« 2009年10月 | メイン | 2009年12月 »

2009年11月 アーカイブ

2009年11月19日

このごろ思うこと

 教授法
 最初の職場で、教職科目を担当していた私は、学生が中学や高校で教育実習(教壇実習)をする時には参観しなければならなかった。参観後、コメントを記した紙を渡し、次回にはより良い授業をするように激励したものである。50分の授業であったが、学生により、授業の上手・下手はあった。
 本学で自分のオンデマンドを見て、毎回の授業を反省しているのだが、なかなか満足した授業ができない。ある学生から、新しい内容に移る時、再度、前の内容をまとめて欲しいという要望を聞いたことがある。自己反省としては、同じことを繰り返し言い、くどい感じがしないでもない、マイクから顔をそむけることがあり、聞きづらい時もある。
 それにしても、受講生が全くの自由記述で授業評価するより、オンデマンドによって自己評価をする方が私にははるかに有効であると思うのである。

 日本人は勉強家であるか?
 明治5年(1872年)、学制が発布され、初めて学校が設立された。政府は立身出世を標榜し、子どもを学校に行かせようと、巡査に村を巡回させ、遊んでいる子どもや野良仕事を手伝っている子どもを学校に行かせたのである。当時は授業料を徴収したので、親の経済的負担は大きかったばかりでなく、労働力である子どもを学校にとられてしまったので、学校への不満が高まり、小学校焼き討ち事件が起こった村もあった。ところが、子どもは学校で色々なことを学んでくることが分かったのである。ある日、父親が米俵を数えていたら、子どもがいちいち数えなくても、米俵を並べたり積んだりして掛け算をすればいいのだと言った。こんな事等で、親の学校への見方、考え方が変わってきたのである。
 以上は明治時代の学校史のごく一部分である。
 小学校の就学率は明治6年には男児39.9%、女児15.1%だったのが、明治45年には男児98.8%、女児97.6%というように著しく上昇したのである。このことを私の友人であるドイツ人のGさんは「日本人は勉強家だ」と言うのである。
 日本教育史のオーソリティ尾形裕康先生がかつてこう仰ったことがある。「就学率が低下した時があった。それは女児に裁縫を教えないことがあったからである」と。それはいつだったのですか?と私は質問したかったのだが、恐れ多くて聞きそびれてしまった。尾形先生は色々な資料を調査され、そう仰ったのである。今の私にはそれを確認する時間的余裕はないけれども、古い時代の教育を調べると面白いことが沢山発見できそうである。
 それにしても、日本人はGさんが感心するように、勉強家なのかもしれない。

2009年11月29日

東大キャンパス散策

 よく晴れた晩秋、きょうだいの東大附属病院での用事が早く終わったので、二人で東大キャンパスを散策した。私の家族は、私が生まれる前、この界隈に住んでいたそうである。私は学会や図書館利用で、東大には何回か来たことがあったが、きょうだいとゆっくり散策したのは初めてであった。
 かつて、父が医学部の研究室に長年通っていたので、最初に、エルヴィン・フォン・ベルツとユリウス・カール・スクリバの胸像を見学した。碑によると、この胸像は1907(明治40)年に建設されたが、医学部総合中央館の新築にともなって、1961(昭和36)年に、原位置より少し離れた現在地に移設されたそうである。ベルツもスクリバもドイツ人で、東京大学医学部創始の頃20年以上にわたってそれぞれ内科学、外科学を教授指導し、我が国近代医学の基礎を築いた恩人であり、東京大学名誉教師として讃えられている。ベルツの方は『ベルツの日記』を読んだことがあったので感慨が深かった。南隣にはヒポクラテスの木があった。
 北側のグラウンドでは、学生がサッカーに励んでいた。彼等は心身をも鍛え、立派な人材に育つであろう。明るく、礼儀正しく、実に頼もしい感じであった。
 坂を登って右手の森に入った。眼下に三四郎の池の水面が光っていた。結構、凹凸があり、歩きにくかったが、下に降りた。大きな鯉が数匹泳いでいた。幾多の文人がここで瞑想したという。その一人、小泉八雲は講義が終わると、教員控え室に入らないで、いつも三四郎池の周囲を歩いていたという話を思い出した。半周したところで、左手の坂を登ると安田講堂の横手に出た。正面に向かって西側一直線に銀杏並木があり、その間に正門を望むことが出来る。ここが東大のシンボルともいえる場所である。正門の中央上部には菊花の御紋章が今でも飾ってある。東京帝国大学なのである。
 東大も新しいビルが立ち並び、昔ほどの風情はなくなったが、この辺りはまだ古い建物が沢山残っている。中味は変わっているが、明治初年以来の学問の「しみ」が、その雰囲気が津々と身に滲みる。古い建物群そのものが学問の結晶のように、また芸術的美観さえ漂わせている。やはり東大である。
 東大には赤門、正門その他大きな門がいくつかあるが、ここで学びたい者には極めて狭き門である。だからこそ魅力は尽きないのであろうか。

About 2009年11月

2009年11月にブログ「福田 博子の研究室便り」に投稿されたすべてのエントリです。新しい順に並んでいます。

前のアーカイブは2009年10月です。

次のアーカイブは2009年12月です。

他にも多くのエントリがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Powered by
Movable Type