これまで、家族社会学概論と現代の社会病理の授業を行ってきました。どちらも現代の日本の状況を考える科目といえますが、受講生の数が必ずしも多いといえないのは残念です。この春学期は、これまでと違って、家族社会学をスクーリング履修に、現代の社会病理をテキスト履修に変更した。現代の社会病理は60名を超える受講生でしたが、家族社会学概論は15名程度でおわってしまいました。スクーリング履修の科目は土曜日の午後2コマ継続という授業形態が問題かもしれません。いずれにしてももう少し受講生の数を増やしたいと思っています。
この秋学期からは、新たに夫婦関係概論と教育社会学概論の科目がスタートします。夫婦関係概論は、テキスト履修ですので、今、テキストの作成に努力しています。これまでの家族社会学概論と重なるところも多いので、合わせて受講していただければと思っています。スクーリング履修で行う教育社会学概論は、現代の大きな問題である教育をめぐって、社会学の視点から検討します。両科目とも新しいカリキュラムによるものです。興味深い授業にしたいと思っています。
最近の社会では、これまで考えられなかったような事件が多発しています。マスコミでは、こうした事件の発生の度に、生まれ育った家庭に問題があったとか、社会の風潮に原因があるなどというコメントが流布されています。たしかに、多くの事件の背景に家族問題があることは否定できませんが、マスコミの報道や解説が真実を告げているかということになると首をかしげざるをえません。その見解が事実に基づくものではなく、ほとんど推測だからです。私たちは、そうしたマスコミの報道も、一つの情報として判断をしていくことを身につけることが大切です。
大学での学習は、単なる知識の獲得だけではなく、多様な情報を自分で操作して、より真実に近づけるようなものの見方、考え方を身につけることが目標です。数多くの授業を通して、適切な理解力、判断力を得てほしいと思います。私の授業が、その一端でも担うことができればとがんばりたいと思っています。
2008年7月アーカイブ
産経新聞「リマーニ」32号にて、家庭教育課程が紹介になりました。
下記のリンクから、記事の閲覧が可能です。
↓↓↓
http://reader.sankei.co.jp/reader/limani/index6.html#KIJI-1
2008年7月28日
第2回家庭教育研究・活動報告会のご案内(在学生・卒業生の皆様へ)
八洲学園大学家庭教育研究会では、第2回家庭教育研究・活動報告会を、7月30日(水) 14:00~17:00、八洲学園大学4A教室/eLY上の「八洲学園大学家庭教育研究会」教室(当日のみ卒業生も入室可)で開催いたします。まだ人数に余裕がありますので、当日まで申し込みを受け付けます。ぜひご参加ください。
詳しい内容は、7月10日に本ブログに掲載された案内文をご覧ください。
(研究会幹事)
去る6月21日の土曜日の夕方、本学の卒業生や在校生が教員も含めて10名ぐらいが一緒に集まって座談会が開かれた。これは、学生が自発的に組織した公認団体「家庭力応援倶楽部―スマイルコミュニケーション」(通称:スマコミュ)が企画した座談会である。このメンバーは「家庭教育」を考え勉強する熱心な集まりであり、現在13人が活躍しているが、同時に、普段ネットでしか交流できない友達が直接会って、勉強を通じて親密な人間的交流を広めようとするすばらしい集まりでもある。
さて当日の座談のテーマは「居場所と家庭教育」であった。6月26日の当ブログで平良先生も「居場所」について書かれていたが、考えてみれば、時宜を得たテーマである。授業でも何度かとり上げたが、「居場所」は、乳幼児にとっては母親という安心基地であり、どんなに不安やつらいことがあってもそこに帰れば安心できる場所である。しかし安心を与えてくれる他者の存在の必要は子どもの時代に限らない。信頼すべき助けになる人がいて必要があればいつも呼び寄せられる、そういう相互依存と信頼関係が無条件に築かれている他者の存在は、人間が生きていく上でどうしても必要である。それは他者に求めるだけでなく、自分への依存も他者に許容する相互性でなくてはならない。その居場所が現在困難になっている。秋葉原殺傷事件の犯人の居場所はどこにあったのであろうか。居場所を提供しない他者への怒りしかなかったのであろうか。
少人数の授業では、授業終了後、毎回掲示板に課題を出すことにしています。受講生は次回の授業の1時間前までに、解答を送信することになっています。学習意欲ある受講生は課題を出してから数時間後に解答を送信してきます。そして、2~3日のうちには、掲示板は開花したように賑やかになります。また、授業の時、ディスカッション機能で、幼児教育の問題について討議をすることにしていますが、最近は受講生から課題を出してもらうこともあります。その中でこういうのがありました。「夜遅く、コンビニエンスストアやファミリーレストランに幼児を連れてくる親がいます。家庭教育アドバイザーとしてその親への対処は?」これについては、知っている人には注意できるが、知らない人には注意しにくいという意見が多かったです。それぞれ家庭の事情があるでしょうが、幼児を夜遅い時間に連れ出すのは子どもの健全な発達の上からも好ましいことではありません。
もう随分前の経験ですが、ドイツに滞在していた時、ドイツの友人の親戚の家に遊びに行って、帰りが遅くなり、夜10時頃汽車に乗ったことがありました。車中、友人の5歳の娘は興奮してはしゃいでいました。そうしたら、ある中老の紳士が少し離れていた席からやって来て、「子どもをこんな遅い時間に汽車に乗せるとは何事だ!」と叱ったのです。友人は事情を説明しましたが、他人が注意したことに私はいたく驚愕しました。我が国では、あかの他人が注意・助言することは容易ではありません。それができ、受容されたら、もっと世の中は平和になるのではないでしょうか。
2008年7月10日
第2回家庭教育研究・活動報告会のご案内
在学生及び卒業生の皆さんへ
八洲学園大学家庭教育研究会では、第2回家庭教育研究・活動報告会を、7月30日(水) 14:00~17:00、八洲学園大学4A教室で開催いたしますので、ぜひご参加ください(eLYを利用して配信もします)。
今回は、八洲学園大学家庭教育課程編『インターネット大学で学ぶ家庭教育学』(勉誠出版、2008年7月30日発行予定)出版記念企画として、執筆者のなかから5人の教員が執筆内容についてお話しします。
この報告会には、本学の正科生・卒業生であればどなたでも、簡単な申し込み手続きのみで参加いただけます。報告内容に関連して、参加者どうしが意見交換・情報交換をする有意義な場にできればと考えております。どうぞふるってご参加ください。
(家庭教育課程長 中田雅敏)
※内容・申し込み手続き等については、下記(続き)をご覧ください。
八洲学園大学国際高等学校の六月スクーリングに参加させていただいた。前校長先生でいらっしゃった和田公人理事長先生との引き継ぎもいただいた。八洲学園大学国際高等学校の先生方も熱心に教育活動をなさっていただいた。
校舎は海の見える高台にあり、広々とした大地に白亜の校舎がそびえていた。教室棟、宿泊棟、シャワー棟、職員室棟、それに体育館を兼ねた食堂などが、台地の段差を利用して作られていた。
建物の敷地には芝がびっしりと植え込まれており、緑色の芝生が朝露にきらきら輝いているのが実に美しかった。朝ばかりではなく夜にも照明灯の光りで美しく光っていた。
周囲の森林は沖縄特有の照明樹の森で、高校の校舎をぐるりとかこっているようでもあった。先に到着されておられた理事長先生に案内をしていただだき、校舎の隅々まで拝見した。ちょうど昼食時刻であったのでそのまま食堂で沖縄のソーメンをいただいた。冷たくて実に美味であった。職員室で先生方が授業の準備をされておられ、校長室で理事長先生より書類や学校運営、或いは教育方針などについてご教示をいただいた。
八洲学園大学の高校であることから、卒業したらぜひ大学に入学していただこうと心よりそう思った。生徒さんはひとりひとり輝いており、明るく挨拶をしてくれた。だれもが人なつっこい笑顔で話しかけてくれた。ちょうど買物タイムの時間で、町に出て必要な品物や食料などを買って帰った時であった。
町から少々離れた場所にあるため、全員がバスで買物に出かける買物タイムであった。やがて広い海の彼方に太陽が沈んで夜になると、夕食後食堂で全校集会の時間となった。今日の催しはなんだろうとおもっていると突然テンポのよい音楽が流れ出した。ブートキャンプという激しい高いリズムに乗って踊る体筋運動が始まった中村教頭先生の指導で全員が二時間のブートキャンプに挑戦した。
シェイプアップには最適な運動であり、私も参加させていただいたが、息切れがして二、三曲の所でリタイヤをしてしまった。それでも次の日の朝起床すると体のあちこちが痛く、筋肉がこわばっていた。いかに毎日が運動不足の日々であるかという思いがした。
生徒さんの中にはスクーリングに写し出された筋肉トレーニングの姿を見ずに体全体で既に会得しておられるかたもいて実にリズミカルに軽やかにこなしていた。生き生きとして、はつらつで輝いていた。みんなそれぞれの目標と、意欲を持ってスクーリングに参加しているのである。努力はいつか必ず実ることであろう。
○「子どもの思想史(S)」がスタートします。
秋学期から「子どもの思想史」が始まります。開学当初から関心のあったテーマだけに、今回、担当させていただくことになり嬉しい限りです。ただいま張り切って準備を進めているところですが、その講座から一言、申し上げたいと思います。
現在、日本の法律では、20歳で「成人」を迎え、この日を堺に「大人」の仲間入りを果たすということになっています。しかし、最近ではそうした考え方を改め、成人年齢を20歳から18歳まで引き下げるべきだとする論調も見られるようになりました。外国には18歳で成人を迎える国が多く見られるようです。いったい、人はいつから、いかなる理由をもって、「子ども」ではなく「大人」と認められるようになるのでしょうか?
ジュネーヴに誕生し、正規の教育機関を経ず独学で学習し、18世紀の社交界にいろいろな意味で物議をかもした思想界の異端児J,Jルソーは、『エミール』の序章で次のように述べております。
「人は子どもというものを知らない。子どもについて間違った観念をもっているので、議論を進めれば進めるほど迷路にはいりこむ。このうえなく賢明な人々でさえ、大人が知らなければならないことに熱中して、子どもには何が学べるのかを考えない。かれらは子どものうちに大人をもとめ、大人になるまえに子どもがどういうものであるかを考えない。・・・(略)・・・とにかく、まずなによりもあなたがたの生徒をもっとよく研究することだ。あなたがたが生徒を知らないということは、まったく確実なのだから。」
(ルソー著、今野一雄訳『エミール(上)』岩波書店2007年改版)
18世紀のフランスでは、「大人」は「理性の年(âge de raison)」とも言われており、『エミール』でも、25年間教師に導かれて成長した少年が、「生徒」ではなく「仲間」と呼ばれるようになるのは、「理性の年」を迎える青年期に達してからのことです。そうなると、「理性の年っていつからなの?」とか「子どもには本当に理性がないの?」とか新たな疑問がわいてくるわけですが、それはともかく、「20歳で成人を迎える」という考え方自体は、文化的に作られてきたものであり、そもそも自然界に、「子ども」と「大人」の区別を明確にする「しるし」があるわけではありません。
人はいつまで「子ども」なのか、人はいつから「大人」になるのか。「大人」になるまえの「子ども」とはどういうものであるのか。現在の法定年齢をいったんリセットして、あなたもこの問題にアプローチしてみませんか?「子ども」への眼差しが変わるかもしれません。
