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2009年7月 アーカイブ

2009年7月 4日

家庭教育/道徳/子育て/ いじめ 1

先日の新聞紙上にあった、いじめについての記事が、気になっています。
文部科学省国立教育政策研究所の調査で、8割の子どもが人をいじめた経験のあることがわかった、また、同じように8割の子どもが人にいじめられた経験をもっていることがわかった、だから、問題を起こしそうにない普通の子にも注意を払いましょう、そのための教員向けの研修用資料を作った、というものでした。全ての子どもの心の中に棲んでいる「いじめ虫」を見つけ出し、徹底的に駆除するということなのでしょう。何だか、さびしい情報でした。

そもそも、いじめとは子ども時代の一過性のものなのでしょうか。そうではないですね。大人の社会でもいじめはあります。わたしも今までの人生をふり返ってみるとき、子どもの時にもいじめを受けていますが、大人になってからも、「これはいじめだ」と思える仕打ちを多々受けてきています。大人になってからのいじめの方が過激です。それは、相手が自分に理があるとの自分なりの正義感を振りかざし、堂々と向かってくるからです。受ける方は委縮するしかありません。目を広げてみると、マスコミの報道姿勢や、民族間の対立・国家間の紛争にも、いじめの本質を感じることがあります。
ということから推してみると、人が構成されているコンテンツ(内容)の一つに、「いじめる」ということがあるのではないか、そんな気がするのです。そして、だとすると、いじめの行為だけを悪者にしても事は進まないのではないか、人間の本質をとらえた大きな視野をもって対応することが必要ではないか、との思いもしてくるのです。

そう思っていたとき、ある師から、思いもかけない話をしていただきました。
人は生きものである、生きものが滅びずにこの世に存在しているのは種の保存という原則にかなうことができたからである、そこに生きものとしての本質がある。それが失われたとき、生きものは絶滅するしかない、生命の歴史はそれを教えてくれている、人もそのような生きものの一つにしか過ぎない、というような話でした。何だか、荒唐無稽のような気もしたのですが、続いて、鮎の話をしていただいたとき、腑に落ちるものがありました。 (後は、次回に...)

2009年7月 9日

家庭教育/道徳/子育て/ いじめ 2

(前回からの続き...)鮎は川の中で、自分の縄張りをもっていて、その縄張りの中に他の鮎が入り込むと、体当たりで攻撃を加え、他の鮎を追い出します。鮎は、川底の石についたコケを食べるので、コケの生えた石のある自分の縄張りを守ることが自分の命を支えることになるのでしょう。そうやって、自分の縄張りを守ることができた鮎のみが子孫を残していくことができます。どうやら、そのように自分を守るために他を攻撃して排除するということは、生きものの基本にあるようです。生きるために必要な行動がプログラム化され、生命体にはそのプログラムのスイッチを入れる意思が潜在しているともいえるのではないでしょうか。

 わたしは、かつて、小学一年生の学級担任をしたことがありました。そこでのことを思い出してみると気づくことがあります。子どもの攻撃精神、排他精神にはすごいものがありました。わがままを押しとおす、人をたたく、人に文句を言う。参ってしまいました。何が、子どもたちに、このようなことをさせているのか考えこんでしまいましたが、それは、多くの子どもたちの中で生活するようになった子どもが、自分の中にプログラム化されていた生きるために必要な行動を取るスイッチを入れたのだと考えることができます。わがままを押し通すのは欲をもっているからであり、人をたたくのは怒りを感じるからであり、人に文句を言うのは人に嫉妬の感情をもつからです。しかし、これは、人が、生きものであることを、証明していることでもあります。見方を変えてみると、それらがなかったら、人の種の保存は行われなかったのです。欲があるから食べ物を食べる意欲が生まれて元気をつくり出すことができます。怒りがあるから攻撃をされたと思うと発奮して自分を守ることができます。嫉妬心を抱くからその人には負けない自分にしようとして向上心も生まれます。

 そういえば、ずっと以前のことになりますが、テニスでよく知られている、あるプロの選手がテレビの番組で言っていました。「テニスは、意地悪なスポーツですよ。」最初は、ドキッとしたのですが、聞いているうちになるほどと思ったのでした。テニスは相手のコートにボールを打ち込みますが、そのボールは、できるだけ相手のいやがるところ、相手が打ち返しにくいところに、打ち込むようにします。そうですね、自分に都合のいいボールとは、相手にとっては、いやなボールなのです。そのように、相手にいやなことをし続けるのがテニス、だから、「意地悪なスポーツ」と言うのですが、そう言っているときの顔は、晴れやかな顔で、一点の曇りもない、おだやかな表情でした。相手に意地悪なボールを打つ、また、相手から意地悪なボールを打たれる、しかし、それが、すがすがしさへつながるのです。ここに、人間のすばらしさを感じました。ここには、他の動物の追随を許さない、人間としての生き方があります。

 いじめの問題を考えるとき、生きものとしての部分を否定するのではなく、生きものの部分をもとにして、さらにはそれを越える人間として生きる部分をどのようにつくっていくことができるのかを考えることが必要なのだと思います。

 先日、神奈川県南足柄市で、「いじめをなくす子どもフォーラム」が開かれました。集まった子どもたちは、いじめをなくすことについて、考えていることや取り組んでいることを発表しました。発表している子どもたちの表情がとてもよかったです。そして、子どもたちの発表の後、子どもたちに話をする機会を与えていただきました。そこで話した内容を次回に紹介します。(次回に続く)

2009年7月13日

家庭教育>道徳>子育て> いじめ 3

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さて、前回からの続きですが、神奈川県南足柄市では「いじめをなくす子どもフォーラム」が開かれました。子どもたちの、具体的な取り組みをもとにした発表はとても素晴らしかったです。発表する声に張りがあり、自分たちのしていることへの自信を感じました。
 さて、その発表の後、わたしが話すことになりました。
 子どもたちの発表を聞いていて、思い出すことがありました。それは、「言う」ということの意味です。まずは、そのことから話し始めました。
「言う」ということは、実は、心に大きなハタラキかけをしているのです。「言」という言葉を見てみましょう。上部は「心」という文字を横にしたもので、下部は「口」という文字でできています。「言」とは、心を口から外に出すことです。心の中ではいろいろな考えが渦巻いています。それを、外に出すことで、はっきりとした形にすることができるのです。子どもたちは、いじめが起きないように...「あいさつをよくするようにしています」「名前を呼び捨てにしないで『さん』をつけるようにしています」「異学年で遊ぶ活動を行っています」「ポスターを作って貼っています」「カウンセラーの人と話し合いをしています」...と言っていました。これらを言ったことで、心をはっきりとした形にすることができたのです。言うことは、発表する人が自分の心を形にして示し、聞く人たちが、その言葉を心の中に入れて、共感させることになるのです。みんなでいい空間をつくり出したのでした。いじめをなくすには、一人ひとりが自分の意思を言葉ではっきり言うことが必要です。それが見事にできていました。(続きは、次回に。)

2009年7月16日

家庭教育>道徳>子育て> いじめ 4


asagao.JPG暑い日が続きます。早朝に起きて添削を始めました。しばらくすると、新聞配達の人がバイクの排気音を響かせて通り過ぎて行きました。迷惑だな、そう思った途端、思考回路が切れました。外に出てみると、アサガオが迎えてくれました。
(アサガオのいい顔をパチリ)
 さて、前回の、「いじめをなくす子どもフォーラム」での話の続きです。
 子どもたちは、いじめをなくしたいと、声を大にして発表していました。特に、「いじめをふりはらう力を出したい」という言葉に胸を打たれました。
 そして、それは、「言う」という行為によって、もう、出ていると感じました。では、その力は、どこから出ているのでしょうか。自分の中からですね。では、では、自分の中の何がその力を生み出すのでしょうか。それが、よりよく生きようとする、「生きる力」です。しかし、いったい、生きる力とは何でしょう。何だかわかるようで、今一つつかみどころがありません。もう少しわかると行動へのはずみもつきそうです。そこで、アサガオで、生きる力を考え、それを人に当てはめてみることにしましょう。アサガオも人も、生きものということでは同じなのです。

 アサガオは5月に種をまきます。土の表面から1センチメートルぐらいの深さの穴を指であけ、種を入れて土をかぶせるのです。そして、毎日、水をあげます。一週間ほどで、芽を出します。アサガオの種は生きています。種は固い殻に覆われているのにそれを割って、双葉を出します。まさに、生きる力のなせるわざです。しかし、もっと注目したいところは、種の場所です。種は、地下1センチメートル程のところに埋めました。では、芽を出したとき、種はどこにあるのでしょうか。地下1センチメートルのところにそのまま居て、その場所で種を割って双葉を出すのでしょうか。...ではないですね。柔らかい双葉は1センチメートルもの厚さの土を割って出ていくことはできません。...土の中では、いったい何が起きているのでしょう。実は、アサガオは、いうなれば、たくましく生きる力を出しているのです。その力を具えたもののみが種の保存という命題に応えることができて、今に至っているのです。それはどのような仕組みでしょうか。それを理解することにより、人も、いじめをふりはらう、生きる力を出す希望をもつことができるのではないか、と考えられるのです。さて、土の中では何が起きているのでしょう。(以下、続く。)

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