2009年5月アーカイブ

障害児者教育

 講義「障害児と特別支援教育」を担当しております。後期には「障害児と家庭教育」も始まります。
 さて、八洲学園大学と付属高校共通のSNSサイトで、アクティブに活躍している付属高校卒業生の男の子がいます。強度の視覚障害で、障害が年々進むなかで苦労して高校を卒業されました。
 私が、職場のパソコンが壊れ、続いて家のパソコンが壊れ。携帯が壊れたということを聞きつけると、心配してはげましのSNSメッセージをたくさん送ってくれます。さらに、SNS上で友達に呼びかけて、みなさんから私宛にはげましのメッセージがどっさり来るようになりました。(ありがたいことですが、ノートPCのキーボードが壊れていてちゃんと返事が書けません。申し訳ない!)
(ソフトキーボードで書いてるこの文章も短くてすみません)

八洲学園大学


家庭教育の教員より(7):岸 俊彦教授

「ソマリア沖の海賊」


 ソマリア沖で海賊が出て、日本の貨物船が攻撃されるとの情報に、自民党・公明党は待ってましたとばかり、日本の自衛隊の艦船を海外に動員する事にした。
 こんな大事な行動に対し、党内に、反対が出なかったのだろうか。かって、イラン、アフガニスタンで日本人のボランティアが誘拐されて、大騒ぎになった時、個人責任だから、日本政府は救出の援助をする必要はない、解放されて、帰る時、その費用は個人持ちだという代議士がいた。同じ政党の代議士が、個人の会社の船を保護するために、国の大きな税金を使えという。
 自衛隊を持つ事自体、憲法に違反するのではないかとの問題があるのに、まして、海外に出す事は、海賊と戦火を交えて、日本軍人が外国人を殺すことになる。運が悪ければ、日本の若者が殺される事もある。
 これは、太平洋戦争で、何百万人の日本人が殺され、日本の多くの都市が焼け野が原になった被害の苦しみから得た、教訓:「戦争を止めよう」を無視する事になる。
 愚かな人々である。
 海軍を出せば、それを援助するために、空軍を派遣する事になる。空軍を出せば、それを援助するために、陸軍を派遣する事になる。軍人の心理は、こういう拡大の思考が働く。
張作霖の列車が爆破された事件で、関東軍は満州に進駐した。
廬溝橋(ロコウキョウ)の小競り合いから、北部中国に宣戦は拡大した。
上海で僧侶が殺された事件から、戦線は中部中国に拡大した。
昭和天皇や近衛首相などは、戦線の不拡大を希望したが、軍人は次々に戦線を拡大して、遂にこの前の大戦の日本人を引き込んだのである。多くの政治家は戦争拡大に賛成した。少数の反対者は、非国民として、警察や憲兵に逮捕されて、口を封じられたのである。
 いずれの事件も、初めは小さな出来事であった。
国民は事実を知らないから、新聞に出る、「勝った」「勝った」の勇ましい話に踊らされてしまった。
私は、日本軍が南京を占領した時、夜の提灯行列に駆り出されて、小学校6年生の級長さんだったので、小学生の行列の先頭に立って、日の丸の旗を持って行進した。
 その小学校も、1945年3月10日の東京大空襲で丸焼けにされた。だから、どんな小さな事でも、どんな正義ぶった理由があっても、自衛隊を海外に出す事は、止めた方が良いのだ。
ソマリアに海賊が出たら、その対策は、その海運会社の責任で対策を採るべきである。軍隊の力を使うのでなく、自分の知恵とお金と行動を出すべきである。

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家庭教育の教員より(6):嚴 錫仁准教授

儒教倫理のなかの夫婦のあり方-「夫婦和する」と「夫婦別有り」

 「夫婦和する」という言葉は『礼記』礼運篇の「父子篤(あつ)く、兄弟睦まじく、夫婦和するは、家の肥(こ)えたるなり(健康で幸せな家族である)」にみえるもので、明治時代の「教育勅語」の文中にも登場しています(「父母ニ孝シ、兄弟ニ友ニ、夫婦相和シ......」)。「夫婦別有り」は『孟子』にみえるもので、いわゆる「五倫」(父子親有り、君臣義有り、夫婦別有り、長幼序あり、朋友信有り)の一つの徳目を構成しているものです。

 最近、社会の変化と伴って「家族(構成員)」をめぐってさまざまな論議が起こっていますが(一人家族とかペットを家族の一員として考えるとか)、それでも一般的な感覚においては、家族の最も中心となる核として親子と夫婦を想定して問題はないでしょう。もちろんこの場合、親子関係を家族の核として優先的に捉えるか、それとも夫婦関係を優先的に捉えるかによって、現代の家族と伝統社会の家族との差異を見いだそうとする見解も出てきます。が、男女・夫婦の結合がなければ、子供は存在しないという単純な論理を考えれば、仮に伝統社会の家族は夫婦関係よりも親子関係を優先視したといっても、どの時代においても夫婦関係の問題は大きな関心事で、人々の話題の中心からを外れたことはありませんでした。そこで、儒教倫理が夫婦関係の最も望ましい徳目として挙げてきたのが、「夫婦和する」と「夫婦別有り」というものなのです。
 ところで、「夫婦和する」という言葉は、夫婦同士の「理解」「協力」「和合」などの理解を当てて、それなりに現代的な意味も見いだせるかと思いますが、「夫婦別有り」は、その「別」という言葉が放つ「(女性抑圧の)差別」というイメージと重なり合って、どうも居心地が悪い。そこで儒教倫理を専門とする一部の学者の間では、「夫婦別有り」という本来の意味は、人権的・社会的な差別ではなく、男(夫)として、女(婦)としての「役割分担」をいうもの、あるいは夫婦の縁に結ばれた二人は世界中のあまたの男女のなかでも「特別」な関係、などとしてこの言葉に着せられた誤解(?)を解こうと努力しているが、個人的な人権の重要性が叫ばれている現代にあって非常に敏感な問題であるだけに、(現代的な再吟味は)なかなか難しい。
 私も「伝統倫理のなかの家庭教育」という科目を担当しているので、この問題に真剣に取り組んで一つ考え方をまとめてみようと、関連の資料を集めたり読んだりして、構想を温めています。

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家庭教育の教員より(5):生越詔二教授

 「中1ギャップ」なる言葉を新聞、テレビ報道でみることがある。一体何のことであろうか。中学校に進学したとたん、学校になじめず不適応状態に陥る状況を「中1ギャップ」と称するようである。  学校不適応の一つである不登校は、平成19年度小学6年生は8,000人ほどであるが、中学1年生ではおよそ25,000人で3倍以上になっている。また、いじめは小6でおよそ1万件、中1ではおよそ2万1千件で2倍以上である。 こうしたギャップ現象が生ずる背景は様々にあると考えられるが、ある中学校教師によると「1学期の中間試験と期末試験時期に顕著に現れる」という。従来から指摘されている、学級担任制から教科担任制の切り替えにともなう戸惑い、部活動における先輩・後輩関係や校則の厳しさ、拘束時間が長いために起こる生活リズムの変調などが中学校の環境に「ついていけない」生徒増の要因として考えられている。  全国各地に設置されている小中一貫校や小中連携校は、こうした状況を改善しようとする試みの1つで、教育改革推進の規制緩和の流れに対応したものでもある。しかし、「6・3制」を「5・4制」や「5・2・2」制に変えても新たな区切りによる「ギャップ」が生じないという保証はない。このような試みに携わる人々は、小中1貫校の取り組みの成果がどの程度あるのか、その見通しを明らかにしたうえで議論をする必要があると思う。

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