家庭教育の教員より(45): 水野 建雄 教授

異国での孤独な子育て奮闘記

水野 建雄


今回は学生の育児体験の報告を書きます。

秋学期の授業で「父親の育児参加」の意味や意義などを話していた頃、イギリス在住の受講生の一人が、「異国での孤独な出産・子育て体験」という手記を寄せてくれました。彼女は家族がすべて違う民族という特別な「マルチ民族家族」のなかで子育てに頑張ってきました。その姿の一端を紹介してみます。

出産後の子育て中の日記に、「一日が本当に長い」「主人が会社へ行くと後はこの子と二人だけ。何の反応も無いただ泣くだけの息子。本当に辛い」、「会社に行って仕事をしていた方がどんなにラクか!」と書き、さらに、「どうして子供なんか生んだんだろう!」、「おっぱい飲んで、泣いて、寝るだけ。なんなのこの人!?」と綴るように、この時期、精神的に追い詰められていた。この危機的状況をこう書いています。

その時、実はいわゆる'ベビーブルー'になっていたのだ。我が子が可愛いと思えず、「この子のせいで好きな仕事も辞めなければならなかった。」と思う自分がいた。毎日訪問してくれたヘルスビジター(保健婦)は、ことの重大性を感じ取ったため、'すぐにGP(家庭医)に行きなさい!」と悲壮な顔の私に言った。医者に行くと、「これは立派な病気で、このような症状が極端になると、窓から乳児を投げ捨てたり殴ったり蹴ったりという、いわゆる乳幼児虐待となります。」と言い、その事態の深刻さに自分でも驚いた記憶がある。

精神的に病んだ時一番厄介なのは、本人が認めない、認めたがらないことだとも言われた。 そんな時に、私を救ってくれたものは夫の協力であった。

主人の献身的な力強い協力が彼女を救った。その協力がいかにありがたく大切であったかが、その後克明に綴られています。そして今、彼女はまったく幸せです。

普段はろくな返事もしないし、外を歩くときは私と10mは離れて歩く息子達に、私の存在など果たして彼らの中にあるのだろうか、と疑問さえ持つ毎日の中、私よりもはるかに大きい彼等が、誰も見ていないところで、「おかあさん」と、甘えた声で後ろから抱きしめて来る時、私の手探りの子育ても今のところ間違ってはいなかったのかもしれないと思う。
(ミカレフひとみ「異国での孤独な出産・子育ての経験」:手記)


子育ての偉業のなかで、親は深い責任をもち強くなります。倫理学者のハンス・ヨナスは、「乳飲み子は単に存在しているのではなく、当為を内蔵している」といい、「乳飲み子はいっさいの責任の原型である」と言っています。当為を真正面から引き受けることが親の責任です。いっさいの責任がためされる原型が乳飲み子だというのです。それを果たして親は強くなるということだと思います。

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このページは、家庭教育が2010年3月 9日 14:42に書いたブログ記事です。

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