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2006年7月 アーカイブ

2006年7月 5日

母たちの村

「女性たちはすばらしい 女性たちは生命を産む 女性たちに敬意を捧げよう」
「女性たちはすばらしい だからこう言いたい 女の子が生まれたら ぜひ教育を与えなさい
 立派な花嫁になるために ぜひ学校にやりなさい」
「昔から言われてきたことがある でも割礼のことは書かれてはいない それは書かれてないのだ」

リズムを取りながら、女性たちが「割礼をしない自由」を勝ち取ったことを喜んでいます。。

先週末、私が見た映画『母たちの村』の最後のシーンです。

古くから「割礼」はアフリカをはじめ世界各地で行われてきました。女子割礼に関しては、これまでアフリカだけでも1億3千万人以上の女子が受けています。また、少なくとも毎年約200万人、毎日約6000人の少女たちが、この慣習を受けることが予測されています。28カ国のアフリカの国々と複数のアジアの国内で行われていますが、これらの国々からの移民受入国であるヨーロッパ諸国、オーストラリア、カナダ、米国で徐々に広がりつつあります。

女子割礼は、古くからの慣習として行われてきましたが、西洋医学にあるような無菌室で麻酔をかけて・・・といった手術とは異なり、木下や小屋の床など非衛生的な環境の中で医療知識を持たない人たちによってカミソリやナイフを使って行われます。小枝や動物の腸を糸として使ったり、泥や灰などを止血のために使うことを考えると、あまりにもひどい環境であることは想像に難しくありません。

女子割礼の慣習の目的にはいくつかあります。「伝統的慣習」「宗教的儀式」「女性の処女性と貞節を守るため(FGMを受けていないと結婚できない)」「女性の外性器は不潔で見苦しいから」「多産と安全な出産のため」などがあげられます。

『母たちの村』で描かれた西アフリカでも例に外れることなく、伝統的慣習として割礼が実施されてきました。しかし、主人公「コレ」は、割礼により2人の子どもを死産してしまった経験から、帝王切開で産んだ子どもには割礼を受けさせないという選択をしました。このうわさが広まり、女子割礼から逃げてきた4人の女の子が「コレ」に保護を求めるところからストーリーは始まります。

映画の中で、村の男性が女性からラジオを取り上げるシーンがあります。これは、社会との接点のない女性がラジオから情報を得ることで力を持つことを拒むアフリカの男性社会を描いています。「コレ」もラジオから「女子割礼」が宗教儀式でないことを教わりました。

村の男性たちは、割礼から逃げた子どもたちの保護を「コレ」に解かすように様々な手を使います。ラジオを取り上げたり、時に暴力すら振るうのです。しかし、女性割礼の現実を身をもって知っている「コレ」は決して男性たちに屈せず、子どもたちを守り抜くのです。

日本にも「慣わし」や「言い伝え」があるように、アフリカにもあります。それらに加え、「掟」や「呪い」といったものも根強く残っています。そして、時にそれらが、発展や開発を妨げる一要因でもあります。しかし、「割礼」に関しては、「女性に対する拷問である」などといった認識が広がり、「割礼」という言葉から「女性の外性器切除(Female Genital Mutilation: FGM)」という言葉が使われています。また、フランスに住むアフリカ系女性が娘に割礼を施したとして禁固2〜5年の判決を受けました。米国でもアフリカ移民の母親が娘に施した割礼で訴えられるという事件もおきています。

「割礼は伝統であり欧米の批判は文化的な帝国主義だ」とする主張する割礼推進派と、人権保護の観点による割礼廃止派に分かれています。映画の中でも、女の子の母親たちは、子どもたちに割礼を受けさせようとします。これは、割礼を受けていなければ結婚できないという慣習があるからです。

どの社会においても、どんなに力のない人たちでも…圧力や権力に屈することなく、勇気を持って社会を変えるために立ち上がる人たちは、とても美しいですね。自分の子どもと、そして、自分に保護を求めてきた子どもたち、そして、女性たちの権利を一人で守りぬいた「コレ」は、輝いて見えました。


<参考>
母たちの村―moolaade―」ウスマン・センベーヌ監督作品、2004年、フランス・セネガル合作映画
World Health Organization 1997. Female genital mutilation: a joint WHO/UNICEF/UNFPA statement

2006年7月14日

ひとつの命

「生きてるだけでまるもうけ」

この言葉を初めて感じたのはいつのことだったかな?最近感じたのはいつだろう??


先日、内戦終了後のアフガニスタンで、井戸掘りや学校建設などをしてきた、NPO法人「ネットワーク地球村」東京事務局長の植木氏の講演会を聴きに行きました。

アフガニスタンはご存知の通り、中東に位置する複合民族国家で、1919年に英国から独立して以来米ソの代理戦争、国内での政権争いによる内戦などにより国内は荒廃し、多くの難民を生み出しました。また、アメリカ同時多発テロを契機とした米英軍によるアルカイダ及びタリバンへの軍事攻撃によって大きな打撃を受けたことも記憶に新しいかと思います。2001年に発足した暫定政権によって、アフガニスタンは和平へのプロセスをスタートさせ、同時に、国連機関、各国政府をはじめ、数多くのNGOがアフガニスタン支援に取り組みました。

日本国政府ももちろんODAとして大規模な緊急、復興支援を行いました。大阪大学の内海成治教授(「アフガニスタン戦後復興支援―日本人の新しい国際協力」内海成治編著、昭和堂、2004年)は、「アフガニスタン支援はこれまで日本が行ってきた開発途上国支援とは目標も方法もまったく異なった新しい援助である。何が新しいのか。それはODAとして大規模な緊急、復興支援を行ったことであり、戦闘状態の完全に終わっていない国での活動だということ、さらには各国、国際機関との援助強調を徹底的に行っていることなどである」と、日本政府の取り組みが新たな手法による援助だと述べています。また、「国際機関を含めて多くの日本人がアフガニスタンの現場で活躍していることなども、かつてなかったことだ」と日本人の積極的な支援活動を取り上げています。「地球村」の活動もその中のひとつです。

支援活動とは・・・、援助する側から援助される側にカネやモノ、技術などのスキルが譲渡・教育される活動です。そして、殆んどの場合その両者には大きな溝があります。そこに本来重要視されるべき人と人との対話、国や民族を超えた対話が持たれることは少なく、時に騙し・騙されといったことすら起こることを考えると、誰が誰のために何のためにやっている活動なのか疑心暗鬼に陥ります。ましてや、「相手を知ろう」「相手のために」「相手に頼れるのは自分しかいないのだ」といった気持ちや使命感を持つことは、大きな組織になればなるほど難しいものです。

話は植木氏の活動に戻りますが、実際に植木氏がアフガニスタンで成し遂げたことは「アフガン支援」ではありません。もちろんアフガン支援ではありますが、大きな「支援」といった枠組みを超えた、支援よりももっともっとシンプルな「そこに困った人がいたから・・・」といった「人間同士の助け合い」です。

植木氏は、この支援の中で、小さな幼い命を救いました。それは、聞こえは美しいことですが、本人にとっては、苦しい決断でした。「アフガンの人たちを救って」という思いで募った浄財で活動をしている彼にとって、より多くのアフガンの人達を救うことが使命でもありました。しかし、目の前に現れたのは、100人の支援を必要とする人たちと、1つの小さな幼い短い命。彼を知る人たちにとっては、彼がどういう行動をとったのかは想像に難くないでしょうが、彼の中での葛藤は穏やかなものではありませんでした。結論から言えば、彼は1人の幼い命を救うことができました。ですが、それはあくまで結論であって、救えないことも想定したはずです。100人を救えるお金を、救えないかもしれない命に賭け、もし救うことができなかったら・・・、彼に希望を託した人たちは、どう感じるか・・・と。しかしスライドで見る限り、彼の笑顔にはそのひとかけらも見受けられなかった・・・というよりも、自身に満ちた笑顔は、「生きろ!」と小さな幼い命に必死に訴えかけているように私には見えました。

小さな幼い命は、手術をしなければ10歳まで生きられない心臓の病気を抱えていました。彼は、できる限りのネットワークと手段を使い、彼の熱い想いを小さな命に賭け、駈けずり回りました。その結果、沢山の人達のサポートで手術を受けることができ、小さな幼い命は、「生きる」という希望を与えられたのです。

彼が救ったのは、たった1つの命かもしれません。しかし、その命を守ることで、笑顔を取り戻せたり、生きることに希望を持った人達は、100人どころではありません。小さな命の家族、周りに暮らす人達、明日生きられないかもしれないと絶望の淵にあったアフガンの人達、日本でサポートした人達、そして・・・この話を聞いた人達、そして何よりも、将来の地球を支える大きな力となる「小さな命」。さらに・・・もしかしたら、彼が救ったのは、彼自身だったかもしれません。

「生きていること、それだけで、幸せなことなのです!」植木氏のメッセージは、小さな幼い命から引き継がれ、「希望」の種となって、広がっていくことでしょう。。1人から10人へ・・・10人から100人へ・・・、国境を越えて・・・人種を超えて・・・。


植木氏の講演会は、7月20日(木)にも開催されます。ご希望の方は、ご連絡をお寄せください。

〈参考〉
「アフガニスタン戦後復興支援―日本人の新しい国際協力」内海成治編著、昭和堂、2004年

2006年7月17日

桃とアジサイ

連休を使って「桃日本一!」と言われる山梨へ行ってきました。実は、山梨が桃日本一!と言われると黙っていられない岡山出身の私です。とはいえ、どちらが日本一かどうかは全く問題ではなくて、何よりも「桃」が美味しければ良いのです。

私の祖母は岡山の山陽の地で桃を育てていました。出荷をするわけでもなく、私達家族で食べるために。毎年夏になると桃三昧で、少し飽き飽きしていたのを覚えています。桃がとても高いフルーツだと知ったのは、祖母が老いて、私が大きくなってからでした。今では、数本を残すのみの桃畑になりましたが、祖母の育てた桃の木は今でも白く美しい実をつけて、私たちの舌を楽しませてくれます。

山梨の桃には、岡山の柔らかい桃とは少し異なる品種があり、「カリッ」と堅い食感のものがあります。桃はジュワーと広がる甘さと柔らかさ・・・と思っていたので、ある意味カルチャーショックでした。とはいえ、やはりもぎたてでなければ、その「カリッ」とした食感は感じられないようです。山梨の桃畑で赤く頬を染めたような桃を丸かじりしながら、故郷の岡山を思い出しました。


under the peach tree2.JPG
「大きな桃の木の下で」


途中の「猿橋」のアジサイを見に行きました。残念ながら雨に降られてしまいましたが、雨の中のアジサイは一段と綺麗でした。


ajisai.JPG
「蒼いアジサイと青いアジサイ」

2006年7月31日

野外劇

少し前になりますが、お芝居(GS近松商店)を見に行ってきました。
新宿のビルの間にどっしりと構える花園神社の境内に設置された小屋でのお芝居でした。

hanazonojinja.JPG
花園神社

小さな舞台の中には、舞台となるガソリンスタンドのセットが組まれ、ガソリンスタンドだけに、車も乗り入れるという設定。バイクも自転車も、火も使うし、水も客席に散ってくる。観ている私も、その舞台の一員であるかのように、臨場感のあるお芝居。

ストーリーは切なく寂しい物語です。親から愛されず育った少年が、愛情あふれる若妻に恋をする。許されない恋に駆け落ちをしようとするが・・・といった、「愛」をテーマにした物語です。
切なくてほろりとしてしまうシーンもあり、「あれ?これお芝居・・・だよね!」というくらい引き込まれていきました。

そういえば、昔離れて暮らしていた祖母が月に一度家に来て、一緒にお芝居を見に行ったことを思い出しました。幼心に、祖母にアイスクリームを買ってもらうのが嬉しかったんです。映画も好きですが、客席と舞台が一体になって、五感で感じられる芸術って、すばらしいですね。

関西では、小さな劇団がどんどん潰れていく中、関東は根強く残っているんですね。色々と見に行きたいと思いました。

平和映画祭

東京では、「東京平和映画祭」が毎年開催されています。今年で、3回目になります。平和映画祭では、大きな映画館では上映されることのない、平和をテーマに描いた作品を数本続けて上演します。朝の10時から、ランチをはさんで夜の9時までというと、結構ハードなスケジュールだとお分かりいただけるでしょうか。(お尻が痛かったです)

今年上映された映画タイトルは、以下の6作品でした。
『Littele Birds (リトルバーズ)』
 (綿井健陽監督作品 2005年/102分)
『ジャマイカの楽園の真実』
 (ステファニー・ブラック監督作品 2001年/86分)
『魔法のランプのジニー』
 (ステファン・ソター、トレース・ゲイナー監督作品 2006年/16分)
『六ヶ所村ラプソディー』
 (鎌仲ひとみ監督作品 2006年/119分) 
『平和の作り方』
 (きくちゆみ、今村和宏、田中優 2006年/90分)
『映画 日本国憲法』
 (ジャン・ユンカーマン監督作品 2005年/78分)

どれもとてもよかったのですが、印象に残ったのは、3作目の『魔法のランプのジニー』でした。アメリカの中学2年生の二人組みが監督なのです。彼らは、学校で広島・長崎の原爆投下について習いましたが、教科書には詳しく載っていませんでした。そこで、「どうして原爆が落とされたのか?」という疑問を持って、「マンハッタンプロジェクト(核兵器開発計画)」にかかわった科学者などをインタビューしたのです。
彼らは、核兵器を「ジニー」という魔法のランプに閉じ込められていた魔神に例えて、インタビューに行くのですが、シリアスな内容を子どもの目線でコミカルに描いていて(良い意味で)、とてもインパクトのある作品でした。

「平和」でいられる一方で、どこかで苦しんでいる人たちがいる。そんな社会ではなくて、誰もが「平和」を感じられる世の中にしていければ・・・少しずつでも・・・と願うばかりです。

来年は平成19年7月7日の七夕の日に国立オリンピック記念青少年総合センターにて開催されます。興味のある方は、是非是非足を運んでくださいね。

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