2008年8月 6日

新しい科目の開講

2008年春学期の授業も終わり、一息ついたところです。この秋学期から、新カリキュラムによる新しい科目が開講されます。テキスト履修の「夫婦関係概論」とスクリーング履修の「教育社会学概論」です。「夫婦関係概論」はこの春の「家族社会学概論」とかなりの部分重なりますが、家族の中核である夫婦関係に焦点をあてて、考えてみたいと思います。今、テキストを執筆中です。9月には間に合わせたいと努力しています。「教育社会学概論」は、社会学の視点から、教育問題を人生の発達段階を追いかけながら、検討したいと思っています。こちらもテキストを執筆したいのですが、間に合わない可能性もあります。講義で少しでも解りやすいものにしたいとおもっています。多数の皆さんの受講を期待しています。

2008年3月29日

久しぶりの便り

2008年3月29日、八洲学園大学の第1回の卒業式が行われました。卒業第1期生は64名で、それぞれ感慨深いものがあると思います。本当におめでとうございます。アメリカで受講された学生さんもお子さんをつれて、参加してくださいました。4年間は、短いようで、結構大変なことです。時にはくじけそうになったこともあると思いますが、そうした困難を乗り越えて、卒業式を迎えられた皆さんに、心からお祝いをお伝えしたいと思います。後に続く在校生の皆さんも頑張ってください。しばらく、ブログを休みましたが、また再開しますので、よろしく。

2006年9月29日

思想・良心の自由

週刊文春のコラム「新聞不信」を愛読している。伝統的なマスコミの代表である新聞の使命は、社会の木鐸であり、権力の批判であると言われる。しかし、現代の情報化社会における第三の権力である新聞を批判的にみることはほとんどない。そのため、新聞は何かというと言論の自由を錦の御旗にして、勝手な論理を振り回している。それに批判の目を向けているのが、この「新聞不信」である。書かれている内容は必ずしもいつも賛同できるものではなく、ときには批判の方向が違っていると思うこともあるが、今回の「鬼の首でも取ったように祝う朝・毎」は久しぶりにわが意を得たものであった。入学式や卒業式で日の丸に向かっての起立や君が代の斉唱を強要するのは憲法違反であるという判決に毎日新聞や朝日新聞は狂喜し、一面トップから社会面でも大きくとりあげ、さらに社説にまで取り上げて評価した。しかし、事実はどうであろうか。東京都教育委員会は、国旗・国歌に対して敬意を表明することを義務づける通達を出しているが、これが憲法で保障した思想・良心の自由を侵すものだという判決であるが、果たしてそうであろうか。朝日の社説では、「教職員は、違法な通達に基づく校長の命令に従う理由はなく、都教委はいかなる処分もしてはならない」という判決文を引用して大喜びだが、この判断そのものが間違っているとしたら、この論理はどうなるのであろうか。事実、同様な事件についての地裁の判決は、まったく逆のものの方が多い。おそらく、都教委は、抗告するであろうから、最終の判断は、先になる。もし、この判決と違った結論になったら、毎日や朝日はどう応えるであろうか。実は、この問題は、思想・良心の自由であるとか、言論の自由といった問題以前のことである。国旗や国歌に敬意を示す態度をとることは、エチケットの問題であり、人間としての礼儀の問題である。たとえ、争っている敵国の国旗や国歌でも、それとは離れて敬意を表すべきものである。気に入らないからといって、国旗を破ったり、燃やしたりする行為は、してはならないのである。この判決をくだした裁判官も毎日・朝日両新聞社もこの認識を間違っているのである。両新聞社が、好んで用いる「歴史認識」の違いどころか、人間としての礼儀の認識もできていないのである。「新聞不信」も指摘しているように、くしくも両新聞社とも高校野球を主催し、その開会式では、スタンドの観客に「ご起立のうえ、国旗の方向にご注目ください」とアナウンスしている。

2006年9月 6日

朝日新聞の「サマワからの報告」について

このブログを開いていただいて、思ったこと考えたことを自由に書くことにするという挨拶から始まった。そして、最初に取り上げたのが、イラクへ派遣された自衛隊が、そこでどのような活動をし、イラクの人たちにどのように受け止められたかというこについての報道がほとんどないことの指摘であった。それから間もなく撤退がきまり、一人の犠牲者をだすこともなく、無事帰還された。その間も、朝日の報道は、事実の確認ではなく、伝聞の情報に終始し、朝日新聞社は、イラクに記者を派遣していないのかと皮肉った。そして、自衛隊問題の記述は終了するとした。しかし、記者の派遣をしなかったのではという記述が目にとまったわけではないだろうが、8月31日に「サマワからの報告・上」、翌9月1日に「同・下」の記事が掲載された。記事を書いた編集委員川上氏は、わざわざ「サマワにて」と署名の下に記入していた。      問題は、これからである。記事は、朝日新聞が地元の新聞ウルクと共同で行った世論調査と記者の面接報道である。まず、大見出しで、「感謝と不満」とあり、その具体例のつもりであろう新型保育器と5キロで終わった道路舗装の事例が示されている。これだけをみると、自衛隊の評価は、功罪相半ばしていたのかと思って、調査結果をみると、自衛隊の駐留を「大いによかった、おおむねよかった」とするものは71%、「あまりよくなかった、大いによくなかった」は26%である。また、自衛隊の活動は「役立った」とするもの67%、「役立たなかった」が31%であった。住民から愛着を得ていたとするものは73%である。さらに、医療、飲料水などの5個の具体的活動についての評価では、「発電機の提供」以外の4項目で、「役立った」とするものが「役立たなかった」とするものより多く、そのうち3項目は7割以上の支持である。これを見るかぎり、自衛隊の活動は、さまさまな悪条件の中で、高く評価されたと考えるのが、普通であろう。しかし、川上記者や朝日新聞社は、自衛隊の活動が評価されるのは好きではないらしい。あたかもプラス・マイナス半々であるかのような見出しをつけ、これに「不慣れな陸自、限界も」と小見出しをつけ、マイナス評価を印象づけようとする。自衛隊が「外国での復興事業」に「不慣れ」なのは当然であり、それが限界だという評価は、まさに「ためにする」ものでしかないであろう。また現地世論調査」のかこみ記事でも、「駐留、7割が評価」の下に「事業ごと ばらつき」と書く。評価が事業ごとに異なるのは当たり前のことで、すべて同じというほうがおかしい。これも、7割の評価にマイナスイメージを与えようとするレトリックである。記者が聞いたという話しの記事内容は、こうしたことからも明らかなように、まさに「あら捜しの」ないようでしかない。
 マスコミの報道は、事実をありのままに伝えることが生命であり。自分の思想、価値観をたくみに織り込んだ報道は、「大衆操作」そのものでしかない。靖国神社問題(歴史認識は多様なものであり、簡単に整理できないのが普通である)、教育基本法の愛国心問題(基本法では学校教育が中心で、教育の基本といわれる家庭教育についてはまったく触れられていない)などまさにマスコミによって作られた論争点である。言論の自由は、大きな責任がともなうことを自覚してほしい。

2006年8月30日

春学期の授業を終えて

この4月、新任教員として着任、初めてインターネットによるスクーリング授業を体験した。目の前に学生がいないということは、放送大学で経験していたのでそれほど違和感はなかったが、パソコンの操作には戸惑いがあった。なんとか終了することができたが、受講生はどうだっただろうか。レポートでは、結構良かったよというやさしい反応をしていただいたが、お世辞とはいえ、内心ほっとしている。大学の授業は、知識の伝達もさることながら、講義を通して教員のものの見方、考え方がどれだけ伝えられるかが大きな課題である。担当した「現代の社会病理学概論」では、これまでマスコミの報道をそのまま表面的に理解するだけであったが、講義を聴いてその背景にある社会的状況にまで思いをはせることの必要性を考えるようになったという感想をよせていただいた。教員としてこれ以上の喜びはない。秋学期の開始を前にあらためて充実した講義にするよう心がけているところである。一人でも多くの学生の皆さんが受講してくださることを期待している。

2006年7月24日

自衛隊問題は終わり

サマワにおける自衛隊の活動について、ほとんど報道されないのはなぜという疑問から始まったこのブログも、自衛隊の無事撤退の完了を祝って終わりにしたい。それにしても、撤退決定から、あらためて自衛隊派遣問題が新聞紙上を賑わせたが、結局は、サマワでの活動の詳細な報道がないままに、派遣がアメリカへの義理立てからだとか、派遣は憲法違反だとかいう論調で終わっていた。海外派遣が人道的支援活動であったかどうか、活動がその目的に照らして有効であったかといった事実を抑えなければ、派遣の是非の判断はできない。初めに反対ありきの論調は、戦後日本の悪しき風潮である。

2006年6月23日

伝聞だけの記事

昨日のブログを書き上げて、今朝の朝日新聞を見たら、また土居・川端の署名記事があった。見出しは、「陸自、イラクの2年半」である。しかし、その内容は、帰国した自衛隊幹部のインタビュー記事にすぎない。その幹部のコメントが適切であるか否かを立証する事実確認の記事は、どこにもない。こうした情報で、自衛隊派遣の是非を判断することは、できない。二人の記者は、イラクで現地の取材をしたことがあるのか、もし現地に行った経験があるのなら、そこで何を見てきたのか。朝日の社説は、こうした間接情報だけを頼りにして書かれているのか。それならCIAの情報を鵜呑みにしたブッシュ、アメリカの情報を鵜呑みにして事実確認をおろそかにした日本政府とどこが違うのか。報道の自由と責任をもう一度考えなおしてほしい。

2006年6月22日

イラク自衛隊の撤退決定

5月31日付けでイラクに派遣された自衛隊の活動についての報道がほとんどないことに疑問をもったことを記したが、6月20日小泉首相は、自衛隊の撤退を正式に表明した。早速撤退準備活動が開始され、本当によかったと思う。そこで、やはり気になったのは、2年半に及ぶ活動で何がなされたかということである。私は、朝日新聞しかみてないので、他の新聞がどのような記事を掲載しているか、わからないので、朝日の報道に限定して、感想を記しておこう。まず、20日の新聞には、撤退決定の1面の記事、3面には、首相が自分の任期内に決着をつけたがっていたこと、7面には、イタリアも撤退を表明したという記事があり、39面には、「2年半何が残った」という見出しの記事がある。疑問だった活動内容の詳報があるかと読み出して、がっかりした。自衛隊の活動について防衛庁は、267回の医療支援や道路や学校を復旧したといっているというだけで、後は国際医療NGOの医師の国際支援としての自衛隊派遣の弱さがあったというコメントだ。朝日新聞社は、イラクに記者を派遣していなかったのだろうか。同じ記事の後半には、「撤退時がもっとも危険」という見出しで、土居貴輝、川端俊一という署名入りの記事があるが、この記者たちは、サマワで自衛隊がどんな活動をしたのか、取材していなかったのだろうか。    翌21日には、1面に藤崎優朗の署名記事「イラク陸自撤収と日米同盟」が載った。しかし、ここでは派遣された自衛隊の活動にはまったく触れず、2年前の派遣をめぐる論争を繰り返し、アメリカべったりと非難するだけで、何の価値もない記事である。さらに、2面では、空自の活動の強化の記事があり、3面の社説では「結果オーライとはいかぬ」というタイトルで、一発の銃の発砲もなく、一人の犠牲者もなかったことにもケチをつけたいようである。なぜ素直に「良かった」と喜べないのだろうか。自衛隊の復興支援がイラクの再建に貢献したという「見方もある」と表現され、そうではなかったと言わんばかりであるが、しかし、その根拠は示されていない。それどころか「実態は、要塞のように守りを固めた宿営地の中で、給水活動をしたり、現地の人々を雇用して、給水活動をしたり、学校施設などを復旧したりすることが中心だった」と言っている。その実態をこれまで、どれだけ詳しく報道したのだろうか。そこには、朝日新聞の価値観による自衛隊活動の解釈だけで、実際の姿は浮かんでこない。結論は、結局派遣反対でしかない。
  4面には、海外派遣の一般法制定の動きがあることが伝えられている。そして、37面には、「イラク派遣 評価は」という見出しの記事がある。やっと、活動の実態に基づいた評価が報道されているか、と期待をもってみたが、またも期待はずれである。昨年の総選挙で自民党に投票した10人へのアンケートが紹介されているだけである。それも朝日の身内であるアスパラクラブの会員へのアンケートであり、自衛隊のイラク派遣への関心はどうなったかというもので、派遣評価とはいえないものである。それでも、行くときと帰るときだけ騒ぐのは変だ。自衛隊がつくった学校や子どもの笑顔、途中経過を見たかったという筆者と同じ思いの人の意見もあった。傑作なのは、精神科医香山リカのコメントである。「自衛隊の活動内容が伝わってこないなかで、関心を維持し続けるのは大変なことだ」と言い、関心が増したり、変わらないが半数あることは、派遣の意義や正当性を疑問視し、監視し続けたいという人の意思を感じると言っている。この意思に答える役割を担っているのが、マスコミではないのか。しかし、香山の思考はそこへは向かわず、小泉首相のマジックに酔わされてしまったという。活動内容を報道しなかった朝日新聞の責任はどうなるのか。国民の知る権利に答えられない新聞は、存在価値がない。              自衛隊の活動の実際を知りたいという思いが、撤退の決定と重なって、またまた考えさせられた。自衛隊の海外派遣の是非を判断するためにも、その事実が知らされなければならない。自分のイデオロギーだけで、判断することは危険である。

2006年5月31日

報道されない自衛隊の活動

2003年に始まったイラク戦争で、フセイン政権が倒れて3年、ようやく新生イラクの正式な政府が発足した。しかし、イラクの治安状態は、不安定のままで、国家としての自立が不安視されていることは、周知のとおりである。日本も2004年イラク復興支援特別措置法に基づいて、自衛隊が派遣されて2年が経過した。自衛隊の派遣には、さまざまな立場からの意見があり、賛否両論渦巻いている。ここで、私が問題にしたいのは、そうした派遣論や自衛隊論、憲法問題ではない。自衛隊は、イラクの復興を支援するためにテロが頻発している物騒なイラクへ出かけたのである。そうした自衛隊が、イラクでどのような活躍をし、イラクの人々のために、どれだけ役立つ活動を展開したのか、日本のマスコミは、その報道をほとんどしていないことに対する疑問である。ほとんど毎日、自爆テロが行われているイラクで、この2年間、1人の犠牲も出なかったのは、奇跡であろう。自衛隊派遣に反対の立場を暗々裏にとっているマスコミであっても、どんな仕事をしたのか、それがイラクの人々にどのように受け止められているのか、報道するのは、国民の知る権利のためにも、当然のことではないのか。なぜ、そうした報道をしないのか、説明してほしいものだ。

2006年5月29日

ご挨拶

これから、気のついたことを、独断と偏見で記述していきますので、いろいろとご意見ご感想
をお寄せください。