2009年11月アーカイブ

「親の期待と子どもたちの悲鳴」

赤沼 幸子


「僕には皆と同じような子ども時代が全くなかった」と、非行に走った大学生は怒りに震えながら言った。

大学生にもなって非行に走ったその少年は、幼稚園から始まり、私立の小学校も、塾通いも、また中高一貫教育の看板を掲げている私立の中学校も全て親の考えに従って入学していた。ただ大学だけは親の希望する有名な大学は不合格だったために、仕方なく自分で選んだ大学へ進学していた。が、そこでも科目の選択からサークル活動に至るまで、いつもの干渉が入ったので、小さな抵抗をしたところ、小遣いを減額されてしまい、両親への怒りが爆発して「親への復讐の気持ちで非行に走った」と言うのである。


 少年非行の高年齢化が著しい現代では、彼のような遅い自立のための非行が目立ってきている。親は子どもの人格を尊重して、その思いを抑制しないと、彼のような不幸な子どもを生むだけである。詩人の吉野弘が愛娘に宛てた詩があるが、少子化の現代全ての親へのメッセージのように思われる。

               大切な忘れもの

唐突だが奈々子 お父さんはお前に多くを期待しないだろう。

ひとがほかからの期待に応えようとして どんなに自分を駄目にしてしまうか お父さんははっきり知ってしまったから。 

お父さんがお前にあげたいものは健康と自分を愛する心だ。

ひとがひとでなくなるのは 自分を愛することをやめるときだ。

自分を愛することをやめるとき ひとは他人を愛することをやめ 世界を見失ってしまう。

「奈々子に」より

                                  

第6回家庭教育研究・活動報告会のご案内

第6回家庭教育研究・活動報告会を下記のように開催しますので、ご案内いたします。

皆さんのご参加をお待ちしております。

◇開催日時:2009年12月9日(水曜日)15:00~17:00

◇場  所:八洲学園大学4A教室/eLY「八洲学園大学家庭教育研究会」教室

◇内  容

1)開会のご挨拶:中田雅敏教授


2)研究発表                 司会:平良直准教授 
嚴 錫仁准教授           
「儒教思想にみる夫婦のあり方-「夫婦別有り」の解釈を中心として」
  ➢発表30分、質疑10分  


3)出版記念講演               司会:赤沼幸子教授
福田博子教授  
「『大家族教育論―花とともに振り返る父母・きょうだいの記録』(近代文芸社、2009年8月)について」
 ➢講演30分 質疑10分


4)情報交換 

  
5)総評・閉会:水野建雄教授


※この研究会・活動報告会は、本学の学生・卒業生・教員等が交流しつつ、家庭教育の研究・学習・実践活動の推進を図ることを目的とします。入会手続きも会費も不要で、卒業生もご自由に参加できる会です。


※申込方法
当日、eLYにログインし、「科目検索」の項目で「家庭教育研究会」の教室をみつけ、入室してください。

問い合わせ:嚴錫仁(eom@yashima.ac.jp)

秋の夜長に

渡邉 達生


sazannkanohana.JPG
「不生不滅」(ふしょうふめつ)という言葉があります。仏教の言葉で、おだやかな境地になるための視点を示してくれているとは思っていたのですが、その意味を深く考えたことはありませんでした。そもそも、生じなければ滅びることもないのは道理です...。でも、もっと深い意味があるはず...。とは思っても、素通りしていたのです。ところが、ある日、ひょんなことで、立ち止まってしまいました。


それは、うすら寒い日の、太陽が傾いた夕方のことでした。ウォーキングをしていると、道のかたわらで山茶花の花が西日を浴びていました。寒くなったとはいえ、秋の西日は、夏のときよりも鋭い切っ先をもっているのです。その強い日差しを受けた花は、確かな存在感を示していました。秋の夕暮れはすでに迫っています。それをものともしない、凛とした風情を感じたのでした。


あまりの気配に携帯電話を取り出して、カメラに納めることにしました。花は赤一色で強い光を一面に浴びています。ここは露出を少しマイナス補正して、カメラの中に入る光をセーブしました。撮れた写真を見てみると、光の強く当たっていたところが白く照り、深みを与えてくれています。

帰宅してから、尚も見ていると、この写真の花が蓮華に見えてきました。はすの花です。蓮華といえば、仏像がその座の上に座っています。そう思ったとき、あの「不生不滅」のことが気になりました。何せ、この花は、あまりにも自分の生を主張しているように感じられるのです。そのような生き方は、不滅はともかく、不生ではあり得ないでしょう。


思うに、花は生じているからこのように見事に咲くのであり、そして、この花もやがては散り、滅してしまうでありましょうに。であるのに、「不生不滅」...うぬ。これはややこしいところに足を踏み入れてしまいました。まさに、その夜は、「♪ふけゆく秋の夜...ひとり悩む」でした。


10年以上も前に買った、『正法眼蔵入門』(森本和夫;朝日新聞社)を持ち出して来て、改めて読んでみました。

『正法眼蔵』では、生と死を、次のように説明していました。
「生の死になるといわざる、...このゆゑに不生といふ。死の生にならざる、...このゆゑに不滅といふ。生も一時のくらゐなり、死も一時のくらゐなり。たとえば、冬と春のごとし。冬の春となるとおもはず、春の夏となるといはぬなり。」


ここの部分をじっと見て、数時間。おぼろげながらにつかんだことがあります。
不生というのは、自分でとらえた、ある生のことであり、不滅というのも、自分でとらえたある死のこと。そして、心の中に、そのような不生を生じさせ、不滅を吹き消すことで、心がおだやかになるというのでしょう。

また、生から死に至る過程を、冬と春のつながりにたとえることで、生と死の理解が深まることがわかりました。春は、冬が春になるので春になるのではなく、冬という位が、春という位になると、とらえてみるのです。春は冬の所産ではないのです。冬は冬、春は春で、それぞれに、その本質と実態があり、それが、位のようにつながりをもっているのです。

そのように生と死とを置き、それぞれにある価値を考えてみるとき、生にある価値が浮き彫りになってきます。


あの、太陽の光を受けた山茶花の花は、まさに生の価値を示していました。太陽の動きは日々変わり、毎日、照りつける角度も、微妙に違って行きます。それを山茶花は受けているのです。そして、花びらのへこみ具合は昨日と同じではないのです。生長しています。花びらがその日とらえた太陽の光は、その日のへこみ具合で集まる光の量が変わるのです。思えば、あの輝きは、後にも先にもない、その日の、その瞬間だけに見ることができた生の輝きなのでした。


人も、日々、花を咲かせ、顔に満面の笑みを浮かべることができます。そのとき、太陽の役割を果たしてくれているのは誰なのでしょう。子どもにとっては親が、親にとっては子どもが、そうなのです。互いに、二度とくりかえすことのできない生を、日々、生み出し合っているのです。それを明らかにし、自分で感じ取っていくことが、不生不滅の骨子ではないか、そんな思いが行き来した秋の夜長でした。

第6回家庭教育研究・活動報告会のご案内

第6回家庭教育研究・活動報告会を下記のように開催しますので、ご案内いたします。

皆さんのご参加をお待ちしております。

◇開催日時:2009年12月9日(水曜日)15:00~17:00

◇場  所:八洲学園大学4A教室/eLY「八洲学園大学家庭教育研究会」教室

◇内  容

1)開会のご挨拶:中田雅敏教授


2)研究発表                 司会:平良直准教授 
嚴 錫仁准教授           
「儒教思想にみる夫婦のあり方-「夫婦別有り」の解釈を中心として」
  ➢発表30分、質疑10分  


3)出版記念講演               司会:赤沼幸子教授
福田博子教授  
「『大家族教育論―花とともに振り返る父母・きょうだいの記録』(近代文芸社、2009年8月)について」
 ➢講演30分 質疑10分


4)情報交換 

  
5)総評・閉会:水野建雄教授


※この研究会・活動報告会は、本学の学生・卒業生・教員等が交流しつつ、家庭教育の研究・学習・実践活動の推進を図ることを目的とします。入会手続きも会費も不要で、卒業生もご自由に参加できる会です。


※申込方法
当日、eLYにログインし、「科目検索」の項目で「家庭教育研究会」の教室をみつけ、入室してください。

問い合わせ:嚴錫仁(eom@yashima.ac.jp)

家庭教育の教員より(31): 望月 嵩 教授

不易流行

望月 嵩


 アメリカの大統領オバマが、「change」を合言葉に当選し、日本では民主党が「政権交代」をかかげて総選挙に大勝した。21世紀に入って、世界は大きな変化の時代になったようである。人類の文化は、日々変化していく。現代の豊かな生活をもたらした科学技術の進歩はまさに日進月歩の状況にある。この科学技術の進歩は、人類に幸福をもたらすものとして、歓迎すべきものととらえられていた。しかし、科学技術はプラスの面だけでなく、用い方によっては人類を破滅させる可能性をもっていることを忘れてはならない。進歩発展は、プラスだけでなくマイナスの面もあるのである。


 そこで思い出すのが、「不易流行」と言う言葉である。この言葉は、松尾芭蕉によって用いられた俳諧用語で、「不易」は詩の基本である永続性を意味し、「流行」は、その時々の新しい傾向を意味するものであった。芭蕉は、「不易」も「流行」も「風雅」(詩歌・文章の道)の誠から出るものであるから根元的には一つのものであると説いた。これを広げて考えると、物事には「変わらない」ものと「変わる」ものが同時に存在するということである。変化をもたらす進歩・発展はプラスなものとして歓迎できないのは、そこに「変わらないもの」「変えてはならないもの」があることを無視する危険性があるからである。


 10月16日の朝日新聞は、「選択的別姓・法制化へと動くときだ」として、夫婦の別姓を進める社説を掲載した。その主旨は、現在の夫婦同姓の制度は、結婚に際してどちらか一方が姓を変えなければならないのは、憲法の「個人の尊重」に反するというのである。民主党はこれまで希望する夫婦に限って、結婚前の姓を選べるようにする「選択的夫婦別姓」の民法改正案を提出してきたから、この際政府は法案の提出をためらうことなく、国会は議論を先送りしないで決着をつけるべきだという。


 法制審議会が選択的夫婦別姓への改正を答申したのは13年前であるが、これまでは、夫婦同姓は日本の伝統的文化であり、夫婦別姓では家族のまとまりが崩壊するし、子どもが混乱するという反対論で実現できなかった。朝日新聞は、こうした意見も「うなずける」というが、「家族のきずなは同じ姓だからといって保たれるわけではない」とする。これでは、反論にもなっていないし、子どもの姓については考えを示さずに無視している。夫婦の同姓・別姓を論じるには、家族の基本は何かということについて、真剣に検討しなければならない。その意味ではこの社説は、変えてはならないものは何か、変えなければならないのは何かという見極めができていない。激動する現代社会に生きる私たちは、生活の中で、変えていかなければならないものと変えてはいけないものをしっかり見極めていかなければならないであろう。

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