育児に関する格言(7)
・家庭の年中行事を大切にしよう。それが子どもに与える影響は大きい。
・子どもができることは、できるだけやらせよう。
・子どもに手伝いをしてもらったら、「有難う」とか「助かった」とか言って必ず褒めてあげよう。
・子どもの目を見ながら話をしよう。
・子どもの質問に答えてあげよう。分からなければ、子どもと一緒に書物で調べよう。
・子どもが泥んこ遊びをして洋服を汚しても、叱ってはいけない。(Fさん)
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・家庭の年中行事を大切にしよう。それが子どもに与える影響は大きい。
・子どもができることは、できるだけやらせよう。
・子どもに手伝いをしてもらったら、「有難う」とか「助かった」とか言って必ず褒めてあげよう。
・子どもの目を見ながら話をしよう。
・子どもの質問に答えてあげよう。分からなければ、子どもと一緒に書物で調べよう。
・子どもが泥んこ遊びをして洋服を汚しても、叱ってはいけない。(Fさん)
これまでのブログとは趣向を変えて書くことにする。
私のきょうだいが、書物『文人暴食』(嵐山光三郎著 新潮文庫)は面白いので、読むように勧めてくれた。
本書は明治から昭和までの三代、三十七人の文人の暴食等が興味深く綴られている。著者は貴重な文献を残してくれた出版界諸兄のおかげで書き終えたと書いているが、よくも調べ上げたものである。ここで三人を紹介する。
私の好きな歌人、若山牧水であるが、私は学生時代、牧水の歌が好きで、いくつかを暗記していた。牧水が酒豪であったことは知っていたが、本書によると学生時代から酔狂は評判で、晩年はアルコール中毒末期症であったそうだ。四十三歳の若さで亡くなったのである。私の憶測であるが、彼の場合、お酒と旅がなければ秀歌は生まれなかったであろう。
折口信夫は手料理がうまく、終世、家族を持たず、弟子達に料理を作らせたようだが、お茶がらをおいしそうに食べたことが書かれている。佃煮にして食べた人は沢山いるであろうが、そのまま食べるとはいくら栄養があっても、弟子と同様に私にもできない。それから、到来品を大切にし、腐りかけても、かびがはえてもとっておいたという。
向田邦子は料理が上手であったという。気に入った料理に会うと、その味を記憶に留め、自宅で再現したそうだ。その傑作品はある居酒屋の酒肴となったという。なかでも最高傑作はゆで卵のソース漬けであると。
料理は素材や時間もさることながら、大切なのは真心ではないであろうか。
私がここで言いたいことは、バランスのとれた食生活である。若い人はいいが、中年過ぎたら食物繊維やビタミン類を積極的に摂り、コレステロールの多い食品、動物性脂肪、甘いものを控えめにすること、またどんなに好物でも毎日摂食するのではなく、数日おきに摂ること、さらにかびのはえたもの、腐ったものは食べてはいけない。勿論、三度の食事は規則的に摂るべきである。
アルコールの一日の適量はビールなら中瓶1本、ワインならグラス1杯、日本酒は1合。これは注釈が必要であり、中性脂肪、血糖の数値が正常な人の場合である。
同じく嵐山の著『文人悪食』(こちらの方が先に出版されたのであるが)については、他日を期したい。
数学者 石谷 茂先生を悼む
最初の職場の上司、石谷 茂先生が逝去された。商業・経済の短大で20年以上主任教授を務められた。専攻は数学であったが、勉強家でいらっしゃったので、色々な学問に造詣が深かった。また、厳しい先生であったので、褒められるより叱られることが多かった。ここでは叱られたことは省略する。2008年3月27日のブログで述べたが、20数年も前のこと、先生から学科を増設したいので考えて欲しいと依頼され、本学の家庭教育課程のカリキュラムに類似したものを考案し、提出した。結局それは採用されなかったけれども、先生からお褒めの言葉を頂いた。
またある時、大学のカリキュラムの一般教育についての会議で、新制度の大学に一般教育が導入されるきっかけになったのは、1946年4月の第一次米国教育使節団報告書によるのではないかと指摘された。早速調べてみたら、やはりそうであった。それで私は「教育新世界」17(世界教育日本協会 1984年3月)に「大学における一般教育の経緯と課題」という論文を投稿した。このように先生は私の学問研究にも、厳しいが温かい助言を与えて下さった。
ご病気であることを知らなかったけれども、急に先生のことを思い出し、電話し、点滴の生活をされていることを知り、鄭重な手紙を書いた。手紙をヘルパーさんが先生に読んであげ、先生は思い出していらっしゃるご様子であった、と後で報告を頂いた。しかし、それから1カ月後先生は天国に召されたのである。
先生のご冥福を心からお祈りしたい。
またもや不幸なことを書くことになった。
近年、人が亡くなっても新聞の死亡蘭に通知することもあまりなく、また葬儀も親族のみで行うことが多くなった。二人のドイツ語の恩師が逝去されたことを知ったのは、昨日であった。昨夜は悲しみと、学生時代に習ったこと等が想起され、まんじりともしなかった。
一人は、学生時代、修得単位に関係なく、私が勉強したいために受講を特別許可して下さった早大名誉教授 棗田光行先生である。先生は最後の授業で、私を指名され、テキストを訳出するように仰った。私はきちんと予習をしていたので、困ることはなかった。また、試験も受けていいですよと言われ、お言葉に甘えて受験させて頂いた。先生の温かいご指導に私はドイツ語が益々好きになったのである。それ以来ずっと年賀状を差し上げ、勿論先生からも頂いた。私が最初の職場で、ドイツ語を教えることになって、テキストの選定に困っていた時、先生は何冊かのテキストを見本にわざわざ送って下さったのである。この二年間、年賀状が送られてこなくなった。心配していたところ、一昨年逝去されたことを知らされた。
もう一人の先生はやはり早大名誉教授 中村浩三先生である。最初の授業で、先生は自己紹介をされた。偶々先生の出身地は、私が育った県と同じで、親近感を覚えた。先生はドイツ留学のご経験がおありで、授業の時、よくドイツのお話をされた。それは私のドイツへの憧憬の念を益々強くした。学会発表や論文作成のためのドイツ語の原書の訳出等で、先生には筆紙に尽くせないほどお世話になった。先生は昨年の1月に逝去されたそうである。
私はドイツ語の辞書を2冊ボロボロにしたが、現在使っている辞書はまださほどいたんでいないので、お二人の敬愛する先生を思い出しながら、命ある限りドイツ語を勉強したい。