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少子化に思う

少子化に思う
この問題に対しては、政府や行政、企業等少子化対策として、福利厚生等の面での人事施策や金銭的な支援策を講じている。それ自身悪いことではなく、生活の面、仕事の面での制約で、産めない、産まないことに対する効果的な解決策の一つと思う。
翻って、果たしてそれだけで、少子化問題は解決するのだろうか,日頃気になっていることを書いてみた。
昔、物資が今日ほど豊かでなかった時代、母親は子供を二人三人は当たり前の顔で遊ばしたり、誉めたり、叱ったり子どもを育てることに堂々として、誇らしげであった。観察していると今はそのように見えない。混んだ道路や駅のホームやエレベーターで、何か申し訳なさそうなしぐさをしている。もっと誇らしげに、堂々とすればいいのにと思う。幼子を連れた親子とすれ違う人々も特段の注意意を払っているわけでもなく、中にはうるさそうな、迷惑そうな顔をする人もいる。
制度や仕組みだけでなく、子育てする母親が、たくましく誇らしげに見えるよう、周りからの、心配り、励ましの言葉など、思いやり溢れる世の中にしていくことが必要ではないかと思う。都会においては特に必要である。これは一朝一夕にできないが、自分自身の問題として捉えるよう日常生活の中に定着していく努力が必要ではないかと思う。
誇らしげなあるいは崇高とも見えるような母親の姿を見ることにより、母になることへの憧れに似た気持ちが芽生え、そして皆が子どもを育てようと言う思いを自然に抱く世の中になって欲しいものである。
本校の望月先生がJADA ニュース 第325号(中高年齢者雇用福祉協会機関紙)の中で、社会全体の中に家族を大切にするという考えが衰退してしまった。また 家族制度が女性の自由を束縛する根源であるから、親が子供の犠牲になる必要はないという論理がでてきてしまった、と論じている。まさにその通り、家族を大切にする人間本来の営みを取り戻し、誰に対しても子供を持つ親が誇れる世の中にしたいものである。

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2006年7月 5日 15:32に投稿されたエントリのページです。

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