2006年12月アーカイブ

北海道の風土に良く似たオレゴン州。
たとえば州最大の都市ポートランド市の緯度は、たしかに札幌とほぼ同じ。

そんなオレゴン州で最大の大学街であるのが、ユージーン市(人口17万人)。オレゴン大学(University of Oregon)がある。オレゴン州には8つの4年制の州立大学があるが、学生数、設置科目数、財政規模の面で、このオレゴン大学が最大である。

ユージーン市には何度も訪問、滞在している。研究のために市議会に参加し、質問をしたこともある。このユージーン市の都市計画の特長は、学園都市としての緑豊かなダウンタウン再開発を全面的に押し出している点にあり、とくに、いわゆる「オープンスペース」の配置、景観への配慮は、ここ10年、最も力を入れている。

ユージーン市ダウンタウンにある「オープンスペース」の様子。
eugene open space.jpg

eugene 2.jpg

アメリカでの「オープンスペース」をめぐる議論の意義は、脱「車社会」への挑戦、都市の景観の維持という点にあるが、これらのさらに背景にある根本的な問題として、貧困や犯罪の抑制がある。

現に、アメリカ都市計画学会American Planning Association(APA)で常に議論されるのが、犯罪を誘発しない都市計画、オープンスペースの確保についてである。アメリカでは、安全確保という点が、都市計画の重要なポイントとなっており、納税者に対する税金投入に係わるアカウンタビリティーとなっている。

市が管理するゴミ収集所はかつて犯罪を誘発しやすい「死角」と言われることがあったが、ユージーン市は、そのイメージを払拭すべく、できるだけ死角を無くすような施設の配備、配色を施している。
img019.jpg

少し話が飛躍するが、日本では都市計画は行政主導になりやすい。道路や橋など公共事業はとくに行政主導になっている。談合はその結果と言ってよいかもしれない。アメリカでもそうした暗い時代があった。しかしそれを改革すべく「シティーマネージャー制度」を導入した。市行政を監視する都市計画の専門家を、外から雇う制度である。そうした市行政のオープンな仕組みが、私のような外国人研究者でも、市議会に自由に参加させ、質問も受け、きちんと回答する、という姿勢につながっていると考える。

つづく

 12月6日、7日にかけて北海道出張。行き先は、念願の先進的な農村自治体、池田町。ワインのまち、池田町である。

とかち・帯広空港からバスで移動。池田町へは30分ほど。12月上旬、畑はすでに雪化粧。
field.JPG

 北海道池田町は1975年以来、自治体職員が原料となるブドウの栽培からワインの醸造、さらにその流通・販売を手がけてきた、画期的な自治体。地方公営企業会計で収益が管理されており、その事業会計の名も、「ブドウ・ブドウ酒事業会計」である。NHKの人気番組「プロジェクトX」でも放映されたので、知っている人もいるかもしれない。自身、小学生のとき、父親と見学したことがあり、それ以来の訪問であった。

 十勝ワイン「トカップ」の商品名で知られる池田町のワインは、広く日本全国のスーパーで販売されている。ここ10年、国産ワインは輸入ワインに押され苦戦を強いられているが、池田町のワインは、農村による自主的な「まちづくり」としての意義は勿論のこと、そうした輸入ワインの日本市場への参入、つまり酒類産業におけるグローバリゼーションという経済的圧力に立ち向かう自治体経営としての意義もあり、注目してきた。

 それでは、今回はまず、その池田ワインの醸造施設(熟成施設)である、通称「ワイン城」の様子をご覧ください。


いざ、「ワイン城」こと「池田町ブドウ・ブドウ酒研究所」に到着。
sign.JPG

夜の「ワイン城」。この写真では見えにくいが、「祝 Dreams Come True 紅白出場」とある。
そう、あのドリカムはこの池田町のご出身。
castle.JPG

この「ワイン城」3階には町営レストラン「とかち」があり、平日でも客で賑わう。これも、「レストラン事業会計」という事業会計で管理されている。
rest.JPG

ランチを注文。生ハム、野菜など地元酪農から食材が供給されている。まさに「地産地消」。午後から職員の方との接見があったため、さすがに自慢のワインは飲めない。
dish.JPG

 「ブドウ・ブドウ酒事業会計」は毎年度、約10億円の収益を計上しているが、ここ数年、収益は減少している。マクロ統計で見ても、国産ワインと輸入ワインの売上額の比重は、2:8と、輸入ワインが優勢。

 しかし、池田町の事業会計努力は、農業の復権と市場との緊張関係をもつ自治体経営という意味で注目すべきであり、日本の地方分権の推進のためにも重要である。ワイン事業会計の収益の一部は、一般会計(正確には「普通会計」というが)に繰り入れできるだけに、疲弊する北海道の地方財政の状況を考えれば、何としても盛り返す手立てを打ちたいところである。

つづく

「社会的共通資本」とは

 アメリカの異端の経済学者、ソースティン・ヴェブレン(Thorstein Veblen)は、「社会的共通資本」(Social Overhead Capital)という概念を提唱した。この概念は、今日の日本の「まちづくり」にきわめて重要な示唆を与えている。

 ヴェブレンは、制度派経済学の創始者とも呼ばれるが、その所以はまさに「社会的共通資本」という概念を提唱したことによる。市場経済で取引され得ないけども、人間らしく文化的で豊かな経済生活をおくるうえで決定的に重要となる資本の存在を認め、これを、「社会的共通資本」と呼んだのである。
 
 社会的共通資本は、自然や環境、教育や文化、そして制度や街並みも含まれる。豊かな社会ほど、この社会的共通資本が豊かに蓄積しており、そこに生活する人々の経済生活の水準を規定するという考えである。
 
 今年他界した、20世紀最大の経済学者というべき、ジョン・ケネス・ガルブレイス(元ハーバード大学経済学部教授)は、『豊かな社会』(鈴木哲太郎訳、岩波書店)の著者で日本でも有名であるが、あのガルブレイス教授も、実はヴェブレンの思想的影響を強く受けている。

 地域社会で共有される財産としての社会的共通資本。これは、いま日本社会での「まちづくり」に最も求められている理念ではなかろうか。利益(profit)ではなく、便益(benefit)への追求である。これが21世紀の日本の豊かなまちづくりの発展の条件になろう。生産不可能で、不可視な存在であるが、人々にとって重要な資本。それが「社会的共通資本」である。

 確かにアメリカは「小さな政府」を標榜する国。しかし人々が共有する財産としての資本に対しては、惜しみなく経済資源を投入する「覚悟」も存在している。この覚悟が、21世紀の日本の「まちづくり」の成功のカギになるかもしれない。まるで美術館にみえるアメリカの市役所から、ヴェブレンの経済思想が脈々と受け継がれていると感じた。

SF cityhall.bmp

SF cityhall 2.bmp

サンフランシスコ市役所の内部の様子。

It is my intention to curb the size and influence of the Federal establishment and to demand recognition of the distinction between the powers granted to the Federal government and those reserved to the States or to the people.
All of us・・・・・, all of us need to be reminded that the Federal government did not create the States, the States created the Federal government.
 
 これは、1981年1月20日、ワシントンDCにあるCapitol Hill(国会議事堂)の広場で群集に向かって行われた共和党レーガン大統領の就任演説の一部。

 実はこの部分は、駆けつけた群集が最も大きな歓声をあげた部分であった。 「連邦政府(Federal government)とは、州政府(States)が創ったのであって、連邦政府が州政府を創ったのではない」ことを強調し、「大きな政府」を招きかねない中央集権を徹底的に否定した。共和党は、いわゆる「小さな政府」を標榜する、アメリカの伝統的精神を反映した政党であるが、それを象徴するのがこの部分であった。こうした共和党レーガンの国家ガバナンスに関する見識は、ヨーロッパ諸国にも見られない、まさにアメリカ的なものである。少なくとも、駆けつけた群集の歓声の高まりが何よりの証明である。レーガンは大きく腫れ上がった連邦政府(連邦補助金)を改革することをアメリカ国民に誓ったのである。

 ところで、日本の小泉政権も「小さな政府」という言葉を使った。「小さな政府」とは、イギリスで生まれた経済学(アダム・スミス)の基本的な概念の一つである。この経済学の基本理念を、実際に国家ガバナンスに体現したのは、奇しくも経済学の生地イギリスではなく、アメリカであった。アメリカは建国以来、「連邦制」を採用して分権(州権)国家を樹立し、軍事と外交の権力のみを連邦政府に委譲したのであった。実はこの「連邦制」こそ、「小さな政府」を実現する重要な装置となっている。つまりアメリカの歴史は、建国以来堅持してきた「連邦制」のもと、時代ごとに「小さな政府」の在り方を模索する旅そのものであったと言えよう。

 冒頭のレーガン大統領就任演説も、そうした建国以来のアメリカの伝統精神に回帰すべきとの考えに立つものであった。元来アメリカで用いられる(レーガンも引用した)「小さな政府」の本義とは、論理的には、「小さな連邦政府」ということになる。

 国それぞれだが、国家ガバナンス論を含めて、税金の公平な徴収と配分をめぐる議論は、各国共通である。ふと、レーガン大統領就任演説を何度か聴きながら、なぜ、この部分で群集が歓声をあげたのか。その本質的な意味を自分なりに考えてみました。

このアーカイブについて

このページには、2006年12月に書かれたブログ記事が新しい順に公開されています。

前のアーカイブは2006年10月です。

次のアーカイブは2007年1月です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。