2006年8月アーカイブ

 本学のホームページ(トップ)に、人間開発教育課程の「教員紹介」がリニューアルされました。また「学生紹介」のページも開設されました。以下のURLをご覧ください。

■「教員紹介」http://study.jp/univ/yashima/course/hd_prof.html

■「学生紹介」http://study.jp/univ/yashima/solutions/h8.html

 なお、私の担当科目、「財政学概論演習」と「地域開発・都市経営概論演習」について、何かご質問があれば、どうぞご遠慮なく、すぐ下の「コメント」か、hanawa@yashima.ac.jp までお寄せください。

アメリカのeラーニング

 電子立国アメリカが、インターネットを活用した大学教育に本腰を入れたのは、1990年代初頭からである。たとえばフェニックス大学(University of Phoenix。私立。本部はアリゾナ州)は1976年に開学したが、ゴア副大統領による「ハイウェイ構想」で推進されたITインフラ整備により急成長した。フェニックス大学の学生数は2004年現在で、201,381人。

 同大学の学生の平均年齢は、学部が34歳、大学院が36歳と、いずれも30歳代。ここにアメリカのeラーニングの特徴が出ている。つまり専門的な知識や技能を身につけ、それを「就職」あるいは「転職」に直接活かすことが、学生の主たる入学の目的となっている。

 学生を性別でみると、男42%、女58%と、女性が過半数。最も人気のある学問分野は、学部のビジネス・経営分野(Undergraduate Business and Management)の41%、2番目が大学院のビジネス・経営分野(Graduate Business and Management)の18%、そして3番目が情報システム・技術分野(Information Systems and Technology)の11%など。上記の「就職」に活かそうとする、アメリカ的な大学教育の価値観の特徴はこの分野別にも現れている。

 自身、注目していることは、1990年代半ばから同大学の学生の平均年齢が年々緩やかに低下(若年化)していることである。1995年は35.5歳であったのが、1998年は35.0歳、2003年は34.5%、2004年が34.0歳。イラク戦争などからの退役軍人の入学者数が要因の一つと考えられるが、それだけではない。何か社会的な構造変化が背景にあるように思われる。この分析は、今後の研究課題としたい。

アメリカの大学進学率

8月11日の読売新聞、「大学全入時代 まだ先の話?」という小さな記事の話。

 記事は、文部科学省が「大学全入時代」の到来は来春(2007年度春)にも到来するとの推測を発表していたが、それが大きくハズレた、という内容。文科省は「大学全入時代」の到来時期は改めて修正しないとのこと。推測がハズレた背景には、景気回復による家庭の経済状態の改善などで、現役生の大学志願者数が予想以上に増大したためと、文科省幹部は分析している。

 今年の春は、69万3791人(全大学・短大の定員合計)/77万9711人(大学・短大志願者数)×100=89.0%という結果。文科省の当初推計は95.1%であったから、6.1%のズレということ。現役生の志願者の動向(分母)が不透明で、「大学全入時代」の到来時期はそれに左右されるとのことであった。

 ハズレかアタリかは推測と結果との関係論であって、別に競馬予想などではない。問題は、現在の大学・短大進学率52.3%が今後さらに上昇した時に求められる大学教育の多様性をどう具現するかである。大学教育が大衆化した社会では、それだけ教育に金を投じる家庭(本人や両親)が増大する訳であるから、必然的に大学選択の選好性がこれまで以上にバラつくことが予想される。

 つまり、「どの大学」かが重要であり続けるであろうが、その一方で、「どの学部」で「何を学ぶ」かという大学進学の論理が本格的に展開されてくるのではないかと思われる。志願者(おそらく両親も鋭く関与すると思われるが)の選好性の多様化が大学の多様化を進めていくのではないだろうか。

 現在、アメリカの大学進学率は66.7%(2004年、National Center for Education Statistics)。日本の52.3%を大きく上回っている。アメリカが大学進学率50%を初めて超えたのは1965年(50.9%)であり、その後60%を超えたのは1990年(60.1%)であった。アメリカは相当早くから大学の大衆化時代に入っている。注目すべきは、アメリカでは「大学全入時代」という議論が積極的、前向きであったことである。クリントン政権期では、短大までを義務教育化するという「K-14」構想が浮上したほどであった。

 アメリカの場合、私立大学が名門難関であり、州立大学が大衆的である。これは日本と完全に構造が逆転している。特に州立は大衆化が実に進んでおり、それが社会人教育(生涯教育)社会への移行を円滑にした。90年代は2年制の短期大学(コミュニティーカレッジ)から4年制への編入が急増した時期であったが、それも州立大学のあるべき姿として高く評価された。少なくとも、それが大学教育の「質の低下」を招くなどと、否定されることはなかった。

 アメリカの大学は特に定員を設けていないので計測しえないが、1990年代初頭に「大学全入時代」に事実上移行していたと、個人的には考えている。そうした移行がなぜアメリカでは積極的に受け入れられたか。それは、その担い手が州立部門であったから意外に理由はない。

 なぜ日本では「大学全入時代」の到来が問題となるのか。記事は、乱立した私立大学の淘汰を懸念しているようだが、ではなぜ国立大学の淘汰は議論されないのか。

 この記事を呼んで、南オレゴン大学(州立)の恩師で当時Social ScienceスクールのDeanであったKempner先生が、なぜ学生の両親(納税者でもあるが)を対象とする大学説明会で熱弁していたかが理解できた。

 戦後アメリカで公共交通が衰退した最大の理由は、1960年代以後のモータリゼーションの激化と連邦政府の補助金削減にある。これは、アメリカ社会の在り方を実にうまく映し出した「衰退」であり、興味深い。

loop bridge.JPG シカゴCTAの高架橋(都心部のLoop)

 特に連邦補助金の削減は、冷徹なアメリカ地方自治において深刻であったし、またその削減は、公共交通を存続させるにはいかに新たな税負担が課されるのかを地域住民に理解させるものでもあった。特に1970年代は全米の公共交通の多くがこの問題に直面し、かろうじて存続の道を選択したのである。シカゴ市公共交通機関CTAは、典型例であった。

 現在、連邦補助金は、「TEA21法」(交通平等法)という連邦法を根拠に全米の大都市の公共交通機関(地方政府)を中心に交付されている。これは、簡単に言えば駅舎内でのバリアフリー化等を推進させる補助金である。しかし、この連邦補助金を受取るには、条件がある。CTA自身も、それに係る費用の一部を自己負担しなければならないのである。CTAにとってこれは財政負担の増大となる。

cta entrance.JPG シカゴ都心部にあるCTA高架橋(改札口)への階段。屋根に注目。

middle steps.JPG
階段を上ると、このような感じ。さらに階段を上がればプラットホーム。

 CTAの保有する駅舎の多くは、バリアフリー化が全く進んでいないものが目立つ。それはCTAが財政難である意外、理由は見当たらない。CTAの資本会計の財源をみると、連邦補助金が7割、残りはイリノイ州補助金。州補助金の拠出根拠は、Illinois Firstという州法であり、これは時限立法である。州政府が引き続きインフラ整備の補助金を拡充する意思決定をしない限り、CTAの駅舎等のバリアフリー化は連邦補助金に依存する結果となり、事業ペースの低下が予想される。今後、州議会はどう判断するのか、注目である。
 

このアーカイブについて

このページには、2006年8月に書かれたブログ記事が新しい順に公開されています。

前のアーカイブは2006年7月です。

次のアーカイブは2006年9月です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。