以前読んだドラッカー著「知識社会の到来」についてのメモをこの週末読み返してみた。その中に、学校に求められる2つのことが述べられている。近い将来、知識中心社会がやってくるが、同時に学んだ知識が陳腐化する速度も早くなる。しかし、学校には、それに対応することだけの余裕はない。すなわち、常に新しい知識を学生に提供することができないのである。そのため、ある程度、基礎科目を学んだ学生は自らの力で新しい知識を学んでいかなければならない。そこで学校に対する要求の一つとして、学生に「学習の方法」を教えること。2つ目の要求として、知識社会を担うリーダーの養成に関することが述べられている。
今回は、「学習の方法」について考えてみたい。
この「学習の方法」と言っても特別な方法があるとは思えない。大学で学ぼうとする人たちは、将来自分が付きたい職業、やりたい仕事を十分考えて入学してきていると思う。したがって、学生は、自分にとっての幹になる科目、枝になる科目を選び、学んでいけばよい。幹となる科目を理解できれば大抵のことは独力で学んで行ける。勉強の場が職場になるかもわからない。事実、数年前会員数約4万人もいる学会が行ったアンケート調査でも非常に高い割合で最新技術、知識を職場から学んでいると答えている。考えてみると職場にはたくさんの最新の情報が集まっている。
変えてはならないもの、変えていかなければならないものがある。それが不易流行であり、幹と枝との関係である。
生涯学習と言う立場で自分が学んだ機械工学を考えてみた。機械工学は学問体系が確立されており、幹と枝がはっきりしている。ほとんどが必修科目である。
機械工学における幹(基礎)は、外国語(英語、ドイツ語(昔))、数学、物理・化学、力学(熱力学、流体力学、材料力学、機械力学)、それに製図である。製図はどの様な複雑な形状のものでも紙にその姿を工学的に描ける能力、他人が書いた複雑な図面でも、的確にその姿を頭に描き、それに基づいて具体的にものを作ることのできる能力が求められる。これに対して枝の部分に自動車技術、鉄道技術、造船技術などの応用技術・ものづくりの世界がある。
大多数の卒業生は応用分野で働くことになるが、応用分野だけで仕事をすることはできない。常に幹・枝の間を往来しながら仕事を進めることになる。
知識の陳腐化が速くなればなるほど、基礎を築き、基礎に戻って考える習慣を身につけることがますます大切になってくる。