2008年11月12日

授業で扱うトピックス(時事問題)

開講当初から授業の冒頭で原則としてその時のトピックス(時事問題)をテーマに解説し、自分の意見や問題提起をしてから授業の本題に入ることにしています。
理由は授業に入る前のウォーミングアップとして、受講生が揃うまでの時間調整として、
また以前入社したての新人研修での経験で新入社員が予想外に時事問題について関心が薄く、特に技術系の新人はあまり新聞を読んでいなかったので、関心を持ってもらうための啓蒙の必要性を感じたことでした。もっと遡れば、外国人との日常会話で、必ずと言っていいほど政治や経済、社会、文化、教育、道徳などの時事問題、社会問題が話題となり、社会などのトピックス(時事問題)について自分なりの考え、意見を求められることが多く、この種の問題に常に関心を持ち自分なりの考えを述べる用意をしておく必要性を痛感していました。従って、少なくとも自分の担当する科目の受講生に少しでも関心を持ってもらいたいと思ったことも理由の一つです。
もう一つの理由としては、可能な限り授業内容に関連性のあるトピックスを取り上げることで、授業がより一層効果的になるのではと考えたからです。
ここで、難しいのはトピックスのテーマの選択です。週4回(12月からは5回)の授業で、毎回異なるテーマで、且つ受講生に共通の関心事であること、国内のみならず海外の話題やテーマも視野に入れること、尚且つ、できるだけ授業科目や授業内容に関連性があること、そして自分なりの意見や感想、問題提起や解決策が用意できるものを選択しなければならないことです。
幸いにして受講生からはある程度評価していただいており、今日まで授業の冒頭でのトピックスの紹介を継続しています。そのためには毎日テレビや新聞のニュースに耳をそばだて、目を光らせていなくてはならず、結構大変ではあるが授業がマンネリ化、陳腐化しないために、そして何よりも自分のボケ防止にとっても役に立つと思っています。
 最近の話題を例にとると、米国の金融破綻と景気の後退、防衛省の前航空幕僚長の論文問題、地球温暖化対策としての企業のCO2排出量取引問題などがテーマの一つとして取り上げています。特に感じたことはこれらのテーマに関してニュースや解説、評論、社説を見ていると、現象面だけとらえ、けしからんとか、こうすべきとか喧々諤々まさに多事争論の様を呈しています。しかし表面的な議論が多く、問題の背景や本質に迫った議論が少なく物足りなさを感じています。例えば前空幕長の論文問題も処遇に関し話題になっていますが、タブー視されているのでしょうか、問題の本質と思える自衛隊のあり方に触れている記事や番組や解説が少ないのが気になりました。
このように素人ながらニュース解説的なトピックの取り上げも社会人を対象とした八洲学園大学では許されると思って日夜励んでいます。

2007年10月18日

ベトナムを訪ねて

(久々にブログを書いてみました)

ここ数年の私の夏休みは、休養がてら、海で過ごすことにしている。
今年はベトナムを訪れてみた。ベトナムは初めての旅であった。
南のホーチミンより入り、ハノイに至る縦断の旅のなか、やや南に位置するニャチャンというリゾート地で数日を過ごしてきた。

今回は、ベトナム滞在のなかでも、とりわけ私の心に残ったハノイについて少し紹介したい。
まずは、儒教信仰の深さであり、次に、ホーチミンに比べ清潔で静かな街、三つめは日本語ブームと米ドル信用度の高さである。
例をあげれば、空港バスで見かけた子供達のマナーの良さ(自分より年配者が乗車するやいなや、幼少の皆が立ち、席を譲るのである)や、緑が多く、主要交通手段であるオートバイもホーチミンより気にならず、自動車が堂々と車道を走っていた(ホーチミンでは、乗用車は遠慮がちに道路の端を走っていた)当たり前だが、信号も守られていた。

近年、日本の観光客が増加し、また我が国の企業進出も盛んとなり、現地の大学の日本語学科はとても人気だそうである。その一方、社会主義国ではあるが、男性しか入れないカラオケ店が急増しており、中心街のそこここに、そのネオンが輝いていた。さらにどの店でもベトナム戦争の相手国貨幣、米ドルが現地通貨同様重宝がられていたのは驚きであった。

儒教についてあげると、孔子像、孟子、曾子が祀られた寺院(写真)が、市の中央にあり、多くの学校の先生や生徒達が礼儀正しく整列し、参拝の順を待っていた。目的は、合格祈願やお礼、現生活の報告とのことであったが、信心深さを強く感じた。石碑などに刻まれた漢字の文字について、それが読めるのか?と学生達に聞いたところ、読めないとは言いながらも熱心に拝んでいた姿が思い出される。日常では、漢字は使われていないというが、日本で失われつつある儒教の精神、五倫・五常が根強く残っているように感じ、アジアの一員として、ほっとしたひと時であった。

koumoushi.gif

2007年2月23日

人材の育成と日本人の心

昨日 テレビ討論やラジオでおなじみの寺島実郎 三井物産 常務執行役員、日本総合研究所 会長の出版記念会が日本工業倶楽部で開催され、参加した。来賓の一人、テレビでおなじみの筑紫哲也さんの話と基調講演された寺島さんの話の中でお二人が強調されていたことが、私が授業で取り上げていることと同じであった。それは、今日失われつつある実務面での道徳観、倫理観、思いやりの心を取り戻すことで、まさにわが意を得たりと密かにほくそえんで聞いていた。次回の授業もますます身が入りそうな予感がした。ただし、気合が入りすぎて時間オーバーを気をつけねば。。。

2006年7月 5日

少子化に思う

少子化に思う
この問題に対しては、政府や行政、企業等少子化対策として、福利厚生等の面での人事施策や金銭的な支援策を講じている。それ自身悪いことではなく、生活の面、仕事の面での制約で、産めない、産まないことに対する効果的な解決策の一つと思う。
翻って、果たしてそれだけで、少子化問題は解決するのだろうか,日頃気になっていることを書いてみた。
昔、物資が今日ほど豊かでなかった時代、母親は子供を二人三人は当たり前の顔で遊ばしたり、誉めたり、叱ったり子どもを育てることに堂々として、誇らしげであった。観察していると今はそのように見えない。混んだ道路や駅のホームやエレベーターで、何か申し訳なさそうなしぐさをしている。もっと誇らしげに、堂々とすればいいのにと思う。幼子を連れた親子とすれ違う人々も特段の注意意を払っているわけでもなく、中にはうるさそうな、迷惑そうな顔をする人もいる。
制度や仕組みだけでなく、子育てする母親が、たくましく誇らしげに見えるよう、周りからの、心配り、励ましの言葉など、思いやり溢れる世の中にしていくことが必要ではないかと思う。都会においては特に必要である。これは一朝一夕にできないが、自分自身の問題として捉えるよう日常生活の中に定着していく努力が必要ではないかと思う。
誇らしげなあるいは崇高とも見えるような母親の姿を見ることにより、母になることへの憧れに似た気持ちが芽生え、そして皆が子どもを育てようと言う思いを自然に抱く世の中になって欲しいものである。
本校の望月先生がJADA ニュース 第325号(中高年齢者雇用福祉協会機関紙)の中で、社会全体の中に家族を大切にするという考えが衰退してしまった。また 家族制度が女性の自由を束縛する根源であるから、親が子供の犠牲になる必要はないという論理がでてきてしまった、と論じている。まさにその通り、家族を大切にする人間本来の営みを取り戻し、誰に対しても子供を持つ親が誇れる世の中にしたいものである。

2006年4月29日

達磨大師の「緩浄善」

 達磨大師の「緩浄善」
昨日 行きつけの理髪店で手持ち無沙汰なので、ある週刊誌を手に拾い読みをしていると、
五木寛之さんの連載小説が目にとまりました。 読み進むと、釈尊(お釈迦様)の話がでてきて、釈尊は29歳で妻子と別れ修行の道に入り、苦難の末 悟りを開いたと書いてありました。このことは夙に知れていることであり紀元前数世紀の遥か遠い世界の話と言う認識でした。ところがこれが遠い話ではなく身の回りにもある話であることを思い出しました。4年前私が会社勤めをしていたころのことです。世に言う早期定年退職制度を選択して、定年前に退職した仲間のことを思い出しました。彼はITのエンジニアで以前から仏教に興味を持っていましたが、お釈迦様と同様、退職を機に妻子と別れて1年間の修行の後 千葉のお寺の住職に納まってしまいました。みんな偉いなあとびっくりしていました。それはさておき、私もまったく仏教に興味がないわけではありませんし、現にビジネス禅と称する勉強会の世界で形式的且つお情けで、恥ずかしながら「燈山」と言う道名をいただいています。禅の勉強の中から一つを上記に関連して紹介します。釈迦から数えて28代目、禅宗の祖である達磨大師が150歳の人生訓(人間生物学的には150歳くらいまでは生きられとのことです)として、幸福の三原則を伝えています。
それは 「緩浄善」と言う言葉です。緩は目標に向かってゆっくり進みなさい、あわてるなと言っています。浄は清く、正しくそして楽しく暮らしなさいと言っています。最後の善はよいこと、よい行いをするよう心がけなさいと言っています。
私を件の仲間のように妻子と別れて修行できないので、せめて「善」それも一日一善と言われているように、よいことをすることです。ただこれにこだわると、堅苦しく、形式張るので、最近は人のために何かをする時間を30秒でも1分でも作ることにしています。人のために時間を割くことを目的とし、あまり結果に拘らないようにしています。そうすると誰かにこれをやってくれと頼まれても、人のために時間を作る、費やすと思えばいやな気持ちにならず、嫌なことでも腹も立たず気持ちよく出来ると信じ、今はささやかではありますが実行するよう日々心がけています。このような話は私の講義の中にも時々余談として紹介しているので、興味のある方は授業を受けに来てみてください。