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1【東洋古典のなかの家庭教育・家族論理】

「積善之家、必有余慶、積不善之家、必有有殃。臣弑其君、子弑其父、非一朝一夕之故。其所由来者漸矣、由弁之不早弁也。」
「善行を積み重ねた家には、その報いとしてきっと幸福が子孫にまで及び、反対に不善を積み重ねた家には、きっと災禍が子孫にまで降りかかるものである。臣下が自分の君主を殺したり、子が自分の親を殺したりするような痛ましい事件は、一朝一夕の短い期間で起こりうる性質のものではない。きっと長い間つもりつもった何らかの原因によるものであり、早期にその事態をわきまえて適切な措置を施さなかった結果なのである。」(『周易』坤卦、文言伝)

最近、子どもによる両親殺害の事件が急増している、というニュースをよく耳にする。そのたび、思わず思春期に入っている家の子の顔を振り向いたりする。我が子は絶対に大丈夫、とすぐにいやな想念を振り落としてみるが、一抹の不安は残る。そんな大それたことではなく、無限競争・価値観の多極化の今の時代にあって、親として、子どもとちゃんと付き合って、また正しく生きる道を教えていたのかどうか、そういう反省や不安である。おそらく世の中の多くの親たちも同様の心配を抱いているのだろう。

上記の『周易』の言葉を、必ずしも「勧善懲悪」などと大げさに捉える必要はない。親が正しく善いことを自ら実行し、またそれをもって子どもに教えることができれば、またその教育を早い時期からすれば、子どもも健全に育ち何の問題もない、という理解で結構である。まさに家庭教育の指南を示しているものではなかろうか。

現在、子ども教育、子育て論に多くの関心が注がれている。だが、その関心は今の時代になって始まったわけではない。我々の先人たちももちろん熱い関心を持っていたのだ。少しずつ紹介しながら、家庭教育のあり方を一緒に考えてみる機会になればと思う。

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2006年9月22日 16:26に投稿されたエントリのページです。

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