ご紹介したい本がある。読んでいてなにか希望がもて、元気が出てくる本。『人は何のために「祈る」のか-生命の遺伝子はその声を聴いている』(祥伝社、2008年)という本である。著者は村上和雄筑波大学名誉教授と京都府立医科大学の棚次正和教授のお二人。村上教授は遺伝子研究に携わってきた世界的な科学者、一方、棚次教授は「祈り」を宗教学・宗教哲学の領域から研究してこられた方。本書は「祈り」は決して特殊な行為ではなく、人間の自然本性に由来する行為であるとする立場から書かれている。
本書のなかでは、人間の「祈る」という行為が人間自身になにをもたらすのかと言うことが随所で述べられる。人間の祈る行為は、身体的次元、精神的次元、社会的次元で明らかに変化をもたらす力があることが様々な視点から事例をもとに示される。遺伝子研究の第一人者として知られている村上教授曰く、人間の「生きることのすべてが遺伝子の影響を受けて」いるが、祈る行為が眠っている遺伝子のスイッチをオンにすることを可能にするという。
「祈り」は、情緒的な問題、心の問題、とりわけ「宗教」に関わっている人のことがらと考えられがちであるが、本書では祈りの行為を「宗教」に関わりを持たない人にとっても生きていく上で極めて重要な問題であるとする。その点では、「祈り」を宗教の専売特許とする立場に立っていない。「祈りの効果と宗教は関係ない」という立場である。また、遺伝子ということばから科学主義的な立場からのみ書かれているかというとそうではない。本書では「祈り」は人間の生きることの宣言、「生命の宣言」でもあるとされ、人間にとって「祈り」の行為がもつ意味の次元の探求もわかりやすい言葉で綴られている。
科学主義に偏らず、狭い意味での宗教研究でもない型破りで一線を越えた本書の立場が示唆するものは興味深い。我々は、これは自然科学、これは精神文化で、これは脳科学で、心理学で・・・と細分化された学問や領域のなかで考えがちである。「祈り」もまた「宗教」という限定された領域で語られがちであるが、これらの領域の垣根を取り払いつつ、かつその成果を無視することなく、「祈り」を人間存在の全体の問題として開いていく本書の主張が受け入れられてきたときに、社会にもたらされる成果はどのようなものだろうと想像するだけでわくわくしてくる。お薦めの一冊。
春学期の授業「現代社会といやし」のなかでもぜひ取り上げて受講者と議論したいと思っている。
