2008年6月アーカイブ

「授業からの一言」(9):平良直准教授

 「居場所」

 先日、他の大学の教員をしている先輩とお互いの大学事情などについていろいろ話しをする機会があった。その折り、その先輩が語っていたことが印象深く心に残っている。曰く、「近年、ゼミの学生に対して意識して心がけていることがある。それは学生に〈居場所〉をつくってあげることで、これがあると無いのとでは大きな違いがある」とのこと。学生生活上の問題や、進路相談、学業の指導など、学生自身が大学のなかに居場所がないといろいろ問題が解決しにくいのだそうだ。逆に学生が大学のなかにどのような形であれ自分の「居場所」がある学生は活き活きとしているとのこと。
 「居場所」の重要性はキャンパスにおける学生生活に限ったことではないだろう。なるほど、われわれが日常生活をおくるにも自分の居場所がない状態は何か事をやり遂げるにもやりづらいであろうし、精神的にもかなり苦しい状態になることは容易に想像がつく。職場やある集団への参与など、特定の加入式や契約を経たのちに集団内でそこに居ることが許される場所や、友人関係のなかでの身の置き所など、「居場所」にはいろいろなレベルが考えられるが、ともあれ、われわれはこのいろいろな「居場所」をベースにしながら生きているといえるだろう。人間にとってそこに自分がいることが許されている「居場所」がないということほど生きづらいことはない。
 またこの「居場所」とはおそらくもう少しいうと、単にそこにいることが契約や権利でゆるされているということで居場所として十分かという必ずしもそうはいえない。自身がそこにいることに居づらさを感じればもうそこは<居場所>であることが危うくなっている。居づらさをよく考えていくと、どのような形でそこにいることが「許されているか」ということがおそらく重要な問題なのだろう。そこにいる見返りが期待され、評価や値踏みがその人になされる場合の許され方だと、「居場所」としては恒に危うい状態となってしまうであろう。「居場所」の重要な役割はこの危うさや不安からの避難場所であることにこそあるのであり、不安定な要素が入り込まない、欠点や不足も含めてトータルに自己の存在が受け入れられる場であるからこそ「居場所」になり得るのだともいえる。おそらく先の学生達が感じているのはこの種の「居場所」であろう。無条件に自己の存在が認められ、受け入れられる場ということでいうと、だれでも気づくことであるが、「居場所」の典型としてやはり家庭という場はひとつのモデルになるだろう。(この、自己の存在全体が受け入れられているはずの「居場所」である家庭において、値踏みや評価がはいりこんでくると悲劇である。)

先日ご案内いたしました八洲学園大学家庭教育研究会による「第2回家庭教育研究・活動報告会」の開催場所が確定いたしましたので、お知らせいたします。

  日時:2008年7月30日(水)14:00~17:00
  場所:八洲学園大学 4A教室(4階エレベータ前)
     (前回同様eLY「八洲学園大学家庭教育研究会」教室も開設予定です)

 多数の方のご参加をお願いいたします。また、報告者も随時募集しておりますので、発表していただける方は、家庭教育課程(home-edu@yashima.ac.jp)までご連絡ください。

「授業からの一言」(8):鈴木啓之准教授

 今後担当予定の授業について述べたいと思います。
 与えられたテーマから、授業では先天性あるいは発達期の障害児者を中心に展開してゆきます。厚生労働省統計で見ると成人以降の後天性障害者(事故や疾病、加齢による感覚・身体障害)が圧倒的に多く、機能回復訓練にとどまらず、社会復帰や自立のための訓練など、家庭の役割がとても重要です。みなさんにとっても決して他人事ではなく、事故や疾病、老化は誰にでも起りえます。障害があることは、「不便」ではありますが「不幸」ではありません。私の授業が、障害を乗り越え豊かな人生を送ってゆく、あるいは障害児者理解に役立てばと願っています。

 家庭にあっては、障害児教育は単に教育にとどまらず、医療上のケア「療育」が同時に必要です。本講では、医学・教育学の両面および障害者基本法等の制度面から障害児者の発達を支える家庭教育の役割について解説します。また、各論として障害の種別・範囲(視覚、聴覚、肢体不自由、知的障害、認知障害、重度重複障害、学習障害等)ごとに療育上特別に配慮すべき事項を説明します。

 発達障害者支援法施行および障害者基本法、学校教育法改正により、障害児教育が「特別支援教育」として全面的に見直され、特別支援教育と普通学校および家庭との関係が大きく変わろうとしています。本講では特別支援教育に関する理解を深めるため、特別な支援を必要とする児者への行政、特別支援学校、特別支援学級、普通学校の新たな役割と、障害児者の自立・社会参加を支援する各種運動について説明します。

 八洲学園大学家庭教育研究会では、「本学の学生・卒業生・教員等が交流しつつ、家庭教育の研究・学習・実践活動の推進を図ること」を目的として活動を進めています。この度、「第2回家庭教育研究・活動報告会」を下記の通り開催することになりましたので、ご案内いたします。

  日時:2008年7月30日(水)14:00~17:00
  場所:八洲学園大学教室(教室の場所は追ってご連絡します)
     (前回同様eLY「八洲学園大学家庭教育研究会」教室も開設予定です)

 多数の方のご参加をお願いいたします。また、報告者も随時募集しておりますので、発表していただける方は、家庭教育課程(home-edu@yashima.ac.jp)までご連絡ください。

「授業からの一言」(7):岸俊彦教授より

「全てのテレビを有料にしよう」

 心理学でモデリングの勉強をしたでしょう。その研究によると、人に悪いモデルを見せると、それを悪いことと説明しても、見た人は悪いモデルのまねをする傾向のあることが分かった。もちろん、良いモデルを見せれば、良いモデルをまねすることも分かった。
 ところで、日本のテレビ放送は、犯罪放送が多いね。例えば、HNKの7時のニュースを見てご覧なさい。視聴率の高いこの番組で、親殺し、子殺し親、見ず知らずの人を殺す、レイプ・暴力・泥棒・硫酸で自殺する方法等々次々と続く。こんな悪いモデルを毎日見せていれば、それを真似する人が出てくるのは、当然です。
 

 「曲礼に曰く、凡そ人の子たるの礼は、昏(くれ)には定めて晨(あした)には省みる。出づるには必ず告げ、反れば必ず面す。……」

 これは、今年からスタートした「伝統社会の児童教育論」という科目で、先日取り上げた講義資料の一つです。科目の目的は伝統社会における子ども教育の模様を紹介し、受講生の皆さんと一緒にその現代的意義を考えようとするもので、現在は昔、子ども教育書の定番であった『小学』の内容を垣間見ています。
 さて、引用文のことですが、現代風に解釈すれば、子どもに「おはようございます」「お休みなさい」の挨拶、また外出・帰宅の際にも挨拶や報告がきちんとできるように教えよう、というようなもの。そこで、授業のなかではこのような説明を付け加えました。「それはいってみれば、簡単で当たり前のことであるが、なぜか『小学』では至る所でこういう教えを繰り返し強調している。おそらくそのねらいは、親子間の愛情は基本的には自然な感情に基づくものであるが、それは無意識的な本能ではなく、道徳的自覚や実践を必要としているものなので、こういう普段の訓練を通じて子どもに親を愛し尊敬する品性を身につけさせる、という辺にあろう。あるいは、少し現実的な目で子どもへの期待値を下げれば、子どもから無視されないための最低限の訓練にもなるのではないか」、と。実際の子育て中の父親としての目線で、東洋古典の家庭教育・子ども教育論を捉えていきたいと思っています。

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