2010年1月アーカイブ

家庭教育と学校教育の線引き:雑感

 教育基本法を開くと、「学校教育」「社会教育」「家庭教育」の3本柱が列記されている。では、「こどもへの教育のうち、どこからが学校教育の領分で、どこまでが家庭の分担範囲だろうか」と考える。
この1年は、この境目が移動したり薄くなったり、超えたりする事件や事象の多い一年であった。


 1月24日に発生した児童虐待による暴行死事件で、学校が家庭での虐待を察知しながらも阻止できなかったことが糾弾されている。平成16年改正の児童虐待防止法により、学校の先生は「虐待の早期発見」に努める義務が課せられ、家庭教育やその結果を監視しせざるを得なくなったが、改めて1月26日付で厚生労働省・文部科学省連名で、徹底を図るよう全国に通知された。


 一昔前の「家庭教育」と「学校教育」の線引きの話題は、「『ホームワーク(宿題)』は学校教育か家庭の責任分か?」「障害児教育の分野では、先生が各家庭を週二回程度訪れて保護者も参加する状況で行われる『訪問教育』が実績をあげているが、この学習の線引きはどうなの?」といった言葉遊び的な議論であったが、この1年は「家庭教育のあり方」さえ問われかねない激動を感じる。


 平成21年3月に七生養護事件(七生養護学校での「こころとからだの体験学習」という性教育手法が「児童生徒に過激で有害だ」と都教委に大量処分された事件)の判決が確定し、全国の特別支援教育学校で手厚く行われていた障害児への性教育が一気に萎縮してしまった。特別支援学校での性教育は、もともと家庭での教育力の低下を補うために一貫して充実させてきた経緯があるだけに、学校教育が後退した分を家庭教育が埋め合わせられるのか疑問の声もあがっている。


 (学校と家庭での教育の押し付け合いの一方で)学校教育への家庭の引込も本格化した。本年度より移行が始まった「新しい学習指導要領」の特別支援教育編を読むと、文中に「家庭」という言葉を84回、「連携」という言葉を47回使うなど、教科・道徳・「日常生活」科目全般で「家庭」を「学校教育」に巻き込んでいくことが教員と学校に課せられている。


 家庭教育の今後10年の方向を定めた「教育振興基本計画」が21年3月に文部科学省Webペーシに掲載された、まさかその初年度に「学校教育」と「家庭教育」の責任と範疇の境が右や左に移動したりクロスオーバーしてゆく状況を、誰が予想しえたのだろうか。(さらに言えば、政権が代わって政策の見直しが教育分野全般に及ぶ来年度以降に、今後10年の家庭教育のあり方を方向づけるはずの「教育振興基本計画」がどうなるやら。)

家庭教育の教員より(40): 岸 俊彦 教授

「米軍基地について」
 

岸 俊彦
    普天間基地移設に関して、目先の話をやりとりをしているが、米軍基地に関して、根本的な日本人の考えを米国に伝える必要がある。


 米軍の占領が終わって、日本が独立してから、60年たった。日本に、未だ米軍が駐留していることが不自然なのである。独立した国に、緊急な事態が切迫している以外に、外国軍隊が駐留しているのは、植民地か、支配されている属国と見なされる。

 60年前は、日本は敗戦国で、焼け野が原で、何もなかった。しかも、米ソの間に冷戦があったから、米国は、極東地域に軍事基地を置いておく必要を持っていた。日本でも、米軍が引き上げたら、ソ連や中国の共産主義国家が日本に侵略してくるかもしれないという恐怖感を持っていた人たちが政府にいた。それで、米軍は日本に留まった。


 ベトナム戦争では、米軍は日本の基地を利用した。ベトナムで米国が負けると、アジアは、ドミノ式に共産主義が蔓延すると米国は宣伝して、戦争を拡大した。しかし、結果はどうか。ベトナムが勝ったが、共産主義は蔓延しなかった。それにもかかわらず、米国の好戦的思想は現在も続いている。

 米軍は中東に戦火を広げると、日本に対して「兵隊を出せ」「旗を立てろ」、「給油を続けろ」と、日本人を手下のごとく言う。

 この原因は、敗戦から米軍基地の駐留を継続したことが響いている。米軍の司令官のマ元帥は当時の「日本人を12才」と言った。12才は未だ子どもで、一人前の大人でない。批判力もない。だから、米軍が日本を保護する必要がある。という意味であったろう。しかし、日本は、戦後の民主教育のおかげで、批判力・自主性が育って大人になった。経済力もついた。米国に対し平等に主張する力がついた。したがって、この際、米軍基地を全部、日本国土から撤去して(追い出して)、冷却期間を数年置いてから、双方の国民が上下でない普通の国の立場になり、本当の対等な立場で、日米安全保障を交渉した方がよい。


 日本人の意向は今回の選挙ではっきりしている。民主党は、沖縄基地の県外、国外移転を公約し、沖縄県人はもちろん、日本人の多くが民主党に投票した。したがって、旧政権の日米安保条約は、新政権の下、民意に従って新しく交渉するのが民主主義である。

 交渉に当たっては、米軍がグアムに移動しようが、どこに行こうか、米国の自由である。日本人が口を出す権限はない。日本の国内に異動先を探すからバカにされるのである。日本は口も金も出す必要はない。

 これは、米国においても、同じである。チェンジを掲げたオバマ政権になったのであるから、米国も新たな世界戦略を構築する機会に遭遇しているのである。

 東西冷戦時代の日米安保を止めて、核兵器廃絶の平和に向けて向かっている、世界の政治環境に合わせて、新たな日米安保を協議する時代になったのである。

 米国も重装備を止めて、世界の警察官と錯覚しないで、普通の国並の軽装備に変える時代になったのである。

 米国の軍事費は年間、約6千億ドルである。他の主要な国:中国、ロシア、イギリス、フランス、ドイツ、日本、イタリア:の7カ国の平均は600億ドル以下である。<SIPRIストックホルム国際平和研究所 2008年度>

 米国は他の一流国の10倍の金を軍事費に使っているのである。如何に米国人がその持てる資金と労力と資源を浪費しているかが分かる。

 日本は、米軍の世界戦略に巻き込まれないで、日本が主体的に日本の国土を守るのは当然なことである。そのために、米軍の基地を全て撤去するのを要求するのは当たり前のことである。

 普天間の移設問題を討論する協議会を開いたが、日本の代表は、岡田外務大臣、北沢防衛大臣が出席するのに、米国の代表は格下の人たちである。これでは、対等の協議はできない。彼らには既定の方針を主張するだけで、新しい方針を決定する責任と権限がないからである。したがって、日本代表は、あちらの代表を拒否して、協議会を延期するべきである。 

 岡田外相は年内に解決を目指しているが、60年かかった問題である。一度、日本の主体性を見せ、米軍を本国に戻してから、交渉した方がよい。


 沖縄の人もこの方向なら、我慢できるのではないか。
1980年代に、ソ連は共産主義の旗を降ろして、ロシアに変化した。そして、東欧の諸国から軍隊を撤退した。軍縮に向かっている。米国も外国に置いた基地を撤退して、軍縮にむかうのが米国民自身にとっても、世界にとっても幸せなことである。

韓国の<家庭憲法>作りキャンペーン

嚴 錫仁
 

最近、いろいろな分野で「家庭」「家庭教育」への関心はますます高くなっているように思われる。それはお隣の韓国においても同様で、「家庭」を守ろうとする様々な試みが行われている。今回はその中の一つ、昨年韓国の法務省が行っていた「家庭憲法作りキャンペーン」を紹介しよう。


中央日報の記事によれば、法務省がこのキャンペーンを企画した意図は、「国家に憲法があるように、家庭においても志向する目標や価値、実践原則を盛り込んだ<家庭憲法>を作り実践していけば、選択の岐路に立たされたときにも人生の大切な価値を失わずに実現できるようになる」というもの。興味深かったのは、家族の間で「一日一回以上、<愛している>という言葉で表現する」といった内容のような、「サラン(愛)」という単語が一番多く使われていた、ということ。そのほか、親のやるべきこととして「一日一回以上、子どもの頭を撫でてあげる(スキンシップの愛情を表す)」、子どものやるべきこととして「お父さんが会社から帰宅した際には必ず迎えて挨拶すること」、などのものがあり、何となく韓国文化を覗かせる内容で面白い。


大げさに<家庭憲法>というが、昔の「家訓」のようなもの。家族間での約束の意味をも込めて、一つ作ってみるのもいいかも。

しかしそれにしても、いよいよ家庭教育アドバイザー資格を持つ卒業生も出て、社会の気運とも符合してこれからが楽しみというところに、有効な対案もなくさっさと家庭教育をやめてしまった眼目の無さと拙速さは...。ああ、ただただ反省するしかないだろう。

 正月の東京・箱根間駅伝競走の結果を伝える新聞記事の中に、前年より大幅に順位を上げたある大学チームの練習法を伝える内容があった。その中に「個々の選手の能力アップだけではなく、挨拶などをはじめとする基本的な生活習慣を徹底すること」が挙げられていた。この記事を見ていて、次のことを思い出した。

 
一つは、松井秀樹選手を高校時代に指導した山下監督の指導法である。山下監督は監督就任以来、甲子園出場するために生徒に毎年猛練習を課してきたがなかなか甲子園出場までには至らなかったという。いろいろ思い悩んだ時期があったが、あるとき野球の技術をいかに練磨してもその基になる人間そのものができていなくては相手に勝てないことに気がつき、選手に基本的な生活習慣を身に付けさせることに傾注したという。合宿所や遠征先の宿泊場所の整理整頓から清掃や規則正しい生活をするなどの指導に努めた。その結果、数年後には、初めて甲子園大会に出場することができ、以後甲子園参加常連校になるまでになったのだという。


 もう一つは、日本の南極観測史上初の越冬隊長を務めた人の話である。二十数名の男だけの集団が約半年間南極で共同生活をしたのだが、厳寒期の長い越冬生活で研究成果を挙げた人たちの多くは、基本的な生活習慣が身についていた人であったという。


 基本的生活習慣が「第二の天性」であることを思い起こさせた記事であった。

親になるということ


子どもが生まれ親になれば、誰でも新たな家族の一員の誕生にこの上ない喜びを感じ、将来への希望と夢を抱き前向きに人生を歩んでいこうと決意します。しかし、そうした幸せな時間が子どもの誕生によって家族にもたらされる一方で、一人の例外もなくこの世に<生>を受けたその瞬間から<死>が決定づけられ、いつ無常迅速に襲いかかってくるかわからない<死>と常に背中合わせになって生きていかなければなりません。 


そうした人生は決して順風満帆な道のりではなく、むしろ生まれてから死ぬまで「四苦八苦」の日々の連続です。年間三万人以上の自殺者の数や、自殺まで至らなくてもうつ病などの精神的病に苦しんだり、「死にたい」と考えている、もしくは過去にそのように考えた人数も考慮すれば、人間社会が「一切皆苦」であると理解することは容易です。自分の子どももいつ自殺してもおかしくない世の中なのです。故に、新たな生命(いのち)がこの「一切皆苦」の世の中に誕生するということは「めでたくもあり」、また「めでたくもなし」と言わざるを得ません。


しかし今の多くの親たちは、自分たちの快楽や人生計画そして満足感といった人間中心主義的立場からのみ子どもを生み、これから子どもが生きていかなければならない苦しく厳しい世の中に新たな生命を誕生させることへの親としての責任と役割については何も疑問視せず、無自覚に生命誕生だけを尊重しているかのようにも感じられます。


子どもが社会人となって生き抜いていかなければならない世の中とは、苦しいことの連続です。哲学者パスカル(1623-1662)は、未来にある絶望を見えなくするために、人間は常に生きる目標を持つことで安心して未来に向かって生活することができると言っています。ここでいう絶望とは「死」のことであり、苦しみとは死に向かって時間が減っていく恐怖感と置き換えれば分かりやすいと思います。確かに我々は受験、就職、昇進、子育てといった人生の目標を立て、それに向かって毎日を多忙に過ごしています。もしかすると、こうした目標に向って生きることが、「明日は必ず来る」という錯覚を現代人に感じさせる原因になっているのかもしれません。


死は必ず人間誰もがいつか直面する人生一大事の問題であるにもかかわらず、今の自分には全く無関係だとして主体的自覚が欠如したまま日々を過ごすと、命の尊厳性についても希薄で断片的な理解しか持ち得えなくなります。このような死生観しか持たない親たちのもとで育つ子どもも、きっと命が「偶発的」で「有ることが難しい(有難い)」という「生」への感謝の念が欠如し、自分の「死」に対しても主体的に考えることのできない大人へと成長していくのでしょう。


「生きる時間がだんだん減って、やがて死がいつか訪れる」というように「生」を時間的にとらえ、自分の命の限りにすら鈍感になっている親たちの死生観に欠けているものがあるとすれば、それは、「生」には常に「死」が伴い、「生」が偶発的かつ脆いものであるという自覚ではないでしょうか。


全く予期しない二人称の「死」という出来事が起きた時、死についての熟慮が無い親は、子どもの前でどのように振る舞い、判断を下し、そして子どもに「死」を教えるのでしょうか。ただうろたえるだけなのか、それともそうした状況でさえ、いずれ自分も直面しなければならない「死」を客観的にしか察知できずに何も感じることなしに終わってしまうのか、もしくは毅然とした態度で死を受け入れ冷静にその状況に応じて対応するのでしょうか。こういう時こそ、子どもはきちんと親の姿というものを観察しています。


「明日という日は必ずやってくる」と無意識のうちに信じる毎日のなかで、実は毎日死と背中合わせで生きているという事実を忘れてはいないでしょうか。こうした命の有限性についての自覚があれば、今日も生かされているという感謝の気持ちが芽生え、自分を謙虚にし、毎日を無駄なくそして悔いの残らないように生きていくようになるはずです。

新年のご挨拶

江田英里香


新年あけましておめでとうございます。


昨年度は、私にとって「ザ・育児」の年でした。
生まれてはじめての育児は、慣れないことばかりで、先輩ママや医師や助産師にアドバイスを頂き、家族や友人、そして職場の教職員の皆さんに支えながら何とかよちよち歩きの「母親」になることができました。いえ、正確には母親に「なろうとしている」ところであります。


育児は育自といわれることがありますが、まさにその通りだと感じることが少なくありません。子どもがうまく食事をとれなかったり、片づけができなかったりということは当たり前のことで、それに対していかにできるように導いてやれるか、そして、忍耐強く見守ってやれるか、子育てを通して、母親として学ぶことがたくさんあり、日々子どもから教わっています。


そんな中で、家庭教育アドバイザーの役割の重要性を身もって感じています。
母親のあり方は様々ですし、そのライフスタイルも多種多様ですが、子どもを育てて導いてやることは共通した母親としての役割です。しかし、母親も初めてのことに戸惑うことも少なくありません。身近に相談できる人がいない場合、ちょっとした相談事や子どものことを話す相手がいてくれたらどんなに心強いことでしょう。


今年は、引き続き育児と育自をしながら、家庭教育アドバイザーの役割について、経験を通して感じたことを少しでも形にできたらいいなと思っています。


どうぞ、今年もよろしくお願いいたします。

このアーカイブについて

このページには、2010年1月に書かれたブログ記事が新しい順に公開されています。

前のアーカイブは2009年12月です。

次のアーカイブは2010年2月です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。