夏休み(「初等教育と家庭教育概論」より)
暑い毎日が続きます。夏です。夏休みです。小学生の子どもがいる家庭では、子どもの一日の生活をまるごと引き受けていることでしょう。
夏は、植物に生気がみなぎる時です。燦々と降り注ぐ太陽の光を自らのエネルギーにして、精一杯、自分を生長させて行きます。
わたしは、毎年、鉢植えのアサガオを育てています。
6月のころ、アサガオのツルは、まだ弱々しく伸びたツルの先をどこに置いていいのかわからないというように、風に揺さぶられ、頼りなさそうにしていました。これは手を貸してあげなければ…と、近くの植木の枝にツルをもっていってあげました。しかし、翌朝、アサガオはツルを戻して、また、ふらふらと揺れているのでした。
毎年、繰り返してしまう光景です。アサガオにまかせておけば…と思いつつも、か弱いツルを見ると、つい手を差し伸べてあげたくなるのです。しかし、アサガオにしてみれば、それは迷惑なことのようです。アサガオは、ツルを風に揺らせては自分の成長をはかり、丁度よいころ合いを見て、巻きついていく先を決めているのです。…それがわかりつつ、今年も、守ってあげたくなり、つい、手を出してしまったのでした。ところが、道を歩いていてそのようなアサガオを見ても、「何とかしてあげたい」という気にはなりません。かえって、ツルの様子に、けなげに生きようとしていることを感じ、ほほえましくもあるのです。この違いはどこからくるのでしょう。どうやら、毎日水をあげて世話をすることが、「こうしてあげなければかわいそうだ」という思い込みを生みだしてしまうことになるようです。相手の生気が理解できなくなるのです。毎年、アサガオに反省させられます。
今、8月のアサガオは、元気いっぱいにツルを伸ばしています。毎朝、場所を変えて、新しい花を咲かせてくれます。その花を見ると、心が和んできます。「咲かせてくれてありがとう」という気持ちさえも起きてきます。まだまだ、ツルは伸びています。ツルの先が、どこに伸びようかと頭をもたげ、風に揺れているのも見かけますが、もう、手を差し伸べようとは思いません。アサガオにたくましさを感じられるからです。アサガオに、自分で生きていることを感じられるようになっているといえるでしょうか。
夏休み、子どもの生活をずっと見ていると、いろいろと気になることもあることでしょう。でも、「こうしてあげなければ」という思い込みが先行すると、子どもが備えている生気を曇らせてしまうことになるかもしれません。子どもの様子を見て、子どもに、「自分で生きていることを感じられる」ことが、親の余裕をつくり出すことになります。
その手がかりとして、子どもに、家族の一員としての役割を担ってもらったらどうでしょう。夏休みに家のお手伝いをすることが、学校からもすすめられていると思います。それは、働いて家族の役に立つということだけではなく、自分で自分のツルを伸ばすことができるようになるのです。
例えば…、玄関の掃除、お風呂の掃除、植木の水やり、新聞取り、カーテン開け、省エネチェック、お買いもの、おつかい、妹や弟の世話、留守番、食事のしたく、食事の後片づけ、洗濯物のとりいれ、床みがき、小動物の世話…。
