パソコン ガ ヤンンリティ ヌーシグゥトゥン ナラン。(パソコンが壊れてどの仕事もできず)
先日自宅のパソコンが全く立ち上がらなくなってしまった。たまっている原稿などの仕事が何もできない状態である。スイッチをいれるとsystem32のconfigファイルが見つかりませんという文字がでてきて、動かない。マニュアルなどをみながら何とか修正画面とやらを出して立ち上げることができたものの、修正以前のプログラムファイルにアクセスできない。どうやっても駄目。結局、windowsを再インストールすることに。幸い、すべてではないが、これまでため込んできた多くのファイルはバックアップをとってあったので、最悪の事態は免れた。しかし、この再インストールの仕方がまたよくなかったらしい。アクセスできなかった以前のプログラムファイルが邪魔をしているようで、再インストール後の動作が芳しくない。そのため再インストールを数度繰り返すが、事態はよくならない。
いろいろ調べてみると、自分のパソコンはwindowsのhome editionであるが、このバージョンではパソコン管理者の権限が隠れてしまっているということらしく、このことが影響しているようである。あれこれやっているうちにここ数日パソコンの回復修理ばかりでさすがに疲労困憊。これでは仕事にならないので新しくパソコンを購入することに。
クラッシュしたパソコンは四万円ほどの格安のものを、改造に改造を重ねてハイスペックPCに仕立て上げたものだが、静音化のためのCPUクーラー、ビデオカードのファンレス化だの、映像編集だの、電源ボックスの交換などコテコテ装着したりパーツを変えて使用していたのが仇になったようだ。静音化のため電源を小さくしたための不具合でファイルが壊れたのかもしれない。
このパソコンの故障で、「仕事と道具」というものについて考え込んでしまった。いろいろ手を焼きながら、かくなる自分は「工作人」か「遊ぶ人」か・・・。
職人にとっての道具。農民にとっての農具。運転手にとっての車。どれもしっかりとした道具を使っている。またどれも仕事に見合った機能以外のものをコテコテ装着しているものはない(デコトラだけは別だが)。仕事の道具として使う以上、そのための道具としてつかえるしっかりしたものを持ってなければ。そこで、どれを買うか。ひいきのメーカーのサイトでパソコンを物色。これが良いかな、これにあれをくっつけてなどとあれこれ考えながらクリックしたサイトはまたしても「激安パソコン」のアイコン。これも貧乏性ゆえか。懲りない自分に気がついた。
教訓めいたことがいえるわけではないが、ちゃんと仕事をするためにはちゃんとした道具が必要だということはいえる。くわえて、仕事のための道具に不必要なものはいらないということか。
本学の学生もパソコンが学びのための必須の道具。種々ご苦労される局面もあるだろう。ご同情申し上げるのみ。道具をいじるには細心の注意を。
ちなみにこの書き込みはかろうじて動いているブラウザーからの書き込み。
アンシン、ウィルス トゥカ、アルバーヤクトゥ ウヌ 対策ンサンデーナランクトゥ アリン クリン シギラネーナラン ムジカサーンヤー。パソコンディウル ドウグヤ ナーラ シンヨウナイルムノー アランバーガヤー。
(訳:そうはいってもウィルスだのあるわけであるし、その対策もしなければならず、あれこれ装着しなければならず、これが難しいことであるよ。パソコンという道具は道具として未だ完成されたものではないのかも知らん。)