11【孝・弟-仁の世界を実現する方法】
「有子曰、其為人也、孝弟而好犯上者鮮矣。不好犯上、而好作乱者未之有也。君子務本。本立而道生。孝弟也者、其爲仁之本與。」
「有子曰く、その人となりや、孝弟(こうてい)にして上(かみ)を犯すを好む者は鮮(すく)なし。上を犯すを好まずして、乱を作(な)すを好む者は未だこれ有らざるなり。君子は本(もと)を務む。本立ちて道生ず。孝弟はそれ仁を為すの本たるか。」(『論語』学而篇)
*「有子」:孔子の弟子。性は有、名は若(じゃく)。孔子より43歳程若く、容貌が孔子に似ていたといわれている。
*「弟」:兄に対する弟の心ということで、「兄(年長者)を尊敬しよく仕える」という意味を持っている。「悌」と同じ意味。
君子というものは、ものごとの根本的で本質的なことを重視し、その体得と実践に努める人である。根本さえしっかり確立しておけば、その先のことはそれの応用で自然によくなるものだ、と。そして、その根本的で本質的なものを、儒教は「仁」の徳目として提示している。「仁」とは、重層的で複雑な概念で、説明が簡単ではないが、敢えて一言でいうと、「愛の原理、心の徳目」となる。人と人との関係をよい状態に保っていくための心持ちであり、実践徳目である。他人を自分と同じく愛し尊重し、そうした心と行動の拡大によって社会の秩序と安寧を確保しようとする、儒教倫理のもっとも中心的な概念、それが「仁」なのである。
そしてここでは、そうした根本的で本質的な「仁」をなす方法がまさに「孝」と「弟」である、と位置づけている。自分の親と兄に対する愛の感情を基礎として、その愛の感情を周りの人に広げていくことによって社会秩序も確保できる、という論理である。前に紹介した「羊を盗んだ親」の話も、これと関連している。
ただし、ここでは子どもの親に対する「孝」、年少者の年配者に対する「弟」といって、下のものが上のものに仕えることだけを強調しているようであるが、そのような一方通行的なもので家庭も社会もうまくいくはずがない。親としての自覚(慈)、年配者としての自覚(友愛)も、当然要求される。それについてはまたの機会に紹介しよう。