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2010年1月20日

頑張れ「家庭教育アドバイザー」、今こそ出番だ!

 今年の文部科学省が発表した問題行動に関する調査によれば、小・中・高校生の暴力行為が過去最多を記録したそうである。内容も悪質化し、そのうえ中学生による校内暴力が多発しているようである。
 昨年十月に栃木県日光市の中学三年生の男子が、放課後宿題の作文を書くよう指導されたときに、突然キレ、無抵抗の女性教諭の顔などをなぐり大怪我を負わせた事件が報道された。無抵抗の教諭を殴ったり蹴ったりの暴力行為を働いたのであった。
 神奈川県は暴力行為の件数が9233件と最多で、一万件に近い数であった。学校カウンセラーは「学校の経済的な困窮」と「家庭の教育力の無さ」を指摘している。ささいなことで感情を爆発させる子供が暴力事件を起こすと指摘している。こうした感情教育や穏やかな子供に育てるのが家庭の力であり、「家庭教育」である。
 山形県では、高校二年のSさんが2006年11月に学校で飛び降り自殺をした。死後、Sさんの携帯電話から「いじめを受け自殺を決意した」と本人の書き込みが見つかったが、県教委は「いじめは確認できない」とした。Sさんの父親は「いじめを把握できないのは、子供が本音を明かさないためです」と語ったということである。
 新聞では「暴力内容エスカレート」「小中高の問題行動・突然キレて殴る蹴る」と報道している。それほど暴力行為が頻繁に起こり、低年齢化しているということである。だからこそ家庭の教育力を回復し、家庭教育を拡大させ、意識を「親」や「家庭」にもってもらうことが大事なのである。
 私は埼玉県に住んでいる。埼玉でも同じように毎日の新聞にこうした事件が報道されている。まず見出しを見てみよう。「四小中に侵入、中三ら大暴れ」「屋上で酒盛り」「窓ガラス割り落書」「消火器噴射」などである。読むに堪えない記事だが、1月18日の記事である。
 入間市の小中校四校に侵入して窓ガラスを割った十五歳の中学三年生の男子生徒三人を狭山署は器物損壊の罪で逮捕。川越地検は十四歳の生徒を書類送検。市立東中など四校に計五回侵入し、石やハンマーで廊下の窓をたたき割ったり、教室の机を破壊した。三人の中学生が市内の中学に侵入して屋上で酒を飲み大騒ぎをし、校内の壁に「へのへのもへじ」とスプレーで落書の大書。備え付けの消火器をまき散らす。そうした様子を携帯カメラで撮影し同級生らに見せていたということだ。まったくあきれた行為で驚くばかりである。
 どころが、或るグループは「門限があるから早く帰らないと」と言って立ち去ったという。警察は現場に残された足跡などから生徒らを割り出して逮捕したということだが、更に「呆れたこと」には、親は全くこの事件のことを知らず、生徒達も戻っても何くわぬ顔をしていた」ということであった。
 校内暴力、対教師暴力などのニュースが後を絶たないが、これほど酷い事件、これほど低学年化しているとは、全く呆れた事情である。学校には「生徒指導担当」「スクールカウンセラー」「生徒指導員」らの元教員などのベテラン指導員が配置されている。全国どこの学校にも配置されている。文科省、県教委はその予算も計上しているのである。
 それでは、どういう指導員が必要なのか。それはとりもなおさず、「家庭教育アドバイザー」「家庭教育師」である。これらの中学生は帰宅して何くわぬ顔をして机に向かって、まことしやかに宿題でもしているかのようであったという。親達はわが子がこのような理不尽なことをしてきたということを知らないでいたのだ。それ以上に子供達は「平然」としていたそうである。これは子供だけの問題ではない。親の問題であり、家庭の問題である。だからこそ「家庭教育」は絶対必要なのである。
 本大学もそうした状況の出現を予測して、いち早く「家庭教育を考える大学」を設立した。「教育の原点は家庭である」という理事長の高邁な理想と、日本の教育を根底から変えるという、燃えるような理想を掲げて大学を開校した。これは日本の教育を憂え、将来の親になる若い人達の家庭を考え、日本をよくする、という絶大な考えから出発した「家庭教育を施す大学」として日本で唯一の大学であった。
 家庭教育を学び、家庭のことについて相談できる「家庭教育アドバイザー」「家庭教育師」を養成してきた。今それを学んだ卒業生が各地の教育委員会や子育て支援などの自治体で活躍したり、自分で地域の人々に奉仕している人がいる。本学はこうした人材を育てることに情熱を傾けてきたのであった。本学を卒業し、「家庭教育課程」で学んだ多くの「家庭教育アドバイザー」の資格をもった方々の活躍を心から祈念したいと思っている。

2009年3月11日

「ふたたび家庭教育のこと」 

 教育職員免許法が改正され、今年から10年ごとに教員免許の更新講習が実施されるようになった。教員の資質の向上と、子供達の学力向上の相乗効果を狙っての施策であろう。「ゆとり教育の見直し」が端緒となって教育内容の充実と教員の指導力の向上が望まれている。愚生の教員免状はどうなるのだろう。
 平成十九年に43年ぶりに全国学力学習状況調査が実施され、その結果がでたらしい。公開か非公開化をめぐって議論をよんでいる。そのような状況の中で、秋田、山形、新潟などの県が学が高いとのことであった。福井県は発表するかどうかを検討中であるらしい。都市部には多くの教育施設もあり、塾や個人教育を受けられる機会も多い。地方だからそれらの機会が少ないとはいえないが、東北地方の各県が学力が高いという結果はどのように考えたら良いのであろう。
 山谷えり子参議院は、一昨日の国会質問に立ち、自らの見解を明らかにした上で、多岐にわたる質問を文部科学相と総理に発していた。愚生の聴き間違いがあったらお許しいただきたいが、確か「東北三県ではまだ核家族化が進展しておらず、三世代同居の家庭が多い。そうした家庭では、世代の知恵が受け継がれ、それが良い結果に繁栄しているのではないか」と述べられて家庭教育の大切さを強調されていた。
 文部科学省では、「親の学び、家庭教育支援」「家庭教育支援チーム」「学校問題解決支援チーム」などを創設して、教育の再生と家庭教育力の回復を図っているとのことであった。また学校運営や教育方法などで、教育が円滑に運べるよう学校での裁量を広げられるよう、国が地方分権を広めるための支援もなされるようである。
 愚生が住んでいる埼玉県の教育委員会では三月の年度末になって早速新しい施策が発表されている。民間出身の高校長が二人採用されたことが新聞で報道された。また3月8日の新聞では「管理職再任用制度」が報道された。埼玉県内の公立の小中高などで校長や教頭が定年退職を迎えても引き続き採用する制度であるらしい。
 経験や知識が豊富な人材を確保するのがねらいだそうである。これも地方分権と教育改革の一環であり、団塊の世代の大量職場退職の影響を考慮してのことであろう。家庭にとっては今まで存在の薄かった父親が、子供との接触時間が増えることは結構なことである。家庭教育に父親が参加することができる良い機会でもある。
 しかし世界の状況は、アメリカに端を発した不況で、日本でも百年に一度あるかないかの未曾有の大不況に突入したらしい。新聞報道では、大会社の雇用打ち切りが社会面に見られない日はない。こうした経済状況の中では、塾通いや家庭教師などによる教育と学力の向上を考慮して「家庭教育」の充実を考えるということも意味があるのではなかろうか。特に大不況になれば人心も荒廃し、家庭の中でもそうした状況を巡って、お互いにギクシャクしたりして家庭内での亀裂も生じるであろう。そうした時こそ家庭教育の大事さを再確認、再認識する必要があるのであろう。
 祖先からのつながりや命の大切さ、自然の恩恵に対する感謝の心などを大切にしたいものである。人が生きてゆくために必要な宗教的な豊かな情操心も、そうした家庭教育の中でしか伝えることはできない。そのような基礎的な人間観を形成してゆく場が家庭なのである。私達は、親としてそのような役割を担っているのだということを認識しながら、自ら実践して行きましょう。少子高齢化社会も生涯学習の実践の上から克服することもできるでしょう。
 幸いなことなのか、不幸なことなのか、日本の不耕作田は、最盛期から三分の一にもなってしまいました。戦後の食糧難の時代に欠食児童と言われる子供達もおりました。昼食の弁当もない子供達もおりました。その後日本人の勤勉の精神は、山を開墾し、野を耕して田畑の増産を図ってきました。しかしいつの間にか気がつくと食料自給率は30パーセントを割ってしまっています。昨日まで飽食暖衣な生活を貪っていた日本は、今日は未曾有の大不況に見舞われているのです。耕作地の三分の一を占める不耕作田をもう一度復活すれば食料自給率は高まることでしょう。できるところから始めてみましょう。
 家庭教育アドバイザーの資格を取得して本学を卒業した学生さん達が、この資格を活用する道を、今自分たちの手で切り開こうとしています。近所の子育てで悩んでいる相談にのってあげたり、独居老人を見舞ったり、議員さんの秘書をしながら家庭問題の相談にあずかったりしている卒業生がいます。今はまだ小さな活動ですが、いずれ大きな輪となって、家庭教育アドバイザーネットワークを立ち上げることになるでしょう。それまで私たちもできることから始めてみましょう。
 家庭教育はまず親としての自覚から始まります。親としての自覚が家庭教育の原点です。「しっかり抱いて、そっと降ろして、ゆっくり歩かせる」という日本人の子育ての知恵を凝縮させた格言があるように、自立した子供を育てるには、「しっかりと抱く」という愛着と「下に降ろす」という分離も必要となります。母性と父性の役割とも言っています。
 豊かすぎた日本では、今まで愛情は与えるものと思い込んでいた節があります。そのため「物を与えて」心を失わせてしまっていたきらいがあります。「衣食足りて礼節を知る」という言葉があるように、私達はもう充分に、他国で作ってもらった食べ物を味わってきました。自分の食べるものは自分で作りましょう。また衣食も充分に足りておりますから「礼節」を心がけましょう。その一歩が家庭の教育力の再生につながってゆくのです。学校の教育力もまた大切なことはいうまでもありません。

2006年5月18日

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