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2005年5月 アーカイブ

2005年5月23日

怒ると叱る

怒ると叱るという言葉は同じような意味をもって聞こえます。しかし、それを受ける側で、「叱られた」と言う時と、「怒られた」と言う時とでは、若干の意味合いが違います。子どもに意見をして、子どもが「叱られた」と言っている時には安心しますが、子どもが「怒られた」と言っている時には、真意は伝わらなかったなと、後悔していました。先日も、あるお母さんから子どもを叱った時、「今、怒っているでしょう。怒ると叱るは違うよ。」と言われてしまったという話を聞きました。なかなか、難しいところです。
テレビでは「ごくせん」という番組が人気だったとか。悪いことは悪いこととしてきちんと言い放つ教師の姿がいいのでしょう。わたしは、口ぎたなくののしる彼女の姿には閉口してしまうのですが...。かっこよさにひかれるのもまた確かです。
しかし、実際問題としては、歴史を振り返ってみても、諫言が吉となったことはあまりありません。人から意見をされると、それが正しいとは思いつつも、うらみ・ねたみ・ひがみなどを感じてしまいやすいのも、人間なのですから困ってしまいます。人からの意見は、感情のしこりを、残さずに、さらりと受けたい。このような子どもの思いが、先ほどのお母さんへの言葉となったのでしょう。

昨日(22日)、関越道・上信越道を車で走りました。東京・長野間往復です。その時、ラジオでタレントの藤村俊二が、自分の人生の転機となったことについて話していました。大変な不始末をしてしまってお父さんに謝らなければならないけれどどうしても謝れないでいた時、お母さんが別室に藤村さんを呼んで言ったというのです。昔、こんな「どどいつ」があったよ。人の意見を 聞くときにゃ 頭を下げて 聞きなされ。そうしてみりゃあ 人の意見は 頭の上を すぎてゆく。これを聞き、意を決してお父さんの前に頭をたれた藤村さんは、かえってお父さんにほめられたとか。藤村さんは、それがきっかけで立ち直ることができたそうです。頭を下げるという藤村さんの行為が、叱ろうとするお父さんの感情をぐっと抑え、怒りではなく、かえって藤村さんのこれからを気遣う心となったのでしょう。それが、また、藤村さんの心をとらえて、改心の情となっていったのだと思います。みごとですね。お母さんが、そのきっかけを、さらりと作ったのもすばらしいことだと思いました。

人に意見を言いたい時にも、相手の向上しようとする心をとらえるアンテナを持つことができれば...、是非、そうありたいと思いました。

2005年5月25日

思い込み

ホームセンターで、「ふるい砂」と書いた砂の袋を買ってきました。趣味の日曜何とかで花壇を作るのに、モルタルでブロックを積み上げるためでした。モルタルは、セメントと砂と水を混ぜてつくるという知識は、子どものころ、近所の工事現場を見て知っていました。ホームセンターでは、セメントはすぐに見つかりました。しかし、砂がないのです。そんなばかなと思いつつ、探しまわるのですが、あるのは「ふるい砂」と書いた袋入りの砂だけです。どうして、新しい砂はないのか。悩んだあげく、あることを思い出しました。海の砂は塩分があるので、モルタルにすると鉄筋をさびつかせてしまってもろくなる。川の砂を使うのがいいのだけれど、川の砂は採取を禁止されているところが多い。それで、海の砂を採取して塩分を洗い流して使うのだと。いつ聞いたかは忘れましたが、子どもの時、工事をしているおじさんから聞いたのかもしれません。その時、思いました。そうか、だから、「古い砂」なのか。海で採取した砂を水につけて、古くすることで、海の砂は塩分が抜けて「いい砂」になる。だから、「ふるい砂」だと。そして、セメントと「ふるい砂」を買って帰ったのでした。花壇はできました。ブロック70個ぐらいを積み重ねる、力作です。後には、使い残りの「ふるい砂」が残りました。
 それからは、その袋を何度も目にすることになりました。どうも、心が落ち着かないとは、このようなことをいうのでしょう。「ふるい砂」を、どうして漢字を使って、「古い砂」と堂々と書かないのだろうか。それでは、商品価値が下がってしまうのだろうか。そういえば、知っている小学校で越智小学校というのがある。海岸の「落の浦」という集落にあるのだけれど、そこに小学校が建てられた時、名前は「落小学校」とはしないで、「越智小学校」としたという。そんなことも思い出して、これも人間の成せる技なるかなとも思い直したのでした。でも、落ち着きませんでした。
 ある時のことです。その袋の「ふるい砂」という大きな字が気になりました。「ふるい」を何と大きく堂々と書いてあるのだろう。そんなに、古いのを隠したいのか。そこまで、考えたとき、ふっと、戦りつにも似た電気が走りました。待てよ。あの、子どものころに見た、工事をしていたおじさんたちは、砂を、「ふるい」にかけていたぞ。そして、「ふるい」に残った小石を捨てていた。「ふるい」の下には、細かい質のよい砂が山盛りになっていた。そうか、「ふるい砂」の「ふるい」は、「ふるい」にかけた砂ということか。ガ〜ン。
 子どもの目は、断片的。一つひとつは、よく見て、正しく理解しているつもり。大人になると、それを整理できる機会がやってくるのですね。

 高校の時です。私は、クラスで笑い者になりました。「エツ、源頼朝が流されたのは伊豆諸島ではないの!」この私の叫び声に、みんなは、唖然。そして、次の瞬間。クラスは大爆笑に包まれました。
「だって、源頼朝は、幼い時、伊豆の蛭が小島に流されたのでしょう。伊豆の島と言えば、伊豆諸島でしょう。伊豆の大島の近くに、蛭が小島もあるのではなかったの?」
 私の訴えも、ますます、みんなの笑いを大きくするだけでした。歴史地図を見ると、確かに蛭が小島は伊豆半島の内陸にあります。「そんなあ。」私の住んでいたのは九州。伊豆の蛭が小島は、伊豆の小島であり、伊豆には七つの大きな島があるから、そのそばに小島があると、独り合点をしていたのでした。
 その疑問が解けたのは、それから、25年ぐらいが経過して、実際に、伊豆の蛭が小島を訪れた時でした。そこは、伊豆半島の真ん中の田んぼの中でした。でも、かっては大きな川が流れていて、その川の中州に島ができていたということを案内板で読んだのでした。ガ〜ン。
 子どもの時は、純粋にものを見る力を持っています。それは、いいのですが...。それが、思わぬ展開になることもあります。ま、それも、人生かな。人が生きることの証なのかもしれません。

2005年5月27日

トラワヨ

 ここ、十数年来の疑問が解けました。
 ずっと、ずっと、前のことです。「釜山港に帰れ」という歌がヒットしたことがあります。今の韓流ブーム以前のことです。確か、渥美二郎でした。曲の出だしの、地響きがするようなメロディとともに、「椿咲く春なのに〜」で始まる野太い声、それに、途中に挿入される「トラワヨ プサンハンヘ」という韓国語と思われるエキゾチックな歌詞の調子のよい響きに、心がひかれました。「でも、『トラワヨ プサンハンヘ』とはどんな意味だろうな」と、ずっと気にかかっていました。
 時は、めぐりめぐって、八洲学園大学に来ました。去年(平成16年度)のことです。大学の先生の中に、韓国からお出でになった先生がいました。厳(オム)先生です。そして、昨年の秋学期から韓国語講座を、公開講座として始めました。私も弟子入りしました。
 今日、5月27日の講座の中で、「親しみのある丁寧な言い方」がありました。動詞や形容詞の語幹に 아요(アヨ) や 어요(オヨ) を付けて、「〜ます・です」という親しい言い方を表すものでした。その例示に、오다(オダ) がありました。「来る」という意味の言葉です。오다 を「来ます」という意味にする時には、語尾の다を取って語幹の오に 아요 を付けるのですが、それが오아요(オアヨ) とはならずに、途中を省略して、와요(ワヨ) となるというのです。その時です、「ワヨ」って、どこかで記憶があるな、と思いました。この頃は年のせいか、よく記憶があやしくなるのです。その時はそのままでした。
 そして、お昼を食べていた時のことです。待てよ、「ワヨ」って、「トラワヨ プサンハンヘ」の中の、「ワヨ」ではないかいな。そう思って、インターネットを駆使し、「釜山港に帰れ」の歌詞を見つけて確かめようとしました。韓国語の歌詞はなかなか出てきません。でも、あるサイトでやっと見つけました。そこには、 돌아와요 부산항에 と書かれていました。これが、「トラワヨ プサンハンヘ」 にあたる部分です。後の方の、부산(プサン)は「釜山」のこと、항(ハン)は「港」のこと、에(エ)は「〜に」のこと、ですから、「プサンハンヘ」とは、「釜山港に」ということになります。そうすると、 돌아와요(トラワヨ) の、와요(ワヨ)の部分が「来ます」であることは、間違いないようです。でも、돌아(トラ)の部分が何だかわかりません。これは、お手上げです。そこで、厳(オム)先生の部屋をノックしました。
 先生曰く、돌아오다(トラオダ) という「帰って来る」という意味の、基本形の言葉があって、その語尾がかわり、돌아와요(トラワヨ)となったものであるとのこと。돌아오다(トラオダ)は一つの単語でした。
 これで、わかりました。「トラワヨ プサンハンヘ」とは、「帰って来ます。釜山港に。」だったのです。ただ、歌詞ですから、詩としての意訳があって、歌詞全体の流れからいうと「帰って来てください。釜山港に」になるのかなという感じがします。それとも、別れていった人が、別れの間際に「帰って来ます。釜山港に。」と言ったので、それを思い出しているのかなとも思います。

これで、十数年、知らずに使っていた言葉の意味を知ることができました。
 人は、知っていても、更に深く知ろうとはしないことの方が多いでしょう。わからなくても、わかる必要がないからです。でも、何かのきっかけでそれを知りたいと思うと、調べようとする力や、知り得た後の満足が出てきます。
 知りたいと思える状況に、自分をどのように置くか、それがこれからの課題だと思いました。 小さな夢ですが、いつか、この歌の全てを韓国語で口ずさめるようになりたい。

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