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2007年9月 アーカイブ

2007年9月21日

「自由」という名の道徳

 今回は「わたしの自由」についてのお知らせです。


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                    『人生を応援する道徳カード』より

 自由という言葉には、魅力がありますね。今までの人生で、自由という言葉に何度あこがれたことでしょう。休みの日が近づくとなぜか心が浮き浮きするのも、その一環でしょう。

 9月15日・16日・17日は、土日月と、敬老の日という国民の祝日がらみでお休みが三つ続きました。今度の土日月も、秋分の日がらみで三連休です。そして、翌々週も、土日月が体育の日がらみで三連休です。さらには、その間にある土日月も、東京都の人にとっては10月1日(月)が都民の日で祝日となり、都立高校、公立の小中学校がお休みとなります。子どもたちは三連休となります。一ヶ月の間に三連休が飛び石で3回、もしくは、連続で4回...う~ん。こうなると、休みは自由でいい、とばかりもいえなくなります。自由に価値を求めたいですね。

 わたしは、15日・16日・17日はどのようにすべきか...悩みました。そして、決めました。15日は山本周五郎の小説を読む。16日は生垣の剪定。17日は原稿。...このところ出張で忙しく、山本周五郎の小説を買ったものの読めないでいました。それから、先ごろの台風で伸び過ぎていた生垣は風をまともに受けて大揺れでした。書きたい原稿もたまっています。いずれも、自由と言いつつ、必要に迫られたものでした。これが果たして自由といえるのか、単なる、たまっていることの消化ではないのか...。そうは思ったものの、まあ、とにかく、そのようにすることにしたのでした。

 さて、その結果です。一日目。小説の題は「花莚」。何度か、涙ぐんでしまいました。理不尽な仕打ちのなかで懸命に生きようとする主人公の姿は、辛いことの中にすがすがしさを味わわせてくれました。辛いことは、人生においては、自分自身の生き方を転換させていく大きな力となる...そんなことを考えつつ、話の世界に浸っていたのでした。二日目は照りつける太陽の下で、はさみでチョッキンチョッキンと、伸び過ぎていた枝を切っていきました。最初は少しだけ切りそろえたのですが、だんだん大胆になって、鋸も登場してきて枝を切ったり、根元から引き抜いて空間をつくったり...と、作業は次々と大掛かりになりました。さらには、生垣のそばの杭にアリが食い込んでいるのを見つけました。シロアリでしょう。杭を掘り起こし、すべての杭と塀を取り替えることに...。結局、夕方になってタイムオーバー。そして、三日目もそれを続けることになり、わたしの、三連休は終わったのでした。

 自由の意味とは、何でしょう。自分でこのようなことをしたいと思うのは、必然性があるからです。したいことだ、しなければならないことだ...と。それは、見方を変えると自分に縛られていることで、自分に拘束されているとも言えるでしょう。しかし、実際に自分でそれをしていくと、その過程で楽しさや充足感を味わうのです。大変なことではあっても苦痛ではありません。
同じように、したいこと、しなければならないことを、他の人からするように指示をされたのでは、意欲は半減してしまいます。わたしの生垣の剪定も、頼まれてしたのであれば、「こんな暑い時に...」と、不満が出てきたことでしょう。

 自由は、楽しさを生み出す力を授けてくれます。

 さて、今度の三連休は、外に出かけることにしました。土曜日は、「論語を読んで教育を語る会」の例会です。月曜日は、友人を誘い、彼岸花の写真を撮りに行くことにしました。神奈川県伊勢原市の日向。その谷間の日曜日は、原稿書きに精を出すことにします。これが、明日から始まる三連休にある、「わたしの自由」です。

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