2008年8月アーカイブ

一滴の水

 この原稿を書いている今日、横浜では久しぶりの雨が降っています。大学ビルの軒先から落ちる雫を眺めていますと、「一滴の水」が人間を宗(もと)から変えた話を思い出しました。今日は、皆さんにその話を紹介しながら、教育原点とは何かということを少しばかり探求してみたいと思います。
 明治初め頃、岡山県の曹源寺に宜牧という小僧がいました。ある晩、曹源寺の儀山和尚は入浴中に湯加減を調整しようと、弟子の宜牧に水を持ってくるように頼みました。小僧は桶底に残っていた水を捨て、すぐに井戸の冷たい水を汲んで浴室に走りました。
 師匠が「桶に残っていた水はどうした」と尋ねると、小僧は「冷たい水を汲むために残っていた水は捨てました」と答えました。すると儀山和尚は「馬鹿者!」とその小僧を怒罵したのです。小僧はなぜ自分が怒られているかも解らないまま呆然としていると、和尚は「残った水を雑草や花木にあげれば、雑草や花木も生きるし、その残っていた水も生きるではないか。そんな簡単なことにも気づかない者がどんなに一生懸命修行しても何の役にもたたん!」と更に一喝。
 十歳のこの少年はこの日から、真剣に修行に打ち込んだそうです。この少年こそがのちに京都五山一位である天竜寺管長となられた滴水宜牧禅師です。禅師の道号を滴水というのも、少年時代の風呂場でのこの出来事が大いに関係していることは言うまでもありません。
 この話からもわかるように、日常生活の真只中で繰り広げられる実践教育こそが根源的真理を説いた聖教古育であったと改めて痛感させられます。また、真の教育というのは、権威、学歴、身分、男女、といった分別知の鎧を全く必要としないということも事実だと思います。それは、上記の滴水宜牧禅師、「微笑」によって弟子に法を継がせた釈尊、対話で弟子たちを真理へと導いたプラトンなどといった偉大な古哲者達の教育手法を見れば明らかです。
 人間の尊厳性たるものを根本的に樹立することが教育であるならば、それが理想だけで終わってはならないのも教育です。「如何に日常生活でその理想を実践できるか」ということが、正に今、我々に問われていることではないでしょうか。

 今年度の新担当科目について

 この春学期から私の担当科目に「人生の哲学と人間形成」という新設科目(共通基礎教育科目、テキスト履修)が加わりました。この科目では、生活・人生を様々な角度から総合的にとらえることを目指して、各自の人間観・人生観・幸福観等を省みるとともに、学びの意義について再考してもらっています。
履修者の皆さんには、課題レポート2通、科目修得試験レポート1通、計3通のレポートを提出してもらいますが、春学期に提出されたレポートはなかなかの力作ぞろいでした。力作といっても、けっして背伸びをするのではなく、テキストの(扱うテーマにしては味気ないともいえる)記述を真摯な態度で読んだうえで、自らの人生経験や日頃の思いに照らしつつ、いわゆる自分自身のことばで、テキストの関連部分を解釈したり、批判したり、あるいはテキストにはない鋭い論点を提示したりする、等身大の力作が多かったのが特徴です。
 「人生の哲学と人間形成」は秋学期も開講します。人生・幸福・学びについて自分自身の思いを確認し吟味してみたいと思う方は、どうぞ難しく考えずにおいでください。歓迎します。
 なお、秋学期からはさらに「現代社会の倫理的課題」という新設科目(共通専門教育科目、テキスト履修)を開講します。この科目では、特に生命・医療倫理の問題と課題を取り上げ、それに関する考察を通じて現代社会の倫理的課題をより一般的なかたちで浮かび上がらせていきます。関心のある方は、こちらの科目にもどうぞおいでください。

新刊書籍のご案内

 新刊書籍のご案内

 八洲学園大学家庭教育課程編『インターネット大学で学ぶ家庭教育学』(勉誠出版、A4版56ページ、2008年8月、900円+税、ISBN 978-4-585-05400-9)が刊行されました。内容は次のとおりです。ご関心のある方はぜひお読みください。勉誠出版のウェブサイトhttp://www.bensey.co.jp/ で購入できます(新刊案内のページをご覧ください)。

 ・人間は家族なしでは生きていけない-----------水野建雄
 ・家庭と人間形成--------------------石井雅之
  【コラム】家庭教育の必要性--------------中田雅敏
 ・親の役割と責任を考える----------------岩井貴生
 ・少子化時代の家庭教育と学校教育------------岸 俊彦
 ・仏教説話にみる親子のあり方--------------三野 恵
 ・親子の情愛物語--------------------志村有弘
 ・「生活リズム」改善のために知っておきたい教育生理学--鈴木啓之
 ・人間としてのトータルな力を育む宗教教育--------平良 直
 ・文学による家庭教育------------------中田雅敏
 ・映画の中の家庭--------------------中田雅敏
 ・家庭教育の考え方-------------------望月 嵩
  【コラム】あわれ子の-----------------中田雅敏
 ◇八洲学園大学より◇
 ・循環型社会に対応する幸福の追求------------和田公人
 ・ネットでいま必要なことを学ぶ-------------山本恒夫
 ・母に愛されない子-------------------水野建雄
 ・子どもはこうして生き方を学ぶ-------------松浪憲治

 6月に秋葉原で凄惨な通り魔事件を起こした25歳の容疑者は
警察署での取り調べで、初めて真剣に自分に向き合ってもらえたと
いう一種の満足感を味わっているのではないでしょうか。
 なぜなら彼は今まで本心を話し合えるような関係を誰とも結べな
かったと思われるからです。彼は携帯サイトの掲示板には数千回も
心情を吐露していましたが、実生活の中では誰とも悩みを言い合
えるような関係をもてなかったのです。誰か一人、親密に話し合え
る人の存在があればあのような凶悪事件は起きなかったはずです。
友人でも肉親でもその他の人でも、男でも女でも誰か一人の人と
本音を言い合えれば・・・。
 この容疑者ばかりではなくその他の単独の凶悪事件も同様です。
現代は多くの青少年が他者と親密になる関係づくりができにくい子
ども時代をすごしています。核家族、そして少子化の中で育ち、更
に地域のつながりの消失で、人と関わることを近所の子ども達との集
団遊びを通して自然に学べなくなってしまった現代では、周囲の大人
が意図的に人と関わる機会を全ての子どもたちに作って行くことがと
ても重要に思えます。

授業からの一言(15):渡邉達生教授

 夏休み(「初等教育と家庭教育概論」より)

 暑い毎日が続きます。夏です。夏休みです。小学生の子どもがいる家庭では、子どもの一日の生活をまるごと引き受けていることでしょう。
夏は、植物に生気がみなぎる時です。燦々と降り注ぐ太陽の光を自らのエネルギーにして、精一杯、自分を生長させて行きます。
 
 わたしは、毎年、鉢植えのアサガオを育てています。
6月のころ、アサガオのツルは、まだ弱々しく伸びたツルの先をどこに置いていいのかわからないというように、風に揺さぶられ、頼りなさそうにしていました。これは手を貸してあげなければ…と、近くの植木の枝にツルをもっていってあげました。しかし、翌朝、アサガオはツルを戻して、また、ふらふらと揺れているのでした。
 毎年、繰り返してしまう光景です。アサガオにまかせておけば…と思いつつも、か弱いツルを見ると、つい手を差し伸べてあげたくなるのです。しかし、アサガオにしてみれば、それは迷惑なことのようです。アサガオは、ツルを風に揺らせては自分の成長をはかり、丁度よいころ合いを見て、巻きついていく先を決めているのです。…それがわかりつつ、今年も、守ってあげたくなり、つい、手を出してしまったのでした。ところが、道を歩いていてそのようなアサガオを見ても、「何とかしてあげたい」という気にはなりません。かえって、ツルの様子に、けなげに生きようとしていることを感じ、ほほえましくもあるのです。この違いはどこからくるのでしょう。どうやら、毎日水をあげて世話をすることが、「こうしてあげなければかわいそうだ」という思い込みを生みだしてしまうことになるようです。相手の生気が理解できなくなるのです。毎年、アサガオに反省させられます。
 今、8月のアサガオは、元気いっぱいにツルを伸ばしています。毎朝、場所を変えて、新しい花を咲かせてくれます。その花を見ると、心が和んできます。「咲かせてくれてありがとう」という気持ちさえも起きてきます。まだまだ、ツルは伸びています。ツルの先が、どこに伸びようかと頭をもたげ、風に揺れているのも見かけますが、もう、手を差し伸べようとは思いません。アサガオにたくましさを感じられるからです。アサガオに、自分で生きていることを感じられるようになっているといえるでしょうか。
 
 夏休み、子どもの生活をずっと見ていると、いろいろと気になることもあることでしょう。でも、「こうしてあげなければ」という思い込みが先行すると、子どもが備えている生気を曇らせてしまうことになるかもしれません。子どもの様子を見て、子どもに、「自分で生きていることを感じられる」ことが、親の余裕をつくり出すことになります。
 その手がかりとして、子どもに、家族の一員としての役割を担ってもらったらどうでしょう。夏休みに家のお手伝いをすることが、学校からもすすめられていると思います。それは、働いて家族の役に立つということだけではなく、自分で自分のツルを伸ばすことができるようになるのです。
例えば…、玄関の掃除、お風呂の掃除、植木の水やり、新聞取り、カーテン開け、省エネチェック、お買いもの、おつかい、妹や弟の世話、留守番、食事のしたく、食事の後片づけ、洗濯物のとりいれ、床みがき、小動物の世話…。


このアーカイブについて

このページには、2008年8月に書かれたブログ記事が新しい順に公開されています。

前のアーカイブは2008年7月です。

次のアーカイブは2008年9月です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。