このごろ思うこと
教授法
最初の職場で、教職科目を担当していた私は、学生が中学や高校で教育実習(教壇実習)をする時には参観しなければならなかった。参観後、コメントを記した紙を渡し、次回にはより良い授業をするように激励したものである。50分の授業であったが、学生により、授業の上手・下手はあった。
本学で自分のオンデマンドを見て、毎回の授業を反省しているのだが、なかなか満足した授業ができない。ある学生から、新しい内容に移る時、再度、前の内容をまとめて欲しいという要望を聞いたことがある。自己反省としては、同じことを繰り返し言い、くどい感じがしないでもない、マイクから顔をそむけることがあり、聞きづらい時もある。
それにしても、受講生が全くの自由記述で授業評価するより、オンデマンドによって自己評価をする方が私にははるかに有効であると思うのである。
日本人は勉強家であるか?
明治5年(1872年)、学制が発布され、初めて学校が設立された。政府は立身出世を標榜し、子どもを学校に行かせようと、巡査に村を巡回させ、遊んでいる子どもや野良仕事を手伝っている子どもを学校に行かせたのである。当時は授業料を徴収したので、親の経済的負担は大きかったばかりでなく、労働力である子どもを学校にとられてしまったので、学校への不満が高まり、小学校焼き討ち事件が起こった村もあった。ところが、子どもは学校で色々なことを学んでくることが分かったのである。ある日、父親が米俵を数えていたら、子どもがいちいち数えなくても、米俵を並べたり積んだりして掛け算をすればいいのだと言った。こんな事等で、親の学校への見方、考え方が変わってきたのである。
以上は明治時代の学校史のごく一部分である。
小学校の就学率は明治6年には男児39.9%、女児15.1%だったのが、明治45年には男児98.8%、女児97.6%というように著しく上昇したのである。このことを私の友人であるドイツ人のGさんは「日本人は勉強家だ」と言うのである。
日本教育史のオーソリティ尾形裕康先生がかつてこう仰ったことがある。「就学率が低下した時があった。それは女児に裁縫を教えないことがあったからである」と。それはいつだったのですか?と私は質問したかったのだが、恐れ多くて聞きそびれてしまった。尾形先生は色々な資料を調査され、そう仰ったのである。今の私にはそれを確認する時間的余裕はないけれども、古い時代の教育を調べると面白いことが沢山発見できそうである。
それにしても、日本人はGさんが感心するように、勉強家なのかもしれない。