3【儒教の親学:修身-斉家】
「古之欲明明徳於天下者、先治其国。欲治其国者、先斉其家。欲斉其家者、先修其身。欲修其身者、先正其心。欲正其心者、先誠其意。欲誠其意者、先致其知。致知在格物。」
「古(いにしえ)の明徳を天下に明らかにせんと欲する者は、先ずその国を治む。その国を治めんと欲する者は、先ずその家を斉(ととの)う。その家を斉えんと欲する者は、先ずその身を修む。その身を修めんと欲する者は、先ずその心を正す。その心を正さんと欲する者は、先ずその意を誠(まこと)にす。その意を誠にせんと欲する者は、先ずその知を致(いた)す。知を致すは物に格(いた)るに在り。」(『大学』経一章)
有名な『大学』の「八条目」が示されている条文である。後ろから数えて、格物→致知→誠意→正心→修身→斉家→治国→平天下、の八条目となる。
儒教では社会・国家のあり方や運用原理と家庭のそれとを同一の延長線上で捉えてきた。家庭は社会・国家の縮小版であり、根幹である、という考え方である。そして、各家庭をきちんと治めて正しい方向に導いていくという「斉家」の責任は、その家の親(厳密には父)にあるという。ところが歴史的な現実としては、「斉家」を担う親の権威だけが一人歩きをし、いわゆる儒教の権威主義的な悪い親像が作り上げられてきた。しかし、八条目の内容を見て分かるように、「斉家」は、「格物」から「修身」までの五つの徳目の習得と実践を先に要求している。家庭を統率していく親の権威は、物事の道理に通じ(格物・致知)、心身のあり方を正しくする(誠意・正心・修身)という、親自身の人格の完成によって始めて権威として認められる、ということである。最近「親学」という言葉が話題になっているが、儒教では親自身の人格の完成を「親学」への第一歩と位置づけているのである。