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2007年10月 アーカイブ

2007年10月 4日

「誠実」という名の道徳

今回は「わたしの誠実」についてのお知らせです。
『角川新字源』には、誠とは、「自分の言葉をかたく守ってたがえない「まこと」の意を表す」と、されています。誠実とは、「言(げん)を成(な)し、それを実(まこと)にする」という意味でしょうか。言葉は、自分の気持ちを打ち出したものです。自分の気持ちを、まずはっきりとさせる。そうすると、自分のなすべきことが自然と明らかになり、迷わずに遂行していくことができる。愚直という見方もあるけれど、それによって得られる精神的な豊かさが、その人の人間性を培っていくのでしょう。

そういえば、山本周五郎の『ちくしょう谷』の中に、次のくだりがありました。
「肝心なことは、と老人が云った。事が失敗するかしないかではなく、現に貴方がそれをなすっている、ということです。」


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8月の終わりに、近くの医院で健康診断をしてもらいました。そこで、わたしの体がとんでもないことになっていることが判明しました。血圧が155の132だというのです。しかも、体重がドカンと増加している...。そんなあ...。体中に脂肪が付き、それが血管を圧迫しているのです。これはいかん、と思いました。体の動きが鈍いわけです。これでは、早晩、体が行き着いてしまいます。

そこで、どうしたらよいかを考えました。そして、早朝30分のウォーキングをすることに決めました。朝、6時のスタートです。それを今日まで、一ヶ月続けています。

東京でも、朝の空気はおいしいことに気づきました。また、歩きながら、ねむの木の可憐な花、ハナミズキの赤い実などを見かけては、季節の移りかわりを楽しむことも覚えました。川の流れは、高ぶる気持ちを静めてくれます。自然の恵みです。

 このウォーキングは、精神的なゆとりをもたらしてくれました。半そで・半ズボン・ツッカケで始めた身なりも、長袖・長ズボン・スニーカー・野球帽で、手にはストップウォッチと、次第に本格化しつつあります。

 今朝の体重でみると、当初より4.8㎏の減量になっています。三日前、歯医者さんに行ったときに血圧を測ってもらったら、132の95でした。何よりも、すがすがしい毎日が始められるようになりました。


心が解ける

 先日、友人と彼岸花の写真を撮りにでかけました。田んぼのあぜ道に腰をかけ、おにぎりを食べ食べ、雑談をしたことで、日ごろのこわばっていた気持ちが解けていきました。その場面をつくってくれたのが、稲刈りをしている田んぼのあぜに咲いていた彼岸花でした。下の写真は、その時の一枚です。友人に感謝。


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2007年10月15日

「正義」という名の道徳

今回は、「わたしの正義」についてです。
かつて、子どものころ、正義は単純に考えていました。考える道筋を知らずとも、正義の味方...月光仮面、正しい事をやりとおす...赤胴鈴之介、というように、正義は感覚の世界で瞬時に描けるものだったのです。しかし、正義とはそのように一面的な見方で存在するものではないことを、成長するにしたがって、知っていくことになりました。自分がいくら正しいと主張しても、人はそのようには思わないこともあるのでした。正義とは、それぞれの、自分の内にあるようです。

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歩行者の信号は赤、でも、車は見えない。さて、どうする。信号が青に変わるのを待つか。それとも、赤信号でも渡ってしまうか。正しさは、身近なところでも試されています。


あれは、大学の部活動でのことでした。3年生の時、部の役員として部員たちのためによかれと思ってしたことが、現役を退いた4年生の旧役員の人たちに批判されてしまったことがありました。4年生は息巻いていて、3年生のわたしは立つ拠りどころを失い、さびしさに打ちひしがれました。そして、自分の思う「正しさ」にこだわり続けると、周りは離れて行くことを知ったのでした。部は辞めざるを得ませんでした。何が、正しいことなのかは、それぞれの経験の度合いによっても異なるように思いました。

今よりもずっと若い、小学校の教員であった頃のことです。冬休みが終わった1月の職員会議で、年配の先生が、全校の子どもたちの「お年玉」の調査をしようと提案をしたことがありました。子どもたちが、お年玉としてもらった金額を調べようというものです。年々、高額になっていく子どもたちのお年玉の金額の動向を調べ、その結果を保護者に知らせて、各家庭で、お年玉が過剰にならないように働きかけたいとの趣旨でした。それにも一理あります。しかし、わたしは、反対したのでした。お年玉を少ししかもらえなかった子ども、あるいは、全然もらえなかった子どももいるだろう、そのような子どもは、さびしい思いをしてしまうのではないか。いくら、過剰になりすぎたお年玉の弊害をなくすとはいえ、そのことによって、さびしい子どもをつくってしまったら、元も子もないではないか。だから、そのような調査は、学校でするべきではないと、主張したのでした。結局、各学級の判断で、するしないを決めるということになりました。そのお年玉調査を提案した先生は、ある団体の委員で、全県的なお年玉調査の依頼を受けていたとのことでした。何が正しいことなのかは、それぞれが背負っている職責によっても異なるように思いました。

自分の内に宿る正義を、他の人との競合のなかで、自分の人間性を磨く起点とするかどうかは、自分しだいのようです。最近、ある会合で、自分の主張が退けられた時、明智光秀の心境がわかるなあ...と、ぶっそうなことを考えてしまうことがありました。まだまだ、修行が足りないようです。

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