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2006年9月 アーカイブ

2006年9月 6日

朝日新聞の「サマワからの報告」について

このブログを開いていただいて、思ったこと考えたことを自由に書くことにするという挨拶から始まった。そして、最初に取り上げたのが、イラクへ派遣された自衛隊が、そこでどのような活動をし、イラクの人たちにどのように受け止められたかというこについての報道がほとんどないことの指摘であった。それから間もなく撤退がきまり、一人の犠牲者をだすこともなく、無事帰還された。その間も、朝日の報道は、事実の確認ではなく、伝聞の情報に終始し、朝日新聞社は、イラクに記者を派遣していないのかと皮肉った。そして、自衛隊問題の記述は終了するとした。しかし、記者の派遣をしなかったのではという記述が目にとまったわけではないだろうが、8月31日に「サマワからの報告・上」、翌9月1日に「同・下」の記事が掲載された。記事を書いた編集委員川上氏は、わざわざ「サマワにて」と署名の下に記入していた。      問題は、これからである。記事は、朝日新聞が地元の新聞ウルクと共同で行った世論調査と記者の面接報道である。まず、大見出しで、「感謝と不満」とあり、その具体例のつもりであろう新型保育器と5キロで終わった道路舗装の事例が示されている。これだけをみると、自衛隊の評価は、功罪相半ばしていたのかと思って、調査結果をみると、自衛隊の駐留を「大いによかった、おおむねよかった」とするものは71%、「あまりよくなかった、大いによくなかった」は26%である。また、自衛隊の活動は「役立った」とするもの67%、「役立たなかった」が31%であった。住民から愛着を得ていたとするものは73%である。さらに、医療、飲料水などの5個の具体的活動についての評価では、「発電機の提供」以外の4項目で、「役立った」とするものが「役立たなかった」とするものより多く、そのうち3項目は7割以上の支持である。これを見るかぎり、自衛隊の活動は、さまさまな悪条件の中で、高く評価されたと考えるのが、普通であろう。しかし、川上記者や朝日新聞社は、自衛隊の活動が評価されるのは好きではないらしい。あたかもプラス・マイナス半々であるかのような見出しをつけ、これに「不慣れな陸自、限界も」と小見出しをつけ、マイナス評価を印象づけようとする。自衛隊が「外国での復興事業」に「不慣れ」なのは当然であり、それが限界だという評価は、まさに「ためにする」ものでしかないであろう。また現地世論調査」のかこみ記事でも、「駐留、7割が評価」の下に「事業ごと ばらつき」と書く。評価が事業ごとに異なるのは当たり前のことで、すべて同じというほうがおかしい。これも、7割の評価にマイナスイメージを与えようとするレトリックである。記者が聞いたという話しの記事内容は、こうしたことからも明らかなように、まさに「あら捜しの」ないようでしかない。
 マスコミの報道は、事実をありのままに伝えることが生命であり。自分の思想、価値観をたくみに織り込んだ報道は、「大衆操作」そのものでしかない。靖国神社問題(歴史認識は多様なものであり、簡単に整理できないのが普通である)、教育基本法の愛国心問題(基本法では学校教育が中心で、教育の基本といわれる家庭教育についてはまったく触れられていない)などまさにマスコミによって作られた論争点である。言論の自由は、大きな責任がともなうことを自覚してほしい。

2006年9月29日

思想・良心の自由

週刊文春のコラム「新聞不信」を愛読している。伝統的なマスコミの代表である新聞の使命は、社会の木鐸であり、権力の批判であると言われる。しかし、現代の情報化社会における第三の権力である新聞を批判的にみることはほとんどない。そのため、新聞は何かというと言論の自由を錦の御旗にして、勝手な論理を振り回している。それに批判の目を向けているのが、この「新聞不信」である。書かれている内容は必ずしもいつも賛同できるものではなく、ときには批判の方向が違っていると思うこともあるが、今回の「鬼の首でも取ったように祝う朝・毎」は久しぶりにわが意を得たものであった。入学式や卒業式で日の丸に向かっての起立や君が代の斉唱を強要するのは憲法違反であるという判決に毎日新聞や朝日新聞は狂喜し、一面トップから社会面でも大きくとりあげ、さらに社説にまで取り上げて評価した。しかし、事実はどうであろうか。東京都教育委員会は、国旗・国歌に対して敬意を表明することを義務づける通達を出しているが、これが憲法で保障した思想・良心の自由を侵すものだという判決であるが、果たしてそうであろうか。朝日の社説では、「教職員は、違法な通達に基づく校長の命令に従う理由はなく、都教委はいかなる処分もしてはならない」という判決文を引用して大喜びだが、この判断そのものが間違っているとしたら、この論理はどうなるのであろうか。事実、同様な事件についての地裁の判決は、まったく逆のものの方が多い。おそらく、都教委は、抗告するであろうから、最終の判断は、先になる。もし、この判決と違った結論になったら、毎日や朝日はどう応えるであろうか。実は、この問題は、思想・良心の自由であるとか、言論の自由といった問題以前のことである。国旗や国歌に敬意を示す態度をとることは、エチケットの問題であり、人間としての礼儀の問題である。たとえ、争っている敵国の国旗や国歌でも、それとは離れて敬意を表すべきものである。気に入らないからといって、国旗を破ったり、燃やしたりする行為は、してはならないのである。この判決をくだした裁判官も毎日・朝日両新聞社もこの認識を間違っているのである。両新聞社が、好んで用いる「歴史認識」の違いどころか、人間としての礼儀の認識もできていないのである。「新聞不信」も指摘しているように、くしくも両新聞社とも高校野球を主催し、その開会式では、スタンドの観客に「ご起立のうえ、国旗の方向にご注目ください」とアナウンスしている。

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