平成19年度八洲学園大学・日本家庭教育学会共同研究「家庭教育学の構築と展開に関する総合的研究」成果報告書がまとめられています。
2009年7月アーカイブ
平成17年度八洲学園大学・日本家庭教育学会共同研究「家庭教育学の構想」中間報告書がまとめられています。
家庭教育専攻 赤沼幸子
北海道の山で多数の登山者が亡くなった。天候の変化などに対応できなかったのだろうか。
登山といえば、私も体力に自信があった20代の一時期友人に誘われて何度か南アルプスと北アルプスの登山を試みたことがある。夏山だけだが、5回挑戦して3回途中で登山を断念している。体調不良と悪天候に見舞われたためである。登りきったのは2回だけであるが、登山中何の不安感も持たず自然を満喫したのは1回だけで、後の1回は登山開始直後から計画を見直すなどの混乱に陥ってしまった。両者の差はリーダーの力量の差であった。
ひやっとした登山の例である。ある夏仕事場の先輩格の人から槍ヶ岳登山に誘われ、親しい同僚2名も加わって4名のメンバーで岐阜県側から登り始めた。小一時間登ったところで予定表を見ると、予定の半分しか進んでいないことが判明した。駆け足でもしなければ、予定時間内に山頂にたどりつけないのである。リーダーに確認すると、何と彼は女性週刊誌の登山の特集記事を鵜呑みにしてスケジュールを立てたことを白状したのである。普段仕事中心の生活で、足腰を鍛えていない私たちが、おそらくプロの登山家が書いた案内書どおりに登ることは不可能と判断して、皆のレベルに合わせてゆっくり登ることに計画を変更したのである。ということは、最初の計画より一日オーバーすることを意味したが、安全の観点からは仕方がないということになった。リーダーも賛成してくれたのは良かったのだが、今度は各自分担していた荷物が(無知だったのでたくさん持ち込んでいた)だんだん重くなり、まずビールを、次に食料をと次々に放棄せざるを得なくなったのである。
ようやく山頂近くまでたどり着いたころ、青空に黒雲が立ち込め始めたと思う間もなく、稲妻が光り、雷鳴が轟き出したのである。人が隠れるものは何もなく、はい松しか目にすることができない荒涼とした山頂付近である。雷の怖さを知る皆は、最後の力を振り絞って山小屋へ駆け込んだ。
翌日の尾根歩きは、前日の疲労が少し残っていて難儀した。谷底へ滑落しないように、昔の磯遊びを思い出しながら慎重に歩みを進めたのである。そして現在より休暇自体が少なかった高度経済成長時代で、仕事を一日でも休むことに罪悪感すら持っていた皆は、バツの悪い思いをしながら下山後職場に電話で休暇の延長願いをしたのである。
体力があった20代の、天候にも恵まれた中での登山だったが、途中で「無理だ」、「危険だ」と考えた時点で、各々が自主的な判断を下して意見をまとめ、安全な登山を実行できたのは、全員がそれまでに自然の中で遊び、自然の恐ろしさも体験していたからに他ならない。自然の中で遊びながら学ぶことの大切さを思い知らされた私の夏山登山であった。
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出産育児のため、去年から1年間休暇をいただき、先月末から職場復帰いたしました。これまで八洲学園大学の家庭教育課程・専攻に身をおきながらも、自身の「家庭教育」の経験といえば皆無でしたので、ようやく身をもって家庭教育にコミットできるようになりました。実際に家庭を持ち、家庭教育をする身になって、学ぶことが沢山ありました。もちろん、初めての経験ですから、出産・子育ての全てが学びであるわけですが、改めて「子どもの可能性の大きさ」に感服しています。少しずつですが、息子の成長と共に、親としても成長していく様子を「江田英里香の研究室便り」にてお伝えしていきたいと思っておりますので、時々ふらっと立ち寄ってください。
ところで、皆さん、平成21年11月の第3日曜日(11月15日)が何の日かご存知ですか?
では、その前後の平成21年11月8日(日)から21日(土)まで何の週かご存知ですか?
うーん。いまいち反応が少ないようですが...。実は、11月15日は「家族の日」なのです。また、その前後の8日から21日までは、「家族の週間」なのです。
これは、内閣府が平成19年度から定めたもので、この期間を中心として「家族・地域のきずなを再生する国民運動」を実施しています。ちなみに、その趣旨としては、「少子化が急速に進行している中で、安心して子どもを産み育てることのできる環境の整備や、社会全体で働き方の改革を通じた仕事と生活の調和の推進など、少子化対策をさらに効果的・総合的に推進していくことが求められている。これらの対策にあわせて、生命を次代に伝え育んでいくことや家族の大切さ、家族を支える地域の力が国民に広く認識されることが必要である」とあります。(詳しくは、内閣府HPをご覧下さい。)
確かに、今私たちが暮らしている社会は子どもを産み育てにくい社会だと痛感しています。病院不足、小児科医の人材不足から始まり、一部の公立保育園では定員オーバーのため入園待ち、高額な出産費用や保育料などの行政の問題。また、少子化のため、子どもを持つ親が回りにおらず孤立してしまう保育ママ、育児に悩む女性達がどこに相談すればよいのか分らない、などの問題など、挙げていけばきりがありません。
しかし、社会が変わるためには、私たち一人ひとりが変わらなければ何も始まらないことも分っています。まずは、自分の周りの人達を大切に、自分の家族を大切に思う。意図的で、意識的ではあるけれども、忙しい私たちにはそういう時間も必要なのでしょうね。
家族の日前後には、全国でフォーラムが行われたり、標語などの作品コンクールも実施されていますので、是非、ホームページをご覧になってください。
2009年7月22日
家庭教育課程長 中田雅敏
在学生及び卒業生の皆さんへ
八洲学園大学家庭教育研究会では、第5回家庭教育研究・活動報告会を下記の通り開催することになりましたので、ご案内いたします。
携帯メール「返信」の呪縛から逃れよう 家庭教育専攻 渡邉 達生
友達とは、何でしょう。友達からの携帯メールには、直ちに返信を...そのように思っている人が多いと聞きました。だから、携帯電話を手放せない...。チョッと待って。それが友達なのでしょうか。そうしないと友達に不信感をもたれる...と思っているのでしたら、それは、心が疎遠である、ということではないないでしょうか。最近、わたしの担当している「道徳心の育成」の授業で「友情」を取り上げました。みなさんも、友情について考えてみませんか。
『ありとはと』というイソップ話があります。話のあらすじは次のようになっています。
あるところに、アリが住んでいました。アリは、食べ物を探しに外に出かけました。ところが足を滑らして川に落ちてしまったのでした。川の流れは急です。アリはもがくのですが、どうにもなりません。万事休す、沈んでしまうかと思われたときでした。空から、葉っぱを一枚加えたハトが飛んで来て、おぼれているアリのそばに落としたのです。実は、アリが歩いているところ、そして、川に落ちたところを、空を飛んでいたハトが見ていたのです。それで、アリを助けようと、葉っぱを落としたのでした。アリは、その葉っぱの上によじ登りました。やがて葉っぱは岸に流れ付き、アリは岸の上に上がることができました。空にはハトが飛んでいました。アリはハトにお礼を言ったのでした。
それからしばらくたったある日のことです。アリがいつものように歩いていると、目の前に人が立っていました。見上げると猟師が、弓を構えています。猟師の視線の先を見ると、木の枝にハトがとまっていました。あの、アリを助けてくれたハトです。ハトは、猟師には気づいていません。これは大変なことです。アリは、猟師の足に力いっぱい噛みつきました。猟師は痛さに気をとられてねらいをはずしました。矢はハトのそばを飛んで行きました。それで、ハトは、近くに猟師がいて、自分をねらっていたことに気づきました。そして、猟師の足もとにあのアリがいるのを見つけたのでした。ハトはアリにお礼を言って飛び去って行きました。
アリとハトは、本来はかかわり合うことのない世界に住んでいます。アリは地下を本拠地とし、地上を歩きます。ハトは木の上に居ることや、空を飛ぶことが多いです。アリとハトの接点はありません。その二人を結びつけたのは、川と猟師でした。川も猟師も、アリやハトにとっては難敵でした。アリもハトも川はだめです。水の上や水の中では生きて行くことはできません。また、アリもハトも、猟師にはかないません。
ところが、人に心を通わせると、だめだと思っていたことも、だめではなくなるのです。ハトは水に浮く葉っぱを使うことができました。アリは猟師の足に噛みつくことができました。人を助けようとすることで、自分の隠れていた力を見つけ出すことができたのです。
ハトはアリのことを心配することで、木の上で生活していて葉っぱの特性に関心があったことや、空を自由に飛んで目的地まで行けることを手がかりにして、アリを助ける知恵を出すことができました。
アリは、ハトのことを心配することで、自分に強力なあごの力があることを再認識し、さらには、怖さを乗り越える勇気を出すことができました。
人が人に心を通わせると、それまではだめだと思っていたことにも果敢にかかわることができるのです。そして、その結果、自分の秘められていた知恵を手に入れ、自分にもともとあった力を勇気として出すことができるのです。何とすばらしいことでしょう。そこに、友達の意味も浮き彫りになってきます。
写真はわたしが作った大皿です。今はサラダが盛り付けられていることが多いです。(イカ刺しが欲しい...)
この皿は土をこねて形をつくり、火で焼いて仕上げました。土そのものは水に弱いです。火も水に弱いです。ところが、その、水に弱い土と、同じく水に弱い火がかかわり合うと、水に強い皿となるのです。土は火と出会うことで、自身の中にあった水に強い成分を引き出して活躍させることができます。また、火は、土と出会うことによって、物を焼き尽くして灰塵にしてしまう働きとは違う、新たな、ものを固めるという働きを引き出すことができます。そして、丈夫な皿ができるのです。
人も、それぞれに、弱い存在です。しかし、人と人が出会うと、弱いところをカバーし合うことができます。それはまた、人それぞれにあるよいところが発見されていくことにもなっていくのです。それが、友達の意義ではないでしょうか。
友達とは、自分が今まで気づいていなかった自分の価値を再認識させてくれる存在であるともいえるでしょう。携帯メールが遅れても大丈夫です。それが友達です。
『八洲学園大学家庭教育研究会会報』第4号をお届けします。
内容は、第4回研究・活動報告会の報告要旨です。ぜひお読みください。(第4回研究・活動報告会は、2009年3月29日(日)13:30~16:30に八洲学園大学4A教室で開催されました。)
なお、第5回の研究・活動報告会は、2009年7月28日(火)14:00~16:30に、八洲学園大学4A教室/eLY「八洲学園大学家庭教育研究会」教室にて開催いたします。詳細については、こちらをご参照ください。
研究会では、報告者を随時募集しておりますので、発表していただける方は、家庭教育専攻(home-edu@yashima.ac.jp)までご連絡ください。
※八洲学園大学家庭教育研究会は、本学の学生・卒業生・教員が自由に参加する会です。入会手続きも会費も不要です。
家庭教育を学問体系として考えようという大きな目標を掲げてスタートした八洲学園大学だが、なかなか学生が集まらず苦戦している。教育の再生が問題となり、教育基本法が改正され、新たに家庭教育の条文が制定され、教育の基本が家庭教育にあるという認識も広まっている。子どもをめぐってさまざまな問題が発生すると、家庭教育の不備を指摘する声が必ず聞こえてくる。世論調査をすれば、80%以上の人が現代の家族の教育機能の低下を問題にする。
日本の将来を担う人材を育てなければ、日本の存在は意味を成さない。新しい視点から日本の教育を考え直さなければ大変なことになることは容易に理解されるであろう。そのためには、教育の再生は今すぐ手を打たなければならない急迫した課題である。そして、その出発点は、家庭教育の再建にある。おそらく、こうした認識は多くの人たちに支持されるものと考える。それにもかかわらず、家庭教育の改善をはかる試みはほとんど進展していない。また、家庭教育について学習し、よりよい家庭教育を考えてみようという八洲学園大学の家庭教育専攻に学生が集まらない。なぜだろう。
多くの人が、現代の家族の教育機能が低下していると指摘しながら一向に改善が進まないのは、その人たちが自分の家族の問題であると認識していないからではないかと考えられる。家庭教育がうまく行われていないのは一般の家族で、自分の家族ではないと思っているのではないだろうか。もし、自分の家族の教育機能がうまく働いていないとしたら、当然改善しようと努力するであろう。そうすれば、全体の家族の教育機能はよりよく機能するようになるはずである。しかし、問題は自分の家族以外にあると意識していれば、問題の解決への行動はおきない。
家庭教育について学ぼうという気持ちが起きない理由は、家庭教育が特別な知識や技術を必要とせず、誰もが行ってきた日常的な行為であると思われているからであると考えられる。たしかに、家庭教育は、特別な教育を受けなくても昔から行われてきたものである。そのため、家庭教育の目的や方法について体系的に研究しようという動きもあまりみられなかった。研究の対象は、家庭教育よりも学校教育にあったのである。
今、あらためて家庭教育の重要性が認識され始めた。家庭教育の学問体系を構築しようという八洲学園大学の試みは、大きな期待がよせられるものである。しかし、実際には学生が集まらないし、家庭教育学の構築も思うようにすすまない。一人でも多くの人たちが現状を理解して、家庭教育の再建に力を貸してほしいと念願する。
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「子どもの集中現象」 八洲学園大学 家庭教育専攻 水野 建雄
評論家で詩人の吉本隆明が、「あなたの子育ては何点ぐらいですか」と尋ねられて、それほどの悪い子にもならなかったから5、60点でしょうか、と答えた後で、一番心がけたことは「子どもの時間をプチプチ切らない、中断させない」ことだったと述べている。親の都合で子どもの時間を切断しない、ということだが、これは子どもの集中心の尊重という点で、子育ての最も肝要な点だと言っていいと思う。
マリア・モンテッソーリの若い頃の次のような話がある。モンテッソーリは著名なイタリアの幼児教育学者であるが、彼女がローマ大学医学部に入学した当時女性で医師を志す者はなく、女性医学生第1号であった。しかし男性に混じって様々な医学実習をこなすのは並大抵の苦労ではなく、何年かたつうちに疲れ果ててしまった。彼女は苦しく悲惨な医学を辞めようと決意して、ある日突如、研究室を飛び出して帰途についた。
その途上で彼女は、2、3歳の女の子を連れた物乞いの女性に出会った。その女性は必死になって自分の生活の窮状を訴えて助けて欲しいと懇願した。そのとき、ふと、脇にいる女の子をみると、彼女は、母親の哀願などはおよそ耳に入らないかのように、手に持っていた小さな紙片をいとも大事そうに、折ったり広げたりして折り紙に夢中になっていた。そこには現実を抜け出した子ども固有の「夢中と集中」の世界があった。
その女の子の姿をじっと見つめていたモンテッソーリは、電撃に打たれたごとく、突然踵を返して一目散に研究室を目指して走った。幼児教育者が誕生しようとする瞬間である。
モンテッソーリの教育論の出発点であり核心をなすものは、「子どもの集中現象」であり、これこそ子どもの人格形成の土台をなすものだが、すでにこのとき、モンテッソーリにその構想が襲来したのである。
最近、といっても二年半ほど前になるが、『モンテッソーリ教育用語事典』(学苑社)が刊行された。事典とはいっても全体が有機的につながっていて、そのまま読んでいて楽しい本である。一読されてはいかがでしょうか。そういえば、集中現象の教育的意味を最初に発見したのはペスタロッチだそうである。
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八洲学園大学家庭教育研究会では、第5回家庭教育研究・活動報告会を下記の通り開催することになりましたので、ご案内いたします。
