2009年1月アーカイブ

家庭教育課程の教員より(21):岸 俊彦教授


「日本人は尊敬されるか、軽蔑されるか?」

八洲学園大学・教授 岸 俊彦

(海外派兵の要求)
 アメリカの新しい大統領にオバマが就任するにあたり、アメリカから日本に新たな要求がだされると、知ったかぶりの政治評論家やマスコミの報道がしばしば流されている。
その内容は次の通りである。新大統領はテロ対策として、イランから撤兵して、アフガニスタンに兵力を向けることを決めている。日本もテロの対象になっているから、日本もそれに貢献・援助するべきである。そこにはすでに、世界から多くの国が出兵しているから、日本も自衛隊を派遣するべきである。
 また、最近は、アフリカの東部のソマリアの沖で海賊がでて、日本の船が被害を受けていると、外務省が報道している。 それを受けて、政府・与党は海上自衛隊を派遣する法案の制定に着手したとマスコミ(朝日新聞1月8日朝刊p2)は報道している。公明党は慎重だが、民主党に異論があるようだが、その一部には賛成意見もある。
(派兵を拒否する精神)
 このように、日本人の中に、派兵に対する、意見に賛成の人がいるようだ。しかし、もし、アメリカの高官から、日本も軍隊を出して支援しろと要請されたら、「私は、個人の思想は自由あるから、自衛隊の海外派兵に賛成する・しないと発言することは自由であるが、日本国の方針として、日本が自衛隊を海外に派遣することには、憲法の規定に違反するからできない。」と言うのが、民主国家の日本人として当然である。
 アメリカ人も政府は憲法を守るべきであると、考えているから、日本人が自分の国の憲法を守ることを第一に重要なことと主張することは認める。たとえそれが、アメリカ人の要望に反しているが、当然だと考える。そして、日本人は、約束を守る国民であると信用されるのである。
 ところが、憲法に国際紛争に武力を使用しないと書いてあるにもかかわらず、
日本政府が、自衛隊(外国から見たら軍隊と同じである)をアフガニスタンにだしたら、日本人は憲法に書いてあるルールさえ守らないなら、信用できないと、アメリカ人ばかりでなくと他の外国人にも考えられる。
 外国人が見たら、「もし、海外派兵が必要なら、憲法9条を改訂すれば良いではないか? 現在なら自民党・民主党の保守的な議員を集めれば、憲法改定の発議をする3分の2を超す議員数を確保できるのでないか?」 と。
確かに、現在の衆議院の議員数は、前回の総選挙で、郵政民営化を争点にて、小泉首相が自民党をぶっ壊すと宣伝して、小泉自民党が圧勝した結果である。
 しかし、憲法改定をテーマにした選挙ではない。
 だから、現在与党は3分の2の議席を持っていたも、憲法9条を改訂して、海外派兵を認める条文にすることに、国民が賛成することに自民党は自信がない。
 その証拠に、小泉首相が辞職して、その後を継承した安倍内閣の支持率は、若さと美貌と歯切れの良さにより、初めは高かったが、1年で低下した。彼の健康の理由で、彼は辞職したが、その原因は、彼の保守的な鷹派的体質にあった。国民がその体質を心配して、支持が離れたのである。
 野党の党首である小沢一郎は、国際連合が派兵を決議した場合は、日本も派兵することができると、憲法9条を曲解・解釈しているが、これも自民党と同じく姑息な手段である。 日本人が決めた憲法の上に、他国人が決めた国際連合のルールを持ってくるのは、日本人が自立していない証拠である。
 憲法9条の文面にはっきりと、国際紛争の解決手段として、日本は戦争をしない書いている。平和的手段で解決するのが日本人の心である。これが、第2次世界大戦で得た教訓である。
 「この精神があるから、アメリカ・その他の国の派兵の要望にそえません」と、はっきり意見を言えば、そんな国があるのだと、かえって、尊敬される。
 戦後、60年間、日本の軍隊は外国人を1人も殺していない。
 日本の若者を1人も戦死させていない。
 これは、世界に誇れる事実である。
(愚かな膨大な軍事費) 
 世界の主な国の軍事費の一覧表を見てみよう。
 この表は、ストックホルム国際平和研究所 (2006年版  軍備、軍縮及び世界の安全保障  広島大学SIPRI年鑑 2007:3:30 p313)の調査の結果である。

世界の軍事支出:計 10,010億ドル
1.アメリカ:4782億ドル
2.イギリス:483
3.フランス:462
4.日本:421
5.中国:410
6.ドイツ:332
7.イタリア:272
8.サウジアラビア:252
9.ロシア:210
10.インド:204
11.韓国:164
12.カナダ:106
13.オーストラリア:105
14.スペイン: 99
15.イスラエル:96

 軍事費は、国民の生活の役に立たない。戦車を作っても、畑を耕すのに役立たない。戦闘機は旅行に役立たない。だから、どの国も、軍事費を抑えるの努力をしている。しかし、政治家・軍人・軍需会社(政・軍・財)の圧力で国の予算がぶんどられている。日本でもアメリカでも同じ構図である。
 アメリカの大統領アイゼンハウアーは、第二次世界大戦の英雄の軍人であったが、彼ですら、この圧力を押さえることが困難であると述べている。彼が予言したとおり、アメリカの軍事費は増加して、世界の他の国々の軍事費を合計と同じくらい膨大にふくれあがっている。それでも、彼らは欲望を満足しないで、ベトナム戦争、イラク戦争と、次々に戦争をしかけて、戦費を拡大している。イラク戦争では、日本に戦費を負担させた。その金は、アメリカの軍事費に使われたのである。彼らは、イラク戦争が終わりそうだから、次は、アフガニスタンに狙いを定めている。アメリカの軍備拡大の政軍財の尻馬に乗って、勢力を拡大しようとするのが日本の政軍財である。
 オバマが、軍事費拡大を押さえることができれば、アメリカ経済は再生するであろうが、アフガンに引き込まれると、泥沼に落ちるであろう。
(日本の派兵拒否の意義)
 現在、日本は世界で第4位の軍事費を使っている国であるが、日本の若者を一人も軍人として、海外に出さないと内外に表明すれば、海外の人々に与える影響は大きい。第二次世界大戦の時、日本の軍隊がアジアの占領地区で犯した罪を謝罪して、日本軍は 今後 外国の人を一人も殺傷しないことを行動で示すことにより、アジアの人々に対する、謝罪の気持ちを示すことができる。 また、アジアの人は、日本人が平和を守る意志であることを信用することになる。
 日本人が平和を希求し、戦争を嫌悪することは、尊敬されるであろう。
それは、アジアの人々も、心の奥で、希望していることだからである。 

 今回は私が担当している「伝統倫理のなかの家庭教育」に因んで、「孝」について少し考えてみたいと思います。
 何日か前、韓国で64歳の息子が93歳の父親を殺害し、自分も自殺を計ったが未遂に終わったという、いわゆる親殺しの尊属殺人が起こりました。今度の事件を起こしたその息子は自分が癌の末期であることを知り、入院することとなって、これ以上親を世話することができないことに悩んだ末(息子さんは20年まえに離婚し、独りの身で父親の面倒を見ていた)、親を殺し自分も死のうとした、というのが事件の概略です。
 親殺し・子殺しの尊属殺人というものは今の時代になって始まったわけではなく、人類の歴史を通じて絶えず起こった事件であり、また尊属殺人を含めて他人に傷害を与える全ての行為は決して許されるべきではないですが、この事件は親子関係、特に年老いた親に対する子のあり方について改めて考えさせるものがありました。それは、この事件が起こった背景には親への憎しみではなく、年老いた親の世話をする子としての義務感や愛情、つまり「孝」の意識が強く働いていたからです。
 「孝」の字は、中国最古の漢字辞書である『説文解字』をみると、「善く父母に事うる者なり。老の省に从(したが)い、子に从う。子、老を承くるなり」とあり、年をとった老人の父母に子がしたがい助け守ることであるとしています。この「孝」を日常生活のもっとも基礎的な実践徳目と位置づけて、その重要性を強調したのが儒教倫理ですが、問題は「善く父母に事うる」という「孝」は、具体的にどういうことを指していうのか、ということです。韓国での事件のように、死刑を宣告された余命の短い息子が、今後の高齢の親の生活を心配して父親と共に死のうとしたということも、果たして「孝」といえるべきか。
 どうするのが真の親孝行となるのか、それぞれの家族が置かれている環境も考えなければならないし、国の政策や社会制度も考慮しなければならない、一言で正答を出して片付ける性質の問題ではありませんが、『論語』に孔子の言葉として、ある示唆を与える次のような文があります。「子游、孝を問う。子曰く、今の孝はこれ能く養うを謂う。犬馬に至るまで、皆能く養うこと有り。敬せざれば何を以て別たんや。」(為政篇)。物質的・経済的な援助だけでは人間としてなす真の「孝」とはいえない。最も大事なのは父母への尊敬心なのだ、という意味です。しかし、これは決して物質的な援助は要らないと言っているのではありません。父母の生活を経済的に助けるということは、子として当たり前のことで、そこに止まるのではなく、それ以上の父母への愛(尊敬)を要求するものです。
 しかし、現代社会では色々な理由はあるにせよ、孔子が言っている子として当たり前のことを放棄し無感覚に捉えている人、また経済的な理由で子による親虐待が増えていることも否定できない事実のように思います。そのような観点からすれば、今回の親殺しの息子の行為はあってはいけないことではありますが、やはり「孝」というべきでしょうか。「父親と一緒に死ねなかったのがもっと大きい不孝となった」、その息子が警察の取り調べで述べた言葉です。

 八洲学園大学公開講座「ファミリー・コミュニケーション運動 -子どもへの理解のために-」(2008/9/26~2009/1/17)、第5回目がもうすぐ開講になります。内容は、以下の通りです。
 
【第4回】 子どもの心を育て、子どもに育てられる
 講師: 渡邉達生(八洲学園大学教授)
 日時: 2009年1月17日(土)  午後2:00 ~ 4:00
 内容: 日ごろ子どもが慣れ親しんでいるイソップ話や昔話等をつかいながら、子どもと共に、
生きることによりよい価値を抱けるようになるコミュニケーションを考えてみましょう。

 講座は、第1回~第5回までです。いずれも参加費<無料>です。今回が最終回となります。
 たくさんの皆様の参加をお待ちしております。


 お申し込みなどの詳細については、こちらをご参照ください。

  IT産業進展の結果と思われるが、「小・中学生に携帯電話を学校に持たせない」という意見が話題になっている。携帯電話等の情報機器は、小学生より中学生、中学生よりも高校生の所有率が高いが、情報化が急速に進展する中、インターネットの「掲示板」への書き込みによる誹謗中傷やいじめといった情報化の陰の部分への対応が急がれている。
 「携帯電話のサイトや学校裏サイトなどネット関連のいじめは約5900件あり、初調査の前年度より21%増えた。」(08.11.21朝日新聞)とする文部科学省の調査結果は、小・中学生に携帯電話を学校に持たせないという意見の根拠の一つになっているものと思われる。
 小学生に携帯電話を持たせるか否かの議論とともに、学年進行にともない次第に携帯電話等を日常的に使用する環境の中に入り込んでいる現実を踏まえ、実態に即した対応策を講ずることも必要ではないか。その対応策の一つは、ネット社会の中で必要な情報モラルを小学生の発達に応じて適切に身につける方策を立てることである。個人情報の保護や人権侵害、著作権の問題、ネットワーク上のルール、マナーなどの問題を具体的に教えていくことが必要である。例えば、相手の顔が見えないメールと顔を合わせての会話との違いを実感させる、匿名による情報のやりとりが相手の心を傷つける場合があることを理解させる、などが重要である。
 小学生に情報モラルを身に付けさせる最重要モデルは、情報モラル体現者としての大人であるが、現実的には学校と家庭、地域社会が連携を密して情報モラル教育をすることが効果をあげるのではないかと思う。

このアーカイブについて

このページには、2009年1月に書かれたブログ記事が新しい順に公開されています。

前のアーカイブは2008年12月です。

次のアーカイブは2009年2月です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。