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2006年10月 アーカイブ

2006年10月 5日

2【親としての自覚や責任−子どもへの愛情】

【親としての自覚や責任−子どもへの愛情】
「夫風化者、自上而行於下者也、自先而施於後者也。是以父不慈則子不孝、兄不友則弟不恭、夫不義則婦不順矣。父慈而子逆、兄友而弟傲、夫義而婦陵、則天之兇民、乃刑戮之所攝、非訓導之所移也。」
「教化とは、上に立つ者から下の者に行われ、年長者から若い人に施されるべきものである。それゆえに、親に愛情がなければ、子どもに孝行を期待することはできないし、兄に友愛の情がなければ、弟も兄を尊敬し親しみを持つことはない。また夫が夫らしく正しく行動しなければ、妻も夫に従わないのである。しかし、親が慈愛であるのに、子どもが反抗したり、兄が友愛の情を示しているのに、弟が傲慢な態度をとったり、夫が正しく行動をしているのに、妻が夫を蔑視したりとするならば、あのような連中は天も許さない不良の者で、厳しい罰を与えるしか方法はなく、彼らを温厚な言葉だけで指導することはできない。」(顔之推『顔氏家訓』、治家第五)

『顔子家訓』は中国の南北朝時代の末期の典型的な知識人であった顔之推(がんしすい、531〜591)が、その子孫のために著述した教訓書である。

子どもに「孝」を期待するならば、まず親のほうから子どもに愛情を注がなければならない。孝というと、親から一方的に押しつけられた強圧的なもの、といった堅苦しいイメージを連想する人もいるだろうが、実はそれとは無縁のことなのである。

最近、自分の子どもを愛せない人が増えていると聞く。またそういう人のストレスを亡くそうとして、無理にして子どもを可愛がる必要もない、という主張も一部で言われている。今の時代に、子どもに親孝行を期待するなんて、ありっこない、という人がいるとすれば、まあ、とりあえず認めてあげよう。しかし、親には子どもを健全に育って社会に送り出す大事な責任がある(これこそが「立身揚名」といわれる孝の本質なのである)。子どもへの愛情こそが親としての自覚や責任の大事な一歩なのである。自分の子どもも愛せない人に、他人を愛し、また社会、国家を愛せと要求してても、所詮無理であろう。

この言説でもっとも面白く感じたのは、後半の部分である。親が、兄が、夫がその名に相応しい行動を取っているにもかかわらず、子・弟・妻の本分から逸れている人々は、天から見放された連中で、刑罰を与えるしかない、と過激な言説となっている。そこまでしなくても、との思いもするが、親殺し、子殺しなどの異常な事件に接すると、なんだか頷きたい気持ちにもなる。

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