが、説明を聞いたら、理由は簡単だった。しっかり、PISAの問題を分析し、対策を行っている。
次に訪問したのは、日本人学校。日本人学校と言っても英語で授業を行うインターナショナルスクールも併設しており、こちらの方が生徒数が多いようだ。昨日、今日と見学した小学校、中学校より、校舎はかなり立派。日本から香港に進出している大企業が理事に名前を連ねているので当然かもしれないが。
午後は、まず香港大学。世界の大学ランキングでも20位以内に入っている香港一の有名大学だ。山の斜面に沿っていくつもの建物が建っている。短めのキャンパスツアーをしたが、かなり疲れる。
次は、職業訓練センター。年間16万人も受講しているとか。その中で中国料理とホテルのコースの施設を見学させてもらったが、かなり立派で授業料は年間5万円弱。相当な人気で競争率は数十倍とか。ただし、筆記試験ではなく面接のみ。
昨日から教育施設の視察で香港に来ている。
今日は、視察第一弾としてまず、香港教育局で香港の教育制度のアウトラインの講義を受けた。
現在の6+3+2+2+3から6+3+3+4へ2009年から変更するとのこと。大学入試は全大学共通の公開入試に統一。試験の回数を減らして生徒の負担を減らすのが狙いらしい。今後、大学進学率は20%、専門学校を含めて60%くらいになる予定。
続いて、香港貿易発展局を訪問。今回の視察のコーディネイトをしてくれた部署。香港の優位性をトップセールスのごとく上手に説明された。日本もこれくらい売り込んでいるのだろうか。
続いて午後は、私立の幼稚園と小学校を視察(香港の幼稚園はすべて私立)。幼稚園は、建物は立派。周囲も高級住宅街の様相。しかし、園庭、廊下がなく建物いっぱいに子どもがあふれている。しかも、2部制。小学校も2部制で、午前と午後で別の学校。土地が狭い香港ではやむ得ないか。2部制は廃止の方向ということらしいが、ひょっとすると時間が有意義につかえるので悪くないかも知れない。
1日4箇所はいかに狭い香港と言っても、ちょっと時間的にきつい。香港の方も日本に関心が高いようで、逆に質問を受けたりもするのだが、ゆっくり話し合う時間が取れない。
校地・校舎に関して、自己所有か賃貸かという問題以前に、そもそもどれくらい必要かという根拠に合理性が見出せていない。大学設置基準は、何度か見直されて、そのつど基準は引き下げられてきた。例えば、校地では、従来校舎面積の6倍(一人約80平米)だったのが、3倍に変更され、現在は一人10平米にまで引き下げられている。
大学にとって校舎は教室や研究室用として必要な面積を算出することは不可能ではないが、校地の必要な面積に根拠を求めるのは難しい。そのために、規制緩和の流れに従って基準が引き下げられてきたのであろう。必要な校舎が確保されるのであれば、自己所有でなく借地でも問題ないことになる。では、校舎の必要面積はどうだろう。大学が定員を満たしているとして、すべての学生が同時に講義を受けることができる面積が必要最低限ということになる。もちろん、これに図書館、研究室、事務室やその他の施設も必要となる。しかし、そもそも全学生が同時に受講するとは限らない。時間割の工夫で必要な教室も違ってくる。さらに、最近ではインターンシップ、学外実習や検定・ボランティアの単位認定など、学外での学習も多くなっている。また、卒業に必要な124単位中60単位を他大学での単位を認定したり、編入学も多くなっている。加えて、60単位までインターネットなどを使って大学以外の場所で受講することができるようになった。これを使えば、極端に言えば、校舎は従来の半分で済むことになる。
特区の株式会社立について書いたので、もう1つ重要な特区について触れておく。それは、校地・校舎の賃貸による大学設置だ。特区は前にも書いたとおり、経済の活性化が目的なので、校地・校舎の賃貸を認める理由は、初期投資を少なくし、新規参入をしやすくすることが目的だ。では、そもそも自己所有を求めてきた理由は大学経営の安定だ。自己所有と言っても、借金をしての所有は認められない。全額、自己資金での購入を求められる。その自己資金は見返りを求めない寄付のため、大学が校地・校舎を保有しても一切の費用は発生しない。校地・校舎だけでなく、大学として必要な教育用機器や備品すべてが同じ考え方なので、教育に必要は物はすべて費用なしで使用できることになる。そのため、大雑把に言えば、人件費さえ賄えれば大学は維持できることになる。賃貸を認めると、開学当初に集めなければいけない寄付金は少なくなるが、その後、賃料として大きな経費が発生する。その経費を収入で賄えない場合、賃貸契約を破棄されて、教育を行うべき教室がなくなるという事態が発生する。賃料分、経費が多く必要となるので破綻もしやくなる。校地・校舎を費用の発生しない寄付で購入できるのが理想なのは間違いない。しかし、新規参入がなく大学が増えないことで、学びたいのに入学できない人を解消する方が優先なのだろう。また、新規参入が増えることで競争原理が働き、大学の質の向上も期待できる。
土地は保有するものではなく利用するものだ、という考えは世の中の流れであり、大学もその流れに沿って臨機応変に校地・校舎を手当てすればよい。そういう意味で、賃貸を認めたことは当然のことだろう。
株式会社立大学が本格的に認められるようになれば、どのような現象が起こるだろうか。どっと民間企業が大学市場に参入するのかと言えば、そうはならないと予想する。アメリカでも株式会社立大学は認められており、実際に存在する。しかし、その株は少ない。アメリカにおいても日本においても、株式会社が大学を運営することへの心理的抵抗が強いからかも知れない。しかし、アメリカの大学はもともと財政的基盤が強く、寄付も集まりやすいため、株式を発行してまで資金を集めなければならない状況にない。十分な内部留保を持っている既存の大学に対して、配当負担を背負ってまで新規参入しても勝算がないという側面もある。しかし、日本の大学は自己資金(基本金)の割合が少なく、借入や学校債を発行しているところも多い。いまは低金利なので利払いに負担感は少ないが、今後、金利が上昇局面を迎えれば、金利負担に耐えられない大学が出てくるだろう。その際に、株式の発行は有効な手段になりうる。また、現在の私立学校法では、理事長は2つの法人までしか兼務できない。つまり、3つ以上の学校法人を作れない。株式会社であれば、持株会社を作るなどして、事業分野ごとに多くの会社に分割することが多い。学校法人も学校種ごとに別の法人にした方が独立性が都合が良い場合もある。学部ごとに別の大学としたいというニーズもあろう。そのような場合、株式による支配も選択肢に入るかもしれない。いずれにせよ、株式会社立大学が主流になることはないだろうが、一定の地位を確保するのではないだろうか。新規参入が増えるかどうかは、景気の動向にも左右される。有効な投資先がなく、資金がだぶついていれば、その資金が大学に流入することもあり得るだろう。そういった資金を大学に受け入れることが教育環境を向上させることにもなるので、いつでも受け入れ可能なように環境を整備しておく必要がある。
国鉄も電電公社も民営化により国民サービスが向上した。学校法人や国立大学法人は国営に近い形態なので、完全民営化である株式会社化は、教育の質を含めて国民にとって利益となるはずである。
なお、念のため書き添えておくが、現在の税法その他の法体系では、学校法人八洲学園が株式会社立になるメリットはないため、転換することは考えていない。
株式会社することのメリットとして、会計の分かりやすさがある。学校法人は学校法人会計という特別な会計を採用している。株式会社となれば当然、企業会計が導入されることになる。
企業会計になれば、特別な会計ソフトを使う必要もなくなり、学校法人会計を得意とする公認会計士が少ないという問題も解消される。企業会計であれば、経理を担当できる人材を探すのも容易になる。公開された決算を理解するのに特別な苦労もなくなる。
今後、大学も国際化に備えて、国際的な会計基準にあわせることを求められることも考えられる。その際にも、企業会計に準じていれば難しいことではない。
学校法人会計だけでなく、公益法人会計全体を見直す中で議論すべきであろう。現在の企業会計をそのまま使うことに支障があるかも知れないが、学校法人会計を使い続けるメリットが見出せないのも事実だ。
最近、株式会社立大学について、さまざまな問題が指摘されていることについて書いておく。これらの問題は個別大学の問題であり、仕組みの問題ではない。そもそも大学設置において、設置者としてその法人が相応しいかどうかの審査はない。少なくとも、株式会社が大学を設置する場合、株式を公開していることを前提とすべきだろう。公開企業がすべて透明性を確保しているとは言わないが、少なくとも非公開企業よりは、透明性を担保するための仕組みが整っている。非公開企業はプライベートカンパニーだが、公開企業はパブリックな存在だ。少数の個人が自由に運営できる非公開企業がパブリックな大学を運営するのに相応しい仕組みとは言いがたい。
しかし、少しの工夫を加えることで、株式会社立大学は学校法人より多くのメリットがある。現在は、学校法人の設立のハードルが高く、それをクリアした法人を優遇するという既存業者を保護し、新規参入を制限しているため、資金力のない新規参入者がやむ得ず株式会社を選択しているというの現状だろう。これは、大学全体、しいては国民全体にとってはマイナスだろう。組織形態の問題より、大学を運営するのに相応しいかどうかを担保する方法を議論すべきだ。
株式を保有するのを個人に限定し、保有できる割合を一定以下にすれば、金持ちの金儲け手段という批判をかわすことができると書いたが、それ以上のメリットがある。
学生、保護者、卒業生、教職員などが株主になれることだ。現在の学校法人制度の中でも、評議員という理事会に意見を言ったり、重要事項を議決する立場に卒業生や教職員代表が入ることにはなっているが、その権限は不明確であり、だれでもがなれるわけではない。
その点、株式会社で上場されていれば誰でも自由に株式を購入し株主になれる。もちろん、特定の学生や教職員などが大量に保有することで、公正な運営ができなくなる危険性があるので、保有割合に制限を設けるか、議決権に制約をつける必要がある。株主だからと言って、入学や卒業に手加減を加えることはできない。そんな圧力を加えることができないような制限は必要だろう。
しかし、多くのステークホルダーが運営に参加できるメリットは大きい。学生、卒業生や保護者にとっても、これまでの立場以上に、愛校心が沸くのではないだろうか。寄付の文化が根付いていない日本においては、寄付を求めるより出資を募る方が有効な資金集めと言える。
株式会社立大学が登場したときの批判は、「営利企業は教育になじまない」の1点に集約された。日本には昔から、教育は自己犠牲的な行為で、教育で金儲けをするのは良くないという倫理観がある。しかし、これはちょっと無理のある論理だ。現在の日本においてお金なしで生活している人はいないのだから、誰しもがお金儲けはしている。それは個人でも法人でも同じだ。国や地方公共団体でも税収を増やすのに必死になっている。学校でも収入を増やすこと自体は決して良くない行為ではない。問題は、そのお金の使い方だ。「お金を儲けることは難しくない。本当に難しいのは使い方だ。」と言われることもある。学校法人なら、いくら儲かったとしても、そのお金は全額、教育に再投資される。一方、株式会社の場合、約半分は税金として徴収され、残ったお金の一部は株主に配当される。さらに残った分が教育に再投資される。このうち、配当の部分が批判の的になる。株主とは大金持ちや資本家というイメージがあり、教育によって金持ちがさらに金持ちになるという構図で語られるからだ。しかし、この批判はあまりにも単純過ぎる。何の制限もなく学校を株式会社化すれば、このような危惧もあり得るが、簡単な制限を加えれば済む話だ。つまり、株主になれるのは個人で、かつ所有できる株は一定の割合以下とすれば良い。そもそも、配当だと批判され、借り入れだと何も言われないというのがおかしい。配当は、利益が出た場合のみに発生するが、借り入れは赤字でも利息を支払わなければならない。金融機関を儲けさせるだけだ。学校法人は学費と寄付以外で資金を調達するのは借り入れしかない。金融機関ではなく金持ちや資本家から借り入れて利息を払っていたとしても誰も批判しないのに、株式として資金調達したら批判するというのは、経営のことを知らないからだろうか。
税金については、なんらかの優遇策があってもよいかもしれないが、これには国民のコンセンサスが必要だろう。税金を払うことで、将来に備えるための内部留保が少なくなる。現在の設置基準のままであれば、大学は広い校地・校舎を必要とする巨大な装置産業のため、校舎の増改築や教育用設備・機器の購入のためには大きな内部留保が必要となる。税金を払わずに済めば有利になるのは間違いない。しかし、学校と言えども社会的なインフラは利用するので、どこまで負担するかは、自治体の学校に対する考え方次第だろう。これは企業に対しても同じだ。税金を優遇して地元のために工場や企業を誘致する自治体もある。同様に、学校を誘致したければ優遇すれば良い。学校と言えども、十分な利益を上げることが出来れば、一定の社会的コストを負担するようになるのではないだろうか。実際、工場跡に大学ができたことで税収が激減して財政難に陥ってしまったという地方の自治体もある。
株式会社立大学の話が出てきた。大学の行方を考える上で、株式会社立は非常に意味があるので、じっくり考えてみたい。
現在の株式会社立大学は、特区により認められた例外的な存在だ。特区とはご存知の通り、構造改革特区であり、規制緩和により経済の活性化を図ろうというものだ。つまり、視点はあくまでも経済的な側面となる。これまで大学は国公立以外では学校法人しか設立できなかったので、大学の新設が難しく、参入障壁となっていた。学校法人の設立が難しい理由は、大学の校地・校舎に加えて、必要最低限の運営資金はすべて自己資金で事前に用意しなければならないからだ。そこで、少ない資金でも大学を設立できるように特区で認めた。この段階で、株式会社による大学設立が大学運営にどういう影響をもたらすかは検討されていない。あくまでも、参入ハードルを下げて新規参入を促し、経済の活性化を図ろうというだけだった。
ちなみ、先に結論を言えば、株式会社立は学校法人より優れている。今後、一定の法整備がなされれば、学校法人が株式会社へ転換する可能性もあると考えられる。
もちろん、デメリットもあるが、そのデメリットのほとんどは、実はデメリットではなく、一定の条件をつければメリットにすらなるものだ。明日以降、株式会社立について、そのメリット、デメリットを考えてみたい。
大学の自治を考える上では、その設置形態の違いも重要になってくる。国立では国の関与が強くなるのは当然だが、現在は、すべて独立行政法人に移行したので、私学に近い形になった。その私学は学校法人が設置している。学校法人の場合、理事会すなわち数名の理事が運営にあたっている。そのため、理事の構成さえ間違わなければ大学の自治が犯される心配はない。一方、最近、特区で認められるようになった株式会社立は大学の自治に問題をもたらす可能性をはらんでいる。というのは、株式会社なので、最終的な意思決定は株主が担うことになる。設立当初は、大学の自治を担保できる株主構成なのは間違いないだろう。しかし、株式会社である以上、資金調達手段として株式を追加発行したり、上場することもあるだろう。いったん上場すると、誰でも自由に株式を持つことができる。実際、上場企業が大学を設置しているケースもある。ということは、市場で一定の株式を購入した株主の意向は無視できない。それが大学の自治を脅かすような要求であったとしても、大学の自治は伝統であって法律ではないので、会社法が優先する。例えば、過半数の株を持つ株主が、入学を求めてきた場合、入試の結果に関わらず入学を認めないわけにはいかない。もし、入学を拒否すれば、学長を交代させることができてしまうわけだ。株式会社立の場合、特定の株主が一定の割合以上は保有できないようなルールがないと、大学の自治を維持できない危険性を持っている。
大学の自治とは少し話がそれるが、バウチャー制度の話が出来てきたので、もう少し詳しく考えてみたい。
バウチャーとは、学費に限って使える金券のようなもので、国や自治体から入学年齢に達した人に一律に配布する。金額は一定(所得に応じて変えるという方式も考えられる)で、授業料の方が高い場合は、差額は本人負担となる。もちろん、国公立にも私立にも使える。大学(今回は大学に限って考えてみる)に入学しない人には単なる紙切れとなる。しかし、義務教育なら、一人が1回入学するという前提で制度の設計ができるが、大学となるとそうはいかない。18歳でバウチャーをもらっても使うのは翌年かも知れない。ひょっとすると20年後ということも考えられる。大学に2回、3回入学する人もいるかも知れない。また、大学間、学部間で学費の差も大きい。
しかし、よくよく考えてみれば、大学進学率が50%を超えたといっても、まだ50%で全員ではない。しかも、国公立に入学して、補助金の恩恵を大きく享受している人はごくわずかだ。そもそも、大学教育に税金を投入することのコンセンサスが得られているという前提があやしい。大学に行かない人や補助金をもらっていない大学に入学した人から見れば、大学に補助金を出すこと自体に納得感がないかも知れない。であれば、18歳になった全員に有効期間が3年程度のバウチャーを配布し、期間内に使用しなかった場合、半額程度で国が買い戻す制度はどうだろう。まったく紙切れになるのでは、大学に魅力を感じていない人から不満が出る。しかし、全額では、大学に行かずに生活費や遊興費に回ってしまう。学費に使えばバウチャーの全額が生かされるとなると、大学は必死で大学を魅力あるものにし、入学を促進するだろうし、金銭による入学の障害が少なくなるので、進学率もさらに向上するだろう。
大学としては補助金がなくなるので、その分、学費を上げざるを得ない。もちろん、それ以上のバウチャーが配られるので、学生の負担は変わらないが、国公立が上がり、私学が下がることになるだろう。
この制度では国公立が値上げになり、私立と同じ土俵に上がることになるため、国公立が反対に回る。つまり、文部科学省も反対することになる。財務省もバウチャー発行コストを理由に反対に回るかも知れない。あとは、時のリーダーの勇断に期待するしかないのだろうか。
このバウチャーの変形として、減税の代わりに、バウチャーを配布するとか、教育訓練給付制度のように、一定の条件を満たした人に返金することなども考えられる。いずれにせよ、大学に対する補助金という麻薬による支配から脱却しない限り本当の大学の自治は実現しない。
学問の自由の保障がどこまで及ぶかはさまざまな議論がある。そもそもの由来である中世のヨーロッパでは、かなり広範囲に認められていたようだが、これは、社会の規制も少なかったことも理由の1つであろう。現在でも、学長を含めた人事、教育・研究内容や方法、施設の管理、予算編成・執行などが含まれると思われる。これらの自由が国家から干渉されなければ良いことになる。しかし、設置基準には、教育の方法や設備について言及している部分がある。また、補助金の交付を通じての干渉も大いにある。補助金は受け取らなければ自由は保障されるので、ここでは除外して考えるとしても、大学でありつづけるということは、完全な学問の自由を手に入れることはできないのは間違いない。逆に言えば、学問をするのに、大学である必要性はないわけなのだから、いくら大学を規制したとしても、学問の自由を侵害したことにならない。この論理を認めない限り、現在の状況は矛盾を抱えていることになってしまう。
補助金についても、大きな問題がある。受け取らないことで学問の自由が保障されるとは言ったが、現実的には、ほとんどの大学が補助金を受け取っている。しかし、憲法89条には、「公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。 」とある。「公の支配に属さない教育事業」に国が補助金を出すことは憲法で禁止されているのだ。そのため、現在は、直接補助金を出さずに、外郭団体を経由するということで憲法違反ではないという建前になっている。しかし、実態として国から補助金を受け取っている以上、公の支配に属していることになる。支配されている以上は、その活動に一定の制約を受けることになる。つまり、完全な学問の自由はあり得ない。いずれに転んでも憲法違反の状態をずっと続けていながら、学問の自由を叫んでもむなしい。当然のことながら、この状態は是正されるだろう。
大学は補助金なしでは、授業料が高くなってしまう。そのため、補助金を支出しながら、学問の自由を保障するには、補助金を機関補助から個人補助に切り替えるしかない。大学の補助金を出すのではなく、学生個人に補助するのである。方法は奨学金かバウチャー方式が考えられる。バウチャー方式とは、大学の学費に使える金券(クーポン券)を国が発行し、そのバウチャーでどの大学の学費も支払えるという方法だ。
大学の運命を文部科学省が握る時代から、第3者評価を通じてピアレビューの時代に移行しつつあるが、ここで問題になるのは大学の自治だろう。古くから大学には自治が認められてきた。そのため文部科学省も大学の運営に口を挟むのには遠慮があった。これは、学問の自由が憲法23条で保障されているからである。しかし、学問の自由は尊重されるべきものであっても、大学が何をしても良いということにはならない。かつては、大学紛争の際にも学問の自由を治外法権と取り違えて、問題を拡大させてしまったのではないだろうか。
ところが、自由に学問をしようとすれば、結局、広範囲な自治が必要とされる。ここに矛盾がある。大学として認められるためには設置基準という制約を受ける。つまり、大学であることと自由な学問は両立しないわけだ。まったく政府に関与されずに自由に学問を行いたければ、大学ではなく民間の研究機関であれば良いわけだ。逆に言えば、大学として一定の制約条件を満たせば、大学として認知されると同時に、政府から一定の保護を受けることができる。これまでの大学は、この保護(特に補助金と言う名の麻薬)のために、学問の自由を放棄してきたのではないだろうか。
ちょっと順序が前後するが、学費の話題に追加。
学費に関する「大学の行方」について、一番言いたいことを書き忘れていた。学費が無料が理想と言うことは書いたが、なかなか無料というのは難しいので、現実的なところでは、「後払い」もしくは「寄付」ということだ。後払いが無理でも少なくとも「返金制度」はできるだろう。
もう少し詳しく書くと、後払いとは、卒業後もしくは単位修得ごとに学費を払うことだ。世間では、この後払いが原則で、前払いの方が例外だろう。後払いにすれば払ってもらえないかも知れないという不安に加えて、大学の志願者が多いため、大学側に有利な制度が確立したのだろうが、なんらかの事情で払えなくなる人はいるだろうが、悪意で払わないという人はきわめて少ないだろう。大学に満足していればほとんどの人はちゃんと払ってくれるのではないだろうか。もちろん、卒業できずに退学すれば払いたくない。しかし、それは大学の入学選抜の問題であり、いったん入学を許可したのなら、卒業まで責任を持つのが当然。それを放棄したのなら学費はもらえなくても仕方ない。
寄付というのは、後払いでもらう学費の金額を自由に設定することになる。つまり、チップみたいなものだ。これを実施するのはかなり勇気が必要かも知れない。学費の金額を最低限まで下げて、残りを寄付に置き換えることが現実的かもしれない。
話を戻そう。大学が大学として認知されるためには、文部科学省に認可されたり、第3者評価で適合との評価を受けたりすることだけだろうか。世の中には大学に近いが大学ではない高等教育機関がいくつかある。4年制の専門学校、各省庁所管の大学校、民間の教育機関などである。
名前が大学とついていようが、なかろうが、その内容がよければ大学と同等か、場合によって大学以上の評価を受けてもおかしくない。少し特殊な例かもしれないが、フランスのグランゼコールは、大学以上の評価を受けている。大学が堕落したので、国がそれに代わる教育機関を作ったのが発祥のようだが、日本でも同じことが起こらないとも限らない。国立大学が独立法人化し、国の管理下から離れていったのは良いが、大学が自らその水準を維持できなければ、再び国が大学に代わる教育機関を作ると言うわけだ。あり得ない話ではない。いくら法律で「大学」という名称を与えられたとしても、世間の支持がなければ何の意味もない。
ところが、大学には学校教育法以外でも法律で保護されている部分がある。例えば、医師法。「大学において、医学の正規の課程を修めて卒業」しないと国家試験の受験ができない。医師以外にも原則として大卒でないと取得できない資格としては、歯科医、獣医師、薬剤師、教員、司書、学芸員、弁護士、社会教育主事、精神保健福祉士、社会福祉士、国会議員政策担当秘書、社会保険労務士などがある(一部短大または4大の2年修了でも可を含む)。
このように、大学であることの特権が依然として存在する。しかし、これらの受験資格の制限は廃止の方向に向かっており、いぜれは撤廃されるかも知れない。その場合でも、大学を国家が認可する必要性があるのだろうか。
第3者評価は始まったばかりなので、やむ得ないかも知れないが、大学にも評価する側にも専門家がいない。商品であれば、それを検査する機関がある。住宅でも性能を評価する機関が存在する。しかし、大学を評価する機関は、この第3者評価にあわせて、急ごしらえで作られた。そのため大学評価の専門家ではなく、多くは大学の教員が借り出されたりしている。当初はやむ得ないかも知れないが、今後は、専門家の養成と専門家による自己点検、第3者評価が必要となる。こういう専門家をリエゾンオフィサーといい、アメリカの大学では活躍している。リエゾンオフィサーとは、自己点検のために日ごろから学内から情報を集める。そのため各部署からスムーズに情報が提出されるように、学長直轄の役職とし、学内にもその役割の重要性が理解されている。日本の場合、点検のために急遽、誰かが担当となり、各部署に依頼することが多いため、十分な権限が与えられず、情報が提供されないことも起こっている。情報の提供を求める側も本職でないため、十分な説得ができないのだ。
コンプライアンス、内部統制、個人情報保護など、企業を見る目は厳しくなっているのと同様に、大学にも同じ視線が注がれている。しっかりした目を持ったリエゾンオフィサーが各大学で活躍するようになるのではないだろうか。その場合、自称リエゾンオフィサーでは質のバラつきが生じるため、リエゾンオフィサーを養成する機関の創設もしくは、資格制度が必要となるのではないだろうか。
