家庭教育>道徳>子育て> いじめ 5
昔話『さるかにがっせん』では、かには、柿の木にのぼって柿を食べているさるに向かって、「ぼくにも柿を取ってください。」と頼みます。でも、さるは聞き入れてくれません。「わたしが育てた柿だよ。わたしの柿だよ。」というかにの主張は、もっともな主張で、理のあるところです。でも、その主張はさるの心を動かすことはできませんでした。それどころか、かえってさるの心を意固地にさせ、「生意気だ」とかにに青い柿をぶつけるようにさせたのです。
かには悪くはありません。しかし、さるがそのような行動に走ったのは、かにに足りないところがあったからだと、考えることができます。かににとって、さるは、柿のタネを運んできてくれた大切な人であったはずです。柿の木を育てる楽しみを与えてくれた人なのです。育てた柿の実をさるにひとりじめされて、くやしい思いはあるでしょう。しかし、「水に流す」という言葉があります。くやしさを流れる水に放すことができたら、どれほど心地よいことでしょう。そして、さるに向かって、「柿のタネをありがとう。おかげで、柿の木を育てる楽しさを味わうことができたよ。お礼に、どうぞ、柿の実を召し上がれ」という言葉をかけられる心の余裕ができることでしょう。それによって、さるの心も変わっていくのです。
わたしのことで、ずっと、ずっと、追憶の彼方にある思い出があります。あれは、小学校3年生のときの、遠足の帰り道でのことでした。帰る道は、近所の子どもたちがまとまって帰ることになります。その帰り道で、わたしは同級生の子から泣かされました。理由は何だったのか記憶がありません。ただ、そのときの同級生の怖い顔と、くやしくて泣いているわたしが強く印象に残っています。そして、わたしの家への分かれ道に来ました。そこから家まで50メートルはあったでしょうか、わたしは家への道を泣きながら一人で歩きました。遠足の日というのに、何というさびしい展開でしょう。ますます、泣き声は高まったように記憶しています。ところが、家の前で、足が止まりました。何だか、そのままではいけないような気がしたのです。見られているような気がして、みんなと別れた道のところをふり返りました。すると、わたしを泣かした子が、まだそこにいて、じっとこちらを見ていました。わたしは、泣くのをやめて、家の裏口にまわりました。その子を見ると、その子も安心したように帰って行くところでした。わたしは、涙をふいて、何事もなかったかのように家に帰ったのでした。
今から、50年以上も前のことです。いじめということを考えるとき、なぜだか、そのことが脳裏に浮かんでくるのです。そして、あのとき、どうして、泣きながら家には入らなかったのか、自分を制していたものは何だったのかを考えてみるのです。
その子は快活な子で、お兄さんがいることなどから生活経験も豊富で行動力もありました。内気であったわたしは、その子のようになれたらというあこがれももっていました。その子への配慮は、わたし自身のためでもあったのでしょう。その子と一緒に遊んでいると、自分の枠を超えるものを感じることができていました。家に泣きながら入らないことで、それを無にはしたくないという意思表示をしたかったのではないかと思うのです。
人は、それぞれに、自分があり、一分をもっています。それによって、怒りを感じ、欲を張り、嫉妬の思いをもちます。それらを、流れる水に流すかのように放すことができるとき、いじめの連鎖から抜け出すことができるように思います。
上記の写真は、心を鎮めるための作品(制作途中)です。江戸時代の儒学者中江藤樹は、自分の心に迷い・悲しみ・怒りの心が生じた時には庭に置いた石に静かに水をかけ、 自分の心を正していました。その石に代わるものを、陶器で作れないかと考えました。ドンブリ鉢のようですが、底は平らにしています。この鉢の中に、水の流れるオブジェをつくり、据えようと考えています。名付けて「怒滅却器」。周りの人が、面白がってくれています。

家族に起きた「いい話」のエッセー集、『家族生き生きエッセー5』を、専用ホームページにUPしましたので、どうぞ、下記の⇒の先をクリックして、ごらんください。今回で5回目になります。
子どもたちの目線がとてもすばらしいです。生きることへのエネルギーが、たくさん湧いてきます。
その『家族生き生きエッセ―5』の表紙を飾る写真を探していて、カメラの中に、今年の5月に撮った写真があることに気づきました。その一枚がこの写真です。足利市にある、大藤を見に出かけたときのものです。堂々とした藤の生き方に、生きるエネルギーを感じました。聞くところによると、この大藤、以前は市街地にあったそうですが、多くの人々の力を得て、自然豊かなこの地に引っ越してきたとのこと。さぞ、難事業であったことでしょう。大藤は人々の願いを受け、見事に根づきました。大藤の、世代を重ねて生きる姿は、見る人々に、生きることの何たるかを投げかけてくれます。
いにしえの人たちは、「世代」という期間を「三十年」と考えました。10で「十」、20で「廿」、三十で「世」です。人が家族をつくりあげることも、三十年はかかります。大変なようにもありますが、大藤を見るとき、前の世代に生きてきた人々の命の営みを引き継いで行く貴重な日々でもあることを考えさせられます。大藤は、人生の水先案内人のようでもありました。
さて、家族生き生きエッセーの表紙には、この大藤を守っているかのように、その場所の入り口に咲いていた花の写真を用いることにしました。以下のホームページにあります。どうぞ、訪れてください。そして、家族と共に生きることのすばらしさを味わってください。
クリック⇒ 家族生き生きエッセー5
小学生の子どもさんがいる家庭では、夏休みの自由研究に取り組んでいるところもあるでしょう。自由研究...。うれしいような、困ったような...。「自由」とは、複雑な心の動きを起こします。自由というと、束縛から解放され、それによって楽しさが生じることをイメージします。しかし、研究という束縛から解放されるのが自由だとすると、それでは研究そのものがなくなってしまいます。自由とは何でしょう。どのような状態を自由といえばよいのでしょう。
自由とは、漢字の並びからして、自分の心に由ると考えられます。心のままに...ということでしょう。しかし、この、心のままにということが、難解です。
昨日まで、富士五湖の一つ、山中湖のほとりにある、とある研修所で、二泊三日の研修会がありました。昨日の最終日の朝食は八時に終わり、研修は九時から始まるということでした。一時間の休憩時間があります。ところが、その休憩時間に同室の人が富士山の写真を撮りに出かけるというのです。彼はこの時間帯に富士山の撮影をしたいという自由意志を働かせています。わたしは、前夜遅くまでのミーティングの疲れが残っていてボーッとしていたかったのですが、その生き生きしている姿に自分の気だるさを言うわけにもいかずに、しぶしぶ一緒に行くことにしました。そのときの、わたしの心は、しぶしぶです。
ところが、富士山の見える場所に着いて、その人がいそいそと三脚を設定し、カメラをのぞいている姿を見ているうちに、心が変わってきました。その写真を撮っている姿を、写真に撮りたくなったのです。携帯電話に付いているカメラですから限界があります。しかし、何とか挑戦してみたいと、富士山らしさの見える場所を歩きまわりました。そして、近景に月見草、中景に山中湖、遠景に富士山の構図を見つけ、そして、その中に彼の姿を収めて、パチリ。この瞬間、わたしの心は、満ち足りた思いになっていました。自分の心を表現することができて、自由であることの心地よさを感じています。彼が、写真を撮りに行くと言わなければ、至ることができなかった心境でした。
自由ということは、心のままにということですが、その、心のままにということは、「怠惰な気持ち」に従っていたのでは、自由が本来意図している自身の心の高まりに到達することはできないのです。自分を高めた楽しさに気づくことが自由のよさなのでしょう。子どもの自由研究には、それを知る道が用意されている...。
目の前の雄大な富士山が、心を押し広げてくれたのでした。
昨日の夕方、横浜駅への道をたどっていると、花屋さんの店先に秋を見ました。「窓」から出る光を浴びて輝く穂はまさに秋、神代植物公園のパンパグラスを思わせてくれました。立ち止まって見とれているうちに、いつの間にかあたりは暗くなっていました。一日の終わりです。家に向かって歩き出しました。
人は、朝、家を出て、夜、家に帰ります。時には、朝にはなかった暗い思いを家に持ち帰ることにもなります。それは、子どもも同じです。憂うつな気持ちで家に帰って来る子どももいることでしょう。しかし、家の前に立ち、「窓」の明かりを目にすると、心は落ち着くはずです。そのとき、「ただいま」「お帰りなさい」という会話で生産されていく家族との生活に、いっそうの価値が出てくるのです。
窓とは何でしょう。窓は壁に穴をあけたものです。当り前のことですが、ふと心を遊ばせてみると、面白いことに気づきます。「窓」という漢字には「心」という漢字が付いています。「窓」にはどうして、「心」がある...。
古代中国の老子という人は、窓を「無用の用」という考え方を説明するために用いました。用とは「はたらき」という意味で、その意味をつかって「作用」という言葉もあります。ものには、はたらきのないはたらきがある...その例に窓がある...なんだなんだ、です。
家を建てるとき壁をつくります。しかし、壁には穴をあけて窓にします。窓は壁を無しにするのです。そのことが、壁のはたらきをよくしていることになります。壁の中にうがたれた窓は、はたらきがないようにあって、大きなはたらきをしている...。
そのことは「心」の在り方にもいえます。かたくなになって壁をめぐらせている心には、具体的な悩みを聞き、解決策を示してあげることが本人のためになるはたらきのようです。しかし、解決策がないから悩みなのです。そのようなとき、「お帰りなさい」の一言、そして手作りの夕食が、沈んだ心に風穴をあけることでしょう。その窓から明るさが入ります。窓は違う世界を呼び込むのです。
家に帰り着いてみると、焼きナス、タコのカルパッチョ、厚揚げの煮しめ...。心は別世界に入りました。そこには、外での憂うつなことも、水に流していく何かがありました。
鴨長明いわく、「行く川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。」...そうですね。水は絶えず流れていくのです。
生きていると、日々、子どものこと、学校のこと、友達のこと、職場のこと、いろいろなことで悩みは湧いてきます。それはいつの間にか壁のようにもなるでしょう。しかし、そのような憂うつなことも、心に風穴をあけて「窓」を築くことで水に流れ、心は安定していくのではないでしょうか。だからかな、窓という漢字に「心」があるのは。...確かめるすべはありません。
田んぼの畦に立ちました。田んぼには稲穂が実っていました。秋です。遠くから、「オーシ、ツクツクオーシ」というセミの声が聞こえていました。子どものころは、このセミの鳴き声を耳にすると、夏休みが終わるさびしさに覆われたものでした。
稲穂が実る田んぼの風景は、これぞ日本です。日本のことを、そのむかし、瑞穂の国といいました。瑞穂の国には、米がよく実る、めでたいという意味が込められています。
田んぼの上には2匹のつながったトンボが飛んでいて、電柱を支えているワイヤーに止まりました。のどかでした。むかし、トンボのことを秋津といいました。で、日本のことを、秋津島ともいいました。なんでも日本神話によれば、神武天皇が国土を上から見てみると、国の形が2匹のトンボがつながっている形に見えたので、そのように言ったというのです。そういわれて本州の形を改めて思い描いてみると、東北地方が頭で関東地方が尾、中国地方が頭で関東地方が尾、そして、2匹は関東地方でつながっています。なるほど、です。しかし、それはいいのですが、人工衛星のない時代、どうしてそのように本州全体を見ることができたのでしょう。ま、それはそれとして...。
今から数十年前の中国でのことです。秋、このように豊かに実った稲穂を前にした人々は考えました。やがて、スズメが飛んで来て稲穂を食べます。それで、スズメを退治することにしました。スズメは夜、竹藪に集まって寝ます。そこで、その竹藪に網を仕掛け、それこそ一網打尽にスズメを退治したのでした。ところが、次の年は凶作になったというのです。調べてみるとわかったことがありました。スズメは稲穂の米をついばみます。でも、稲が成長する過程においては、稲に付く虫や田んぼの雑草の種をたくさん食べていたのでした。田んぼに豊かに実った稲穂は、スズメのお手伝いがあったからなのです。豊かさは、思いもかけないものによって裏打ちをされている、だから豊かであるのかもしれません。
わたしたちも、思いもかけないできごとによって裏打ちをされているので今がある...ということがあるのではないでしょうか。
わたしは、子どものころ、竹職人さんのする仕事をよく見ていました。職人さんは、長い竹を器用にパカパカと、リズミカルに細く割っていきます。そして、細く割った竹の皮をシュッシュッと、きれいにはがしていくのです。さらには、その竹で輪を編みあげます。木の板をまるく囲い、そのまわりにその輪をはめると、水漏れのしない桶のできあがりです。見事でした。その輪を「たが」というのだと教えてもらいました。
わたしはやがて教員となり、運動会をすることになりました。そのとき、運動会の目玉、大玉ころがしの大玉を自分で作りたくなりました。そして、竹を切り、竹を割り、竹を編みあげ、紙と布を貼って、その大玉ができたのです。そのとき、子どものとき見た竹職人さんの技を思い出し、生かしたのはいうまでもありません。
今、子どもが見ていること、していることが、自分の人生を豊かにしていくことにつながります。豊かな心とは、それを可能にする心だと思います。たくさんのことが、心を支えていきます。この夏休みに、その仕込みがありました。それが未来に続きます。夏休みの成果は、宿題だけではありませんでした。