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生きる アーカイブ

2005年6月29日

校風

6月23日、名古屋市のある小学校の6年生に、道徳の授業をしました。小学校の職を辞しても、時おり、道徳の授業の様子をしてほしいという依頼がきます。テーマは、先方の学校の教育課程に盛り込まれている「愛校心」といわれるものでした。

愛校心...何となくわかる内容です。学習指導要領には、「先生や学校の人々への敬愛を深め,みんなで協力し合いよりよい校風をつくる。」と、示されています。それは、心のスタイルを形容したものです。道徳の授業では、子どもたちが、その心のスタイルを生み出すものを見出し、そこに価値を感じていくことになります。
 
さて、ここに、校風という言葉が出てきます。「...風」という言葉は、あいまいさの中に何かを感じさせる言い方です。もう少し、平たく言うと、「...らしさ」という言い方になるでしょう。
この頃は、この、「...らしさ」という言葉が危機にさらされています。「男らしさ」、「女らしさ」という言い方が差別を助長し、限定的な示威を示すかのように扱われるということからでしょう。しかし、そのように、否定的にものをみるばかりでなく、肯定的・発展的に考えると、「らしさ」という言葉は個性を引き出すきっかけを与えてくれる貴重な言葉になると思います。「あなたらしさ」、「子どもらしさ」、「父親らしさ」、「母親らしさ」、「先生らしさ」。「らしさ」という言い方は、そのもののもつ本質をにじみ出させてくれるようです。

「...風」という言い方も、それと同じようなところがあります。「和風」「洋風」という言葉は、何かを感じさせてくれます。
和風は、箸、畳、障子などの物で、日本を感じさせてくれます。
洋風は、フォーク、椅子などの物で、アメリカやイギリスなどの国を感じさせてくれます。
 では、校風とはどのようなものを感じさせてくれるのでしょう。

私には、懐かしい曲があります。それは、小学校での下校の時、スピーカから大音量で流れてきた曲です。私の小学校は、大分県の山の中にありました。3キロの山道を歩いて通っていました。一日の勉強を終えて帰る3キロの山道は、大変な苦行の場でした。それを打ち払うかのように、ゆったりした旋律で、あたりの山々に吸い込まれていくその曲に、何だか知らず知らずのうちに元気も出てくるようでした。校門を出ても、しばらくは杉木立の向こうから音楽が聞こえていました。「元気に帰るんだよ。」と、学校が見送ってくれているようでした。その曲が、「アニー・ローリー」という曲で、流してくれたのが放送委員会の人たちであることを知ったのは高学年になって、自分たちもそのような活動をするようになってからでした。

やがて、私は30代になってから故郷を離れることになりました。東京での生活が20年になろうとしています。30代といえば、仕事仲間や幾多の知人ができあがる時期です。その人たちと別れての孤独の中の再スタートでした。案の定、つらさやさびしさに覆われることも、再々でした。

ところが、そのような時、心にふっとメロディが浮かんでくるのでした。「...とこしえまで 心かえじ 誓(ちか)いしアニーローリー わがいのちよ」<堀内敬三訳詞> かつて、杉木立の向こうから聞こえて来た、「アニー・ローリー」が、20年・30年という時空を超えて、心によみがえってくるのです。それを、共に聞いた仲間は、今はそばにはだれもいません。でも、故郷に、そして、日本のあちらこちらに、この曲を思い出すことのできる人たちがいると思うと、心強くなり、よし明日から...と、意を新たにしたものでした。

学校では勉強をします。しかし、その学習活動を通しても、何かを学んでいくのです。学校の「学」は「学ぶこと」。学校の「校」は「木へん」に「交」と書きます。「交」は「交差点」のことです。教える人の道と、教えられる人の道とが交差している交差点です。それが木でできた柵の中にあるというのです。教える人は先生だけではありません。先輩のしてきたよいことは誇りです。先輩の教えを引き継ぎます。それが伝統となります。上級生が下級生へ伝えようとします。それが下級生には教えとなります。学校ではそのような人生の道の交差点の通り方を学ぶのです。だから、学校には価値があるのです。

校風はその具現化されたものでしょう。校風という、その学校らしさを知らせる風は、いろいろなところに吹いて、その学校の一員である自覚を促します。私の心に浮かんだアニ―・ローリーは、私の母校の校風であったのです。
校風という風は、故郷を遠く離れていても、20年・30年たっていても、心に吹いてくるものなのです。

以上のような趣旨をこめた授業を、子どもたちに展開しました。
子どもたちが、現在つくりだしている校風が、20年後・30年後、自らに向かって吹いてくることでしょう。その時の交差点では、子どものときの自分に教えてもらうことになるでしょう。その時、校風は、生きようとする力をグッと力強く支えてくれます。

2005年7月10日

七夕の短冊

七夕の日が過ぎて、数日がたちました。我が家には、まだ七夕の短冊が飾ってあります。植木鉢に植えた竹に、短冊を下げたものです。

「若竹の伸びゆくごとく子ども等よ。真直ぐにのばせ身をたましひを。」
これは若山牧水の歌ですが、この歌に事寄せ、昨年の秋、それまでの私を支えてくれた小学生の笑顔を思い出し、その行く末を願って竹の鉢植えを買って来たのでした。最初は屋上のバルコニーに置いていました。青空に向かって、すくすくと伸びる様を期待してのことです。しかし、冬に吹く関東のからっ風はすさまじく、この植木鉢を何度も横倒しにしてしまいました。そこで、玄関の入り口に移動しました。それが、この早春のことです。以来、竹は居心地がよくなったのでしょう。地中から新たな芽を次々と出して伸びるようになりました。その若々しい笹を見ていて、この笹に七夕の短冊を下げたくなったのです。7月7日に下げたその短冊は、期日を過ぎた今日も風に揺られています。それを見た通りがかりの人は、後片付けにルーズだと思うでしょうか。それとも、何かの思いを抱いてくれるでしょうか。

今から10年程前のことです。私は国立大学附属小学校の教員をしていたのですが、週に一日、大学へも非常勤講師として出かけることになりました。これは大変なことになったと気付いたのは、新学期が始まってからでした。最初は気概に燃えていた意志も次第に消沈し、自分の不甲斐なさを痛感することになりました。それまでの自分の考えは、他の人の考えたことを「なぞる」ことでしかなかったのです。しかも、自分の信念を持ち得ずに。大学生に話すことによって、そのことに初めて気がついたのでした。これにはマイリマシタ。勉強すればするほど自分のあるべき姿とかけ離れていくようで、心に落ち着きがなくなりました。小学生とのかかわりも何だかあたふたとしたものになってしまって、子どもと接することに喜びを感じなくなってしまいました。しかし、時は猶予を与えてくれません。毎週、カリキュラムを履行していくことになります。そのようにして、5月、6月と、時は過ぎていきました。

大学で講義をする教室は、とある校舎の4階にありました。その校舎の2階は、隣接する校舎の2階と連絡通路で結ばれていました。通路の先は広い屋上テラスにつながり、そこからは階段で下に下りられるようになっています。教室へ行くのには遠回りになりますが、いつのころからか、その屋上テラスを通って教室に行くようになりました。時おり、屋上テラスで課外活動をしている学生のひたむきな姿が、寒々しい私の心にホッとする空間を与えてくれたからでした。裏を返せば、直接には教室に行けないようになっていたのです。不登校になる手前だったのでしょう。

その屋上テラスの一角に、竹が植わっているコーナーがありました。2・3畳の広さです。2階の高さにありますから風があります。いつも、竹林の笹は風に揺れていました。ある時、その揺れている笹の間に異様な物を発見しました。橙色です。よく見ると短冊でした。一瞬、何のことかと思いましたが、7月になっていることに気づきました。誰かが、七夕様への願いを短冊に書いて下げたに違いありません。ふっと、こわばっていた心が溶け出したような安堵感に浸りました。短冊を下げたのは誰なのでしょう。どうして下げる気持ちになったのでしょう。しかも、一枚だけを...。郷里を遠く離れた新入生が望郷の念に駆られたのでしょうか。就職に思いをめぐらす学生が将来への希望を託したのでしょうか。部活にいそしむ学生が対外試合への必勝を祈願したのでしょうか。いずれにせよ、たった一枚だけ、短冊に願いを書いて七夕の星空に思いをかけた大学生がいたのです。「素直だな」と思いました。

それから、一週間がたっても、二週間がたっても、夏休みが終わっても、その短冊はあったのです。大学に行くたびに、一枚の橙色の短冊は、何事もなかったかのように竹に下がっていました。その屋上テラスは多くの人が行き交う場所です。そこを通る人や、そこで部活や集いをする人の目にも入っているはずです。だれかがそれを取り外せばそれっきりです。しかし、そうはなりませんでした。これは偶然でしょうか。いや、そうではないでしょう。きっと、この短冊を見かけた多くの人が、星に願いごとをすることを貴いこととして支え続けていたからに違いありません。

私も、この短冊を下げた人のことを想像しているうちに、心の迷いが取れていきました。素直になろうと思ったのです。いくら、自分を飾り立てても、地につながっていなければわずらわしさを生むだけで、落ち着いて前を見ることすらできない。今まで自分が備えてきた感覚や感性を大切にし、それでもって自分の考えを積み重ねていけばよいのではないか。教師という高見に上ってものごとを考えようとするのではなく、小学生や大学生の生き方にかかわれることに意義を感じる自分があれば、自分の道はおのずと定まっていくであろう。そう考えると、大学の教室への足取りも軽くなり、小学生の笑顔にはまぶしさも感じられるようになっていました。

私は、あの橙色の、一枚の短冊に救われました。短冊は翌年の2月まではあったと記憶しています。その後、春休みになり、翌年の4月からは講義をする教室が離れたところに変わりましたので、その屋上テラスを通ることはなくなりました。しかし、私にとっては、人生のメモリアル・ポイントとしていつまでも記憶の中にあります。

それで、今度は自分で短冊を下げました。
十余年前、ある大学の構内に一枚の短冊を下げてくれた見ず知らずの学生と、それを支えてくれた多くの人々に感謝して。
この短冊は7月7日だけのものではありません。世の中にある、人と人とのつながりの価値を引き継ぐものです。

2005年10月 6日

カンキリ

先日、我が家の朝食に缶詰のミカンが出ました。その空き缶がテーブルの端に見えました。食事が終わった後、何だかその空き缶が気になってずっと見ていました。何だか、気になったのです。

このごろ、そういうことがよくあります。無意識が何かを感じて、意識に気づくようにせついているのでしょうか。しかし、この日本語はおかしいですね。無意識は意識が無いから無意識のはずです。何も感じるはずは無いでしょう。しかし、何かのシグナルを感じるのです。心の動きは複雑です。仏教では、無意識の底にアラヤシキという意識があるとか。これはよくわからないので、ま、第六感としておきましょう。いやいや、人には、歳のせいだと言われるかもしれません。とにかく、ミカンの缶詰の空き缶がずっと気になってしかたがなかったのです。

何だか違和感がある、この違和感はどこからくるのか...と思い続けているうちに、はたと気がつきました。開けて立ててある缶詰のふたのふちがギザギザになって、ヒマワリのようにこちらを向いているのです。久しぶりに、そのような缶詰のふたを見ました。このごろの缶詰のふたには取っ手がついていて、それを引き起こして力強く引くとパッカンとふたの全部がとれるのです。このミカンの缶詰はそうではなく、旧来の仕様で、カンキリで開けるものでした。それが、めずらしくて、しかも、なつかしくて、気を引いていたのでした。

そういえば、子どものころ、食事の準備の時にカンキリで缶詰を開ける手伝いをしていました。これが、簡単そうで、むずかしいのです。理科の実験に出てくる、力点、支点、作用点をつかった「てこ」の応用です。缶詰のふちに支点となる部分をひっかけ、力点となる握りの部分をしっかりと逆手に握り、作用点となる刃先を缶詰のふたのふちにめり込ませます。それを、ギコギコと進ませていくのにはコツがいって、あまり力のない子どもにとってはなかなかむずかしいものでした。しかも、カンキリにはいろいろなタイプがありました。それぞれに、支点のかけ方、力点のかけ方が違います。けがもしましたが、それらを、なんとか、使いこなしていました。

近年のカンキリが無くても開けられるパッカンの缶詰(この言い方は我が家独特の言い方)は便利です。簡単です。しかし、これによって、子どもたちはカンキリの使い方をトレーニングする機会を失ったことになります。今の若者はカンキリで缶詰を開けられないのではないかと、朝の話題は進んでいきました。

子どもが生卵をうまく割れなくなった、リンゴの皮むきがうまくできなくなったと指摘されたのは20年ほど前です。現代では、ますます、家事の方法が子どもへ伝わらなくなってきています。掃除をするにも、家では便利な化学雑巾やモップ、電気掃除機が普通です。そのままですと、ほうきの掃き方、雑巾の洗い方・しぼり方・ふき方を教える機会はありません。機会をつくり、きちんと教えておくことが必要です。それは、親こそが子どもの師匠になってできることです。それも、小学生まででしょう。中学生になると部活等が忙しく、それどころではなくなってしまいます。

そんなことを考えていたその日の夜、息子がお土産を買って来てくれました。これまた、めずらしいことです。袋から出てきたものは、「脳を鍛える大人のDSトレーニング」というゲームでした。計算問題や図形の問題などをすばやく解いていくものです。年をとって世の中や若者のことをぼやくばかりでなく、自らの脳を現代に合わせて鍛えなさいとのメッセージでしょうか。そのゲームに、一時間ほど熱中しました。心地よい疲労感でした。うっちゃりでしてやられましたか。

2005年11月 2日

文化の日

11月3日は、文化の日です。5年前の2000年11月3日、私はこの日を特別な日にしました。パソコンに本格的に触ってみようと思い立ったのです。その年の3月にノートパソコンは貸与されていました。でも、なかなか、使用する踏ん切りがついていなかったのです。

思えば、小学校教師になり立てのころは、文章はガリ版の上に鉄筆で書いていました。そして、時代は過ぎ、和文タイプライターで文章をつくるようになりました。さらに、葉書大の画面で文章をつくれるワープロを使う時代となりました。そのうち、画面は大きくなり、格段に使いやすいワープロを使うことができるようになりました。しかし、これらの、文明の進歩に遭遇するたびに、その機器に慣れるのが、ひと苦労でした。それで、入力の方法は、和文タイプライターを使用していたころのままを踏襲して、かな入力でした。

しかし、2000年になったという節目の年、そして、文化の日という意味づけられた日に、今までの自分の殻を破って、自分を時代の文化の中に漂わせようと、パソコンに向かうことに決めたのでした。しかも、20年来のかな入力をローマ字入力に変えてです。

2000年11月3日、私は研究室で、ノートパソコンに向かいました。依頼されていた、800字程度の原稿を、Wordで書くことに取り組んだのです。それまでの、ワープロでしたら、1時間もかからなかったでしょう。それが、8時間ほどかかりました。できたのが、次の原稿です。私にとっては、文化的な再出発になりました。

【私が子どもの時、小学校へ通う道の途中に、石切り場があった。岩山から、石を切り出していたのである。岩山のゴツゴツした岩がきちんとした四角形の石となって切り出されるのが不思議で、学校の帰りには、そこで働いているおじさんたちの様子を見ていた。道具は、ゲンノウ、鉄でできたノミ、そして、長い鉄の棒や、クサビという棒の先を三角にしたものだけである。それだけで、あのかたい岩が形を変えていくのである。まるで、ノコギリで木を切るように。

おじさんたちに話を聞いてみると、石には「すじ目」があるのだという。そのすじ目にそってノミを当ててゲンノウでたたくと石はまっすぐに割れる。おじさんはそう言って、石を割って見せてくれた。石は見事にまっすぐに割れた。どの石を見ても、私の目には、すじ目といわれるものは見えない。ところが、おじさんには、どこにすじ目が入っているかが見える。まさに、達人であった。 先日、江戸城の巨大な石垣を見ていて、あのおじさんたちのことを思い出した。この石も人が人の力でどこかの山の中から切り出して来たのである。見事な四角形にカットされていた。

かつて、人はエジプトの時代から岩を四角に切り出すことができていた。そして、それが文化として、世の土台を支えていた。今は、パソコンによる技術革新・情報管理で、そのようなことは問題にもならない。文化はすさまじい勢いで発展している。しかし、気にはなる。岩を四角に切り出すことができる人間と、パソコンを駆使して瞬時に情報を操れる人間と、どちらが豊かな生き方をしているといえるかと。

人の豊かに生きることが何たるかを問い続けるのが、21世紀なのだろう。2000年は、かくして11月を向かえ、3日となった。私は、世にいう団塊世代のしんがり。古きを携えて生きる役回りならんか。】

2005年11月 5日

ヒマワリ

ヒマワリは、夏に花を咲かせます。ギラギラと照りつける太陽を受けて、青空にすっくりと立ちます。ヒマワリには、青空、白い雲、麦わら帽子などがお似合いです。

ところが、冬に向けて秋の深まるこの時期に、ヒマワリが咲こうとしていました。大学前の交差点の中に、畳3ほどのミニ緑地があって、そこでの光景です。10月26日のことでした。
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ヒマワリは産毛を立てていました。寒さのなかで、産毛で体を温め、花を咲かせようとする、懸命の努力がしのばれました。なぜ、夏には育つことができなかったのでしょうか。交通量の多い交差点の真ん中です。排気ガスに一日中覆われています。信号機も一日中点灯しています。夜間にはライトもつきっぱなしです。このような環境が、本来のリズムを壊し、自律神経がおかしくなったのでしょう。しかし、それに耐えて、やっと、自分本来の生命力を取り戻したかのようです。見ていると、思わず、応援したくなります。種もできているようです。もう少しだぞ、がんばれ。

ところがです。今日11月5日。その場所に、ヒマワリはありませんでした。整地されていました。
整備をする人たちにとっては、それが、理にかなったことかもしれません。交差点の中ですから安全や美観が第一義にはなるでしょう。しかし、なぁ...、あと少しの猶予が欲しかった。

人が生きるということも、常にこのような場面を背負っているのかもしれません。

2006年2月19日

岡城跡

「虎は死して皮を残し、人は死して名を残す」といいます。しかし、名前を残すのは特別の立志伝の栄誉に浴した人たちだけでしょうか。

大分県竹田市に国指定史跡の岡城跡があります。2月11日に、大分県別府市で行われた日本家庭教育学会研究会の翌日、その岡城跡を訪ねました。私の通った高校はその城跡のすぐ下にありました。それでよくその城跡に行ったものです。40年前のその当時、城跡は石垣のみでした。現在も石垣のみの城跡でした。しかし、その石組みの見事さに圧倒されてしまったのでした。
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(撮影は、同行していただいた、元別府大学教授:渡邉忠美先生です。)

空中楼閣という建造物は存在しないでしょう。でも、その印象を抱かせる見事な石垣の美でした。山頂に、延々と続く石垣。かつて自然崩壊をしたり、土砂に埋まったり、ゆがんでしまったりしていた石垣をいったん取り壊し、それを当時の姿そのままに復元していたのです。40年前とは、実に様変わりの観でした。人は、何という偉大なことをやってのけるのであろうか。断崖の上に石を積み、平地をつくる。そして、そこを居住空間とする。眼下には川が流れ、はるか遠方には、久住山、阿蘇山、祖母山、傾山という、九州中央部の主な山々がパノラマのごとく展開する絶好のロケーション。この復元された石垣の上に立つと、往時の人々の思いがしのばれました。

岡城跡は岡城という城の跡です。岡城の歴史は古く、太平記にそれを知る手がかりがあります。鎌倉幕府を開く源頼朝と仲たがいをした源義経を九州のこの地に迎えるという壮大な計画があったのです。この地の近くにいた緒方三郎惟栄(おがたさぶろうこれよし)という武将が、この城を築城し、義経を京都に迎えに行きました。ところが、兵庫の大物浦を出航した舟は嵐に見舞われ難破。惟栄は捕らえられ上野国(群馬県)沼田荘に流され、義経一行は陸路をとり北陸から平泉をめざすことになりました。歴史は、非情な側面をあわせ持つものです。

その後、この城は、幾多の変遷を経て中川秀成が播磨国三木城(兵庫県)から入ることになります。秀吉の命によるものでした。その中川秀成によって現在の城の形ができあがり、城は江戸時代を貫きました。明治になって建物は取り壊されて競売に付されましたが、石垣は残りました。秀成の思いが、この空中楼閣となって表現され、今に残るのです。一体、この城の形を成す根源とはどのようなものであったのでしょうか。

この城を築城した中川秀成の父は中川清秀。その中川清秀は織田信長に仕えた武将です。本能寺の変で織田信長が明智光秀に倒されると、秀吉とともに山崎の戦いで光秀を討ちました。

中川清秀は、翌年の秀吉と柴田勝家が戦った賤ヶ岳の戦いで秀吉に属して布陣をしていましたが、その陣が賤ヶ岳の一隅の突出しているところにあったため、勝家の武将佐久間の軍勢に襲われることになりました。秀吉の本隊は数十キロ離れた大垣にいたので、その隙をつかれる形となったのです。清秀は苦戦ののち戦死しました。しかし、それが秀吉の好機を呼んだのです。佐久間の軍勢が勝利の歓喜に浸る夜中に、あろうことか秀吉の本隊が大垣から松明を片手に押し寄せたのでした。秀吉はどうも、こうなることを読んでいたようです。あらかじめ、沿道に松明や食料を準備させていたというのですから。結果、佐久間の軍勢は大慌てで退却せざるを得なくなります。それを見た、勝家の与力大名、前田利家も退却。そして、それを見た勝家本隊の将兵の多くも浮き足だって散り散りに。勝家は戦わずして敗軍の将となったのでした。その後、越前・北ノ庄に帰って、お市の方と共に城にたてこもった勝家を取り囲んだのは前田利家。利家が主君にあたる勝家を討つという悲劇で、この戦いは幕を閉じました。

岡城を築城した中川秀成の父、中川清秀は、いわば捨て駒として秀吉の天下取りに貢献したのでした。清秀には秀政という嫡男がいました。秀成の兄です。秀政は、父の死後、跡を継いで秀吉に仕えましたが、秀吉の命で朝鮮半島に攻め入った文禄の役のとき戦死してしまいました。それで、弟の秀成がその跡を継ぐことになったのです。

秀成は秀吉からこの地を拝領し、7万石を領することになりました。その時の思いはいかがだったでしょうか。喜びばかりとはいかなかったでしょう。京や大阪から遠く離れた異郷の地に赴任すること、父や兄が死をもって秀吉に貢献してきたこと、父を討った側の前田利家は、戦わずして秀吉の前から退却したことが評価を受け、自分よりはるか高禄で京の近くの加賀に領地を拝領していること等々の思いが、彼の胸中に去来したことは想像するに難くありません。孤高の武将となっていたことでありましょう。後の関が原の戦いの時には、徳川家康の東軍に加わりました。そして、関が原とは遠く離れた九州の地で西軍の臼杵城を攻撃して武勲を立てています。

築城にあたっては、それら、戦死をして家を守った親兄弟への思い、ままならない国家権力構造へのやるせない思い、そして、自分の存在価値を求める思い等々を込めていたような気がします。

そして、そこに、峻険な崖の上に石垣を積む工事をした人々の思いが加わっていきます。きっと、多くの犠牲者も出たことでしょう。しかし、人々は、藩主の秀成と同様に、この城をつくりあげることに誇りを見出していたのではないでしょうか。山上にこれだけの石をめぐらし、平地を築き、城郭を建てる。それにくみすることは、自分のよりよい生き方を発見することでもあったのだろうと思います。だから、成しとげることができたのでしょう。

明治になって、藩主だった中川氏は東京へ。荒廃した建物は競売にて取り壊され、石垣のみが風雨にさらされることになりました。その城跡に登ってよく遊んだとされるのが、瀧廉太郎です。廉太郎は幼少の頃、この城跡のふもとの竹田で過ごしました。後、土井晩翠の作詞「荒城の月」を作曲するにあたり、この岡城跡のことを思い出して作曲したといわれています。明治以来、学校教育の場で歌われ続けたそのメロディーは、哀切を感じさせ、日本人がもっていた穏やかさを形に表してくれています。

土井晩翠が「荒城の月」を作詞したモチーフになったのは、仙台の青葉城や会津若松の鶴ヶ城といわれています。すると、これは、今流行のコラボレーションということではないでしょうか。岡城に築城の秘話があったように、仙台の青葉城や会津若松の鶴ヶ城にも、それぞれの築城に際しての秘話があり、それを支えた人々がいたはずです。数百年後、その人々の思いが大同団結して、名曲「荒城の月」となり、人々の心に安らぎの地をつくりだしているのです。それは人々の心が石垣を組むに似て、かかわり合い、一つの形を成しているということでしょうか...。

死して名を残す人はまれです。しかし、名を残せなかった人々も、何かを残しています。そして、後世の人々がそれをくみ取ろうとするとき、歴史は不思議な価値をもって迫ってくる...。そのように思った、岡城跡紀行でした。 平成18年2月12日のことでした。

2006年8月27日

関門海峡

7月の下旬、北九州市での研修会にお伺いした折、関門海峡の傍らにある和布刈神社から、関門海峡を自分の目線で見ました。かつて、橋の上から見下ろして見たことはありましたが、自分の目線で見てみると全く違って見えました。大河の流れです。この流れを越えようとする時、歴史が動くのだと思いました。(下の写真の、手前が九州で向こう側が本州、その間が関門海峡で、上の橋が九州と本州を結ぶ関門橋で高速道路となっています。向こう側の右辺りが、源平の戦いの壇ノ浦の古戦場だとか。)
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かつて、万葉の昔、額田王(ぬかたのおおきみ)が、四国松山に停泊し、百済再興のための軍を朝鮮半島に向けて出立する時、「熟田津(にきたづ)に舟乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今はこぎいでな」と詠みました。今までは、この歌は単なる叙情的な歌だと思っていましたが、「今から、関門海峡を越える」という意気込みが込められていたのだと気づきました。

さらには、平家の人たちが、この大きな潮の流れに勢いをもらうと、今一度平家の時代が到来するのではないかと読んだからこそ、壇ノ浦の戦いが始まったのだとも思いました。きっと、あの戦いは、平家からしかけた戦いであったのでしょう。

そして、さらに時代は下がり、江戸の幕末、対岸の長州を攻めようと小倉に結集した九州諸藩の軍は、関門海峡を挟んで長州と対峙します。ところがその大部隊は深夜に海峡を越えてきた長州の高杉晋作に襲撃され、大部隊は九州各地に帰ってしまったのでした。高杉は寡兵でもってこの海峡を越えたのです。そして、江戸時代の終わりの始まりをつくったのでした。

幾多の人々の思いを高めてきた関門海峡にたたずみ、潮風に吹かれながら、私も自分のこれかの生き方に追い風をもらったのでした。

実は、私も、21年前の深夜、関門海峡を抜けたのでした。その思いも相まって、感動のひと時でした。数年前、同人誌に、次のエッセーを書きました。

無明の闇
今から十数年前の4月初頭の深夜、九州は小倉の港から船出をした一隻のフェリーがあった。船は、九州と本州の間の関門海峡を抜け、さらに四国と九州の間の豊後水道を南下した。その船中に、彼は家族とともにいた。家財道具も一緒に。船は、大平洋に出て、東京湾を目指していた。
From Oita to Tokyo。
デッキに出ると、船の外は全くの暗闇。その中を、船のエンジンはゴウゴウとうなりをあげる。それに負けじと、かき立てられる波もザザッツザザッツと音をたて、暗闇に白い飛まつを上げる。空には冴えた北辰が、かすかに望みをつなぐかのように光を放っていた。
それまで九州の山の中で教員をしていた彼にとって、これから始まろうとする大都会での教員としての生活は、希望に包まれているというより、無限の不安に覆われているというに近かった。
そして、彼は、ある国立大学の附属小学校に着任した。
それから幾星霜。子どもの卒業アルバムに載る彼の顔は、しだいに老けていくことになる。
 彼の使命は、わが国における道徳教育の興隆。
"人はパンのみによって生きるにあらず。"という先人の言葉がある。生きるための大切な要素、それを成すものが道徳である。
そのような道徳教育は、日本国民の根幹を形成していく重要なものであるにもかかわらず、教員においてさえもその理解には乏しいものがある。しかし、ひるむわけにはいかない。それが彼の生きるあかしであるから。
彼は常々、道徳教育は、子どもたち個人の心の中で、よく生きようとすることへの回帰が先行されなければならないと考えている。
しかし、この頃はそうではなくて、決まりを守る人になりましょう...、思いやりのある人になりましょう...、立派な人になりましょう...、等々の呼びかけが先行している。それでは、心はうつろになって、よく生きることの目標を見失い、没個性となってしまう。
決まりを守る人、思いやりのある人、立派な人等々は、よく生きようとしたことの帰結を、ある人がある価値観をもって表現したものにしか過ぎないのである。それをもって強要しようとしても、心の中身は伴わない。人が生きることはもっと重いものであり、貴いものである。
そのような生きることの複雑さ・深さを、子どもたちが自分の主体性をもって感じ取り、それぞれに生きる質を高めたいと思えるよう、更に研鑚を深めていきたい。
それにしても、あの時、フェリー上から見た夜の海は暗かった。
 今も、彼は、わたしの中で無明の闇を進んでいる。故郷を遠くに置いて。

関門海峡は、私にとって、人生の再出発の基点でもあったのでした。

8月、お盆で大分に帰郷した折、再び関門海峡を見たくなりました。3時間をかけ、大分から、再び、関門の潮の流れに会いに行きました。その時の、写真が、冒頭の写真です。

案内してくださったタクシーの運転手さんが、この海峡で滅んだ平家の人たちのことを親切に話してくださいました。平家の人たちの、追い詰められた無念さは想像するにしても悲し過ぎます。その思いに浸ることも、そこを訪れる人のつとめだと思って、関門海峡を見下ろせる展望台に案内してもらいました。ところが、そこに設置されている説明板を読んでいて、わたしは固まってしまったのでした。

平家については、木曾義仲が京都に攻め入ったので京都を逃れ、一ノ谷、屋島、壇ノ浦と戦いながらも、ついに滅んだと理解していました。ところが、そこにあった説明板には、平家物語に記載されていることとして、興味あることが記されていました。

平家は九州の宇佐神宮に友好関係を築いていたので、平知盛(たいらのとももり)が都を逃れていったん九州に本拠地を移し、そこから平家の勢力を盛り返すことを主張、皆がその案に従ったとのことでした。そして、一躍、軍勢を率いて九州の宇佐神宮に行ったそうです。九州には、平家に味方する菊池氏もいました。そこまでは、よかったのですが、宇佐神宮にいた緒方三郎惟栄という武将の裏切りにより、平家は宇佐神宮を終われ、大宰府に行くも、頼みの菊池氏も敗れて、ついに九州を出て、瀬戸内海をまた戻り、一の谷にたどり着いたというのです。その後、平家は寄る辺をもたず、一ノ谷の戦い、屋島の戦い、壇ノ浦の戦いと、再び九州に向かっての転戦を重ね、悲惨な最期を迎えるのでした。

そういえば、平家はあれほどの権力をもっていたのに、木曾義仲軍に対して、簡単に京都を明け渡したのが不思議でした。しかし、これで、納得するものがありました。九州に本拠地を築く目算が立っていたからこそ、京都を明け渡したのでしょう。そして、九州まで行ったのです。ところが、そこで、現地の武将の裏切りにあって、平家再建計画はつまずいてしまいました。拠る所を失い、帰る所もありません。流浪の身になることを余儀なくされたのでした。

説明板には、その張本人が、緒方三郎惟栄(おがたさぶろうこれよし)という名前であると、説明されていました。何と、その武将は、わたしの故郷、大分県緒方町(現在は町村合併で豊後大野市)の英雄でした。まさに、目が点になりました。

緒方三郎惟栄の本拠地は緒方荘といい、もともと宇佐神宮の荘園でした。宇佐神宮は、古来より朝廷と縁が深かった神宮です。その荘園の頭領である緒方三郎惟栄は、宇佐神宮に仕えながらも、何かと宇佐神宮と敵対し、九州の覇者である菊池氏とも敵対関係にあったのです。それで、平家が頼ってきたことを契機にして、宇佐神宮や菊池氏を向こうにまわして自分の力を鼓舞する機会としたのでしょう。宇佐神宮を焼き討ちにしたとも聞いています。突拍子もない権力者の行動で、時代は妙な展開を見せます。平家は、立ち直るきっかけを失ったのでした。平氏から源氏へという、権力交代のキーマンが、我が郷土にいたとは。

不安に駆られている平家を、うまい話で京都から九州に誘い出し、九州に出てきたら平家を京都に追い返す。その時には、京都は既に源氏のものになっている。

もし、緒方三郎惟栄がこのような筋書きを書いたとしたら...惟栄、恐るべしです。

「昭和になって平家の大将の平知盛の墓が見つかったのですよ。」と、タクシーの運転手さんが教えてくれました。さっそく連れて行ってもらいました。とある神社が裏山で秘かに守っていたけれど、大雨で裏山が崩れ、神社まで転がってきたとか。それで、今は、一般に公開しているというのです。それは、平知盛の意思かもしれません。

行くと、その神社は、八幡造りの神社でした。八幡造りは、宇佐神宮の流れを汲むことを証明しています。宇佐神宮は、宇佐八幡神宮ともいわれ、全国の八幡宮のもと締めでもあると聞いたことがあります。この神社の拝殿の屋根の形は、宇佐神宮にそっくりでした。両翼が前にせり出しているのです。平家が頼ってきた宇佐神宮にかかわりがあるから、神社も平知盛のお墓を秘かに守ってきたのでしょう。

平知盛は、壇ノ浦での戦いで敗者となり、安徳天皇の入水を見届けると、「全てのほどのことをば見つ」と言い、船の上から、体に碇(いかり)を巻きつけて海に飛び込んだと伝えられています。青みがかった古い墓石は、その無念さを言い表しているようでした。

一方、その戦いで勝者となった義経は、頼朝と不仲になります。緒方三郎惟栄は、その義経を九州に連れて来ようとします。ところが、義経を乗せた船は兵庫の大物浦で大嵐に見舞われ、平知盛の亡霊によって船は難破します。緒方三郎惟栄は捕まり、義経は北陸を通って平泉に逃れていくことになるのですが、今まで、平知盛の亡霊が登場したのは、義経に対してといわれてきました。しかし、そうではなく、平知盛は緒方三郎惟栄に対して怨念を示そうとしたのではなかったのかという気がしてきました。

無性に平家物語を読みたいと思いました。東京に帰ってから、吉川英治の『新・平家物語』を買いました。厚い文庫本で、16巻ありました。とりあえず、3巻を買いました。通勤電車の中では、当分、平家の人たちと一緒です。

関門海峡は、わたしにとって、進取の場所となっています。
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2007年1月 1日

新年の計

長いこと、ブログをお休みしていました。昨年の夏、関門海峡にたたずんで壇ノ浦を見て以来、滅亡した平家一門の悲哀が常に心の内に在り、通勤途上の電車の中で、吉川英治の新・平家物語を読んできました。それがいまだに続いていて、現在、11巻目を読んでいます。

昨年の10月の末には、盛岡市の城跡にある岩手山公園に登る機会がありました。城主であった南部氏は、源頼朝の奥州藤原氏攻めで功をあげて以来、鎌倉時代から江戸時代までかの地に覇を成していたとか。頼朝は、平家物語の影の主人公でもあります。城跡の紅葉は、それら、歴史の中で垣間見える人生模様を、色に出して見せてくれているようでした。
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この見事な紅葉も、今は、朽ち果てていることでしょう。しかし、その輝きは永遠のものでもあります。見た人の心の中に存在し続けます。歴史の中の人もまた、同じでしょうか。

さて、新年を迎えました。新年の計を立てました。

私は、何かをひきずりがちになります。私の郷里(大分)の言葉では、「ひこじる」と言います。そこで、今年の最大の目標を「整理」に掲げました。実は、12月31日、それを見越して「シュレッダー」と「お風呂用のラジオ」を買いました。

「シュレッダー」は、できるだけ書類を残さないようにするためです。整理の基本は、書類を破棄することから始めたいと思いました。近頃は書類がたまって、それに自分自身が拘束されてしまっているところがあるように思います。自分で自分を縛っているのです。そこで、今年はシュレッダーマンになります。

「お風呂用のラジオ」は、一日をお風呂でゆっくりと「整理」するためです。疲れていると、お風呂に入るのさえも面倒なことになってしまいます。横浜からの帰りは、夜の10時を過ぎることも多いです。お風呂にゆっくり入る気力も失せています。そこで、お風呂でくつろげるようにと、ラジオを聞くことにしました。これで、今年は、翌日に疲れを持ち越さないようにします。

新・平家物語も、早々と読み終えることにしましょう。

2007年2月 4日

白鳥

白鳥が二羽で飛んでいました。急旋回、急上昇、急降下...、息がぴったりと合っていました。大空は広いのに、二羽は離れません。

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白鳥は体重が10キログラムを越えるものもいるといいます。大きくて重たい鳥です。飛ぶための揚力を得るためには、大きく、しかも激しく、羽を羽ばたかせる必要があることでしょう。であるのに、二羽がペアになって、急旋回や、急上昇、急降下を繰り返しています。楽しそうでした。エサを求めて飛ぶ...というのではないと思いました。飛ぶたびに、二羽の心は強く結びついていくのでしょう。先頭の白鳥は後ろの白鳥のことを絶えず意識し、方向を変える時には何かの合図を送っているのでしょう。後ろに続く白鳥は、前に進む白鳥を信頼し、阿吽の呼吸で、ついて行きます。...大空は生きることを楽しむためにある...そんな白鳥の気持ちを感じました。遠い北の国から飛んできたから仲良くなったのか、それとも、仲が良かったから飛んで来ることができたのか。いずれにせよ、日本で、もっと仲が良くなって、北の国に帰っていくのでしょう。互いに心を許せる相手がいるから、強く生きることができる、そして、生きることを楽しむ余裕をもつことができる。そのようなメッセージを、自分だけのことで精一杯になりがちな人間へ告げるために、白鳥は北国からやって来てくれるのではないか。...白鳥さん、無事に、冬を越してください。そして、春には、気をつけて北国へお帰りください。来年もまた、お会いしましょう。

2007年4月21日

家族生き生きエッセー3の発行

家族生き生きエッセー3を発行しました。家族であることの素晴らしさを感じた体験記です。世間では、家庭に起きた悲惨な事件、殺伐とした事件を、マスコミがニュースとして流布しています。ところが、それらのニュースのみに浸っていると、危機意識がつのり、必要以上に身構えることになります。各家庭には、それの何倍にも増した素晴らしい出来事があります。この、「家族生き生きエッセー3」を目にした親や子どもが、普段の家庭生活の中に幸せがあることに気づき、今ある家族との日々をもっと大切にしようという思いをもてることを願っています。
この「家族生き生きエッセー3」は、インターネットでも公開しています。
また、冊子が必要な方は、連絡をいただければお送りいたします。
次に紹介する写真は、この冊子の表紙に用いた写真です。

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この写真を撮影したのは、今年の1月下旬のことでした。神奈川県の二の宮町に吾妻山公園があります。そこは湘南海岸に面した小高い山の斜面で、1月というのに一面の菜の花、まさに早春の雰囲気でした。そして、それを前にして語らっている人たちの和やかな表情に、人々の幸せな姿を感じました。菜の花の前でスケッチをしていた熟年の人たち、互いの家庭のことを紹介し合っていた若い女の人二人連れ、記念写真をとっているご夫婦...それらを演出した、菜の花。これぞ、家族生き生きエッセーの表紙にふさわしいと思って、表紙にさせていただきました。

2007年10月 4日

心が解ける

 先日、友人と彼岸花の写真を撮りにでかけました。田んぼのあぜ道に腰をかけ、おにぎりを食べ食べ、雑談をしたことで、日ごろのこわばっていた気持ちが解けていきました。その場面をつくってくれたのが、稲刈りをしている田んぼのあぜに咲いていた彼岸花でした。下の写真は、その時の一枚です。友人に感謝。


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2008年5月25日

心を育てる

今春から「道徳心の育成」という科目を始めました。多くの学生さんと共に、心の教育とは何か、ということに挑戦しています。手がかりとして出てくるのが、自然の事象、日本昔話、イソップ話。だれもが、子ども時代から見てきたものです。すでに知っている、それらのなかに、新たな生きることの価値を発見することができたら、それこそが心を育てることになる、という方針のもとに、自分の見方をかえることに挑戦しているのです。
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上記の写真は、先日、我が家の朝食に出た野菜サラダです。単なる、朝の一場面です。しかし、このお皿の中のものを見ていると、日本昔話『桃太郎』のイヌ・サル・キジが重なっていきました。イヌ・サル・キジは、鬼に比べれば非力です。しかし、桃太郎の采配によって、強力な力を出すことができました。そこには、人と協力することによって思わぬ力を出すことができる、人の生き方の真理が現れているように思うのです。三人が協力することで得た力の量が1+1+1=3では協力の意味がありません。ただたんに3人がそれぞれに力を出して、それを合わせただけです。3人の協力であれば、1+1+1=5にならなければ。そこに気づかせてくれたのが、この、トマト入りの野菜サラダでした。
 ...人生は深いですよ。そして、魅力的です。この、桃太郎の強さの秘密には、5月27日の授業で迫ります...。
 さて、そのようにして気づいた、生きることの価値を、コンパクトにまとめたカードができあがりました。人生カードです。54枚から成っています。
 希望する方には、完成記念キャンペーンで、先着50名の方に無料でプレゼントします。
 以下のところまで、送料の200円切手を同封した封書でお申し込みください。
(本学の学生さん以外の方でもよいですよ。)
 220-0021 横浜市西区桜木町7-42 八洲学園大学 渡邉達生

2008年9月27日

生きる喜びを追う

 福岡市教育センターから、お父さん・お母さん・学校の先生方に、「学校・家庭生活の中の生きる喜び」について話をしてほしいとの依頼があった。生きる喜びというときの喜びは、普通に表現する喜びとは区別して考えた方が的を得る。
「今日は遠足だ、うれしいよ。」「欲しかった時計を買うことができた、うれしい。」
というような喜びとは区別して考えるのである。遠足や、時計は、外からやって来た。そして、自分に喜びを与えてくれた。しかし、生きるということは、主体的に生きることによってこそ、真価が出る。であるから、生きる喜びというときの喜びとは、外からではなくて、内から湧き出てくるものであることが、喜びを、より喜びとして価値のあるものにしてくれよう。

 内から湧き出てくる喜びとは、自分でつくりだす喜びである。では、自分でつくりだす喜びとは、どのようなときに生じさせることができるのであろうか。つくりだすとは、そうではないものを、そのようにしていくことである。その論旨を借りると、この場合、喜びではないものを喜びにしていくことが、喜びをつくりだすことになる。自分の心が喜びの状態にはないときとは、つらいとき、困難なことを引き受けているとき、理不尽とも思える境遇にいるとき、友達といさかいをしているとき、さびしいとき、悲しいとき、落ち込んでいるとき等であろう。それらを克服できると喜びを感じていくことができる。それが、生きる喜びである。人の心は、生きることに大きな役割を果たしてくれるのである。

 そのように、当日、お話する内容の構想をしていたところ、当日近くになって、福岡の近くに、生きる喜びを社会で実現した人たちがいたことを思い出した。今から150年ほど前の、江戸時代の終わりのころの事である。場所は、今の熊本県、矢部郷。九州山地の山懐。そこに、周囲を三本の川と深い崖で囲まれた白糸台地があった。川があるのに、その水を台地に引き揚げることができない。すぐ下を川が流れているのに、水田を開けない土地が多々あるのである。江戸時代の農村では稲作ができることが何よりであった。米が、生活の基盤を支えていた時代である。白糸台地に住む人々の生活は困窮を極めていた。

 その台地に、対岸から石を積んで水道橋を架け、水を引き、水田100町歩を切り拓いた人たちがいた。谷底から約26メートルの高台にある白糸台地に水を引いたのである。しかし、水道橋の高さは20メートル。当時の技術では石橋では20メートルの高さまでが限界であったという。その20メートルぎりぎりまで石を積み、そこから、さらに6メートル高い台地に水を噴き上げさせる。

 
より高い所に水をあげ、より多くの地域を潤す。そこには限りなき追求の美学を感じる。今のようなポンプのない時代、架けた水道橋よりも高いところに水を押し上げるとは、何という壮大な企画であろうか。生きることの何たるかを示してくれているようにも思う。その橋は「通潤橋」といい、今尚、健在であるという。その橋を見たいと思った。

 9月18日、台風13号が九州近海を迷走するという状況の中、飛行機の予定をキャンセルして早朝の新幹線で福岡に向かった。福岡市教育センターでは約200名の人々が温かく迎えてくれた。センターの先生方にお世話をいただき、役目も無事に果たすことができた。当日は、博多駅前に一泊。翌、9月19日は、通潤橋経由での帰京がスタートした。
 台風が九州南部に接近という中、博多から熊本まで鹿児島本線を南下。そして、熊本から豊肥線に乗って東に向かう。肥後大津で降り、さらに、レンタカーで九州山地を南下すること1時間。そこに、通潤橋は、確かにあった。

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 谷間にかかる石のアーチ橋。周囲の自然と調和し、見るものに、安心感や存在感を投げかけてくる。川沿いにはコスモスの花が咲き、のどかな秋の風情をつくりだしていた。150年前、ここに人々の情熱が注ぎ込まれたのだ。写真で見ると、右が白糸台地である。
 
 この石橋の中に3本の石管が平行して通り、水は左から右に向けて流れ、さらには傾斜地に沿って6メートルの高さを駆け上がる。その仕組みに触れたくて、水の流れを辿ってみることにした。
水が流れ込むところは写真の左側であるが、そこは上からの傾斜地になっておりそこにも石管が埋め込まれていた。その石の管を辿って水の取れ入れ口まで登って行くと、水が流れて来ている水路があった。川の上流から、この地まで水路が引かれているのである。しかし、水の流れるようすは何だか頼りない。ゆっくり、ゆっくりと流れて来る。水路であるから、そんなに急に流れる必要はない。しかし、その流れの速さは違和感を覚えるほどにゆっくりなのである。(この疑問は後から解けることとなる。) 水は、そこから石管の中に入り、橋に向けて駆け下りるようになっている。そして、石橋まで駆け下りてきた水は、石橋の中の石管を渡り、写真の右側の傾斜地に設えられた石管の中を駆け上がる。その水の流れに沿って歩いた。坂を下り、橋を渡って対岸の坂を登る。その間、石管の上部だけが地面に露出していて、まるで、石畳の道をたどるかのような印象を受ける。

 水の吹き出し口は、対岸の坂の上にあった。そこには、大きな水をためる水槽がつくられていて、その底から水が涌き出ていた。確かに、対岸から流れ落ちた水は、ここまで、上がってきている。この水は、ここから、白糸台地の隅々に流れていくのである。

 人の力とは、何と素晴らしいものであろうか。江戸時代、機械力のない時代であるからこそ、人の力の素晴らしさを、表出していくことができる。不自由な環境にいるということは、人間がもっている自由なる力を引き出す機会を与えてくれるということである。人が、人力を尽くして生きることの偉大さに心が打たれたのだった。

 そのとき、どうやら石橋の中央部から水を放水するらしく、人々が、橋の上に集まりだした。石管の中にたまったゴミや土砂を取り除くために、時々、橋の中央部の石管の栓を開けて、そこから水を流すという。やがて、栓が開けられた。水は、勢いよく谷底に弧を描いて落ちて行った。

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 見事なながめである。
 近くにある資料館に寄ると、団体客が帰った後で、だれも参観者はいなかったが、係りの人がわたし一人に、ていねいに説明をしてくれた。
 聞いてみると、驚くことがたくさんあった。
 
 橋に至るまでの水路の水が、なぜにゆっくりと流れていたのか...それは、できるだけ高低差がないように、最小限度の傾斜で水が流れるようにして、水の取り入れ口が高い位置にできるように設計したためであるとのことだった。高い位置から水を流し落とすと、対岸の高い位置に水を噴き上げさせることができる。そうするために、水の取り入れ口まで、できるだけ高低差をつけないで水を引いてくる...「至難のわざ」である。
 
 石橋は、150年を経ても、どうして壊れないのか...見事なアーチ橋の中に、石工の人たちの技術が込められているとのことだった。20メートルの高さに積み上げた石橋を支えているのが「鞘石垣」(さやいしがき)である。上の写真で、橋の下部のところの「すそ広がり」のようになっているところ。湾曲をつけて橋を支えることで、橋の重さがそこに吸収されていくようになっているのだとか。また、「鎖石」といって、凹凸の石を組み合わせ、ずれない構造の箇所が28箇所内在されているという。水が流れる橋である。少しのゆがみもゆるされない。また、田畑を潤し、人々の生活を守り続けるものである。永い年月に耐えるものでなくてはならない。...橋の完成の後、安政の大地震にみまわれたが、この橋は崩れず、水ももれなかったという。...橋の美しさが、力をもって迫ってくる。
 
 石管の4か所に松の木でつくった木樋を埋設してあるという。...石管も寒暖の差でわずかながら膨張と収縮を繰り返す。それによって石にひびが入る。風化作用が起こるのだ。ひびが入るとそこにしみこんだ雨水は凍り、石が割れる。それで、石の膨張と収縮を受け止めるための木樋を入れてあるのだという。...自然と共に暮らしてきた人々の智慧に敬服。

 中に入り込んだ土砂を取り除くために、橋の中央部にある石管の栓を抜いても、水の取り入れ口から中央部までの土砂は流れ出るが、中央部から先、水が駆け上がっていく部分の土砂は取り除くことができない。しかも、土砂の多くは、水が駆け上がっていくときに、重たくて溜まっていくのである。中央部から先の部分にこそ、土砂はたまる。実は、それを取り除くための工夫が、先ほど見た、水の吹き出し口にあった大きな水槽であった。橋の上の栓を抜くと、水槽にためられていた水は石管の中を逆流し、橋の中央部に向かって落ちていくのである。それによって、たまっていた土砂も洗い流されていく。...まさに、卓越した洞察力でこの石橋は設計されている。

 石管はどうやってつなげられていたのだろうか。石の管を並べたままでは、水がもれる。そこには、特殊な仕掛けがあるはずである。ぜひとも、その知恵を知りたいと思った。しかし、それを聞こうとしたとき、団体客が入って来た。今まで、1時間ほど、係りの人を独占してきたが、もう、そういうわけにはいかない。また、その団体客が帰るまで待っている時間もなかった。レンタカーを6時間以内に返却しなければならない。残すところ、1時間半。ここまでの道中が約1時間であった。
聞きたいことはまだまだあったが、残りは、再度来て聞くことにした。

 通潤橋は、秋空の下で、悠然とした構えを見せていた。水の放水は手前に二本、後方に一本の、計三本が、三本の石管ごとに放たれていた。

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 東京に帰り、ご飯を見た時、白いご飯がまぶしく感じられた。150年前、矢部郷の人たちはこのご飯を手に入れるために通潤橋を造り上げたのだ。
 人の喜びは、日常生活を支えるところから出ていくことを再確認したのだった。
 以来、毎朝、お米をといで1合のご飯を炊くことにした。自分でご飯を炊くのは何年ぶりだろう。朝、お米の炊き上がる香りが、一日の元気を与えてくれる気がする。

2009年5月25日

家庭教育/道徳/人生/心を正す 1

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道徳は、生き方に価値を求めることで成立します。「こう生きることがよい生き方になる」と。ところが、評価となると...これは手ごわいです。...。生き方に価値を求めるということは、人生の道を歩く、その過程に価値を求めているのですから。
 昨年、琵琶湖のほとり、滋賀県高島町に、中江藤樹の足跡を訪ねました。中江藤樹は江戸時代初期の儒学者です。少年時代の「雪の日の朝に母を見舞う」話が知られています。
 その中江藤樹が近所の人に講義をしていた書院の庭に「由緒(いわれ)のある石」という石が残っていました。一抱えほどの、全体的には直方体の形をした石です。中江藤樹が、心に、迷いの心、悲しみの心、いかりの心が生じたときには、この石に水をかけて、その水の流れるさまを見ながら、自分の心を正していたというのです。
 大儒学者である中江藤樹でさえそうなのです。わたしたちが自分の生き方に迷い、悲しみ、いかりを覚えても、それは当然でしょう。
 しかし、中江藤樹は自分の心を正す方法を心得ていたのでした。そのことが、ずっと心にあり、わたしにも、何かできないかと考え続けました。
 そして、今年の四月から、週に一度、夜7:00から9:30まで、陶芸教室に通うことにしました。土を手で練り、形のあるものをこしらえていく。そのことによって、心の迷い、悲しみ、いかりは消えていくのではないか...。
 通い始めて、いろいろなことを教わることができました。また、土のもつ不思議な力を知ることもできました。心は、無条件で、おだやかになっていきます。
 写真のカップは、先週、作ったものです。その前の週に粘土で「ひも」をつくり、その「ひも」を巻き上げてカップの状態にしておきました。先週は、生乾きとなっているカップの外側をヘラでけずりました。こうしてできたカップは、もう一人前の顔をしています。まさに縄文式土器で、カップとしての使命も心得ているように感じます。やがて、素焼きをし、釉薬をかけ、さらに本焼きをすると、その顔は、一段と存在感を示すようになることでしょう。
 心にある、迷い、悲しみ、いかりは、制作の途中に、ふっと頭をもたげてきます。しかし、「いい形にしよう。」「ここはもっと美しく」と、よりよいカップを求める気持ちが、手を動かし続けます。その行動が、心を正しているようでした。

【本学(八洲(やしま)学園大学)には家庭教育専攻があり、道徳/子育て/心の教育/人生、について学ぶことができます。インターネットでの学習で、自宅に居ながら大学卒業資格を得ることができます。関心のある方は、右上の八洲学園大学のリンクをクリックしてお入り下さい。】

2009年5月29日

家庭教育/道徳/人生/心を正す2

前回、陶芸の「ヒモつくり」によるカップを紹介しました。今回は、「塊(かたまり)づくり」で、お茶碗をつくっているようすを紹介します。
先日、三段階目で染付けをしました。それまでしてきたことの概略は以下の通りです。
第1段階:両手で土の塊を抱え込み、親指で空洞をつくり、その後、親指と他の指で土をつまんでは茶碗の形に。やわらかな土をしゃんとさせ、厚みを一定にするのは集中の極みで、何とかお茶碗の原型ができたのでした。
第2段階:生乾きの外側をヘラで削りました。高台のところは粘土の厚みを計算しながら、恐る恐る削り出します。気を抜くと底にぽっかり穴が開くよ、でも植木鉢にはできるよ...ユーモアのある師匠の言葉に背中を押され、何とか無事に高台の成形が成功。あとは外側のラインをなめらかに、なめらかに。気がつくと、2時間余り削っていました。削り出した土の多さにびっくり。そして、素焼きへ。
第3段階:今回が、ここのところです。できあがった素焼きに絵をかくのです。え~、絵ですか、と言って逃げ出したくなったのですが、ここまできたのだからとはげまされ、挑戦することに。顔料にはベンガラと呉須の二つを用意してくれました。ベンガラは鉄の赤茶色、呉須は紫色。ベンガラは散るので大胆な絵に、呉須は濃淡がはっきり出るので繊細な構図に向いているということでした。で、ま、迷って、呉須でかくことに...。しかし、そこからでした。顔料と筆はあるのですが、一向に前に進みません。素焼きのきれいなお茶碗の内側をずっと見ているだけでした。

 お椀の空間をどのように生かそうか...、できもしないのですが、いろいろに考えあぐねていたとき、ふっと、頭の中をよぎることがありました。古代中国の老子のいう、「無用の用」のところです。「土をこね、もって器を作る、その無に当たりて、器の用あり」...まさに、茶碗づくりが素材となっています。
人は土をこね、容器(お茶碗)をつくり、生活に役立てることができます。しかし、お茶碗が人の役に立っているとき、実際に入れ物として役立っているところは、土でできたところというよりも、それに囲まれた空間なのです。そこには何も無いのです。しかし、何も無いことが役立つのです。形の有るものが役立つのは、形の無いものが支えているからこそではないか...深いですね。この思想は、多くの人に幸せを運びます。職場で冗談を言っては雰囲気を和ませてくれる人、わたしが飲みたいからと気軽にみんなにお茶を入れる人、さっさと雑巾がけをしてさわやかな気分を作る人...。その人たちがいてこそ、仕事の成果もあがります。
そんなこんなに思いが行くと、絵には、昔々の、老子が登場するような景色をかいてみようと思いました。無謀なこと、なのですが...。そして、できあがった作品が写真のものです。このあと、白い釉薬をかけました。お茶碗は真白になりました。この後、本焼きに。
仕上がりを見るのは、こわいです。しかし、それに耐えなければなりません。
「さて、本焼きには、酸化と還元の二通りがありますよ。どちらにしましょう。」
師匠の言葉です。どうやら、還元とは、途中で酸素の供給を断つらしいのです。そして、還元の方が呉須の色がくっきり出るということです。絵に自信がないのでぼやけた方が無難かなと思って、「では酸化で」と言おうと思った、その時です。
「これだけ描いたのだから、還元がお勧めですよ」という師匠の言葉。
師、師匠、それはあまりにも...と言いかけたものの、口から出た言葉は、「還元でお願いします。」
何という、わが心の二面性。まだまだ、修行が足りません。
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【本学(八洲(やしま)学園大学)には家庭教育専攻があり、道徳/子育て/心の教育/人生、について学ぶことができます。インターネットでの学習で、自宅に居ながら大学卒業資格を得ることができます。関心のある方は、右上の八洲学園大学のリンクをクリックしてお入り下さい。】

2009年6月 4日

家庭教育/道徳/人生/心を正す3

 体には思いもよらない変調の起きることがあります。一昨日のことでした。大学で授業を終え、ほっと一息ついてお昼を食べた直後、体の中から急に苦しさが湧き起こってきました。座っても、立ってもダメです。もがき苦しむという言葉がありますが、まさにその状態でした。それまで授業をしていて何の違和感もありませんでしたのに、急転直下、いったいわたしの体には何が起こったというのでしょう。保健室のベッドに横になってもダメです。苦しさがつのります。心配してくれた事務の方が救急車を呼んでくれました。救急隊の方、病院の方、いろいろな方のお世話になりました。そして、その苦しさの正体が分かりました。尿管結石。三時間ほどであの苦しさはどこかへ行ってしまい、もとの体にもどりました。ずっと病院で付き添ってくれた大学の事務の方、ありがとうございました。冗談の言い合える人が、そこにいるだけでどれほど心強いことか、骨身に染みて分かりました。(今までのご無礼をお許しください。)
 昨日、自宅の近くの病院で精密検査を受けました。レントゲンで見ると、わたしの膀胱の中に小さな石がありました。あの苦しさをつくり出した石です、...しかし、その石はわたしの分身でもあります。「獅子身中の虫」という、『梵網経』から出た言葉が胸をよぎりました。自らの体・組織を壊すのは、外敵ではなく、おのれ自身がつくりあげている虫・邪心である。仏弟子でさえそのように自分を戒めるのです。わたしももっと...と自戒をこめて、精算をするために受付に並んでいるとき、壁に掲げられている額縁の中に面白い文字を見つけました。

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額には、この病院が創立のときにかかげた病院名の墨書されたものが掲げられていたのですが、その中の「天」と言いう文字が、現在使われている文字とは違うのです。そのときのメモが、写真(「天」という文字の部分のみメモ)のものです。「兀」という文字が上下に並んで、「天」という文字になっているのです。これは、どのようなことを言い表そうとしているのでしょう。「天」は、大人(たいじん・おとな)の「大」という字の上に一を書きます。人の上にある、大いなるものを表わそうとしているのでしょう。「兀」は、元気の「元」をつくっているものです。元は「もと」の意味ですので、「兀」を、上下に二つ重ねるということは、「もと」の「もと」が「もと」の上にあり、それが、「天」ということを言い表しているのかな...とも思ったりしました。

 実は、前日の授業「道徳心の育成」のテーマが、「美しい心」でした。美しさは、それを求めるところにあります。日常生活の枠を超えたところにあり、すばらしい価値を具えていると感じるから美しいのです。夕焼けなどの誰の目にも美しいと思われる光景を目にしても、その美しさが、どれほどの価値をもって身に迫ってくるかは、人により千差万別です。「ほっ、夕焼けだ」と一応は感激する人、「ええっ」と思って立ちすくんでしまう人、と見る人によって美しさの度合が違ってくるのです。例えば、童謡に「叱られて」という歌がありますが、そのように、夕方、子どもが親から叱られてお使いに行ったとします。その辛い気持ちのとき、きれいな夕焼けを目にしたとしたらどうでしょう。その美しさは生涯を支えるものとして心に宿ることになるのではないでしょうか。普段の生活に「もと」があります。その上にも、きっと求めるものがあるのです。そしてそれも、自分の「もと」にしていけるのです。その「もと」の「もと」に気づき、そこに身をゆだねることができると、邪心を離れることができます。そこに美しい心があり、それはまた、「天」という文字を、「兀」の二段で表わそうとしたところにも通じるのではないか。
...と、昨日のことを思い出していたら、家人に、昨日、病院からもらった薬(石を溶かす薬)を飲むのを忘れている、と注意されてしまいました。普段の生活の「もと」も、大事なのでした。

2009年8月10日

家庭>道徳>家族生き生きエッセー5


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家族に起きた「いい話」のエッセー集、『家族生き生きエッセー5』を、専用ホームページにUPしましたので、どうぞ、下記の⇒の先をクリックして、ごらんください。今回で5回目になります。
 子どもたちの目線がとてもすばらしいです。生きることへのエネルギーが、たくさん湧いてきます。
 その『家族生き生きエッセ―5』の表紙を飾る写真を探していて、カメラの中に、今年の5月に撮った写真があることに気づきました。その一枚がこの写真です。足利市にある、大藤を見に出かけたときのものです。堂々とした藤の生き方に、生きるエネルギーを感じました。聞くところによると、この大藤、以前は市街地にあったそうですが、多くの人々の力を得て、自然豊かなこの地に引っ越してきたとのこと。さぞ、難事業であったことでしょう。大藤は人々の願いを受け、見事に根づきました。大藤の、世代を重ねて生きる姿は、見る人々に、生きることの何たるかを投げかけてくれます。
 いにしえの人たちは、「世代」という期間を「三十年」と考えました。10で「十」、20で「廿」、三十で「世」です。人が家族をつくりあげることも、三十年はかかります。大変なようにもありますが、大藤を見るとき、前の世代に生きてきた人々の命の営みを引き継いで行く貴重な日々でもあることを考えさせられます。大藤は、人生の水先案内人のようでもありました。
 さて、家族生き生きエッセーの表紙には、この大藤を守っているかのように、その場所の入り口に咲いていた花の写真を用いることにしました。以下のホームページにあります。どうぞ、訪れてください。そして、家族と共に生きることのすばらしさを味わってください。
 クリック⇒  家族生き生きエッセー5

2009年8月20日

家庭>道徳>子育て>心の教育>心の窓


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昨日の夕方、横浜駅への道をたどっていると、花屋さんの店先に秋を見ました。「窓」から出る光を浴びて輝く穂はまさに秋、神代植物公園のパンパグラスを思わせてくれました。立ち止まって見とれているうちに、いつの間にかあたりは暗くなっていました。一日の終わりです。家に向かって歩き出しました。

 人は、朝、家を出て、夜、家に帰ります。時には、朝にはなかった暗い思いを家に持ち帰ることにもなります。それは、子どもも同じです。憂うつな気持ちで家に帰って来る子どももいることでしょう。しかし、家の前に立ち、「窓」の明かりを目にすると、心は落ち着くはずです。そのとき、「ただいま」「お帰りなさい」という会話で生産されていく家族との生活に、いっそうの価値が出てくるのです。

 窓とは何でしょう。窓は壁に穴をあけたものです。当り前のことですが、ふと心を遊ばせてみると、面白いことに気づきます。「窓」という漢字には「心」という漢字が付いています。「窓」にはどうして、「心」がある...。

 古代中国の老子という人は、窓を「無用の用」という考え方を説明するために用いました。用とは「はたらき」という意味で、その意味をつかって「作用」という言葉もあります。ものには、はたらきのないはたらきがある...その例に窓がある...なんだなんだ、です。
 家を建てるとき壁をつくります。しかし、壁には穴をあけて窓にします。窓は壁を無しにするのです。そのことが、壁のはたらきをよくしていることになります。壁の中にうがたれた窓は、はたらきがないようにあって、大きなはたらきをしている...。
 そのことは「心」の在り方にもいえます。かたくなになって壁をめぐらせている心には、具体的な悩みを聞き、解決策を示してあげることが本人のためになるはたらきのようです。しかし、解決策がないから悩みなのです。そのようなとき、「お帰りなさい」の一言、そして手作りの夕食が、沈んだ心に風穴をあけることでしょう。その窓から明るさが入ります。窓は違う世界を呼び込むのです。 
 家に帰り着いてみると、焼きナス、タコのカルパッチョ、厚揚げの煮しめ...。心は別世界に入りました。そこには、外での憂うつなことも、水に流していく何かがありました。
 鴨長明いわく、「行く川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。」...そうですね。水は絶えず流れていくのです。
 生きていると、日々、子どものこと、学校のこと、友達のこと、職場のこと、いろいろなことで悩みは湧いてきます。それはいつの間にか壁のようにもなるでしょう。しかし、そのような憂うつなことも、心に風穴をあけて「窓」を築くことで水に流れ、心は安定していくのではないでしょうか。だからかな、窓という漢字に「心」があるのは。...確かめるすべはありません。

2009年8月30日

家庭>道徳>子育て>心の教育>豊かということ

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田んぼの畦に立ちました。田んぼには稲穂が実っていました。秋です。遠くから、「オーシ、ツクツクオーシ」というセミの声が聞こえていました。子どものころは、このセミの鳴き声を耳にすると、夏休みが終わるさびしさに覆われたものでした。
稲穂が実る田んぼの風景は、これぞ日本です。日本のことを、そのむかし、瑞穂の国といいました。瑞穂の国には、米がよく実る、めでたいという意味が込められています。

田んぼの上には2匹のつながったトンボが飛んでいて、電柱を支えているワイヤーに止まりました。のどかでした。むかし、トンボのことを秋津といいました。で、日本のことを、秋津島ともいいました。なんでも日本神話によれば、神武天皇が国土を上から見てみると、国の形が2匹のトンボがつながっている形に見えたので、そのように言ったというのです。そういわれて本州の形を改めて思い描いてみると、東北地方が頭で関東地方が尾、中国地方が頭で関東地方が尾、そして、2匹は関東地方でつながっています。なるほど、です。しかし、それはいいのですが、人工衛星のない時代、どうしてそのように本州全体を見ることができたのでしょう。ま、それはそれとして...。

今から数十年前の中国でのことです。秋、このように豊かに実った稲穂を前にした人々は考えました。やがて、スズメが飛んで来て稲穂を食べます。それで、スズメを退治することにしました。スズメは夜、竹藪に集まって寝ます。そこで、その竹藪に網を仕掛け、それこそ一網打尽にスズメを退治したのでした。ところが、次の年は凶作になったというのです。調べてみるとわかったことがありました。スズメは稲穂の米をついばみます。でも、稲が成長する過程においては、稲に付く虫や田んぼの雑草の種をたくさん食べていたのでした。田んぼに豊かに実った稲穂は、スズメのお手伝いがあったからなのです。豊かさは、思いもかけないものによって裏打ちをされている、だから豊かであるのかもしれません。

 わたしたちも、思いもかけないできごとによって裏打ちをされているので今がある...ということがあるのではないでしょうか。
 わたしは、子どものころ、竹職人さんのする仕事をよく見ていました。職人さんは、長い竹を器用にパカパカと、リズミカルに細く割っていきます。そして、細く割った竹の皮をシュッシュッと、きれいにはがしていくのです。さらには、その竹で輪を編みあげます。木の板をまるく囲い、そのまわりにその輪をはめると、水漏れのしない桶のできあがりです。見事でした。その輪を「たが」というのだと教えてもらいました。
 わたしはやがて教員となり、運動会をすることになりました。そのとき、運動会の目玉、大玉ころがしの大玉を自分で作りたくなりました。そして、竹を切り、竹を割り、竹を編みあげ、紙と布を貼って、その大玉ができたのです。そのとき、子どものとき見た竹職人さんの技を思い出し、生かしたのはいうまでもありません。
 今、子どもが見ていること、していることが、自分の人生を豊かにしていくことにつながります。豊かな心とは、それを可能にする心だと思います。たくさんのことが、心を支えていきます。この夏休みに、その仕込みがありました。それが未来に続きます。夏休みの成果は、宿題だけではありませんでした。

2009年9月 5日

やわらか道徳教育>道を歩く


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夜が長くなりました。昨夜、歩きました。夜のウォーキングです。ひんやりとした空気は秋の空気でした。街灯の光が白く輝いていました。携帯電話のカメラでカシャッ。まさに、白秋。
 
 道徳は、道という文字と、徳と言う文字を合わせてできています。道は心に生じる人生の道。徳のギョウニンベンは「行」の字から来ていて、「行」の字は交差点の形からできています。よって、徳とは、交差点を真っ直ぐに進む心となるでしょうか。そして、そのような意味をもたせられた道と徳とを合わせると、道徳とは人生の道にある交差点を真っ直ぐに進む心となるのでしょう。

 川沿いの道を歩きながら、人生の道をも歩いている自分を、ふと思いました。今までの人生の中で交差点はいくつも現れてきました。そのときどきで、交差点の向こうに明かりが見えました。明かりは、自分にとっての「価値」を照らしてくれました。だから、その交差点を渡る勇気や元気が出て、その交差点を渡りました。

 人生を、季節になぞらえ、「青春」「朱夏」「白秋」「玄冬」といういい方で表すことができます。「青春」「朱夏」のときの、交差点に立って明かりを見るときの気持ちは今とは違っていたように思います。「青春」のときには若々しさがありました。「朱夏」のときには燃えるような激しさや勢いがありました。しかし、今、それはないです。何だか、今までの惰性で生きているような気がします。

 もともと白秋といったのは、その昔、秋のころになると白い金属がひんやりしてくることからとか。白い金属とは鏡などでしょう。昔の鏡は青銅でできていました。鏡には老いた身が写ります。自分のいやなところが出てくるのです。それが、白秋か。そのような思いにとらわれて、白い街灯の光に照らされて歩きました。心は暗くなっていました。

 そのとき、突然、チューリップの歌声が心に浮かびました。...「ほんの小さな出来事に 愛は傷ついて 君は部屋をとびだした 真冬の空の下に 編みかけていた手袋と 洗いかけの洗濯物 シャボンの泡が揺れていた」...「サボテンの花」です。心の中に、作用・反作用の働きが起きたのでしょう。青春のときの思いが心にわいてきたのです。心は軽やかになっていました。そういえば、歩くということは、後ろの足を前に運ぶという動作をすることです。人生にもそのようなことがいえるのかもしれません。後ろに去った思いを前に運ぶ、そのことで、前に進む気力が出るのかな。白秋は青春や朱夏を確かめ、それをもって玄冬に向かう気持ちをつくりあげる時期かもしれません。そんなことを考えていたら、手もとのストップウオッチが1時間を示していました。

2009年9月 6日

やわらか道徳教育>生命の大切さ


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 桑の木が三階建ての校舎と同じくらいの高さに背を伸ばし、秋の斜光を浴びていました。この桑の木の下にある研修室で、二か月に一回ほどの間隔で論語の研修会を始めて20数年がたちます。
 今から十数年前のある日、その教室の窓の外に小鳥が止まってしっぽを動かしていました。それから、数ヶ月、大地に芽が出ました。ときおり見るその芽は、やがて桑の木だということがわかりました。
「その木は残しておいてやれよ。」
 草刈り作業をしていた人の話が聞こえたこともありました。それにしても、このように背を高く伸ばす桑の木は、めずらしいです。いろいろなことが重なって、この木はここに在ります。

 さて、先週の土曜日の午後、その桑の木の下にある研修室で、数十回目の論語の研修会が始まりました。その中で次の、孔子の言葉が出てきました。
「死生命有り、富貴天に在り。」(顔淵第十二)
 司馬牛という人が、兄が死ぬことを嘆いていたとき、子夏という孔子の弟子が、司馬牛の心を安らかにするために、孔子の言葉を引用して、ことの道理を説きました。そのとき引用した孔子の言葉です。この孔子の言葉を、朱子が、次のように説明しています。

「命(めい)は有生の初めに稟(う)け、今のよく移すところに非ず。天は、これを為(な)す莫(な)くして為(な)す。我の必(ひっ)する所に非ず。ただ、まさに順(したが)い受(う)くべきのみ。」

 この言葉の意味を...生命は、生まれたときに天から授けられたものであって、今、自由勝手になるものではない。天は作為をもってそうしたのではない。生命は、わたしがこうしたいと思っても、必ずそうできるものではない。ただ授けられた生命を精いっぱい生きるところに生命が在る。...ではないかと読み解いたのでした。

 そのとき、ふと窓の外にある、あの桑の木が目に入りました。そして、桑の木の生きる姿が、まさにその通りだと思いました。あるとき、桑の実を食べた小鳥が飛んで来て窓の外に種を排出し、その種が何らかの作用で土の下に入ったところから、桑の生命は活動を始めたのです。そして、与えられた生命を精いっぱい生きています。

 授けられた生命を精いっぱいに生きていく...ここに、生命を大切にしている姿があります。自分の生き方が果たしてそうであるのか、反省することしきりで、桑の木に教えられたのでした。

2009年9月11日

やわらか道徳教育>礼儀の価値はどこから来たか


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先週の日曜日、お祭りの「のぼり」が立っていました。秋祭です。のぼりには「祭礼」と書いてあります。ここに、「礼」という文字があります。この、お祭りの中の「礼」に、意味を感じたのは十数年前のことでした。

 もともと、子どものころから、お祭りは、どうしてお祭りなのかと、とりとめもないことを考えていました。ふるさとでの祭りでは、神社に集まって大人たちは獅子舞を舞いました。子どもたちも獅子舞の前で「うちわ舞」を舞いました。見物する人たちの前で、獅子舞やうちわ舞を舞うことがお祭りだと思っていたのですが、何だか今一つ、理解が進みませんでした。

 で、今から十数年前、「礼」は簡略化した文字で、もとは「禮」という形であったことを知りました。礼と禮ではイメージが違います。禮はなかなかに美麗です。「へん」は、「示」となっています。禮は、示すこと、示されること、にかかわるのです。いったい何を示すの?何だか興味がわきます。そこで、「示」の文字の成り立ちを調べると、台の上に-が乗っている形から示の形になっていることがわかりました。台は神を寄り付かせるためのものだというのです。だとすると-は寄り付いた神の形であり、示という形で、神が寄り付いたことを表現しているのでしょう。示されているのは神の存在ということになります。また、禮の「つくり」は、「豊」です。これも、「豊」の文字の成り立ちを調べると、台の上にお酒をのせている様子を表した形であるらしいのです。このことから、禮は、寄り付いた神にお神酒をささげ、それをいただくときのことではないかということが考えられます。それが、お祭りのときにありました。

 子どものときの、お祭りのときの様子を思い出してみると、神主さんが、いろいろな動作をした後、うやうやしく、お神酒をささげ、いただいていました。神はおごそかな存在です。お神酒をささげたりいただいたりするには、神をあがめるための作法がありました。みんなが見守る中で、作法にのっとった振る舞いをすることによって、神との対面という一大行事は整然と行われました。みんながその作法に価値をもっていたから、心を一つにすることができたのです。作法は人々によって大事に伝えられてきました。地域の人々はそれを守ることによって、地域社会に共に生きる連帯感を感じていたことでしょう。それが、社会秩序の形成になっていました。
 
 そのように、昔から伝えられていることに価値をもつことによって、人と人との間に心を通わせることができます。それが伝統の力であり、禮を使った言葉、礼儀、の価値をそこに見ることができます。あいさつがそうです。服装もそうです。

 そのことに気づいて以来、仕事場ではネクタイをするようにしました。当時、職場は小学校でしたが、子どもたちの前でも毎日欠かさずにネクタイをしめるようにしたのです。子どもに礼を尽くすことが、子どもとの学び合いの基本だと思ったからでした。それによって、自分の気持ちに落ち着くところができました。すると、気持ちが楽になりました。首をしめつけて楽になるのですから不思議です。人は、社会的なかかわりの中に落ち着くところを得ることによってこそ、自分の生き方を進めて行くことができます。

2009年9月14日

やわらか道徳教育>美しさ

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 わたしたちは「美しい」という形容詞を使うことがあります。そのとき、美しいという言葉を使って、自分の心の内にある、何を表現しているのでしょう。
 
 家の近くの川面を見ると、この頃では、黄色くなった桜の落ち葉が浮かび、ゆったりと流れて行きます。その流れを見ていると、ずっと下流まで歩いてみたくなりました。地図を見ると、川沿いに道はあります。そして、はるか下流で大きな川に合流しています。その合流地点の近くに電車の駅があります。そこまで歩いて行けば、帰りは電車で帰って来ることができます。

 昨日の日曜日、それを決行しました。午後1時半出発。心ははずみます。30分のところまでは、来たことがありました。そこからは、いよいよ未知の道です。今まで車で通ったことのある大通りを横切ったり、乗ったことのある電車の線路の下をくぐったりと、知っていたはずの場所も、違うルートからたどり着くと、なんだか別世界です。途中には、川の水を引き込んでの釣り堀や公園もあり、多くの人たちが楽しんでいました。お祭りの神輿にも出会いました。まさに天下の日曜日。しかし、2時間を経過した頃から、あたりを楽しむ余裕はなくなり、目的地はまだかと、歩き終えるときが来ることをひたすらに望むようになっていました。そして、地図を頼りに歩くこと3時間。やっと、めざす駅の前に到着。まずは、ほっとして、座り込んでしまいました。

 気がつくと、太陽は斜めに、強烈な光を投げかけています。今まで、歩くこと、目的地に着くことに精一杯で、心は張り詰めていました。その我執がなくなったところに、この写真の光景が飛び込んできたのです。人々の生活を照らし終えた秋の陽光は、橋の欄干の向こうに、静かに消えようとしています。それは、あたかも、道行く人々の、一日を過ごした荒々しい心を鎮めようとしているかのようでした。美しいと思いました。

「美しいものに触れ、すがすがしい心をもつ。」これは、小学校学習指導要領の、低学年で示されている道徳内容です。中学年は「美しいものや気高いものに感動する心をもつ。」で、高学年は「美しいものに感動する心や人間の力を超えたものに対する畏敬の念をもつ。」です。「美しいもの」に触れること、そして感動できる心を育てることが、心の教育にとって欠くべからざることなのです。それは、人が人となっていく大きな要素となるのでしょう。

「美しい」という言葉の「美」には、「よい」「りっぱな」という意味があります。美談、美徳、などの言葉は、その意味を使った言葉ですが、美という言葉を用いるとき、そこによいものがあることを言おうとしています。美しいものに触れ、美しいものに感動するのは、心が、それを求めているからであるのでしょう。

 季節は秋。先日、彼岸花を見ました。日陰に、ひっそりと咲く姿に、何だか心を寄せられました。これから冬にかけて、自然の景色が様々な「美」を授けてくれます。それらに心を遊ばせながら、自分の求めているものを探してみると、心の中は、さらなる深まりを見せてくれることでしょう。

2009年9月18日

やわらか道徳教育>葛藤(かっとう)


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 とある郊外の川の土手に、葛(くず)が茂っていました。よく見ると、その中に新芽が出ていました。この季節にもかかわらずに新しい葉を生み出し、夕日に向かって頭をもたげていたのでした。これから寒くなる季節を生きるのは、さぞかし大変なことでしょう。しかし、その逆境を、凛として跳ね返そうとしているかのようでした。

 この、葛という漢字を使った言葉に、葛藤(かっとう)という言葉があります。葛(くず)と藤(ふじ)、どちらも、蔓(つる)性の植物の名前ですが、並べられて「葛藤」という言葉がつくられているのです。生活ではなじみのない言葉ですが、道徳教育ではよく使われます。「Aの生き方がよいか、それともBの生き方がよいか」と、ABの価値ある生き方を対比することで、生きる価値の真実をクローズアップしていくのです。小学校学習指導要領は次のようにいいます。「悩みや葛藤等の心の揺れ、...を積極的に取り上げ、自己の生き方についての考えを一層深められるよう指導を工夫すること。」...心が引き締まります。でも、葛と藤が、どうして生きる価値を対比する鑑となっているのでしょうか。

 そういえば、人には、葛や藤の蔓(つる)のように考えがからまることがあります。先日の総選挙が、まさにそのような状況であったことでしょう。Aがよいか、Bがよいか、はたまたCがよいか。しかし、心が揺れ動くだけでは、不安を増幅させるだけにしかなりません。心を揺れ動かしながら、ベクトルを真実に向かわせる必要があります。

 そこで、考えがもつれることを葛藤というのですから、からまっている糸口を見つけるために、そもそも、その葛や藤が示してくれている生き方を見てみましょう。

 葛はワイルドな雰囲気を漂わせています。低いところへ、平坦なところへ、そして、高いところへも伸びて行きます。低木であれば覆い尽くします。それは、いわば、なりふりかまわず、自己を主張し、相手を飲み込んでいくかのような生き方です。

 ところが、藤は違います。この頃では、藤は公園などに藤棚を作って植えられていますが、本来は自生しているものです。子どものころ、山で自生している藤を見たことがありますが、高い木の上に、花を咲かせ、後に実をならせていました。その蔓(つる)は木をしめつけるというのではなく、木のお世話になっているという感じで、あたかも他者によって生かされていることに感謝して生きているかのような生き方でした。 

 葛も藤も、それぞれに、価値のある生き方を知らせてくれます。人には、葛のように自己を前面に出して生きて行く「たくましさ」も必要です。また、藤のように他者によって生かされていることに価値を感じて生きて行く「おうようさ」も必要です。自分はどちらをとるべきか、それを考えることで、葛藤を実のあるものにしていく糸口が見つかるのではないでしょうか。

 それにしても、写真に撮った葛の若芽は、けなげに生きようとしていました。心が温かくなりました。

2009年9月21日

やわらか道徳教育>規範意識


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 先週の土曜日の朝。外には気持ちのよい、やわらかな日差しが降り注いでいました。その陽光にひかれ、カメラを持って外に出ました。
 街路樹には白い花が咲き乱れ、風にゆれていました。花は夜を徹して日の出を待ちかねていたかのように、折からの風にゆれながら朝日をいっぱいに浴びていました。

 また、そこには何匹もの蝶がいて、花の間を飛んでは、花の蜜を吸っていました。たっぷりと夜露を含んだ花の蜜は、降り来る朝日によって豊潤な香りを蒸散させているのでしょう。花から花へとわたり行く蝶の姿に、うれしげなふるまいを感じました。

 花にとって、そして、蝶にとっては、朝日の到来が、晴れやかな一日の始まりとなっているかのようでした。太陽は、すべての生き物に、生きる力を授けてくれます。人間もその生き物の中の一員です。花や蝶と一緒になって朝日を浴びていると、今日という一日に、何かいいことがありそうな、そんな予感を感じさせてくれる喜びがありました。

 近年、道徳教育で、規範意識の育成が課題とされています。社会のルールを心得る、自分の行動に責任をもつ、などの意識を、今まで以上に育てようというものです。現代は、そのような社会情勢にあるのです。規範の規は、定規の規です。心の中に、定規のような行動の手本となるものがあるといいのですが...。しかし、文明の発達は、それまで社会が規範としていたものを取り払って来ました。昼と夜、善と悪、大人と子ども、学校と家庭、父と母、親と子、教師と子ども、生と死。文明の進歩によって、これらの間が、あやふやになっています。それは人間が求めてきたものではあるのですが、そこに、心のケアが追い付いていないようです。これらの間を分かつ「ものさし」を手に入れることが、規範意識を高めることになるのではと思います。

 朝日を浴びた心地よさの中にいると、その、規範意識の大本は、生命の根本である朝日を浴びることによってできていくのではないかとも思いました。人には感情があり、時に、喜怒哀楽などの気持ちによって、いいかげんさ、自暴自棄、悩み、ごうまん、などの自己が起きます。その自己が、自身にある規範を覆い隠すのです。そして、ストレスとなってたまります。ところが、朝日は、そのような「規範を覆い隠す自己」を吹き消してくれるようです。

 花や蝶のように、朝を迎え、朝日を浴びることに喜びを感じることが、文明の発達した今こそ、人にも必要となっているのかも知れないと思ったのでした。

2009年9月28日

やわらか道徳教育>誠実


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 道端に生えている、とある草も豊かな実りの季節を迎えていました。田んぼの稲のみならず、山野のあちこちで、豊かな実りを見ることができます。

 この、「実る」の「実」という文字は、もともとは「實」と書きました。「うかんむり」に、「毌という文字に似た文字」を書いて、「貝」と書きます。

 貝は、大昔、「こやすがい」が貨幣の代わりに使われたことで、財宝や貨幣などを意味する漢字につかわれることが多いです。また、「うかんむり」は家の屋根の形をかたどったもので、家を意味します。うかんむりと貝とをつなげると、家の中に財宝がある状態を表していることになります。で、ここで問題になるのが、「毌という文字に似た文字」です。

 この形をよく見てみると、□が集まっています。家の中にある□ですから、□は部屋と考えるとよいでしょうか。家に多くの部屋があると財宝をたくさんたくわえることができます。これらをあわせると、「実」は、家に財宝がたくさんたくわえられた状態であると、想像することができます。貝は、財産となるもの、宝となるものです。それが、家にたくさんたくわえられた状態が実るということなのでしょう。この家を、自然に、田んぼに、道端に、そして、人に、人の心に、置き換え、考えを進めていくと、「實る(実る)」という言葉が表現しようとしているものの価値をつかむことができます。

 誠実という言葉があります。誠(まこと)の心を、心の中にたくさん実らせることが誠実な生き方であり、心の中に、誠の心がたくさんたくわえられている人のことを誠実な人というのでしょう。いい生き方です。

 で、誠とは何でしょう。誠という文字は、「言」という文字と、「成」という文字でできています。言を成す、ですね。「わたしはこのようなことをしたい」という志を立て、それを成し遂げようとする心が「誠」であるのでしょう。その誠を心の中に、一つ、二つ、三つと、たくわえていくことで「誠実」となります。

 昨日、本学で、秋の卒業式が行われました。卒業を迎えた学生さんたちは、まさに、「誠実」な生き方を実現した人たちでした。卒業に至るまでに、心の中に、多くの財がたくわえられていったことでしょう。みなさん、晴れやかな顔をしていました。また、ネットを通じて、それぞれの地で卒業を迎えた方もいらっしゃいました。心から、お祝いを申し上げます。今のみなさんには、「誠実」という言葉がとてもふさわしいです。
 今後とも、自分の心に、たくさんの財を実らせていってください。おめでとうございました。

2009年10月 9日

学校・家庭マネジメント道徳>つらさを生きる


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 ケイトウを見ていたら、何と蚊がやって来て、蜜を吸いました。そんなばかな...。ありえる話かな...。
 蚊は、人の血を吸うのではなかったの?蚊を見かけると、「血を吸われる」、「叩きつぶさなければ」と、とっさに思います。特に、秋の蚊は身のまわりに寄ってきて、なかなか離れません。こちらの隙をうかがっています。冬越しを前に蚊も必死だなと、思っていたのでした。

 気になって調べてみると、ふだん、蚊はオス・メスとも花の蜜・果物の汁・樹液などを吸い、メスのみが、産卵の前に血を吸うとのこと。では、わたしに見向きもしないでケイトウにとまっていたのは、オスの蚊か、産卵前ではないメスの蚊ということになります。いずれにせよ、この、写真に写した蚊は、おだやかに、自分の生き方を生きていたのでした。蚊さん、誤解していましたよ。申し訳ない。

 どうも、わたしたちは、見方が一面的になるところがあります。蚊は血を吸う、蚊は病原菌を運んでくる、という知識を得ると、蚊を悪いものとしてしか見なくなってしまいます。思えば、ケイトウの、細くとがっている花の中にある蜜を吸うには、蚊のように先の長くなっている口が必要です。そう、蚊は、必要とされているのです。ケイトウの花にとっては、その口先に花粉を付けて他の花と受粉をしてもらえるので、願ってもないほどのありがたいことなのでした。蚊はケイトウの花を生かして、生きていたのです。蚊とケイトウの花とは、助け合っています。

 今まで、蚊に対して、何という邪悪な存在なのかという思いが先行していました。生き物の血を吸って生きることから、さげすんだ見方もしていました。しかし、反省です。この日見た蚊は、優雅に生きていました。蚊は、蚊として生まれ、もって生まれた自分の生き方を生きようとしていたのです。(人の血を吸いに来たときは、人も、人としての生き方をかけての真剣勝負、とまいりましょう。)

 人も、人として生まれ、子どものときから、家族の間や、学校のみんなの間の中で、人として生きていく術を身につけて行きます。しかし、人は心をもつ存在であるが故に、かえって複雑なことにもなります。相手のことが気に入らないと、ひやかしをし、いじめをし、暴言を吐き、...。人は人といることがうれしく、人に喜び与えることで自分にも喜びが生まれ、人と共に生きることの中に自分の生き方を見出せるはずなのに、逆に、人を傷つけ、己の気分を相手にぶつける、ということがあるのです。

 なかでも、最近起きた、小学生殺人未遂事件のことを思うとき、心のざわめきは続きます。小学生に暴行し、海に落としたとして逮捕されたのは、15歳の少年と中学生。また、その少年たちにそそのかされる形で、被害者と同じ小学校の子どもも暴行に加わっていたとのこと。教育担当者は、「あってはならない事件。各校の道徳教育のあり方を見直し、家庭と連携していきたい」と語っていました。また、報道関係者は、「警察の捜査とは別に、地域や学校、それに家庭の役割を、もう一度、見つめ直すことも忘れてはなりません。」と、訴えていました。関係者の心痛がよく伝わってきます。何とか、荒んでいる子どもの心を救いたいのです。

 重大事件が起きるたびに、識者から、上記のような「学校の道徳教育のあり方を見直し、家庭と連携する」「地域や学校、それに家庭の役割を、見つめ直す」という方向性が発せられます。が、今までの事からして、その思いが、それを必要とする子どもの心に届くには、はるかな道のりがあります。果たして、どのようなことを、学校の中に、そして、家庭の中に、押し広げていけばよいのでしょうか。

 報道を見ると、逮捕された少年は、小学生のころ、なぐられたり、くつをかくされたり、教科書をかくされたりと、数々のいじめにあっていたとのことでした。これにも、心が痛みます。つらい小学生の時代を生きています。そのつらさをもって、くじけないで生きていくためには、道徳として、どのような見方を授ければよかったのでしょう。

 星野富弘氏の書いた詩の中に、次の言葉があったのを記憶しています。
「喜びが集まったよりも 悲しみが集まった方が しあわせに近いような気がする。」
 人は、だれしも、しあわせを求めます。しあわせは、喜びを感じることでしあわせになります。しかし、喜びの反対の、悲しみの中にしあわせへの近道があるというのです。軽々にうなずくことはできませんが、含蓄のある言葉であることはわかります。そして、しばらくこの言葉を見ていると、心をそのように整理してみたいという気もしてきます。それは、そこに、つらい中から明るさを見出していく生き方への入り口があるからでしょう。
 つらいことに出会っても、嘆いて自分をいじめるのではなく、人に卑屈になるのでもなく、自分の生き方を自分なりに展開していくことに自信をもつことができれば、自分の生き方を見出して、しあわせに近づくのではないでしょうか。そこに、自立があります。
 
 学校も、家庭も、組織体であり、運動体であり、社会を形成しています。しかも、子どもを、核にして構成された社会です。子どもが、悲しみを抱いても、学校や家庭で心の落ち着く場所を得ることができれば、みんなと共に楽しい社会をつくりだそうとする心をもつことでしょう。そのことによって、その社会は社会としての目的や機能を果たすことになります。そのように、子どもが学校や家庭という社会をつくりあげようとするためのいろいろなことを、改めて整理してみたいと思いました。次回から、シリーズ「学校・家庭マネジメント道徳」として、書いて行きます。

 今回、蚊の優雅な姿を見たことから、思わぬ展開となりました。これも、時期の到来かも知れません。

2009年10月15日

学校・家庭マネジメント道徳2>生きる力


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何と、台風の後にアサガオが花を咲かせました。台風18号が大風を吹かせたのは10月8日でした。その三日後、10月11日のことです。

このアサガオ、ツルはほとんど枯れ、見るにしのびなくなったので取り払おうと思っていた矢先に台風が来たのです。台風に痛めつけられ、それに「耐えた」ことが、かえって自分を取り戻すことになったのでしょう。花びらの大きさは往時の三分の一くらいの大きさで、小さなアサガオでしたが、どことなく、気品を漂わせているようにも感じました。「耐える」ことはつらいことです。しかし、それによって、自身に磨きをかけていくことができます。それが、「生き物」の証であって、生き物にある「生きる力」を見た思いがしたのでした。

さて、このことを、どう思うかです。人間も生き物です。だから、生き物としての耐える力・生きる力があってこそ、厳しい自然界の中で数百万年という年月を重ね、人という種(しゅ)を今に伝えることができています。

 かつて、艱難(かんなん)という言葉が使われ、「艱難(かんなん)汝(なんじ)を玉(たま)にす」という言い方が、人の生きる道筋を照らしたこともありました。人々は、その価値を、ことわざや名言として残し、伝えてきました。
 ・臥薪嘗胆(がしんしょうたん)
 ・雨垂れ石を穿つ(あまだれ いしをうがつ)
 ・成らぬ堪忍するが堪忍(ならぬかんにん するがかんにん)
 ・思う念力岩をも通す(おもうねんりき いわをも とおす)
 ・石の上にも三年(いしのうえにも さんねん)
 ・縁の下の力持ち(えんのしたの ちからもち)
 多くの人々が、これらの言葉を鏡にして自己を映し出し、なるほど・そうだ・もっと精進せねばと、自分に喝を入れ、前に進んできたことでしょう。

 人にも、「生きる力」はあったのです。しかし、小学校学習指導要領に、いいます。「学校の教育活動を進めるに当たっては、各学校において、児童に生きる力をはぐくむことを目ざし、...」「その際、児童の発達の段階を考慮して、児童の言語活動を充実するとともに、家庭との連携をはかりながら、児童の学習習慣が確立するよう配慮しなければならない。」...「学校の教育活動」「家庭との連携」で「生きる力」をはぐくむことが求められています。ということは、現代の子どもには「生きる力」が乏しい、ということです。
 
 現代は、文明によって作られた製品が人に楽(らく)な生活を提供し、さらには、もっと楽になる製品をつぎつぎと打ち出してくれる世の中です。それは、見方を変えると、文明が、人の「耐える力」をむしばむことになっているともいえるでしょう。人は、楽になることには弱いです。そちらの方になびきます。しかし、楽ということにかまけていると、気力や体力は萎(な)えてしまう、というのが「物の道理」です。

 今日のテレビの番組で、ある保育園のようすを紹介していました。その保育園では園児が、屋外で、金槌や釘をつかって、しゃがんで板切れの工作をしているのです。屋外ですから、椅子に座ることも、寝そべることも、地べたに座り込むこともできません。園児は、工作のおもしろさに夢中になりながら、知らず知らずのうちに、しゃがみこみます。また、重たい板切れや金槌を使うことで、足を踏ん張ることになります。遊びながら、足腰をきたえているのです。

 足腰が弱いとどうなるか...。
 現在、小学校のトイレは和式のトイレが多いです。ところが、家庭では、体に負担をかけない洋式トイレが普及しています。そのまま小学校に入学すると、和式のトイレにすわって用を足そうと思っても、足腰がふらついて用を足すことができず、トイレに行くのをがまんする子どもが多いとか。それで、子どもが気軽に和式トイレにも行けるように、足腰をきたえているとのことでした。洋式トイレもよいですが、和式トイレにもよさがあります。学校のトイレ設備を洋式に交換ということで問題の解決をはかるのではなく、足腰をきたえればどちらにも対応できる身体能力を身に付ることができます。

 考えさせられました。そう、そのように、どのようなトイレにも平気で行けることが、他の行動力をも大にすることでしょう。自信につながります。身近なところで、子どもの生きる力がそがれ、それを、克服していくことが求められているのだと思いました。

2009年10月19日

学校・家庭マネジメント道徳3>木に育てられる心


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 一個の柿が、わたしの心を締め付けます。せつなく、くるおしく。

 先週の週末、実家に帰省して稲刈りを手伝いました。そして、日曜日、東京に帰るとき、父が、「はい、家の柿。今年の初物よ。」と言って手渡してくれたのです。

 実家では、共に80歳を超えた父と母が農業を営んでいます。父は今年の夏、手術をしました。今までは稲刈りの手伝いに帰省することは無かったのですが、今年は心配になり、帰省しました。お天気にも恵まれ、稲刈りは無事終わり、家を出る間際、父が柿を手渡してくれたのでした。

父から柿をもらう...、50年ほど前、そう、そういうわたしがいました。稲刈り作業の手伝いをしていた子どものわたしに、きれいに皮をむいて食べさせてくれていました。この柿の木は「富有柿」。父のおじいさんが家の周囲にたくさん植えたと聞いています。それ以来、世代を超えて、この柿の木になる柿の実は、その時々の家族に、心の通い合う場を提供して来ていたのでした。それを思い、そしてまた、家を出ていくわたしに、柿の実を枝から折って来て、枝つきのまま差し出してくれた年老いた父の心情を思うと、こちらの目にも涙がにじみます。

そういえば、子どものころ、近所の家々には、その家を特徴づける木がありました。
「なつめの木」のある家、「ゆずの木」がある家、根っ子からニッケイ(カプチーノコーヒーをまぜる棒に似ている)がとれる「肉桂(にっけい)の木」がある家、「金柑の木」がある家、「いくり(すもも)」の木がある家、そして、当時、わたしの家には、柿の木がたくさんありました。

今思うと、それぞれの家では、その木を通して家族の語らいがあったのではないかということに気づきます。収穫があり、だんらんがあり、木の世話をする日常があり、木の下で憩うときがあり、台風への援護があり...と、そのような何気ない日々が、家族のまとまりをつくっていたのでしょう。木は、数十年の長きにわたり、自らの雄姿を披露してくれます。それが世代を超えて、そこに集う者たちの心をまとめていくことに効果があったのではないかと思われます。

また、ある小学校では、校門の近くにある神社に大きな杉の木があるところから、その大杉のようにたくましく育つように、「大杉集会」という異学年の子どもが集まる集団をつくって、いろいろな活動に取り組んでいました。集会の冠に「大杉」があるので、自然と大杉のことに関心が行きます。ある子どもが、次のように話していました。
「毎朝、学校に着くと、大杉が今日もがんばれと言ってくれているように思います。」
 大杉の生きている姿が、一人ひとりの心に、よい道標を投げかけていました。

 家庭は幾世代もの人が世代をつなぐことで成り立っています。学校は同世代の子どもたちが集まることで成り立っています。その家庭や学校で、その社会を構成する人たちの心をまとめていくものを得ることの大切さを、改めて思ったのでした。

 さて、父からもらった、一個の柿の今後ですが、どうしてもすぐに食べる気持ちにはなれません。しばらく、ながめて、故郷の余韻に浸りたいのです。また、自分だけで食べてはいけないような気もします。そこで、今度の日曜日、この柿一個でジャムを作ろうと思いました。そして、家族で分けて食することにします。ジャムのいわれを話しながら。

2009年10月26日

学校・家庭マネジメント道徳4>意欲と欲と


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 先日、帰省したとき、タクシーの車窓から、なつかしいものを見つけました。タクシーを止めてもらって、しばし、見とれました。

 子どものころは、稲の収穫後の田んぼにはこのような光景がありました。稲わらを牛馬の飼料や堆肥として活用するために、稲わらを保存していたのです。しかし、今では、牛馬にはトラクターが、堆肥には化学肥料が取って代わり、このような光景はあまり見られなくなっています。この稲わらは、たたみ、しめなわ、むしろ、民芸品、などの材料になるのでしょう。かろうじて、文化が続いています。

 現代の子どもがこのような稲わらの林立しているのを見ると、何とするでしょう。
公園でサッカーボールがあれば遊ぶでしょう、家でテレビゲームがあれば遊ぶでしょう。しかし、田んぼの中に、このような稲わらがあるだけでは、きっと何の関心も示さないでしょう。そのことを言うと、タクシーの運転手さんと話が進みました。

 かつての子どもたちは、このような稲わらを使って遊ぶことを考えました。狭い空間に多くの障害物があり、足元の土はやわくて機敏な動作ができません。これこそ、「おにごっこ」「かくれんぼ」「かんけり」の舞台として、最適なのでした。やわらかい土の上での、急発進、急停止、急旋回。それによって、先だってふれた、和式トイレでふんばることができる足腰もできあがります。

 また、稲わらを倒さないように気をつけるのですが、遊びに夢中になっていると、つい倒してしまうこともあります。直そうとしても、うまくいかずに、後で叱られることもありました。しかし、叱られて、だから止める、のではなく、今度は、気をつけようと思うのでした。そして、稲わらを倒したらオニを続ける、というルールをつくったりもしていました。遊びに、「意欲」が出ています。

 現代は、物が豊かになり、子どもの遊び道具も様々に開発され、遊ぶ環境も整備されています。子どもたちはサッカーやテレビゲームなどで、夢中になって遊んでいます。しかし、子どもの発する言葉を聞いていると、勝ち負けにこだわったり、相手を非難したりする、感情的な言葉が多いのです。そこでは、遊びは自分の「欲」で覆われています。

「意欲」と「欲」。似ているようで違うようです。欲は本能にそって自己の欲するところを求めることです。また、意は心ですから、意欲とは心を働かせて自己の欲するところ求めることでしょう。で、遊び道具がお膳立てされると、意欲の出る番はなくなり、遊びは欲に左右されるということになるのでしょう。

 学校教育で総合的学習の時間が始まったのも、いわば、この「意欲」の価値を子どもたちに感じ取らせるためでした。ある時、ダンボールを前にして、考え込む子どもたちがいました。そして、運動場にころがっていたボールを展示する台を作りたい、ゴミ箱を作りたい、的当てゲームを作りたい、鉛筆立てを作りたい、筆箱を作りたい、本立てを作りたい...これらの意欲が、楽しい作品を生み出しました。

 かつては、子どもたちが日常的な遊びの中で感じていた意欲も、学校や家庭で、それを感じる機会を作り出すことが必要になっています。

2009年11月 7日

学校・家庭で学ぶ、たくましく生きる心得の條> 謙虚とは何か


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 帰省したとき、黄金色の田んぼが広がっていました。
 この稲穂のようすをたとえにして、
 「実れば実るほど、頭をたれる稲穂かな」という「ことわざ」があることを思い出します。

 かつて、中学生の頃でしたか、このことわざをもって母に諭されたことがあります。確か、生徒会の仕事で奔走していたときでした。そのときには、何だか水を差された気がして、「まあそんなに言わんで...。」と、心の中でひそかにあらがう自分がいました。言っていることの意味はわかるのですが、なぜか、素直には、心に入って行きませんでした。

 人は、けん命にしなければならない仕事が続くと、自分に厳しくなります。そうすると、仕事は人にかかわることですから、周りの人には、おうへいな態度となって映ります。このことわざはそれを戒めるために、稲穂の穂先が垂れることを例にして、人に頭を下げることの大切さを教えたものだ...と思っていました。...そして、そうすることが、謙虚であると。しかし、言われた当事者は、自分のためだと言われても愉快ではないのです。当事者の心にさわやかさが訪れてこその、よく生きるための指針となるはずです。そこにあるはずの、道理とはどのようなものなのでしょう。

 田んぼには、父と母が丹精をこめて育てた稲穂が実っていました。黄金色に広がる稲穂の中に、穂先が少し沈んでいるところがあります。穂がよく実って、重たいからなのです。しかし、稲の茎が倒れるまでには至っていません。そういえば、ここのところの兼ね合いが難しいのだと、子どものころ聞かされたことがあります。
 
 肥料を効かせれば穂は十分に実る。が、穂が重くなると、風雨の強いとき、稲の茎は地面に倒れる。そうなると、実は地面の水を吸って品質が落ちる。豊作を求めて肥料を多くやりたいのが人情。しかし、十分に実らせることがよいのではない。というのです。稲自身にしてみれば、倒れるまでに実ることを望んでいるはずがありません。人の欲が、稲に、余分な負担をかけるのです。稲の側に立って育てることが大事なのだと子どもながらに思った記憶があります。目の前の田んぼはセーフでした。

 そんなことを思い出していると、「謙虚」ということにある道理を考えるのに、稲の側に立って、実りの喜びを見てはどうかという気がしてきました。穂が実ると、稲は倒れないように力を出そうとし、それがかなうことで実りの喜びが味わえるのではないか。そして、そのことが、自分を育ててくれた人に収穫の喜びを与えることになる。何だか妙ですが、そのような努力と喜びの相関関係があるような気がして、その、自分を倒れないようにする努力とそれがもたらす喜びによって謙虚の価値ができているのではないかと思ったのでした。自分を倒れないようにする力の出所を知ることが、謙虚の価値を知ることになるようです。

 それから数日後、神奈川県のある小学校の5年生で、「謙虚」をテーマにした道徳の授業が、研究授業として行われ、それを参観することができました。そして、それを見ていて、その、「自分を倒れないようにする力」についての思いを深めることができました。授業をしてくださった先生、授業をつくり出した子どもたち、ありがとうございました。

 その授業で用いられたお話(資料)は、全校をあげて催されるスポーツ大会に出るために、ある学級の中に実行委員が選出され、その実行委員の奮闘ぶりを通して、謙虚とは何かを考えさせるものでした。
 実行委員になった子どもは、自分たちの学級が全校の中でよい成果を出せるようにと、特別練習を組みます。ところが、その練習に出てこなかった子どもがいました。実行委員の子どもや他の子どもたちは、練習に参加しなかった子どもを責め立てます。すると、その子どもは、顔をくもらせながら、練習に出て来ることができなかった理由を言いました。それで、みんなは納得したのでした。そして、それ以後、実行委員の子は、休む人がいても責めることをせずに、かえってそのような子に温かく接するようになりました。それによって学級にまとまりができ、仲良く練習ができるようになったとのことでした。

 実行委員になった子どもは、その仕事を引き受けたことで、学級のために何とかしなければという思いが強くなります。そして、そのための方策、特別練習を立案し、全体をリードして行こうとします。頭の中は練習をさせなければという気持ちで満ちていて、「実る」状態です。そして、そのことによって、自分の思いに反する人を矯正することが、自分のすることだと思ってしまうのです。

 しかし、練習を休んだ子どもが沈痛な思いでその理由を言ったとき、気づいたのではないでしょうか。「そうか、君も練習には出たいと思っていたのか」「練習には出たいのに、急に別のことが出て来て、練習には行けずにつらい思いをしていた」「かえって、他の人よりも苦しい思いをさせていたんだ」と。

 そのように、練習を休んでしまった子の、「わたしも練習はしたかった」という思いをていねいに汲み取ることが、学級の実行委員としての自分のするべきことであったのです。であるのに、それをしようともせずに、自分で考えた特別練習をさせることしか頭にはなかったのでした。そのことを痛く思ったからでしょう。その後は、練習を休んだ子どもがいても、そのような人に温かく接します。そのひたむきな行為を見ることによってみんなは安心し、心を一つにして練習に取り組むことができました。

 ここに、自分を倒れないようにする力が出ているところを見ることができます。周りの人は、全て自分を支えようとしてくれていた人だったのです。そのことに気づくことで、周りの人に温かく接しようとする気持ちがわいてきます。そして、そのようにして、周りの人に接していくことによって、自分に寄せてくれる周りの人の温かさも感じ、また、それによって、自分のしていることに意義を感じていったことでしょう。それが、自分を倒れないようにする力となっているのだと思います。

 思い返せば、稲も、田んぼの中に、みんなが勢揃いして実っていました。みんなの中にいることの幸せを感じることが自分を謙虚にさせてくれる、そのことを知らせてくれているようでもありました。

 「謙虚」という言葉は、謙と虚から成っています。謙には「つつしむ」という意味があります。虚には「中身がない」と意味があります。このときの、中身がないとは、「からっぽ」ということではなく、自分色のついたものはない、虚の状態のものがある、という意味でしょう。自分の「人のためにこうしなければ」という思いを「虚」にしてみる。そうすると倒れることはなく、さらには、みんなと共に実ることができるのです。昔の人はいいました。「虚心坦懐」と。

 人は、成長とともに、社会の中で認められていきます。そして、認められると共に、それに見合う役割を求められます。そこには責任も伴います。だから、人は、その職務に忠実でありたいと思い、職責を果たそうとして一生けん命に努力を重ねます。ところが、その一生けん命になることに陥穽(落としあな)があるのです。人が人であるからでしょう。我欲にほんろうされ、自己に一生けん命であるが故に倒れてしまうのです。その状態を乗り越え、約束されているはずの「実る」という状態をつくりだしてくれるもの、それが「謙虚」でしょうか。そのように思えると、謙虚ということに、さわやかさを見出すことができます。

2009年12月 5日

学校・家庭で学ぶ、たくましく生きる心得の條2> 命とは何か


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ひたすら歩き続けました。先週の土曜日、11月27日のことです。大分県竹田市の駅前から山奥に向かって歩き続けること8時間。たどり着いたところは、久住山のふもと、熊本の阿蘇の山々さえもが見える久住高原。高原の野は茶色に冬枯れて、梢の向うには太陽が降りていました。これぞ、待ち焦がれていた景色、わが青春を導き出す道標でありました。

 わたしの卒業した高校は大分県竹田市にあります。その時の同級生から、還暦を祝う同級会を久住高原で行うので集まりませんかといううれしいお便りをいただいたのは、三カ月ほど前のことでした。そう、わたしは、今年、還暦なのです。

高校のときの一番の思い出は42キロを走る強歩大会。学校を出発して、久住山のふもとまでの42キロを、駆け上がり、駆け下りました。それは、辛い苦行でした。1年生のとき、2年生のとき、その辛さに耐えて走った記憶があります。しかし、どう思い返してみても、3年生のときの記憶がないのです。そして、はたと気がつきました。何と、わたしは、3年生のときの強歩大会をサボっていた...。大学入試を前にしての模擬テストがあり、その重圧に屈して、勉強しなければと、机に向っていたのでした。小心者でした。それだけ追い詰められていたといえばそれでもすみそうですが、しかし、それではさびしい。入試と強歩は、表裏一体のものであって、自分を高めるものであったはずです。それを見失っていた青春のの蹉跌。今にして思う悔恨。同級生のみんなは走っていたのです。そのみんなに会える自分になるために、今回の同級会に、強歩で臨むことにしたのでした。但し、歩きで。

 歩き始めて、二時間、三時間、体調は快適でした。秋の深い山々を見て歩いていると、若かりし頃見た景色が、感慨をもって迫ってきます。しかし、四時間を過ぎたあたりから、惰性で歩いているとしか言いようのないような、無気力の状態となりました。孤独と、きつさと、つらさが、合わせ技で心を絞めつけます。

そして、そこから来る寂寥感や無力感がピークになると、「もうやめよう」「いや、もう少し」「何という馬鹿なことをしているんだ」「いや、過去にくぎりをつけるよ」「そんな、今まで、高校のときのことなど気にしないで来たのに」「まあ、まあ、そう言わずにもう少し進んでみるか」...などの、ぐちにも等しいひとりごとが、脳裏をかすめて行きます。それが、壁の出現と、それに立ち向かう自問自答なのでしょう。

壁ができるから自問自答をするのか、自問自答をすることで壁ができるのか、今まで前者だと思っていたのですが、今度のことで後者のような気がしてきました。壁も、自問自答も、己がつくり出すのです。自分のしていることに価値を求めるからこそ壁ができ、それに立ち向かおうとするから、前に進む力が出るのでしょう。

それに比して、人がつくった壁だという認識であれば、その壁があることに責任は感じません。壁を壊してしまうことだってできます。しかし、それでは、前に進むことにはなりません。単なる、わがままを主張することなのです。若き日、強歩をサボったわたしがそうでした。今回、壁は自分でわざわざつくったのです。立ち向かう自分がいるからこそ壁もあるのです。壁が壊れそうになるとき、それをつくり続けることが、前に進む力を自分の中から引き出すことになります。

そう思い直しては何度か壁をつくり直し、その壁に立ち向かうことで、みんなが集まっている会場に到着したのでした。集まっている人たちの顔を見ながら、高校のときの顔を想像します。なかなか、思い出せません。しかし、胸につけた名札を見たとき、高校のときの顔と今の顔が一致します。その顔の違いが、その人に人生があったことを物語っています。この会を計画し、運営してくれている級友に感謝しながら、60年間生きてきたことを共に祝うひと時を過ごしたのでした。

 思えば、高原に向けての8時間の強歩。よくもまあ、そのようなことができたものです。翌日の、帰りの飛行機の中で思い返しているとき、ふと、気づくことがありました。これが、40歳や50歳のときであれば、このようなことをしたいという気持ちが起きただろうか、いや、起きなかったであろうと。60歳であるからこその気力であるのです。生きることが終焉に向かわんとするとき、命は、また、別の味わいを求めるということでしょうか。

翌週、神奈川県のある小学校で、6年生を対象にしての、生命尊重をテーマにした道徳の授業を参観することができました。「生きることの意味」を問いかけることで、命の大切さを明らかにしようとするものでした。その授業を参観していて、命の意味について、今まで以上の思いを抱くことができました。授業をしてくださった先生、子どもたち、ありがとうございました。

授業に用いられた資料(お話)は、ある少年の家で、おばあちゃんが亡くなったときのことを題材にしたものでした。そのおばあちゃんは、年をとっても、毎日のように、近所の小高い山に登っては清掃活動をしていました。その山は見晴らしのよい山で、多くの人たちが訪れ、楽しんでいる山です。その山に登り、掃除をすることが、おばあちゃんの日課のようになっていたのでした。家族が体のことを心配してやめるように言っても、おばあちゃんは続けました。少年は、そのことを思い出し、おばあちゃんの生き方をしのぶのでした。

授業では、子どもたちは、そのおばあちゃんについて、「つよいおばあちゃん」「何でおばあちゃんは苦労をすることが続けられるのか」「そうじをすることで笑顔になるおばあちゃん」という感想をもつことができていました。その発言を聞きながら、子どもの感性は、とてもすばらしいと思いました。お話の中のおばあちゃんに、自分の生き方の指針を感じているのです。そして、これらの発言をよく吟味してみると、その中に、おばあちゃんの命が生み出したものが表現されていることに気づきました。それは、「つよさ」であり、「苦労が続けられること」であり、「笑顔」です。それらは、生きることにとって価値のあることです。

生きることとは、このような価値のあることを生み出していくことではないか、それを生むものが命であり、だから、命は大切なのではないか、そのように考えて行くと、その大切さを生み出していく「命の作用」はどこから来るのかを見極めたくなります。授業中の子どもの発言にあった「何でおばあちゃんは苦労をすることが続けられるのか」という命題が、まさにそれです。それを考えることによって、人に生きる力を湧かせてくれる心の実態を知ることができます。

先日の新聞にあった「自殺者が3万に増加」という見出しに心が痛みます。人には、死ぬことよりも、生きることが辛いと思ってしまうこともあるのです。そうなったときに、自分の生きる力を出せる、その出所があることを知らせることが、今の教育に必要なことであるように思います。思えば、このお話のおばあちゃんには、自分の人生を推し進めた、生きる力の出ているところがありました。

おばあちゃんは、毎日のように近くの山に登りました。そのことから、山が「好きだった」のではないかということが想像できます。当初は、単に山に登ってみようかという、ちょっとした関心だけであったのかも知れません。しかし、自分の足で登れたことが爽快感を味わわせてくれたことでしょう。そして、何回か登っているうちに、山の空気や、そこで出会う人たちが気軽にかわすあいさつに心がやわらぎ、好きになっていったのではないでしょうか。

また、その山に登る人たちがゴミを散らしても文句を言うのではなく、ゴミを拾うことを日課のようにしています。山をよごさないでと、山を守ることが第一義にあるのではなく、山に登る人たちがいることがうれしく、その人たちがきれいな景観を喜んでいたことに「喜びを感じていた」ことが想像できます。いやになることもあったに違いありません。しかし、そのとき、「喜び」を思い返すことによって、自分の思いを強くしていったことでしょう。壁を自らつくり、それに立ち向かうことが、自分の精神性を高めていくのです。

さらには、人々がそれだけこの山に登って来るということで、地域の人はこの山を誇りに思っていることでしょう。その地域社会の中に身を置き、地域の一員としての行動に「うれしさを感じていた」のではないかということが想像できます。

ここに、おばあちゃんの生き方を支えていた心の実態があります。おばあちゃんの生きる力は、おばあちゃんが、地域の山、人々、地域社会にかかわり、「好きなことがある、喜びをもつ、うれしさを感じる」、という心の働きを得て、生み出していたともいえるでしょう。だから、苦労を続けられるのであり、つよいのであり、笑顔になるのです。

このことから、故郷の山や自然を好きになること、周りに人がいることやその人にかかわれることに喜びをもつこと、身近な社会の中にいることにうれしさを感じることで、生きる力を出せるようになることがわかります。

生きることがつらくなったときには、周りの自然に目を向けるようにする、人に喜ばれることをする、社会の中に身を置くようにする。そうすると、そのことが、自分に生きる力を生み出すことになるのです。学校や家庭で、子どもの心の教育に悩んでいる先生方や、お父さん・お母さんに、そのことを知らせたいと思いました。

そう考えたとき、今回の強歩にあたり、わたしを支えてくれた生きる力の出所を知ることができたような気がしました。昔から親しんだ久住山という山があり、同級生というわたしを迎えてくれる人がいて、故郷という社会があったのです。だから、8時間を歩くことができたのでした。
 
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その翌日は、高校以来、クラスメートとの、40数年ぶりのバス遠足。車窓には冬の高原が広がっていました。(写真は、大分・熊本の県境、瀬の本高原)

かつて、青春のとき、この瀬の本高原を通って、阿蘇山までバス遠足に行きました。その仲間も、それぞれに、朱夏のとき、白秋のときを経て、玄冬のときを迎えようとしています。それは、その人なりの人生が、命によって生み出されてきた事の帰結なのです。その、それぞれの人の人生に敬意を表することで、わたしの人生もまた、意味を成して行くように感じました。みなさん、ありがとうございました。

生きるということは人生を生み出すということ。
人生は壁を生み、それに立ち向かう気力を生む。
命は、それを、そうならしめるもの。
だから、命は貴重であり、尊い。ということを知らせてくれた、同級会でした。

2010年2月 8日

学校・家庭で学ぶ、たくましく生きる心得の條3> 愛校心とは何か


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朝日が昇ると大地が明るくなります。思えば、普通のことです。でも、普通のことに価値を見出せたとき、人は、より豊かな気持ちになっている、そんな気がします。この日の朝日を見たときがそうでした。この日の朝日は格別でした。

かつて、小学校には、尋常小学校というように、「尋常」という言葉がついていました。その、尋常という言葉には、「常(つね)を尋(たず)ねる」という意味がこめられています。「常」は普通という意味で、「尋ねる」とは問うことです。尋常とは、普通のことを問う、ということになります。普通のことですから、別段、問う気にもならないはずです。しかし、そこを、敢えて問うのです。普通のことだと思っていることが、実は大切なことであり、それを把握することが学校の使命だというのです。昔の人の深い思いに心が打たれます。

2010年1月15日、早朝。沖縄県本部町にある八洲学園大学国際高等学校に、朝日が射しかかりました(写真)。いわば、毎日の、普通に見える光景。その朝日の下に、すがすがしい顔で、先生方に別れの挨拶をしている生徒たちがいました。

前日まで、この高校では一週間の、「一月スクーリング」が行われ、日本各地から集まった約50名の生徒たちが、宿泊体験を共にしながら勉学にいそしんでいました。朝8:05のホームルームに始まり、22:10の14限の終了まで、生徒たちの規律ある生活が続きました。

一年間に一週間だけ、沖縄の校舎でスクーリング。他は自宅での学習で高校を卒業できる。この学習スタイルが、この学校の特徴です。

多くの学習を一週間にギユッと凝縮したスクーリングの時間割は決して楽ではありません。しかし、生徒たちは、学習に立ち向かいました。夜、暗やみの中に教室の明かりが煌々と照る様は、見る者の心を清浄なものにしてくれます。実は、そのような向学の志を育くむことも、この学校の特徴です。

毎月開催されているスクーリングは、それぞれ、異なるテーマを掲げています。生徒たちは、月ごとのテーマを見て、自分の気に入った月のスクーリングに参加するのです。1月スクーリングのテーマは「植物」でした。冬の、1月の、植物、です。沖縄ならではの設定。今回のスクーリングは、その植物に関心のある生徒たちが申し込んできたのでした。

テーマは、特別活動と総合活動での活動内容に反映されます。植物園に見学に行って植物の観察をする。そのことをもとに、植物を素材にしたカルタを作成する。また、植物の葉で沖縄の民芸品「ハブグワー」を作る。校舎の敷地に自生している植物の葉で「ムーチー」という餅をつくる。さらには、体育で、近くの八重岳に歩いて登り、緋寒桜という日本で一番に咲く桜の花を見る。...が、今回のスクーリングの特徴でした。

これらの活動は生徒たちに学ぶ意欲を起こさせ、友と語らう楽しさを味わわせるものとなりました。活動の一端を紹介すると...。

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「ハブグワー」は、細長い草の葉を蛇のハブの形に編み上げていくもので、ハブのように指に食いついたら離れないという、おもしろい民芸品です。しかし、その作成方法は先生方でも難しいものでした。が、生徒たちは乗り気で、楽しそうに、そして真剣に挑戦している姿には、とてもほほえましいものを感じました。

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また、「ムーチー」作りでは、グループの中で、リーダーが生まれ、そのリーダーの掛け声のもと、明るく協力している姿に、自分を乗り越えている姿を感じました。年に、一回のスクーリング。初めて顔を合わせる生徒たちも多かったことでしょう。全国各地から集まって来た生徒が、その孤独さをふりはらい、他の人とのかかわりをもつことには、思ったよりも気力が必要になります。それまで、他の人と語り合うきっかけをつかめなかった生徒もいたことでしょう。でも、少人数にグループ分けがされると、互いの役割が生まれ、活動する場が与えられます。それぞれが、周りの人に役立つ心地よさを味わっていました。

生徒たちは、自分で植物というテーマを選択したときから、意欲を芽生えさせています。そして、学校の授業で、先生や級友と一緒に植物にかかわることで、先生や級友との間に心のつながりをもつことができました。人と一緒にいることに喜びを感じることができるようになったのです。その喜びが自分を前に進め、他の教科の学習での意欲にも発展したのでした。

14日の夜には修了式が行われ、このスクーリングで卒業できることが明らかになった生徒たちが、一人ずつ、自分のこれまでの辛い思いや、卒業できることの感激を、全員の前で話しました。その堂々とした姿に、人が生きることの価値を見た思いがしました。

ある、生徒が、次のような趣旨の言葉を全員に語りかけていました。
「世界一だめなこの俺を、卒業させてくれた、みんな、ありがとう。」
この言葉に、思わず、涙ぐんでしまいました。生徒が、このように自分の心を整理できるということは、先生方の心が、そして、級友の心がいかに温かいものであったかということです。生徒は、人生の大切な場面を、確実につかんでいます。そして、その翌朝、朝日が、やわらかな日射しを射しかけたのでした。

学校とは勉強するために通う所だと、考えてみれば普通のことです。しかし、ふだんの生活の中で、その普通であることが、問いとなることがあります。学校とは何か。なぜ学校に行かなければならないのか。その思いにとらわれたとき、胸は苦しくなります。普通であることが、できないからです。この高校に入学した生徒たちも、以前、その思いにとらわれたこともあったでしょう。でも、その思いをめぐらせ、自分で行動することで、学校の価値を見出したのでした。

卒業認定を受けた生徒たちは、桜の花びらの形をしたカードに自分の思いを書いて食堂の壁に貼ります。食堂の壁には、卒業していった先輩たちの思いがずっと残されていくのです。その花びらの一枚一枚に書かれた言葉を見てみると、生徒たちのあつい思いが伝わって来ます。

「この八洲学園国際高校が大好きだよ。」「一生、忘れられない思い出ができた。」「自分に合った高校に出会えた。」「友達、先生、ありがとう。」「これから、がんばって生きて行くよ。」

短い言葉に自分の思いをギュッと込めて、みんなに発信する。簡単そうに見えて、勇気のいることです。しかし、それができる自分に成長しています。

この、貴重な生徒たちの体験をもとにすると、学校とは、先生や級友と共に学ぶことを通して、人と共に生きていく力を身につけ、生涯にわたって生きて行く足がかりをつかむ所であるといえるでしょう。学校での、先生や友達との思い出が、それを確かなものにするはずです。卒業後、学校への思いは、先生や友達と過ごしたことを懐かしく思うことに広がり、それがその時々の自分に返ってきて、元気や勇気を与えてくれるようになるのです。学校にはそのような価値があったのでした。生徒たちは、その学校の価値を自覚することができました。このとき、確実に人生の階段を上っている自分を感じているはずです。

近年、学力テストの成果を上げることが、学校の価値であるかのような風聞を耳にします。全国で何位、全県で何位、市内で何位。有名校に何人進学した...。人は、そうやって競争心をたきつけられると、つい、その枠組みの中でものごとを考えがちになります。人よりも遅れさせてはならぬ...それが教育であり、それを進めるのが教師であり、親であると。でも、世紀の祭典といわれるオリンピックも、メダルの獲得に奔走するばかりでは見苦しい人間性を映し出すことになるように、テストの結果に一喜一憂するばかりでは、さびしい教育観を露呈するようになる...そのような気がします。

もちろん、テストの結果も大事です。結果が得られるようにと、子どもを激励する。それで、教師、親、子どもに目標ができ、教育や勉学の方法もとらえやすくなります。勉強机に向かう。よい点数をとる。これらはよいことです。しかし、それを、教育の王道として、それだけが価値のあることだという意識をもつと、見失うものも出てくるのではないでしょうか。テストのことも、学校生活の中の、普通のことなのです。

人が生きるということはどういうことでしょう。子どもは、やがて大人になり、一人の人間として社会で生活するようになります。すると、ときには、つらいことやさびしいことに出会うでしょう。そのとき、学校で先生や友と学んだ日々を思い出すと、心は人間らしさを取り戻し、明日を見る力を呼び戻してくれるのではないでしょうか。学校の価値は、人が生涯を生ききるという視点をもって見たときに、大きな光を放ってくれます。

そのような学校の価値を学ぶトレーニングが、小学校でも行われています。5年生、6年生で、愛校心をテーマにした道徳の授業が行われるようになっているのです。愛校心とは、文字通り、学校を愛する心です。学校に価値があると思うから愛するのです。それは、学校に通う子どもたちの、誰もがもっている心でしょう。いわば、普通のこと、なのです。しかし、普通のことであるが故に、その価値を見失うことがあります。そこで、敢えて、その価値を問い正してみる機会をつくるのです。まさに、愛校心をテーマにして「尋常」の教育が行われることになります。

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先日、山形県天童市の、ある小学校にお伺いすることがありました。山形新幹線の車窓から見える景色は見事な雪景色でした。その中を「つばさ」は突き進み、難なく運んでくれました。そして、その学校で、5年生の、愛校心をテーマにした道徳の授業を参観することができました。「5年生が6年生になることの意味」を問いかけることで、学校を愛することの価値を明らかにしようとするものでした。その授業を参観して、学校の意味について、新たに気づくことがありました。授業をしてくださった先生、子どもたち、ありがとうございました。

授業に用いられた資料(お話)は、2月の学校行事「6年生を送る会」の、企画・運営を託された5年生が、今まで6年生がしていたことを思い出しながら、自分たちで実行し、自分たちの役割を果たそうとしたときのことを題材にしたものです。5年生は、よく計画し、全校のお世話をしようとしました。でも、下級生をうまくリードしていくことができません。そのとき、ゲストである6年生が率先して動いてくれたので、何とか無事に終えることができました。そして、会が終わった後、6年生から、わたしたちも失敗しながらここまで来たの、がんばってね、という励ましの言葉をもらったのでした。
 ここには、5年生が6年生に代わって、全校の世話をしようとすること、しかし、まだ、6年生のようには、うまくできないこと、でも、できるようになりたいという思いをもったことが描きだされています。

授業では、子どもたちは、お話の中の5年生の気持ちを想像しました。
「6年生、ありがとう。」「こんな6年生になりたい。」「6年生も失敗しながら、自分たちを築いてきた。」
そして、その5年生の姿に、6年生になった自分たちを重ねて行きました。

「低学年にやさしくする」「困っていることを助ける。」「自覚と責任をもつ。」「がんばる。」「何事にもチャレンジする。」「低学年にあいさつを元気よくする。」「みんなをまとめる」
この発言を聞きながら、子どもの感性は、素直で、すばらしいと思いました。お話の中の5年生に、自分の生き方の指針を感じているのです。

ある子どもが、「時間や行動を守る。」と発言しました。そのとき、先生が「今、できているかい。」と聞きました。子どもは「できていない。」と答えました。...今、できていないけれども、できるようにがんばりたい、ここに、6年生になることを契機にして自分をよりよくしたいという意志が出ています。自分一人では、つい甘えてしまうことも、下級生のためになる自分になりたい、と思って克服しようとしているのです。すばらしいですね。それを受けて、「下級生のためにがんばれ」と激励するのが、従来の方法でした。

子どもが、そのように思うことは、とてもよいことで、貴いことです。「学校のために尽くしたい」、「下級生のために尽くしたい」。これが誤っているとは、だれも思いません。よいことなのです。しかし、そこには、考えてみなければならないことがあります。

~のために尽くす、ということ、それ自体は美しいことです。でも、であるがゆえに、自身も、周りの人も、それをコントロールすることができなくなるのです。時には、行き過ぎとなることもあるでしょう。善かれと思ってしていることですから、際限がないのです。過ぎると、「私は下級生のために尽くしているのに...」という不満も出るでしょう。同じことをしている同級生に向かっても、「あなたのやり方はだらしがない」という、一喝が出てしまうかもしれません。また、先生からの指示を、必要以上に重く受け止めることがあるかもしれません。それらは、学級に、恐れや物言わぬ従順さをつくり出します。

かつて、国家のために、地域社会のために、家のために、お父さん・お母さんのためにと、声高々に叫ばれた時代がありました。しかし、それは、人々が幸せに暮らす社会の形成には結びつかなかったのです。まして、今は、一人ひとりの、個人としての価値が重視されている時代です。他に尽くすことがよい、では、今の時代にはそぐわないでしょう。どうすればよいのでしょう。

そこで、この、愛校心のところで思い返してみると、学校のために尽くすことはよいこと、6年生になったらそれを心がけなければならないと、子どもたちのだれもが思っていることがわかります。そこで、その当たり前のことを念押しするのではなく、そのことが、どうしてよいことなのかという、「尋常」の学びを展開することが考えられます。

そう思ったのは、授業中、先生が次の発問をしたときでした。
「こんなこと(低学年にやさしくする、がんばる、みんなをまとめる等)ができたら、どんないいことがあるの?」
これには、子どもたちは困りました。
でも、いい発問だと思いました。子どもたちは、わからないから、考えようとします。
下級生のためにすることは、いいことです。でも、それが、新たないいことを生み出すって...。
そんなぁ...。

しばらくして、ある子どもが考えにつまったように、ぽつりと言いました。
「普通。」
それ以外に、どうも考えようがないというようでした。
先生も、「そうか、がんばっても普通のことか」と、考え込みました。

ここに、普通の生活の中にある価値を問う場面ができました。普通の生活の中に意味がある、しかし、それは何?釈然としません。...ここが、授業の一番の見所でした。先生が考え込み、子どもたちも考え込む。学習指導要領にいいます。「道徳の時間においては...自己の生き方についての考えを深め...」まさに、この場面のことでしょう。

重苦しい雰囲気になってきたとき、先生が、6年生からもらったというメッセージを読み上げました。そこには、自分たちが行動することで、自分たちや下級生の中に、笑顔、協力、励まし、団結が生まれ、それを見て、成長していけたことが紹介されていました。子どもたちは、知らない世界を知ることができたのでした。

6年生としての普通の生活が、人に、そして、自分に、笑顔、協力、励まし、団結をつくりだしていくのです。そして、そうすることが自分を成長させることなのです。ここに、「みんなのためにがんばりましょう」という、うわべのことで終結させない工夫がありました。みんなのために生きることは、自分の生きる力を導き出していくことだったのです。

さらには、校長先生が、子どもたちの前に立ち、「母校」という言葉をもとにして、自分がこの学校の卒業生であり、この学校が母校となっていること、何かの折に、ふと、この小学校で過ごした子どものときのことを思い出すこと、それが自分を元気づけてくれること、さらには、この学校の卒業生が今までに約12000人いて、子どもたちがそれに続くこと、を話されました。

このことによって、子どもたちは学校ということの価値を、さらに大きな視野でとらえることができました。学校は、卒業後も、心の中に、母校として存在し続けていくのです。今、学校でがんばっていることの思い出が、将来の、自分の生きることを支える...。だから、学校は大切なところなのです。学校は、人の一生を後押ししてくれます。しかも、その学校は、歴代の卒業生によってつくられてきたから、ここにあるのでした。

ある子どもが、この学習で学んだこととして、次のように発表していました。
「不安なこともあるけれど、恐れないことが大切。」
いい言葉だと思いました。自分の生き方を、きちんと見ています。

学校は、子どもをたくましく育ててくれるところです。子どもが、そのことを自覚したとき、学校は、子どもにとって、真に楽しいところになる...そう思ったとき、なぜか、わたしの心もシャンとしてきました。子どもに、真摯に生きることの価値を教えられたのです。
ありがとうございました。

2010年3月11日

たくましく生きる>家族生き生きエッセー6

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『家族生き生きエッセー6』を発行することができました。
子どもが、そして、親と子どもが、家族とのふれあいを描きだしたものです。エッセーを寄せてくださった方々に、あつくお礼を申し上げます。
 
 作品の舞台となったのは、2009年の夏休みのことでした。
家族と一緒に自然の中に出かける。
家族と一緒に何かを作る。
家族と一緒にお盆という伝統行事を行う。
家族と一緒に地域のイベントに参加する。
家族と一緒に旅行をする。
家族と一緒に話をする。
これらのことを通して、生きることの楽しさと深さを知ることができました。
 家庭の中でくり返されていく、いろいろなできごとが人の生き方をつくります。

生きていると、大変な場面にも出会います。
時には、病気になることがあります。
時には、つらいことがあります。
時には、しかられることがあります。
時には、重たい気持ちになることがあります。
しかし、そのようなときも、視点を変えることで前に進む元気を出すことができます。

先日、ジャガイモを新聞紙の上に取り出しました。肉ジャガを作るのです。どこの家庭でも繰り広げられている光景でしょう。
さて、このジャガイモ、見ていると、何だか顔に見えてくるから不思議です。それぞれが愛きょうのある表情をしています。家族のようでもあります。
「ねえねえ、このジャガイモ、お父さんかな。」
「じゃあ、これは、子どもかな。」
ふさぎこんでいるときも、このように視点を変えることで、心には温かいものが生れてきます。

そのような豊かな感性は、日々の生活の中で作られます。この、家族生き生きエッセーがその一助になればと思います。家族が家族になっていく、その日々を大切に。

家族生き生きエッセー6は、以下の「家族生き生きエッセー」をクリックすると、閲覧できます。
また、冊子として必要な方は連絡をください。無料にてお送りいたします。

家族生き生きエッセー

2010年3月16日

学校・家庭で学ぶ、たくましく生きる心得の條4> 自由とは何か

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昨年の暮れのことです。知人から、宅配便が届きました。開けると中には、斜めに切られた竹筒が入っていました。以来、この竹筒は研究室の窓辺に飾られています。窓の向こうに一段と高く見えるのは横浜ランドマークタワー。そのランドマークタワーを前にして、この竹筒は伝統技の価値を示している気がします。

この竹筒を送ってくれた知人は日本刀の達人です。堅い竹を日本刀でもって一撃のもとに切り、花器としたのでした。

うぬ、見事な切り口。ノコギリやナイフ等ではなく、日本刀で、気合いとともに一気に切っていることに、すばらしい精神世界の存在を感じます。このようにきれいに切るには、これまでに相当の修練を積み、精神の鍛錬をしてきたことでしょう。

一瞬のうちに切られた竹は、気がつくと、節の内側が、外の光の中に存在していました。今まで、竹は、節で作った内部空間を守ることが自身の存在を示すことでした。その空間に明かりが射すことはなかったでしょう。節の内側は外の世界とは隔絶された世界です。それがあるから竹は丈夫であり、しなやかであり、強かったのです。しかし、切られたことで、はからずも、節の内側の価値を違った形で提示することになりました。

節の中は美しいです。閉塞感はありません。解き放たれた自由を感じます。節は底となっています。今までの節を生かし、新たな節のあり方を示しているのです。価値のあるものを、さらに価値のあるものにしていく、それが自由の価値でしょうか...。節(せつ)をつくることは生きる形をお仕着せることであり、自由はそれを自分にあつらえること...。

そのようなとりとめのないことを考え、三カ月ほどが経ちました。ときは、三月。ラジオから、アナウンサーの、「...三月は節目の時期にあたりますね。駅で卒業式帰りの若者を見かけました。みなさんの中にも、いろいろと節目を迎えている方もいらっしゃることでしょう...」という声が流れてきました。その、節目を迎える...、という言葉が、妙に心に響きました。そう、三月は、卒業、転勤、定年など、人生の節目が訪れる時期です。

思えば、学校や会社に、入学・入社することは新しい節(せつ)に入ることです。しかし、節の中は、決して楽しいことばかりではなかったはずです。いやなことやつらいこともあり、それを克服して行く生活がありました。ところが、いざ、節を出ようとするとき、それらはなつかしく、心地よい思い出になっているのではないでしょうか。節はいやなことやつらいことをお仕着せますが、人はそれを心地よいものにすることができます。人は、「節」を自分用にあつらえる「自由の力」をもつともいえるでしょう。

小学校の5・6年生で、自由をテーマにした道徳の授業が行われています。人は自由に憧れます。自分の好きなようにできるとうれしくなりますね。身の回りが快適な空間になるのです。しかし、あるとき、5年生の子どもが言いました。
「自由はつまらない。」
「どうして。」
「今日、家に帰ったら、何もすることがない。」
「のんびりできていいじゃない。」
「いや、つまんないの。」
「いろいろできるでしょう。」
「それって、めんどうなの。」
 自由はいいことですが、意外にも、することが決まるまではめんどうなことなのです。

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自由とは、自(みずか)らの由(よし)、と書きます。自分のよりどころが自由ということでしょう。由という文字の成り立ちを見ると、水筒のような、口が小さい壷の形をもとにして、由という文字が作成されているようです。そういえば、「由」の形は水筒の形です。口が小さいから、内にあるものは外には出にくく、内にたくわえることができます。そのようにして心の内に自分の思いが満ちることで、めんどうなことをめんどうなこととも思わない気持ちが生まれる、と考えることができます。

 その、自由についての授業を参観する機会がありました。1月の下旬、岡山県のある小学校で、先生と6年生による、自由をテーマにした道徳の公開授業が行われました。

わたしは、他の授業もあったので、途中からその授業会場に入ることになりました。すでに、資料となるお話を読み終わり、自由についての、意見が交わされていました。

「(自由というのは)自分はいいかもしれないけど、迷惑を受ける人もいる」
「(自由な行動は)他の人の自由を奪っている」
 自由について否定的な意見が出ていました。しかも、自由はいい、自由にしたいという思いを込めながらです。難しいところです。自由とは、どのように考えたらよいのでしょう。その課題は、その前に読んだ資料から起きているようでした。

 資料には、ある子ども会でのスキー合宿のようすが取り上げられていました。前の年、合宿の世話をした上級生は「きまり」を厳しくしました。しかし、それには不満が出ました。それで、今年の世話をすることになった上級生は「きまり」を少なくして、各人が「自由」にできる時間を増やしたのです。みんなは喜びました。ところが、合宿が始まると生活がみだれ、人に迷惑をかけるという事態になってしまったのです。上級生は昨年のように「きまり」を作ることも考えたのですが、せっかく始めたことなので、みんなに、自分で気をつけることを話して、もう一度、各人の自由に任せてみることにしました。すると、今度は、自分で気をつけることができて、楽しい合宿となったのでした。

 自由は、複雑に、心を動かします。子どもたちは、自由によって、人に迷惑をかける、ことを、どのように考えたらよいのか、悩むことになりました。

しばらくすると、ある子どもが、頭をひねりながら黒板の前に出て来ました。そして、自分が考えたこととして、「責任のある自由」と書きました。そのとき、なるほど、と思いました。自由を、他の人とのことで考えるのではなく、自分のことで考えるのです。責任とは、自分が引き受けたことに努めること、しなければならないという責めを自分自身に課すことです。自由とは、自分に任されること、自分の好きなようにできることです。この両者を関連づけてみると、責任は生活を守っていくために必要であり、自由はその生活の中で自分を主張していくために必要だという考え方が成り立ちます。それで、その両者を結びつけたのでしょう。なるほど...、と感心させられました。心の中に明かりがさしてくるようでした。

従来も、自由と責任という両者が並べられることはありました。しかし、それは、「自由もいいけど責任を果たして」というように、注意を促すような言い方でした。ここには、自由と責任を並列に並べ、自由は暴走するからそれを責任で食い止める、という思想があります。もっといえば、自由には悪があるのでその悪を責任で正す、ということにもなるでしょうか。それには、何だか釈然としないものを感じていました。

自由は人が真から欲するものです。その自由に悪を見て、それを正すことが必要、とするのでは、「自由」に道徳的な価値があるとはいえないでしょう。そこには、自由の善さの主張はありません。それどころか、人は悪に走る自由を欲するから、それを正すということになります。そのようにして生き方を正すのは、道徳ではなく、「しつけ」や「法」でしょう。生き方を考えるまでもないのですから。「生き方を考える」ことを重んじるのであれば、人の求める「自由」に善を見ることが前提となるはずです。また、それでこそ、「自由」を基盤にしての、学習指導要領にいう「自己の生き方を考える」作用を成立させることができると思います。

そういう思いも込めて、改めて「責任のある自由」という言葉を見てみると、さらに深い意味を感じました。責任と自由が並列ではなく、直列になっているのです。「責任をもつこと」と「自由にすること」を連ね、しなければならないことを「自分に任されたこと」として、前向きにとらえています。そして、それが、「自分の好きにすること」になるのです。ここには、自由の善さの主張があります。

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前に出ていた子どもは、さらに、図を描き始めました。頭をひねりながら、「責任のある自由」の回りを実線で囲みました。さらに、その線で囲んだ回りを点線で囲み、その外に「きまり」と書きました。(写真は再現したもの)そして、「自分の力がためされている」と言うのでした。表情はにこやかでした。みんなも納得した雰囲気で、いい雰囲気が生まれていました。

この図は何だ、...最初から授業に参加していなかったわたしは、このことの意味を探ろうとしました。点線は、目に見えない枠ということでしょう。すると、実線は見える枠。さらに考えると、見えない枠は意識していないところということでしょうか。見える枠は意識できるところということでしょう。で、考えてみました。

わたしたちの生活は、「きまり」という枠の中にありますが、そのきまりについては、普段、意識することはあまりありません。しかし、その、枠をとらえることができてこそ、その中に「責任のある自由」を意識することができるのです。きまりの枠を無視して、自分の好きなようにできているのは自由であるように見えて、実は自由ではなく自分勝手...。だから、自由はめんどうなことでもある...。自分できまりを察知しなければならないから...。自由についての考え方が、すっきりしてきました。

 さらには、「きまり」が点線であることにも、意味を感じました。きまりが点線ではなく実践であると、自由はなくなる...。先ほどの資料にあった、前年の、きまりを重視した合宿生活がそれでした。きまりに頼ると、自分の思いは働かなくなります。自分の思いを働かせることが、自分の自由度をアップさせることになるのです。そして、そのことは、子どもの言葉を借りると「自分の力がためされている」ことでもあるのです。いや、まいりました。まさに、たくましく生きる力の育成です。

 ...以上、自由についての思いを深めてくれた授業でした。道徳の授業は、見る者にも生きる力を与えてくれます。ありがとうございました。授業をつくりだしてくれた先生と子どもたちに感謝。

 人は、節(せつ)をつくり、その中で自分の生活を整えることができます。そこでは、きまりが支えてくれています。しかし、そのきまりが息苦しくなるときもあります。そのときには、そのきまりを視野に入れながら、自分のしなければならないことを、「自分に任されたこと」としてとらえてみましょう。きっと、自由度はアップし、心の中に明かりがさして来ます。

そういえば、この学校に行く途中に、おもしろいことがありました。前泊したホテルを出てタクシーに乗りました。8時40分ごろ、学校に到着してほしいと教頭先生から言われていたので、タクシーの運転手さんに告げると、運転手さんは快諾。目的地に、その時刻には到着できるとのこと。そして、念のために、カーナビを入れましょう、と言ってくれました。電話番号を告げると、目的地がインプットされました。ところが、カーナビが連れて行ってくれたところは、入り組んだ道で、とうとう袋小路になり、学校近くで迷ってしまいました。運転手さんは恐縮して、何度か近所の人に聞いては、車を大きな道に戻しました。そして、今度は、自分の感覚で運転を始めたところ、すぐに、学校の入り口を見つけることができました。そのとき、運転手さんは誇らしげでした。自由度アップの成果です。人は、自由度をあげることで、自分の価値を示すことができます。

 思えば、タクシーは「自由に」動けます。電車やバスのように「きまり通りに」動くことはしません。しかし、電車やバスは確実に目的地に到着します。その確実さがタクシーにはありません。そこで運転手さんは確実さを求めて、わざわざカーナビを入れました。わたしの頼みを大切に思ってくれたが故のことです。カーナビは、タクシーを「きまり通りに」動かそうとしました。それは、確実であり、自由ときまりのセットは、完璧に目的を遂行できるはずでした。しかし、あまりにもきまりに忠実に従うことが求められると、小さなきまりに手足をしばられ、制御不能となる...。そのきまりの限界を見限ったときの、運転手さんの人間力、見事でした。人の生き方を暗示しているようでした。

自由には不安が伴います。しかし、きまりに従うことも、確実ではないのです。節と自由、きまりと自由、それらの関係は対立関係にあるのではなく、互いのよいところを生かすためにある...ともいえそうです。運転手さん、あの日は寒い日でしたね。白々と夜が明けていくのを見ながらお客さんを待っていたと言っていました。ありがとう。あなたがかけてくれた気持ちの貴さを、今になって思います。

 

2010年4月17日

イソップ話に学ぶ・生きる力 公開講座のお知らせ

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 桜の花もしだいに散り、若葉が顔をのぞかせるようになりました。若葉の季節です。まだ残っている桜の花が、若葉の到来を祝福しているかのようです。若い命が、けなげにもこれからの季節を生き抜こうとしています。
 
 さわやかさを感じさせるこの季節にも、悲しいできごとが報道されていました。取り込んだ洗濯物で子どもが遊んでいたので、親が物を投げつけて子どもに傷を負わせたというのです。きっと、日ごろから、子育てでいらだつことが蓄積されていたのでしょう。
 親は、だれしも、子どもを良い子にしようと、良いことを勧め、悪いことを止めさせます。子どもを育てることに、まじめになればなるほど...。しかし、その「悪いこと」は大人のする「悪いこと」とは違います。良い、悪い、を超えて、子どもの育ちを考えられる余裕が必要だと思うのです。

 よく知られているイソップ話『羊飼いとオオカミ』があります。オオカミが来たと村の人にうそをつく羊飼いの少年が出て来ます。この少年は、一見、悪い子に見えます。でも、子どもを育てる立場になったとき、この少年を悪い子と見なして良いのでしょうか。
 子どもも、そして、大人も、人を守るために、あるいは自分を守るために、やむにやまれず、うそをつくことがあります。そのことを省みずして、この羊飼いはうそをついたから悪い、と糾弾するのは、上っ面でものごとを考えていることになります。子どもを育てるときには、もっと、大らかな見方が必要なのではないでしょうか。

 このとき、羊飼いの心を想像してみるとどうでしょう。
 山の中にひとりでいて、村の人の羊の世話をしていた羊飼いの生活環境を補足したのち、「この羊飼いはどうしてこのようなうそをつくようになったのだろう」と問いかけることで、その羊飼いの暗い心底が想像できるのではないでしょうか。
「羊飼いは、一人で羊の世話ばかりをさせられていて、さびしかったのでは...」
「村人の羊の世話をしているのに、村人はだれもほめてくれなかったのでは...」
「村の人と一緒に遊びたかったのでは...」
というように、羊飼いの気持ちを想像することができたとき、それは、そのようなときにはうそをついてしまうかも知れないという自分の気持ちを見つけることになります。
 そして、そのようにして自分を見ることができたとき、うそをついた少年の悲しさが身に迫ってくることでしょう。それは自分にもそのようなときにはそうしてしまうかもしれないという気持ちがあるからです。そして、そうであっても、人とともに生きたい気持ちがあるから、そのようなことはしてはいけないという気持ちが湧きます。悪いことをしても、そのなかに、よい生き方を求めているのです。それを知らせてあげることが、生きる力を育てることになります。

 悪いことをしたからと、叱ることで教育をしていると、心に不安やいらだちが蓄積されていきます。不安はエスカレートしていく性質があります。ついには虐待という事態になっていくやもしれません。そうではなく、子どもが悪いことをしてしまったのであれば、それをしてしまった背景に思いを致すことで、叱るのではない、導き方が見つかることでしょう。イソップ話は、その手がかりを与えてくれます。


 そのようにイソップ話をもとにして、子どもの生きる力の育成を考える公開講座を計画しています。本学の学生の方も、また、その他の方も、受講することができます。
 詳細は、次のようになっています。ご自宅のパソコンにて、受講ができます。

講座概要
『イソップ話』の簡潔な話の中に秘められている人生模様をもとに、日本人の求める心の源流にある仏教思想や儒教思想を加味して、生きることの価値や生きる力の把握方法を解説する。自分に役立ち、親子の会話、読み聞かせ、学校での道徳の授業、心の悩みの相談等で、明るい生き方を知らせることができるようになる。

対象
親・道徳の授業をする学校や幼稚園の教員・生き方に指針を求めている人

日程と内容

1回目.5月10日(月)20:10-21:40
〔生きるということ〕イソップ話『屋根の上の仔山羊と狼』『羊と犬』等をもとに、勇気はだれにでも手に入る、他の人によって生まれる自分の価値等の観点を解説する。

2回目.5月17日(月)20:10-21:40
〔誠実に生きるということ〕イソップ話『冬と春』『胃袋と足』等をもとに、自分の生き方をどのようにとらえるか、自分の生き方をつくってくれるものの発見等を解説する。

3回目.5月24日(月)20:10-21:40
〔規範意識をもつということ〕イソップ話『羊飼いのいたずら』『肉屋と少年』等をもとに、子どものいたずらや言いのがれ、怠惰な生活等に対しての、前向きな対処を解説する。

4回目.5月31日(月)20:10-21:40
〔自立するということ〕イソップ話『じゃれつくロバと主人』『樫の木と葦』等をもとに、自立のしくみや、自立を指導するに際しての着眼点等を解説する。

※教材:当日、プリントを配信する。

申し込み等、詳しくは、〔ここから〕 ごらんください。

2010年4月25日

イソップ話に学ぶ・生きる力2 公開講座のお知らせ

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遠くに見えるのは、埼玉県の武甲山。そこから吹き降ろす冷えた空気は澄みわたり、まさしく冬の気配でした。しかし、目の前には春の芝桜が広がっていました。冬と春が、互いの領分を尊重し、互いが互いの個性を引き出して、見事な調和を見せてくれています。
 対立軸でものごとを考えがちな人間に、他者といることの意味を問いかけているかのようにも思えました。
 
 近年、子どもに規範意識の育成を、ということがいわれています。わがまま勝手な振る舞いが目立つからでしょう。約束やきまりをつくり、それに従わせることが、その解決策のようにもいわれています。
 しかし、おかしなもので、そうすると、互いを責めるようにもなってしまいます。
 約束やきまりを守っている人が、守っていない人を見て、「わたしは守っているのに、あの人は守っていない。」と言うようになるのです。そこには守っていない人を責める気持があります。すると、言われた人はおもしろくないから、反発を覚えます。言った人は当然のことを言ったのにと、これまた、自分の正しさに凝り固まって相手を非難してしまいます。調和どころではありません。対立が起きます。人は、よいことをしたい、きまりや約束は大切、という志をもっていても、うまく行かないのです。どう考えればよいのでしょう。

イソップ話に、『旅人とプラタナス』という話があります。
夏の暑い日、旅をしていた男たちは、あまりの暑さにへとへとになってしまいました。そこに、葉を茂らせているプラタナスの木を見つけました。旅人たちはその木の下の木陰に入って、しばらく休むと元気をとりもどしてきました。そして、枝に実がないことを知ると、「この木は実をつけない」「役に立たない木だ」と話すようになりました。それを聞いたプラタナスは、「この恩知らずども、今、わたしのおかげで元気になれたのに」と、旅人を責めるのでした。

さて、このお話をどう見るかです。この話を見て、旅人は身勝手だ、プラタナスはかわいそうだ...。旅人のような身勝手な子に注意をしよう...と、よい生き方を志すことができるかもしれません。でも...身勝手だと責められた子は、反発を感じないでしょうか。

旅人も、暑さにまいっているときには、実がある木よりも、暑さをさえぎる木陰がたっぷりある木が欲しかったのです。そして、木陰に入って元気をとりもどすことができたとき、のどの渇きを覚えたことでしょう。そのとき、初めて実が欲しくなったのでした。そこに旅人の置かれている状況があります。身勝手というよりも、「元気になった」「そういえばのどがかわいたよ」「果物がほしい」と、体が欲した自然の成り行きなのです。

思えば、プラタナスは旅人に木陰をさしかけ、実が欲しいという気持ちが起きるまでに回復させてあげることができたのです。そこまでが、プラタナスの領分でしょう。プラタナスは自分の領分をよく築いているのです。そして、「実がついていない」「役に立たない」という旅人の言に対しては、相手を責めることなく、「おめでとう。実が欲しくなるまでに元気になれたね。さて、今度は自分で実のある木を見つけてね。」と、相手にエールを送ることが、旅人の領分を生かすことになるでしょう。ここに調和が生まれます。それぞれが自分の領分を築き、他を責めることをやめ、エールを送ることで、プラタナスも旅人も幸せになれるのです。

きまりを守っている人は、そのことで張りのある生活ができている自分に充実感をもてているはずです。いわば自分の領分が築かれているのです。また、その雰囲気が、守っていない人にエールを送っています。その自分は誇らしくもあることでしょう。守っていない人を責める必要はないのです。エールを受けた人は自分の領分を整えようとするでしょう。
そのことを後押しすることで、調和が生まれ、規範意識を尊重する社会が生まれていくと考えることができます。人を責めては、心の育ちは望めません。

このように、イソップ話をもとにして、子どもの心の育ちを応援することを学ぶ公開講座を計画しました。関心のある方は、どうぞ、参加をお待ちしています。

 どなたでも、ご自宅のパソコンから、インターネットを使って受講することができます。

 学ぶ教室への入り口は、〔ここから〕です。

 申し込み書等、詳しくは、〔ここから〕 ごらんください。

1回目.5月10日(月)20:10-21:40
〔生きるということ〕イソップ話『屋根の上の仔山羊と狼』『羊と犬』等をもとに、勇気はだれにでも手に入る、他の人によって生まれる自分の価値等の観点を解説する。
2回目.5月17日(月)20:10-21:40
〔誠実に生きるということ〕イソップ話『冬と春』『胃袋と足』等をもとに、自分の生き方をどのようにとらえるか、自分の生き方をつくってくれるものの発見等を解説する。
3回目.5月24日(月)20:10-21:40
〔規範意識をもつということ〕イソップ話『羊飼いのいたずら』『肉屋と少年』等をもとに、子どものいたずらや言いのがれ、怠惰な生活等に対しての、前向きな対処を解説する。
4回目.5月31日(月)20:10-21:40
〔自立するということ〕イソップ話『じゃれつくロバと主人』『樫の木と葦』等をもとに、自立のしくみや、自立を指導するに際しての着眼点等を解説する。
※教材:当日、プリントを配信する。

2010年10月 3日

ナス 実る

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<はじめのことば>秋学期の始まりです。思えば春学期の4月の頃から、相当の間、ブログをお休みしました。暑さ、仕事、ビール、この三平方の定理に埋もれてしまっていたのでした。気がつけば、腰をいためてヨチヨチ歩き、そして、のどを痛めて咳き込みマン、体はガタガタに。やはり、時に、ブログを書いて、気持ちを新たにすることが大事だと感じ入った次第です。秋学期の開始とともに、ブログも再開いたします。

<本日の話題> とうとう、ナスが実りました。まだまだ小さい姿ですが、とうとう、実ってくれたのです。8月、9月と、ナスは、次々と薄紫色の花をたくさんつけました。でも、すぐに散るのでした。かれんな花たち。どうして?何故!why,...気持ちはふさがるばかりでした。

本日は、もはや10月。もうダメだろうと思ってはみたものの、一縷の望みをかけてナスの葉をかきあげました。すると、何と、ウフフ。実がついているではありませんか。まごうことなき、ナスの実です。君を待っていたよ。やっと、現れてくれましたね。ありがとう。そして、右上の方には、何だか思わせぶりにもう一つの物体もありました。

アサガオ.JPG

君は、アサガオやミニトマトと一緒に、5月の下旬に、種をまかれたのでした。普通よりも、ひと月以上も遅い種まきに、戸惑ったのかもしれませんね。一番先に芽を出したのがアサガオ。二番目に芽を出したのがミニトマト。そして、アサガオに遅れること二週間以上、やっと三番目に芽を出したのがナスでした。アサガオは、さっさと花を咲かせました。ミニトマトも花を咲かせて赤い実をつけました。ところが、三男となったナス君、あなたは、花を咲かせても実をつけることをしませんでした。薄紫色の花をつけては、桜の花のように、さっさと散ってしまうのです。その潔さには、何か、思うところがあったのでしょうか。次は、君たちへの思いを、違うところで発表したものです。再掲します。

みにとまと.JPG

<一ヶ月ほど前のこと>今、家では、毎朝、アサガオがたくさんの花を咲かせています。また、ミニトマトが赤い実をつけています。しかし、ナスは花をつけても実をつけるまでにはなりません。今年の夏は、アサガオとミニトマトとナスの三者に、いろいろなことを教わりました。

5月の終わりの頃、この三者の種を同時にまきました。種は4月の終わりには手にいれていたのですが、忙しさに、ついつい遅れ、一ヶ月ほど遅い種まきとなりました。そのとき三者を見比べてみて、改めて気づくことがありました。アサガオの種は大きいということです。アサガオの種は小粒ですが、それよりもミニトマトの種はとても小さく、そしてさらに、ナスの種はそのミニトマトの種よりもとんでもなく小さかったのです。

種をまいて、三日でアサガオは芽を出してきました。しかし、以後の数日、いくら待っても、ミニトマトとナスの芽は出てきませんでした。その間に、アサガオは双葉を広げ、本葉を出して、ツルをのばし始めていました。まさに、アサガオのひとり勝ち状態でした。その生命力はミニトマトとナスを圧倒している....そんな感じさえしました。

それから遅れること一週間、ようやくミニトマトも芽を出しました。しかし、その芽の茎はアサガオの芽の茎とは比較にならないほどに小さく、弱々しいものでした。そして、さらにそれに遅れること10日ほどでナスが芽を出してきました。ナスの芽の茎はミニトマトよりも極端に細く、まさに極細状態。これでやっと三者が太陽の下に並びました。喜んだものの、その差は歴然としていて、すでに大きな葉っぱをたくさんつけたアサガオを前にすると、ひ弱に見えるミニトマトやナスの行く末が不安になるのでした。

ところが、それからの毎日、水をあげていると、ミニトマトやナスの生長には目を見張るものがありました。ミニトマトは茎を上に向けて高く、高く、伸びます。アサガオは支柱にすがり、ツルの先端はそばにあるものを頼りにさっさとのびていきますが、その生きる姿はなんだか頼りなげです。常に周りにあるものを伺い、周りにあるものに自分をからめて生きようとしているのです。のびようとする自分の意思はあるのですが、丈夫な他人をとらえることに躍起になっているようです。ところがミニトマトは自分の茎を持ち、上に向かってぐんぐん伸びて行きます。アサガオの背丈をいつの間にか追い越していました。
また、ナスは葉っぱを大きく広げるようになりました。そしてアサガオの葉っぱよりも大きく分厚い葉っぱになりました。茎も太くなりました。

自分の支柱をもたないアサガオ、自分の支柱をもつミニトマトとナス。それぞれに、生きることの知恵をたくわえていました。アサガオが芽を出すのが早かったのは、自分の頼れる支柱を早く確保したかったからであり、ミニトマトとナスの芽が出るのが遅かったのは、その間、支柱を支える自分の根っ子を、それぞれ、地中につくり出すのに時間をかけたかったからだと思われます。ナスは、ミニトマトより、重たい実を茎に吊り下げるようになります。だから、より、丈夫な茎と、より豊富な養分が必要となるために、地中での準備に時間をかけていたのでしょう。

やがて、三者に花が咲きました。三者三様の花でした。花から実になっていくのが生きる者のストーリー。アサガオは花の咲いた後に種をこしらえています。ミニトマトも実ができて赤く熟れました。この実の中に種があることでしょう。

ところが、まだ、ナスには実がなりません。たくさん花をつけるのですが、実にはならずに花は落ちてしまいます。実(じつ)は、ひと月ほど前、生育が遅いからと、たくさん肥料を与えたことがありました。猛暑に立ち向かう元気をつけてあげようとしたのです。それで、葉っぱは茂るようにはなったのですが...。どうやら、これが花の健全な生育に悪影響を及ぼしたのではないかと...、今になって反省です。過度の心配は、自分の力で生きようとしている者にとって逆効果となったようです。ナスさん、ごめん。もう少し、待ってみます。どうぞ、実をつけてください。......そして、本日、ナスは実をつけたのでした。

<本日の話題にもどる>このナスの実に、名前をつけることにしました。ナスの太郎。ナスの太郎君、すくすくと育ってください。

2010年10月 8日

ナスの太郎

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<野菜を育てることと教育>ナスの太郎が、少し成長しました。うれしいです。小さな夢の中にいるようです。5月にはあんなに小さかった種が実を結びました。コンクリートの上のプランターがホームでしたから、夏の太陽の照り返しには、さぞ、難儀したことでしょう。けなげでもあり、たくましさをも感じさせるその姿は、まるで何かを見せてくれているかのよう。その何かとは何か...、しばし、ぼんやりしていると、小学生のときの担任の先生のことを思い出しました。

わたしが小学4年生のときに担任をしてくださったのが三宮先生。年配の方で、誠実な方でしたが、なぜか、理科の時間になると、畑を耕し、野菜を育てることが多々ありました。50年も昔のことですが、先生が暑い日ざしの中で子どもたちの先頭に立って畑にクワを打ち下ろしている姿を思い出します。しかし、当時、先生が、理科の授業をさしおいて、どうしてそのように畑仕事に精を出すのかがわかりませんでした。でも、今、気づくことがあります。野菜を育てることの意味は、主体的な学びの機会をつくることにあったのではないかと。

子どもたちは芽が出るか心配したことでしょう、虫や病気にまけないか心配したことでしょう、枯れてしまわないか心配したことでしょう。心配することで、対象を注意深く観察するようになります。そして、野菜からの声を聞きとるかのように、野菜の世話をしたことでしょう。時は、昭和30年代でした。科学的なことがもてはやされていた時代です。あの昭和30年代に、未来を担う子どもたちへの教育を進める...という視点に立つと、畑で野菜を育てることよりも、理科の実験に力を入れることの方が理にかなっています。しかし、そうではなかったのでした。そのときの先生の思いを想像しつつ、整理してみると、次のようになるでしょうか。

「野菜は自然の所産ではあるけれど、自分だけでは自然の中で育つことはできない。」
「しかし、人が心をこめて世話をすればそれにこたえてくれる。」
「野菜を育てることによって、人に、喜びを知る心が育つ」

ナスの太郎を前にしていると、50年前の先生の心が理解できたような気がしてきました。そういえば、日本は、もともと農業の国でした。日本人の国民性としていわれてきた、勤勉さや誠実さは、先生のような志を、先祖代々の人たちが伝えてきたからこそできたのではないかと思うこともできます。そう思うと、夢はますます広がります。先生、ありがとうございました。

2010年10月28日

どんぐりころころ


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先週の、ある日、公園に立ち寄りました。お目当ては、ブナの木。その公園には大きなブナの木が数本あるのです。かつての武蔵野を感じさせる、大木です。その木には、秋になるとどんぐりの実がなるはずです。行ってみると、あるは、あるは、どんぐりの実がたくさん落ちていました。

 見とれていると、ボトンと音がしました。何の音か、だれもいないのに。またしても、ボトン。そうか、これはどんぐりの落ちる音だ。思わず、首をすくめましたが、そんなことをしても無理。上を見上げても、葉っぱのしげみに隠されていて、どこから落ちて来るか、まさに神出鬼没。楽しいような、怖いような。ま、運を天に任せて、どんぐりの実を拾いました。約、10個ほど。どんぐりの実は、手のひらのうえで、つやつやに光って見えました。

 子どものころ、学校で工作の時間に「ヤジロベー」を作ったっけ...休みの日には近所の友達と一緒にビー玉の代わりにして遊んだっけ...「さて、このどんぐりをどのようにして遊ぼうか...」と思いながら家に帰りました。

 今年は、どんぐりがあまりならない年だと、ニュースで聞きました。だから、クマが食べ物を求めて人里に出て来るのだと。クマにとっては受難の年となっているようです。おなかをすかせたクマさんにドングリがたくさんありますよって、言ってあげたいけど言ってはならぬか...、来てもらっても困るのではあります。世の中、多くの生き物が複雑にからみ合って、生きています。人も、その一員なのです。
 
 ずっと、昔、どんぐりの生きるための知恵を描いた絵本に出会ったことがありました。『どんぐりかいぎ』という名前の絵本です。探すと、ありました。奥付をみると、〔1993年10月1日発行/こうやすすむ・文/片山健・絵/発行所・福音館書店〕となっています。17年前のことでした。この絵本の中で、作者は、どんぐりの実がたくさんなる年と、あまりならない年があるのは、どんぐりの木が生きるための知恵を出したからだとしています。なるほど...と、思わせてくれました。

 どんぐりの木は、本当は、森の動物たちにどんぐりの実をたくさんあげたいのです。動物たちが喜んでくれることが、どんぐりの木にとってもうれしいことなのですから。ところが、たくさんの実を動物たちに与え続けたところ、動物たちは増え続け、落ちたどんぐりの実を全部食べつくしてしまうようになったのです。

 動物たちは、拾ったどんぐりの一部を地面に埋めて保管していました。どんぐりの実が地表になくなっても、埋めてあればそれを掘り出して食べることができます。生き物たちの、生きるための知恵です。ところが、埋められたどんぐりのなかには掘り起こされないものも出てきます。そのどんぐりが春になると芽を出して、新しいどんぐりの木となるのです。これが、どんぐりの木たちの、生きるための知恵です。どんぐりの木たちの子孫を残すための知恵と、動物たちの食べ物を確保するための知恵が、うまく、かかわりあっていました。

 ところが、動物たちが増えすぎると、そのパワーバランスがくずれました。すべてのどんぐりの実は食べられ、どんぐりの木は子孫を残すことができなくなるという状態になったのです。そこで、どんぐりの木たちは、会議を開き、一年おきにあまり実がならない年をつくり、動物たちが増えすぎないようにする...ということにしたというのです。

 クマさん、この秋冬をしのぎましょう。クマさんの生きることは、どんぐりの木の生きることがあってこそ、成り立つことなのです。しかたがありません。でも、来年は、いっぱいなりますよ。

 拾ったどんぐりの実は、植木鉢に埋めてみることにします。自然に、トライ。

2010年11月 4日

たくじょう まいゆるきゃら


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ある地域で、秋のゴミゼロ運動が行なわれていると聞きました。道路や公園に落ちている空き缶や煙草の吸殻などのゴミを拾う運動で、530(ゴミゼロ)の語呂に合わせて、本来は5月30日の日に行なわれているのですが、11月のこの時期に、秋バージョンもあるのだそうです。
 いいですね。ひんやりとした秋の空気を味わいながら、自然の美しさを、改めて意識できるときとなるのではないでしょうか。路上に捨てられたゴミは、それを拾う人に、すがすがしい気持ちをプレゼントするのです。そう考えると、世の中は広くなります。

 先日のことです。家の前の道端に石ころが二つ落ちていました。石ころは、ゴミともいえません。しかし、アスファルトの道の上で、石ころはういて見えます。たとえ道の端ではあっても、車にはねられると跳んで、災難の元凶となります。また、道を歩く人が気づかずに踏んでしまうこともあります。とくにお年寄りには危険です。わたしのおばあちゃんは小石を踏んで足をくじいてしまいました。よくなるまで、相当の期間、苦しんでいました。それを思うと、その小石を拾っていました。

 小石は、てのひらの中に入れると、思いのほか、愛着がわきます。子どものころには、石けりという遊びがありました。うまく投げられた小石は大事にしていました。また、若いころ、山に登ったときには、道に落ちている小石をポケットに入れて帰り、その小石を記念として飾っていました。

 今年の夏の暑いころ、大学に行く途中、道を歩いていて小石を見つけて、拾ったことがありました。街中では拾った小石を捨てるところもありません。どこかに置いて行けば、今度はわたしが不法投棄者...。それでは、こと、志に合いません。手に握ったまま大学に行きました。せっかくの縁があった小石です。水で洗うと、机上でそれなりの存在価値を示していました。それで、紙で目玉をつけたり、石の模様に合わせてフェルトペンで色をつけたりすると、かわいいマスコットになりました。それは、心を温めてくれました。思わぬ展開に、小石に感謝。体験のなせるわざです。自分で体験することが、自分に楽しさをつくりだしてくれます。

 そんなこんなを思い出し、今回拾った二つの小石を、いろいろな形に想像して、できたのが、写真の置物です。二つの小石を木工用ボンドでくっつけ、紙で目玉を作って貼り付けただけのものです。机上において、鉛筆ホルダーとしました。見ていると、なんだか、心の緊張がとけていきます。

 各地で、ゆるキャラがブームとなっています。地域おこしの象徴を担っているマスコットですが、落ちている小石を拾って、その小石の形状を活かしてつくるマスコットも、マイゆるきゃらと、なるのではないでしょうか。これを見る人たちの間に、ほのかな話題と、心の温かさを提供することでしょう。もちろん、著作権なんて、論外です。

 また、これを、教育の場にも活かせたらとも思います。学校での子どもたちの現状は、忙しいです。目標に向けてがんばることも大切です。しかし、成果をあげるためにあくせくしていると、いつしか、心はかたくなっています。先日も、ニュースで、いじめによって起きたとされる、悲しい出来事が報道されていました。子どもたちには、日々を楽しむゆとりと、生きていることに温かさを感じる機会を提供していきたいところです。

 登下校中に拾った小石、公園で拾った小石、校庭で拾った小石。これらの小石で、隣に座っている人と、知恵を絞って一緒に小石のゆるきゃらを作る。...そこでは、お隣さんどうしで楽しい雰囲気がつくられることでしょう。さらには、給食時、そのゆるきゃらを机上に置く。思わず、笑みがこぼれるのではないでしょうか...。心地よく笑うことが、よく生きようとする心をただします。

さらには、家庭での、親から子どもへの何げないプレゼントにいいですね。親子でどこかに出かけたとき、そこで拾った小石を使って、後日、まいゆるきゃらを作る。...玄関に飾っておくと、温かさがずっと続きます。

 道に落ちている小石も、いろいろな役を担ってくれます。

2010年11月11日

ヒヤシンス 17日め


ヒヤシンス17日目.JPG思い立ってヒヤシンスの水栽培を始めて、17日目が経過しました。この間、根っ子はどんどん、伸びて行きました。
 
 容器は2リットル入りのペットボトル。二個を用意して、一個は、底の部分だけを切り取って上に乗せるお皿に。他の一個は半分の高さに切って、水を入れる部分に。上に乗せるお皿は、球根に合わせて中央に丸い穴を開け、その周りにも三つ、水換えようの穴を開けました。そして、その二つをホッチキスで止めて、容器の出来上がり。
 
 うまく根が出てくれるか、心配でしたが、案ずることなく、二三日で、小さい根が出てきました。球根は、お店で、網の袋に入れられてつるされていました。お店にいる間、多くの人が前を通ったり、手でさわられたりもしたことでしょう。でも、外見は石ころのように、何も感じない装いを見せていながら、内側では、生命体としてのともし火をひそかにともし続けていたのです。生命体が宿している、己を生かさんとするプログラムは、何と、深遠で、尊いのでしょう。
 
 水を与えられた今、まさに、水を得た魚のように、毎日、根の長さを更新しては、自分の生命をつむいでいます。生きる力の具現。すでに、根の長さは球根の3倍~4倍に伸びました。改めて、生きるということの、奥の深さを知らされました。
 
 じっと見ていると、元気がみなぎってきます。
 生きることは、人知れずに水面下で根っ子をしげらせていくこと。
 ヒヤシンスの教えでした。

2010年11月19日

勤労感謝の日(働くことの意義 その一)


考えるヤジベー.JPG

ドングリでヤジロベーを作りました。ロダンの考える人にあやかり、考える野次さん。
 小学生のときにも、工作の時間にドングリでヤジロベーを作りました。50年前の、遠い昔のできごとでした。丁度、今頃の季節でしょう。てのひらの上に乗せた、大ぶりで丸いつややかなドングリの実をいつまでも見ていた記憶が残っています。それは、人にもらった見事なドングリでした。
 その小学生だったときに読んだ本の中の話が、勤労というテーマをもって、いまだにわたしの心に息づいています。

 その話は、お父さんとお母さん、それに、小学生の女の子の姉妹二人の、四人家族での話でした。家は農業をしていましたが、お父さんが病気になって働くことができなくなってしまいました。お母さんがお父さんの代わりに一生けんめいに働くようになりました。子どもたちも、よく手伝いました。でも、次第に、お母さんの、子どもたちへの要求は厳しくなっていくのです。明るかったお母さんの顔つきも険しくなり、よく怒るようになりました。それでも、子どもたちは、お姉さんが妹をかばい、お手伝いを続けました。そして、お母さんの変わりようを悲しく思うのでした。

 そのうち、お母さんも無理がたたって寝込むようになりました。それで、子どもたちは、けなげにも今まで以上に、お手伝いに精を出すようになりました。ところが、次第に、お姉さんの顔つきが険しくなっていくのです。そして、妹の仕事ぶりをなじるようになったのです。妹は、悲しくなりましたが、我慢してお手伝いをしていました。でも、とうとう、抑えきれなくなってお姉さんに言うのです。
「お姉ちゃん、お母さんと同じになったよ。」
 そして、大きな声で泣いたのでした。
 お姉さんはショックを受けました。
「わたしが、あの怒りっぽくなったお母さんと同じようになっていた...。」
 ...ここで、記憶は途切れます。

 一生けんめいに働くと、怒りっぽい人になり、仕事をしている人に対しても文句を言うようになる、明るかったお母さんが、そして、妹をかばっていたお姉さんの、ふたりともが変わってしまいました...。

 働くことはいいことだ、とだれもが言います。またそうであると思います。でも...、一生けんめい働くと怒りっぽくなる、なぜ...。仕事をしていない人に注意するのならわかるが、仕事をしている人に文句を言ってしまう...、うぬ、働くことで心は荒んでいくのか...これでは、いやなことのがまんの上にしかしあわせは来ない...。しあわせになりたいから働くはずなのに...、

 このような、何だか納得できないものがあって、心に強く残ったのだと思います。何とかすれば、このお話の中の、お母さんやお姉さんの心は、おだやかなままでいることができたのではないか、いや、かえって、逆境であるからこそ、力を合わせて明るく生きていけるのではないか...と、心の片隅に、このことの決着が持ち越されて来ました。

 そのことがあってでしょう。イソップ話の『アリとキリギリス』で、冬になってキリギリスが食べ物を求めてアリの家に行ったときの、アリがキリギリスに言った言葉には悲しさを覚えました。アリはキリギリスに言いました。「あなたには、夏のとき、注意をしましたよ。歌ってばかりではなく、食べ物をたくわえなければ、冬になって困りますよと。あなたは、その注意を聞きませんでした。だから、あなたにあげる食べ物はありません。」これでは、残酷です。確かに、アリは一生けんめいに働いて夏を生きました。でも、キリギリスも、キリギリスなりに、一生けんめいに夏を生きたのです。歌を歌えるという自分の特技を活かして。アリは、歌を歌おうと思っても歌うことはできませんでしょうに...。

 アリは、食べ物をたくわえることができました。しかし、そのことが、働くことの価値を見失う原因にもなっているのではないでしょうか。
 アリも食べ物をたくわえることを通して、心には喜びを感じていたはずです。
 ・大きな食べ物を見つけたよ。家で待っているみんなに知らせたら喜ぶだろうな。
 ・友だちを読んで来て一緒に運ぼう。
 ・この食べ物を運び込んだら、大きな倉庫を作り足そう。もっと、見つかりそうだ。
 ・だれかに、この食べ物を分けてあげよう。

 このように、働くこと自体のなかに、働くことがもたらしてくれる価値を感じていれば、キリギリスに対しても、もっと、おうような、愛情のある、かかわりができたはずです。
 働くことは自分を開発し、他の人とのかかわりをつくり、節度のある生活をしようとする自分を、自分で形成していくことになるのではないか...と思うのです。

 その働くことの価値について、「勤労(働くことの意味を考える)」というテーマで、小学4年生に授業をする機会がありました。その詳細については、次号で、お知らせいたします。
 勤労感謝の日が近づいてきます。...勤労の意義を、改めて考えてみるときです。

2010年12月13日

勤労(働くことの意義その二 道徳の授業)


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水栽培のヒヤシンスの根が、二リットルのペットボトルの底に着いています。水栽培を始めて、46日目になります。当初は、ペットボトルを上下半分に切った容器で水栽培を始めたのですが、根の伸びる勢いに押されて、フルサイズのペットボトルに変えました。
 ヒヤシンスは、芽を出そうともしません。しかし、水の中の根はぐんぐんと伸ばしています。
 根を十分に伸ばすまで芽は出さぬ、これが、冬を生きるヒヤシンスの人生道なのでしょう。
 冬の時代を生きるとは、そういうことなのです。さもありなん。人も学ぶところ有り、です。

さて、前回の続きです。前回は、勤労感謝の日にちなみ、勤労の意義について問題提起をいたしました。今回は、その勤労をテーマにした、道徳の授業風景の報告です。
 10月の下旬、栃木県の真岡市のある小学校で、小学4年生に、勤労をテーマにした道徳の授業をする機会がありました。
 勤労は日本人に伝えられてきた美徳とも、日本人の国民性を構成する要素ともいわれることがあります。そのときの勤労には、どのような意味をもたせているのでしょうか。
 ・一生けんめいに働くことは美しい。
 ・汗を流して働くことは尊い。
が、考えられます。しかし、ここは、今一歩、踏み込んでみたいところです。一生けんめいに働くことは美しいというとき、一生けんめいであるから美しいのでしょうか、汗を流して働くことは尊いというとき、汗を流すから尊いのでしょうか。もちろん、一生けんめいであること、汗を流すことは、美しいこと、尊いことには違いありません。が、それでは、働くこと自体の価値を言い当ててはいないのです。働くことは、一生けんめいにするからよい、汗を流すからよい、となっています。それでもって、働くことはいいことだと押し付けてしまうと、イソップ話のアリさんのように、一生けんめいに働くことで、かえって心が貧しくなってしまうことが懸念されます。アリさんは一生けんめいに働きました。汗を流して働きました。でも、その結果、食べ物を求めてきたキリギリスさんに、「あなたは働かなかったから、あなたには食べ物をあげない」と意地悪な言葉を言っても平気な心をもつようになってしまったのです。心は豊かではありません。かえって貧しくなっています。これでは働いたことには道徳的価値はない、と思うのです。
 
その、いわば不透明である働くことの価値を、資料をもとに、子どもの眼前で明らかにするのが授業です。資料は単純な展開のものを探し、『チューリップの球根』(文溪堂発行道徳副読本4年)にしました。
 まず、授業の前に、その資料によっていえる、働くことの価値を探ってみました。

『チューリップの球根』という話は、「なおき君」という4年生の子どもが、地域の人たちがお世話をしている花壇の手入れに参加したときのことを題材にした話です。
 なおき君は、日曜日の午前中、家の人の代わりに、花壇の手入れに出なければならなくなりました。なおき君は気がすすまず、しぶしぶと参加しました。ところが、そこには同じクラスの「いさお君」も出てきていました。いさお君は、てきぱきと進んで仕事をしています。そのようすを見て、なおき君は変わりました。チューリップの球根をいためないように、心をこめて植え付けるようになったのです。やがて作業は終わりました。いさお君とは、午後、遊ぶ約束をして家に帰りました。午後になり、家の外に出て、整備された花壇を見たなおき君は、サルビアの花が咲いているのを見て、4月に咲くチューリップのことが楽しみになるのでした。
 ここでの、「なおき君」が心に感じたことを言葉で明らかにすることによって、働くことの大切さを浮き彫りにすることができそうです。なおき君は、それを感じたから、しぶしぶ参加していた気持ちが変わったのでした。

 思うに、しぶしぶ参加した「なおき君」でしたが、てきぱきと作業しているいさお君を見て、予断を振り払って作業をする気になったことでしょう。そして、実際に、新しい気持ちで作業をしてみて、次のような心地よさを味わったのではないでしょうか。
 ・心をこめて仕事をするうれしさ
 ・自分のすることができる満足
 ・人の役に立てるうれしさ
 ・地域の人たちが楽しめる場をつくることができる幸せな気持ち

これらは、自分の気持ちを前向きにしてくれます。仕事を通して、心は価値のある方へ動かされていくのです。その、価値のある方にあるものは、上記のことを整理すると、次のようになるでしょうか。
 ・心をこめて仕事をする
 ・自分のすることができる
 ・人の役に立てる
 ・地域の人たちが楽しめる場をつくることができる
さらには、仕事が終わった後、なおき君はいさお君と遊ぶ約束をしています。これも、働くことがもたらしてくれたものでした。すがすがしい気持ちになって、一緒に仕事をした人と遊びたくなったのです。これも、働くことによってできる価値でしょう。
 ・心の通じる仲間ができる
だから仕事をすることは大切である、といえます。

 以上のことを、整理すると、次のことがいえそうです。
 ・働くことは、心をこめられることをすること
 ・働くことは、自分のすることができることをすること
 ・働くことは、人に認められることをすること
 ・働くことは、人の役に立てることをすること
 ・働くことで、心の通じる仲間ができる
 ・働くことで、みんなの中で自分を成長させていくことができる 

子どもたちがこれらに気づいたとき、授業が成立したことになるのです。

 さて、子どもたちに気づかせたいことについては焦点が定まりました。次は、気づかせていく道筋を練ることになります。道筋には、導入、展開、終末という三つの節をつくります。

道徳の授業は、価値を押し付けてできるものではないといわれています。いくら価値のあることでも、当人がそれを必要と思わなければ、右の耳から入って左の耳に通りぬけるという状況になるのです。脳裏に定着させるためには、自分で関心をもち、今の自分にとって必要なことだとの認識をもたせなければなりません。それが、「導入」の役割です。
 次に、導入で抱いた関心に従って、資料を読み、そこに展開されている人物の人生観に触れます。そのことによって、新しいものの見方に気づくことができます。さらには、そのものの見方で自分のことをふり返ってみます。そうすることで、自分の新しい面に気づくとともに、生きることの幅の広さと深さを知るのです。それが、「展開」の役割です。
 そして、自分の考えを整理し、今後への展望を抱くのが、「終末」の役割です。


授業の構想

導入では、以下の働きかけをしてみることにしました。
(1) 勤労・働く・仕事という言葉のもっている意味に関心をもたせる。
(2) 仕事について、「いい」、「いや」のどちらのイメージをもっているか出し合わせる。
(3)仕事が、「いや」から「いい」になるには、どうすればいいか関心をもたせる。
これをくわしく述べると、次のようになります。
(1) 勤労・働く・仕事の言葉の意味ってどんなこと
 勤労という言葉は日常的に使う言葉ではありませんが、「勤労感謝の日」という祝日があるので、その祝日の意味を理解させるためにも知らせた方がいいと思いました。難しい言葉だ、何の意味だろう、という関心を抱かせることもできます。「勤労」という言葉を国語辞書でひいてみると「働くこと」とありました。「働くこと」を国語辞書でひくと「仕事をすること」とありました。「仕事」を国語辞書でひくと「働くこと」とありました。うぬ、互いに意味をいい合っています。働くことの意味が仕事をすることで、仕事をすることの意味が働くことです。これでは、らちが開きません。国語辞書にたよらずに、自分で、働くことの意味を考えてみよう...、というなげかけができます。そして、資料をもとにして考えることができるのです。授業の終わりに、自分なりに、働くとは...である、というまとめができることをめざしての授業への参加には、関心が高まることでしょう。

(2) 仕事をすることは気分が「いいこと」、それとも「いやなこと」
 さて、このような選択肢のどちらかをとるようにせまられたとき、子どもはどちらをとるでしょうか。悩むことでしょう。いろいろと考えをめぐらせていると、「どちらもある」となるでしょう。そこを、どちらかというと...として、自分の気持ちが多い方を選択するようにさせてみたいと思います。ここでは、「いやなこと」をみんなの前で表明できる雰囲気づくりが、必要となるでしょう。予想としては、「いい」「いや」の双方が出てくると考えられます。これが重要です。これによって学習の必用性を明らかにすることができます。

(3)仕事は「いやなこと」から「いいことに」になるかな
仕事をするとき気分がいやになるという子どもたちが出てきたら、その、いやな気持ちは、どうすればいい気持ちに転換できるか...という課題が生まれます。それに対して、すかさず、「一生けんめいにすればよい」という発言も出てくることでしょう。そのときには、「今まで、一生けんめいにしていても、いやになったことはなかったかな?」となげかけて、一生けんめいにすること以外のことにも目を向けてみるように話しかけます。これで、働くことの価値を学ぶための布石ができます。そこで、お話を読んで、考えてみようと、資料を登場させるのです。

 以上で導入の部は終え、次は展開の部となります。展開の部は二段構造にします。
一段目は、導入での課題を、資料の登場人物の言動を見て解決していくところです。ここでは、子どもたちは新たな価値のあるものの見方に気づくことになります。
二段目は、一段目で気づいたものの見方で自分たちの生活をふり返ります。ここで、子どもたちはふだんの生活のなかで培われている道徳性を更新して行くことになります。子どもたちは、ふだんの学校生活のなかで、掃除や係活動などを通して、働くことの価値と関わっています。これらのときのことを思い起こして、資料で気づいた、働くことに対する新しいものの見方を重ねてみるのです。それによって、資料で学んだことが、自分のこととして、自覚できます。

さて、展開では、次のように問いかけたいと思いました。
一段目
(1)《このお話で、いいなと思うところがありましたか。》
(2)《再び外に出て花壇を見たときの「なおき君」の気持ちを想像してみましょう。》
二段目
(3)《あなたたちも、仕事をしていて、同じところがあるよ。》

(1)のところは、なおき君が、花壇の手入れをしていく過程で気持ちが前向きに変わっていくことを浮き彫りにしたいです。次のような意見の出ることが予想されます。
・いさお君ががんばっていたので、なおき君もがんばれたと思う。
・なおき君は、がんばって仕事をすることができたのでえらいと思う。
・なおき君は、いやだった仕事を、心をこめてすることができるようになった。
なおき君は花壇の手入れに、当初、いやな気持ちを抱いていたのに、それを振り払うことができました。導入での子どもたちの課題に対応するところです。

(2)のところでは、なおき君が花壇の手入れという仕事をすることで味わったであろう、心をこめて仕事をすることができる喜び、自分でできる満足感、他の人に役立てるうれしさ、みんなの楽しい場をつくる幸せな感覚、などを想像させたいです。次のような意見の出ることが予想されます。
・花壇はきれいだ。 
・球根は春にはきれいな花をさかせるだろう。 
・みんなが楽しくすごせるな。 
・仕事をすることでうれしい気持ちになるよ。
このように考えてくると、仕事をすることには、自分を前向きにしてくれる価値があることに気づくことでしょう。

(3)のところは、子どもたちの、係活動や清掃活動、そして当番活動に視点を当てたいと思います。さびしかったり憂うつであったりしたときでも、係活動や当番活動、清掃活動をすることで、自分の気持ちが前向きになることがあったことに気づかせたいのです。

 そして、次が終末です。「働くとは...」と言葉の書き出しを提示し、その後を、書き加えて完成するようにすることで、仕事をすることの意味について自分の考えをまとめさせることにします。また、グループ討議をすることで、他の子どもと意見を交わしながら考えを整理させたいと思いました。
 以上の、導入・展開・終末を、指導案として整理すると、次のようになります。


本授業の展開案

○本授業のねらい
自分で行なわなければならない仕事をするということは、前向きな自分をつくっていくことであることを知り、言われたことにも進んで働こうという気持ちをもつ。

○展開案
(1) 働くことについて考えてみる。
発問①《勤労(働くこと)には、どのような意味があるのだろう?》
・働くことは仕事をすること、仕事をすることは働くこと ・いい言い方はないか
発問②《自分はどんな〔働く〕ことをしているかな?》
・お手伝いをする ・黒板を消す ・掃除をする 
発問③《働くことはいいことなのに、いやになることはないですか?》
・いやになることがある ・いやな気持ちをいい気持ちにかえられるかな 
※仕事が「いや」から「いい」になる方法があるか、関心をもたせて資料へ。

(2) 資料「チューリップの球根」で、仕事をすることの価値を再認識する。
発問④《このお話で、いいなと思うところがありましたか。》
・いさお君ががんばっていたので、なおき君もがんばれたと思う。
・なおき君は、がんばって仕事をすることができたのでえらいと思う。
・なおき君は、いやだった仕事を、心をこめてすることができるようになった。
※花壇の手入れをすることで気持ちが前向きに変わっていくことに視点を当てたい。
発問⑤《再び外に出て花壇を見たときのなおき君の気持ちを想像してみましょう。》
・花だんはきれいだ。 ・きゅうこんは春にはきれいな花をさかせるだろう。 
・みんなが楽しくすごせるな。 ・仕事をすることでうれしい気持ちになる。
※なおき君は仕事をすることで、心をこめて仕事をすることができる喜び、自分でできる満足感、他の人に役立てるうれしさ、みんなの楽しい場をつくる幸せな感覚、などを味わうことができたのではないかと想像させたい。そのような受け止め方が、自分自身を前向きにさせてくれる。仕事は、それをすることを通して、前に向かって進む気持ちをつくり出してくるものであることを明らかにしたい。

(3) 働くことで得ている「前に向かって進む気持ち」を想像する。
発問⑥《あなたたちも、仕事をしていて、同じところがあるよ。》
・学級の係活動で ・当番活動で ・清掃活動で
・みんながいて、やる気が生まれている
※友達や先生がいてくれるから、自分の気持ちが前向きになることに気づかせたい。

(4) 仕事をすることの意味について自分の考えをまとめる。
発問⑦《働くことの意味について、自分でまとめてみましょう。》
(グループで出し合って、一つの表現に練り上げるようにする。)
※人からいわれてする仕事、学級できめられてする仕事、これらをすることで、よりよく生きようとしている自分を感じられることを再認識させ、仕事は自分を前に進めてくれるものであることを、自分なりの表現で感じとらせたい。


授業の実際

 授業のようすを、以下に記述します。
『 』はわたしの言った言葉 「 」は子どもの言った言葉

『今日は勤労ということについて考えます。やがて、やってくる勤労感謝の日の、勤労です。勤労の意味を辞書でひくと働くこととありました。で、働くことを辞書でひくと仕事をすることとありました。で、仕事を辞書でひくと働くこととありました。あれ...です。何だか、心が落ち着かないね。勤労が働くことであることはわかりますが、その、働くことについてはなんだか、よく説明ができていないです。それで、自分たちで考えて、説明できるようにしましょう。』
『ところで、君たちは勤労をしているかな?』
「お手伝いしている、家で。」
『学校では?』
「勉強が仕事。」
『それはおいといて...。』
 きょとんとしている。ふだん、仕事をしているという感覚はない。そこで、教室内に掲示をしてある、係りの仕事のポスターに目を向けることにする。
『あれ、ここに掲示物があるよ。○○係、○○係、○○係、...しているよ。』
 子どもたちは、自分は係活動という仕事をしていたと気がつく。
『もういちど聞きます。学校では、仕事はしている、いない?』
「いる。」
『そのときのことですが...、道徳では心のことを考えます。心は、いい気持ちになってふくらんで、広がっているかな。それとも、いやだと思っているのかな。』
...反応がないため、黒板にいい気持ちのニコニコしている顔と、いやな気持ちのくもりのある表情をしている顔のイラストとをかき、磁石ボタンで、どちらかをマークして、仕事をするとき、どちらの顔になるかを、選択するようにする。
「どっちでもない」という声もあがるが、『中間はだめということにしよう、どっちかというと、どっちが多いかな』、となげかけ、選択してみようという気持ちを促す。
 そして、子どもたちの名前を書いた名刺カードをシャッフルしてめくり、出てきたカードに書かれている名前の子ども指名し、磁石ボタンで、自分はどちらであったかを表示させる。次々と、4名を指名。
 すると、いい顔が2人、いやな顔が2人となる。これで、関心が高まる。全員に、『他の人も手をあげて判断をしみよう』と、なげかける。いやな顔の方に、多くの手があがる。(いい顔が8人、いやな顔が24人)この、いやな顔のところに多くの子どもたちが手をあげたところが、学習の出発点を示してくれている。そこで、おもむろに、話しかける。
『考えてみたいことがあるね。いやな顔のところから、いい顔にいけるといいよね。働くことはいやなこともあるのに、子どものときから、大人になっても、ずっと続いていく。どうして、働くのだろう。』
「働かなければならないから。」
「怒られるから。」
『叱られなくても働くよね。』
「しっかりしているから。」
『そこですね。やらなければならないと思うと、いやになってしまう。でも、いやにはならずに、しっかりにもなれる。ニコニコ顔にもなれるんだよ。どうすればそうなれるか、お話を読んで、考えてみましょう。』
 以上で、導入の部は終わり、次の展開の部に移ります。

 わたしが、資料の<チューリップの球根>を読む。
 読み終わった後、読み物の世界から、現実の世界に切りかえるために、読んだことに対して拍手をしていただけるかな、となげかける。子どもたちの拍手がある。子どもたちは自分の手で拍手をすることによって、受身的な姿勢から、能動的な意識にかわる。
 そこで、問いかける。
『いいなと思うところがありましたか。』
「今日植えた球根が春になると花を咲かせると思うとうれしくなりました。」
『いやだなと思っていたんだけど、うれしくなったんだね。いいところです。』
「いさお君とやったら楽しくなった。」
『いさお君となおき君だったね。二人のいたことが、楽しさになったね。』
 資料のもたらしてくれた、働くことのいいところ(価値のあるところ)に視点が当たったところで、焦点をさらに絞る。
『うれしくなったときのことをもう少しくわしく考えてみよう。どうして、うれしくなったのかな...。』
 子どもたちは、考え込む。ここでは、子どもたちが考え、発表したことをもとに、全体で一緒になって考える雰囲気をつくっていきたいところである。それで、子どもたちが、しゃべりやすい雰囲気をつくるために、次のようになげかけて、隣の人と話すようにする。
『隣の人とジャンケンをして、勝ったら、隣の人に、自分の考えを言ってみよう。』
 子どもたちは、じゃんけんをして、しだいに、にぎやかになっていく。
 しばらくして、全体に聞く。
『どうしてうれしくなったのかなあ、なおき君は。言える人。』
 すると、ポツポツと手があがる。
『1人、2人、3人、4人の手があがりました。じゃあ、聞いてみよう。』
 4人になったところで、4人に順次指名していくことを告げ、ひとりずつ、意見を聞いていく。
「出かけようと外に出たとき、サルビアの花が咲いているのを見てうれしくなった。」
 サルビアの花は、以前から花壇に植えられていた花で、それまで、なおき君は、花壇に、そのような花が植えられていたことには関心をもっていなかったことだろう。でも、花壇の手入れをしたことで、その、サルビアのことに関心が行ったというのである。しかし、もう一歩、踏み込ませ、自分が、花壇の手入れをしたことが、起因していることに気づかせたい。それで、その発言をした子どもにたずねる。
『そこだね。どうして、うれしいんだろう。』
「サルビアは他の人が植えた花。チューリップは自分たちが植えた。したことがわかる。」
 サルビアの花がきれいに咲いているのを見て、やがて、自分たちが植えたチューリップもそのようになると、チューリップの球根を植えたことが、なおき君の心に、誇りのように宿っていることに気づいている。
「早くいい花を咲かせてね。」
 これも、チューリップの球根を植えるという仕事をしたことが、いい余韻を残してくれていることに気づいている。そこで、そこにいた人たちも味わっているのではないかと、次のようになげかける。
『心をこめて仕事をしたからだ。だから、うれしい。知っている人たちが仕事をしている。だから。...』
「自分がいいことをして、みんなのためになるとうれしくなる。」
 自分が働くということは、みんなのことにかかわる仕事をすること、そして、それがうれしさをもたらしてくれることに気づいている。次のようになげかける。
『ということは、仕事をするということは、みんなのためになるということだね。』
「いやであっても、みんなのためになると思うと、そして、いいことをしたんだなと思うと、うれしくなる。」
 いやな気持ちであっても、みんなとかかわる仕事をすることが、いいことをしたという気持ちになり、それが自分をうれしくしてくれることに気づいている。そう思っている人は、自分だけではないことに気づかせるため、次のようになげかける。
『自分がいいことをしたと思う人は?だれ?』
「みんな。」
「社会。」
 働くことが、社会の人たちに向かって自分の心の門戸を開くことであることに気づいている。そこで、その、社会に向かう気持ちに気づかせるために次のようになげかける。
『いいことをしたというのはどんな気持ち?』
「うれしい。いい気持ち。」
 これでは一般的な表現であるので、もっと、深みのある言い方ができるようにと、次のようになげかける。
『でも、たこやきを食べてもいい気持ちだよ。このときのいい気持ちは違うんだね、もっと詳しく。』
 すると、次のように、発言をする。
「みんながいい人だと思ってくれていると思ってうれしくなっている。」
 みんなからの温かい視線を感じるようになった、だから、うれしい。この気持ちは、働くことでみんなとのつながりができたことを感じている。働くことで社会性ができることに視点が行った。また、次の発言がある。
「一人でやるより、仲間がふえてうれしくなって、来年花が咲くと思うとうれしくなる。」
『今まで、近所の人とは仲間なんて感じではなかったけれど、仲間の感じがしてくるね。』
 働くことは、仲間をふやしていくことになる。これは、いい視点である。そこで、いさお君のことにもふれる。
『いさお君となおき君は、午後、お昼を食べて、どうした? 』
「遊びに行った。」
『仲良くなったんだね。これも、一緒に仕事をしたからのこと。』
 一緒に働くことで友達ができる。働くことによって、互いに理解し合えるからでもある。これも、大切な視点である。
 ここで、黒板をふりかえって、まとめることにする。
『こういう気持ちで仕事をしていると、うれしい気持ちになっていくね。人間にとって、大切なことだと思うよ。うれしさをつくりだせる、それが仕事かもしれません。』
 ここで、展開の二段目に移り、子どもたちの実際での生活のようすをふりかえるところであるが、残された時間が少ないので、ここで実際での生活のようすを振り返ることは省略し、最後のところで、生き生きと当番活動という仕事をしていることに、ふれることにする。
 以上で、展開の部を終える。

 BGMを流して雰囲気を変え、次のように新しい学習活動をなげかける。
『さて、机を、グループにしてください。グループに一枚、画用紙を配りますので、グループで、「働くとは...」というように、働くことの意味を考え、書いてみましょう。班長さん、よろしく。』
 子どもたちは、机を移動してグループで囲む。班長を中心に、話合いが始まる。

(3分後)
『では、班長さん、前に出て来て、発表をお願いします。』
 子どもたち、画用紙を持って前に出てきて発表をする。
「働くとは、みんなの役に立ち、みんなのためになること。」
「働くとは、みんなのためになる、自分もうれしくなるし社会のためにもなること。」
「働くとは、みんなのために心をこめてすること。」
「働くとは、人のためにやること。」
「働くとは、つらいこともあるけれど、社会のためになることで、人のためになること。」
 
 このグループでの話し合いの成果には、各グループにいる子どもたちの思いが反映されています。働くことに対してのものの見方も深まっています。それで、次のようになげかけ、授業を終えることにしました。
『働くと、心が広がっていくね。いやな気持ちがあっても、働くことで、それを越えていくことができます。では、今日の道徳の勉強を終わります。』
『当番さん、お願いします。』
 日直当番の子どもが、次のように、号令をかけました。
「これで、5時間目の勉強を終わります。れい。」
 日直当番の号令の声が、すがすがしく教室内にひびきました。そして、全員が、心をしずめておじぎをしました。...これが、日直当番の仕事の成果です。このことにふれます。
『当番さん、いい仕事をしています。』
 先ほどの、展開の二段目のところで、子どもの生活を振り返るところを省略したことのかわりです。


追伸

子どもへの授業は終わりました。
番外編として、大人である、わたしたちのことについて、考えを深めてみしょう。
みなさんは、人は働くことによって何ができるか、と問われたら、何と答えますか。

かつて、そのように、自問自答したことがありました。そのとき、自分の体験から、次の、11通りの考えが浮かびました。

○人は、働くことによって、自分の力を増やしていくことができます。
○人は、働くことによって、いやな気持ちを切りかえていくことができます。
○人は、働くことによって、思いやりの気持ちを持つことができます。
○人は、働くことによって、感謝の気持ちを持つことができます。
○人は、働くことによって、満足感を味わうことができます。
○人は、働くことによって、自信を持つことができます。
○人は、働くことによって、喜びを味わうことができます。
○人は、働くことによって、人とかかわりを持つことができます。
○人は、働くことによって、誇りを持つことができます。
○人は、働くことによって、信頼されることができます。
○人は、働くことによって、かけがえのない存在となります。

このように考えてみると、働くことが、人が生きるうえでの「大切なもの」を授けてくれていることに気づきます。
 みなさんも、自分の体験から考えてみませんか。

まとめると、次のような観点に絞られます。
○働くことは自分を広げる
○働くことは自分を生かす
○働くことは他の人に喜びを与える
○働くことは他の人から喜びをもらう
○働くことはみんなと共によく生きようとする

人は、働くことによって、〔社会〕で 自分の足場を確保することができます。そして、 そこにいる人や〔社会〕を支えることができます。
 この〔社会〕を、〔家族〕、〔学校〕、〔地域〕、〔会社〕、〔サークル〕、〔趣味の会〕などに置き換えることで、働くという観点から自分の生き方を高めていくことができます。

 わたしが作りました人生カードのなかから、
  働くことに関するカードを引き出してみました。
  人生カードの必要な方、連絡をください。トランプ仕様で、52枚あります。
image1.gif

2010年12月27日

自分との対話


陽だまりのさざんか.JPG

冬の日差しは、空の低いところから、斜めに鋭く入って来ます。お日様が、光を「射る」という感じです。道端のサザンカが、まぶしそうに日差しを浴びていました。
 学生の頃は弓道部に入っていて、道場通いの毎日でした。弓道では、矢を射た後の「残心(ざんしん)」という心の持ち方が大切にされていました。矢を放った後、そのままの姿勢で、しばらく的を見すえるのです。矢が的に当たっているところを見ていると、矢を放つ前の緊張していた自分と、矢を放った後のゆるんだ自分とが対話をしているようで、心は豊かな状態となりました。
 サザンカを射たお日様も、残心の境地でしょうか。自分の光の効用を見届けているようでもありました。

 わたしたちの人生も、「少年老い易く学成り難し、一寸の光陰軽んずべからず」」といわれるように、前に進むことを専らとしています。しかし、時に、自分の人生はどうであったかと、生きてきた自分と対話をして、自分の生き方を見届けると、心はそれまで以上に豊かになるのではないか...そのような気がします。

 ある学生さんが、十五歳のときの自分に手紙を書きました。社会人の学生さんで、今はすでに、人生のベテランの域に達している方です。以下にその手紙の全文を紹介します。

拝啓 十五歳の私へ
あの頃あなたはバスケットに夢中でしたね。 股関節脱臼が悪くなる!という母の心配をよそに、毎日部活に明け暮れていました。背が一番小さかったのに責任感だけは強かったから、キャプテンに選ばれて・・・それでも、郡大会を勝ち進んで県大会まで行ったのは奇跡でした。県大会ではレベルの差に圧倒されて一回戦で負けてしまったけど、あのときの爽快感、40年経った今でも忘れられない。 

夏休みは、朝7時に家を出て夜は7時ごろ帰る生活。一年生の頃はボール磨きしかさせてもらえず、一度ボールに腰掛けて先輩にこっ酷くしかられたこと、今でも忘れられない。 三時間以上水を飲ませてもらえず、その後飲んだ水道水の味、今も忘れられません。水がこんなにおいしい物だったのかって・・・体育館の隣で、初恋の岸本君が体操部で頑張っているのを見て、胸がドキドキして・・あんなにトキメク気持ち、暫く感じてないです。

バスケ部員は10人以上もいたのに、監督は'今度の持久走大会で10位以内に入らなければ、罰としてスクワット・・・回、腕立て・・・回だぞ!'と言ったのには正直参りましたね!でも'キャプテン'の面子にも関わるし、前の日も眠れず、相変わらず足を心配する母は、それでもその日の朝、'勝つ'からと、'カツ'を揚げてくれた。'朝からこんなもの食べられないよ~'と、有り難味もわからなかった私、今思えば本当に感謝します。でもその母も逝ってしまった。 

当日は本当に緊張して・・そのドキドキは今でも忘れられない!途中で何回もあきらめそうになり、足も痛くなり、'もうだめだ!'って思った。でも路上で応援してくれた見ず知らずの人の、'ガンバレ~'という声が私を励ました。そして何よりも家族の顔が浮かんだ!ばあちゃんは、股関節の悪いほうの足を、毎晩私が寝るまでさすってくれた!家族の愛・協力があったから頑張れたのかもしれない。あのときの'がむしゃらに頑張る!気持ち'、今思うと、本当に懐かしい。若かったから?純粋に一生懸命に目標に向かっていた自分、毎日が本当に充実していた。

その持久走大会では結局四位だった・・・ほっとしたけど、すぐに'10位以内に入れなかったのは・・?!"と心配になった。そのチームメートにかけた言葉は、'全力・・尽くしたんだから・・いいよ・'だけだった。もっとなにかマシな言葉はかけられなかったのかって悔やんだ。本当は慰めにもなっていなかったのかもしれない・・ 

自分のなかの'達成感'の影に、誰かの'屈辱感'が背中合わせになっているって、そのとき初めて分かった。人を'労わる'ことの難しさも学んだ気がする。人の気持ちを考えて、人の立場になって物を考える!ってこと、あれから四十年、ずっと'座右の銘'にして生きてきた。心に一生傷となって残る'イジメられた'経験も、あのときのバスケに青春をかけていた日々の思い出が、その痛みも少し払拭してくれている。 

自分に勝つのは人に勝つよりもっと難しいってこと、今になってよく分かる。そして、人の助け・協力なしには何も達成できないんだってことも。若い頃はともすれば、'私が頑張ったから勝てた!'って思いがちだった。でも本当は違う。特に家族の愛情・支えがなければ今の自分はなかった!ってはっきり言える。あの頃の私にはそれは分からなかった・・ 優しかった祖母も両親も逝き、感謝の気持ちもろくに伝えられないのが本当に残念。今母となり妻となり、かけがえのない'私の家族'をその分も精一杯愛したいと思っている。天国のお母ちゃん、ばあちゃん、おとうちゃん、本当にありがとう!

四十年後の ひとみより  敬具

心を打たれます。このように、子どものときの自分と対話をすることで、自分の今あることの意味がわかってきます。だから、人生はすばらしいのだと思えるようになります。みなさんも、自分への手紙を書いてみませんか。


2011年1月12日

ねじられて始まること


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年末・年始に帰省しました。お正月には、近所の人が正月料理を差し入れてくれました。うれしかったです。子どものとき、その家には、おじいさんがいました。そのおじいさんのすることを見ていて、いろいろなことを学びました。「わらじつくり」もそうです。そのときの光景を、なつかしく思い出しました。
 ワラを木槌で打ち、やわらかくして、縄をない(ワラをねじって縄にしていくことを「なう」と言います。)、その縄を大きなハート型にして、その間にワラを交互にさして、わらじの形にしていくのです。見事な手さばきでした。

 子どものとき、そのしぐさをよく見ていたからでしょう。わたしは、今、縄をなうこと・わらじをつくることができます。で、昨年、わらじをつくりました。正確には、布でつくったので「布ぞうり」というべきなのでしょう。写真がそれです。青色の足を乗せる部分は子どもの古くなったパジャマでつくり、茶色と白のまだらになっている「はなお」の部分は家内の着なくなったTシャツでつくりました。名づけて、親子、です。「はなお」の部分に、布をねじっているあとがよく出ています。
 ねじるということ、そして、その結果のねじれるということは、一般にはものごとがスムーズに進まないことや、むだなことの代名詞のように受け取られがちです。しかし、やわらかかったワラや布も、ねじられることで丈夫になり、美しい形を成すことができるのです。それは、他者にねじられることで、芯となるものができるからではないか...。

 そのように思っていて、気づくことがありました。
 かつてたしなんでいた弓道では、矢に羽根がついていましたが、その羽根は少しねじってつけられていました。
 弓から放たれた矢は、空気の抵抗を受けて進むことになります。空気は、矢の勢いをさえぎるブレーキとなるのです。飛んでいる矢は、ねじってつけられた羽根に当たった空気に押されて、羽根のねじれた方向に回転を始めることになります。回転することは、前に進むことには無駄なことのように思えますが、回転することで、飛行中のコントロールがきかない矢に芯ができ、矢はぶれないで、ねらい通りに飛ぶことができるのです。
 他者にねじられることで、芯ができて丈夫になり、自らをよい形にコントロールすることができる...何だか、このことは、他者とかかわることの奥の深さを知らせてくれているようです。

 人は、他の人と、人間関係をねじれさせて、苦しみの中に陥ることもあります。でも、そのときもまた、揺れる心を回転させることで、芯となる真実を見つけることができるのではないでしょうか。そのとき作り出される芯となるものが、自らを、苦しみから抜け出す美しさに導いてくれるのだと思います。
 
『心に羅針盤』(後述)には、ある学生さんから、次の手記が寄せられていました。
◇ 美しいものを感じる力  
 息子が五歳の時、幼稚園でトラブルに巻き込まれた。ある体の大きい子が順番を待つ列を無視し、ブランコから息子を引きずり下ろしたのだ。息子は顔を地面に打ち、口の中を切った。その息子を迎えに行った時、彼は部屋の片隅で真っ青な顔をし、痛みと恐怖にふるえていた。
 幸いケガは軽く済んだが、次の日から登園拒否が始まった。登園時間になると、泣き出して動かないのである。恐怖を取り除かない限り、無理矢理行かせても解決にはならない。しばらく家でのんびり過ごさせることにした。
 その時、彼のお気に入りとなったのが『ラチとらいおん』という絵本である。世界中で一番弱虫の男の子ラチが、小さな赤いらいおんに支えられながら精神的に強くなっていく。最後にラチは、自分より大きな相手に立ち向かって勝つ。小さなライオンに励まされ、自らの弱さと戦い、勇気をふりしぼって前に進もうとする姿は美しく、何度読んでも胸を打つ。
 実は、この絵本は、私が高校時代にクラスメイトからいじめにあっていた時、私の心の支えになってくれた作品でもある。私自身、心が弱っていた時、繰り返し読むことで勇気をもらっていた。今こそ我が子に読む時が来たと思い、立ち直ってくれるよう願いを込めて読んだ。一日に何度となく「よんで」と言われ、絵本を読む日々が続いた。
 人は、心に元気が足りない時、思考も視界も狭く暗くなってしまう。うつむきながら歩くようなものである。そのようなとき、ふと見上げた夜空に美しい満月が浮かんでいたらどうだろう。ただ満月を見ただけで、何だかうれしい気持ちになるに違いない。事実、私がそうだった。視界が晴れ、広がったように感じた。美しいものを感じることは、生きることの喜び・楽しさ・希望を感じる一番即効性のある方法ではないだろうか。
 登園拒否が10日ほど続いたある日、息子は幼稚園に行くと言い出した。絵本は私の気持ちを乗せて、幼い心に希望を届けてくれた。嘘のような本当の話である。
 生きていくことは楽しいことばかりではない。子どもが悲しみ・不安・絶望と向き合った時、相談してくれれば話をきくことはできる。しかし思春期の入口にいる子どもたちが、自分の苦しみを親に語れるとは限らない。そのような時、自分を支えてくれるものの一つとして、「美しいものを感じること」を手がかりにしてもらいたいと考える。
 美しいものを感じる力は、美しいものを美しいと認識できる土台があって初めて生まれる。美しいものを感じて生きる子に育てるため、登山やキャンプ等自然体験をし、絵本や文学作品の読み聞かせ等を積極的に行い、土台が培われるよう心がけたい。そして私自身も日々美しいものを感じて生きる親でありたい。

 お母さんも、子どもさんも、苦しみの中から、自分の心に、芯となるものを見つけることができています。生きるということは、自分の思い描いたようには行きません。他者とのかかわりの中では、苦しみの中に陥ることもあるでしょう。でも、ねじれて、回転させるからこそ見つかる、美しいものがあります。
 人は、他者によって、ねじられ、不安になることがあります。でも、そのことによって、つよく、たくましくなることも、確かにあるのです。

 子どものとき、わらじをつくるのを見せてくれた近所のおじいさん。
 今、おじいさんのおかげで、いろいろなことがわかるようになりました。ありがとう。
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□□□
『心に羅針盤』...生命尊重と家庭教育の資料集として、33名の方の手記を載せた、小冊子(写真右)です。関心のある方には無料で進呈しています。希望者は、届け先と、送料として210円分の切手を同封し、下記の住所まで、郵送してください。
 〒220-0021
       横浜市西区桜木町7-42  
            八洲学園大学 渡邉達生

2011年1月27日

体験によって育つもの


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今、「体験と心の育ち」という科目で、人の生き方に学ぶという章に取りかかっています。この科目は、子どもが体験することの意味を明らかにするものです。近年は、子どもたちの体験不足がいわれていますが、嘆くのではなく、体験によって育つ心を知り、できることに視点を当てたいところです。

 昨日、神奈川県南足柄市のある小学校で、1年生の授業を参観する機会がありました。授業は、和やかななかに、子どもたちが学ぶことを楽しんでいるいい授業でした。あるお話(苦手だったことにがんばるうれしさを感じるようになった話)をもとに、一年間をふり返り、自分が楽しく学べたこと、そして、それができたのは友達がいたからだということを、浮き彫りにしていました。
 その、子どもたちの、学校の価値を明らかにしていく姿を見ながら、そのことの人生における意味を考えたとき、竹のたくましく成長する姿と、重なって来るのでした。

 竹は、節を積み重ね、たくましく、真っ直ぐに生長します。節の中は、外気の入らない空間で、堅固に守られています。だから、丈夫であり、細くてもたくましく、しなやかであるのです。子どもたちも、今年の一年間で、一つの節をつくったといえるでしょう。学級で、毎日、先生や友達と勉学に励むなかで、学級は、堅固な空間となり、安心して心を通わせることができる社会になったのでした。だから、ときにはさびしく、ときにはいやになることがあった学校も、楽しいものになったのです。4月からは、2年生という新しい節をつくり始める子どもたち。そのように、順次節をつくることで、子どもには、人生の基盤の小学校という節ができる...そう考えると、子どもの笑顔に一層の価値を感じました。

 やがて、授業は終わりのときを迎えました。1年生にとって、45分間、椅子にすわって勉強し続けることは、さすがに気疲れすることであるのでしょう。これで勉強が終わるという安堵感も生まれたに違いありません。落ち着いていた学級内が、なんとなく、ざわついた雰囲気になってきました。先生は、明日の予定を言い、授業の終わりを告げました。

 そのときです、日直当番の子どもの、大きな声が響きました。
「起立!」
 凛とした響きを放つ、鋭い声でした。ざわついていた教室中に、引き締まった空気が走りました。そして、子どもたちが次々と立ち上がると、当番の子どもは、「気をつけ!」と、引き続き強い声で号令を続けました。しかし、次の言葉は、なかなか発しません。ややあって、「○○君、背筋を伸ばしてください」と、これまたはっきりした口調で、友達に注意をしました。言われた子どもは、文句を言うことなく、前を向いたまま、ぐらつきながら自分の姿勢を改めようとし始めました。室内が緊張した空気になりました。そのときには、ざわついていた雰囲気はどこかに吹っ飛んでいました。そして、全員が緊張感を味わって2呼吸ぐらいの後、当番の「れい」の声で、子どもたちは一斉におじぎをし、「着席」の声で椅子に座ったのでした。
 
日直当番の子どもの、あまりの見事な差配に、心が打たれました。後で、先生に聞いてみると、当番は、持ち回りだということでした。日々、当番を受け持つ子どもは、代わります。その、人それぞれの当番の仕事ぶりを、他の子どもたちは、ずっと見ているのです。そして、それが、自分が当番になったときにはどうすればよいかという、自分の行動の正しさを見極めることになっていたのだと思います。この日直当番の子どもも、今までの当番の子どもがすることを見ていて、自分が当番になったら、このようにしたいという思いを温めていたことでしょう。だから、だらけた雰囲気を、見事に、ピシッとしまりのある雰囲気にすることに、気合を入れて取り組んだのだと思います。先生への援護射撃、すばらしかったです。学級が、正しいと思ったことをする体験の機会をつくってくれるのです。

 教室の前の黒板を見ると、黒板の右端に、その日の日付と日直当番の名前が書かれていました。名前のところは、レインボーカラーでていねいに書かれていました。青色や赤色のチョークを巧みに使って名前を書いているのです。きっと、それは当番の子どもが、当番になれたうれしさと元気さをもって書いたのでしょう。思えば、その子どもにとっては、授業は、そのときから始まっていたのです。

 ここに、子どもが、成長していく姿を見ることができます。子どもは日常生活の中で、他の人のしていることを見て、自分の生きる先を見ているのだと思います。思うに、そのとき、正しいことや自分がしたいことを、見極め、自分のがんばりたいことをつくりだしているのでしょう。学校で勉強することは、基本的にはつらいことです。いやなことも生まれます。しかし、そのつらさのなかで、明るさを求めてがんばれることに、うれしさを感じるとき、子どもは、自分の育つことに意味を感じる、といえるでしょう。

 その授業は、道徳の時間・特別活動の時間・総合的学習の時間から生みだされた「きらり」という新教科の授業でした。その教科は、ねらいを、「自分に誇りを持ち、今日的な課題に対して主体的に対応できる子どもの育成」と掲げ、五つの領域から成り立っています。この日参観した授業の領域は、次のように示されていました。
「自分の考えをしっかり持ち、正しいと思ったことは責任を持って行動する。」
当番の子どもは、まさに、このことを実行していました。他の人のしていることを見ることで、正しいこと、自分のしたいことが把握でき、それをしたいとする意思をも形成していくのでした。そこに体験の意味があります。人の行為を見ることが、自分に正しさをつくっていきます。授業を見せてくれた子どもたち、先生、ありがとうございました。


◇『心に羅針盤』には、次の手記が寄せられています。

◇ 子どもの笑顔 
 長男は三歳頃より、吃音があり「ことばの教室」などにも通ってみたが、改善される様子はなかった。どもりというよりも、第1音がなかなか出てこないため、顔を歪めてしまうという状況だった。吃音は指摘しては駄目、意識させては駄目と言われ、聞きとりづらい時は「もう一度教えて」と促すような関わりをしてきた。しかし、本人はさして気にも留めず普通におしゃべりしていたせいか、お友達とも仲良く遊べていた。

 長男が年長になったある日、お迎えで私の顔を見つけるなり「僕ね、船長さんやるんだよ」と嬉しそうに言ってきた。確認するとお遊戯会の出し物で船長役を抜擢されたらしい。しかし船長役は主役のため、かなりたくさんの台詞がある。お遊戯会は毎年、会場に入りきれないくらいに、たくさんのご父兄や親族がみえる行事である。その中で、船長役をやり遂げられるのだろうか、言葉が詰まってしまって劇の進行に支障をきたしてしまわないだろうかと、不安になってしまい、私は保母さんに相談してみた。

 その保母さんは、長男が〇歳の時からお世話になっているベテラン保母さんで、五十歳後半だったせいもあり、ご自分から「婆やはね」と子供たちに話しかけるため、子どもたちも「婆や、婆や」と、とても慕っていた。また、長男のことを気にかけて下さり「ことばの教室」を薦めて下さった方である。保母さんは笑顔で、「私が推薦したの」と意外な返答が返ってきた。なぜ、推薦されたのか理由を聞いたが、残念ながら記憶が定かではない。
「きっとうまくいくから、お母さんは心配しないで、本番を楽しみにしてて」と言われ、保母さんがとてもたのもしく思えたのを、はっきりと覚えている。

 船長役は、男の子二人が役を担い、台詞も交互に言うよう演出されていた。もう一人の船長役も、長男と似ておとなしい子だったため、これもベテラン保母さんの考えかなと感じたが、確認はしなかった。
 この頃の長男の愛読書が、国語辞典とドラえもんのことわざ辞典だったせいか、練習を積み重ねていくうちに、長男は自分の台詞だけではなく、お友達の台詞も全部覚えてしまい、台詞を忘れたお友達に教えながら、楽しく練習に参加していたそうだ。お迎えの車のなかでは、自宅までの約三十分、練習時の出来事を、多弁に話し続けていた。その様子からも、長男は練習に楽しみを感じているのがうかがえた。何の気負いもなく楽しみたいという目標に向かっていたからこそ、一生けんめいに取り組み、全員の台詞を自然と覚えてしまったのだろう。

 いざ本番、船長さんの衣装をつけてもらい、もう心は一端の船長役。堂々と、とてもいい表情で役をこなしていた。お隣の船長さんが台詞を忘れたら、そっと教えてあげる役目もこなしつつ、長男自身がお遊戯を楽しんでいるのが、観客席まで伝わってきた。
 不思議なことに吃音は一度も出ず、スムーズに台詞が言えていた。その勇姿を見て、長男の成長を感じると共に、私達夫婦も一つ成長することができた。吃音があるから、なるべく目立つところには出さないようにしようと思いがちだが、成長しようとする芽を摘んではいけないということを教えてもらった。

 押さえて、隠して、目立たないようにしようと考えても、何も成長しない。むしろ、人前で堂々と役を演じたことで、本人の自信にも繋がり、生きていく価値を感じてくれたと思う。その後は、自ら人前に出る役割に立候補するようになった。船長役をやり遂げたことに驚いたが、やはりこの役を推薦して下さった保母さんに感謝したい。
 
 大学生になった今も、時々吃音は出ているが、本人や親が気にするほど周りは気にしていないようだ。これを「障害」と受け取るか「個性」として受け入れるかで、人生は変わってくると思う。あくまでもポジティブ思考で、笑顔を忘れずに生き生きと生きてほしいと願う。子供が二人いれば二通りの、三人いれば三通りの関わり合い方があると学んだ。それぞれの個性を生かして、その人らしさを引き出してあげることで、自然と笑顔が出てくるだろう。それが親の勤めであり、家庭教育の基本だと思う。
 今後も、子どもたちだけでなく、家族全員から「笑顔」が絶えることのないような家庭を築き、明日への活力源にしていきたい


◇ここにも、家庭のなかに節ができていく過程があります。

2011年2月 6日

感動ということ


ヒヤシンス  104日目.JPG

一昨日は立春でした。春にふさわしく、水栽培を始めて104日目のヒヤシンスも、太い芽をのぞかせています。思えば、三カ月間、冷たい水の中で根を伸ばし続けてきてきたヒヤシンスでした。しかし、このところの大気の気配を感じ、頃合いは充分だと思ったのでしょう、10日ほど前から芽を出し始めました。最初は、小さな緑が見えるだけでしたが、このところ、日を追うに従って、力強く芽を伸ばしています。
球根をそっとつまんでみました。これだけの根が出て、芽が出ているのです。球根の中はスカスカになってやわらかくなっているのではないかと思ったのです。でも、球根は、固いままでした。
ヒヤシンスよ、やるではないか。根や芽は、球根から引き出したものではなく、水をもとにして自分でつくりだしたものだったのだねえ。
改めて、生きるということの骨格を見た思いがしました。

先日、「体験と心の育ち」という科目の最終章で、「感動」を取り上げたところです。感動とは、「感じて心が動くこと」、というレベルで考えがちですが、でも、「感」ということ、「動」ということを、深く考えてみると、人生に果たしてくれる役割を知ることができます。

「感」という漢字は、上に「咸」、下に「心」、という構成になっています。
 それで、『漢和大字典』(学習研究社 藤堂明保編)で、「咸」と「感」を調べてみました。
この『漢和大字典』では、「咸」の意味は、戈(か)で心にショックをあたえて口をとじさせること、「感」は心を強く動かす、強い打撃や刺激を与える意味を含む、と説明されています。それで感は、心の上に口があり、その上に戈(か)が覆いかぶさっているのです。

 かつて、古代中国には、「か」と呼ばれる武器がありました。長い棒の先に横向きに刃物を取り付けたもので、これで敵をひっかけ、倒したそうです。その戦闘は、馬にひかせた戦車に三人の兵士が並んで乗り、真ん中の兵士が馬を操る御者、左側にいる兵士が指揮をすることと、弓を持って遠くにいる敵に対戦する役を受け持ち、右側にいる兵士が、この「か」を持って、接近した敵に対応したといわれています。恐いことですが、当時の戦車の戦いは、前から向かって来る敵の戦車や、逃げて行く敵の戦車に、自分の戦車を向かわせ、走る戦車どうしで戦ったのです。それで、このように、ひっかける形が発達したのでしょう。戈という文字は、「か」を持っているところを図案化したものといわれています。斜め左下への「はらい」のところが人で、戈となったのでしょうか。威力のある武器で、それを当時の人たちが文字の形に取り入れたのでしょう。
  
威力のある武器をふりかざされ、ものが言えないほどの強い衝撃を受けることが、感という文字の意味するところでした。恐ろしい場面です。そのような場面に直面すると、恐怖におののいてしまいます。ところが、この「感」という文字の使われ方を見てみると、不思議なことに気づきます。恐いことではないのです。見てみましょう。
...感謝、感泣、感化、感涙、感慨、感想、感嘆、感服、感銘、感激、感心、感状、万感。
この文字の使われ方を見てみると、この武器には、深い意味がありそうです。一見、脅されてようですが、自分に鉄槌を下す価値のある武器で、また、そうでもしなければ自分は変わらないということを示しているのでしょう。

人はともすると自分中心になります。それが、ああだ・こうだと、他を非難する心の動きにもなります。人がよいことをしていても...そんなこと、何になると、バカにしてしまうことがあります。人が助けてくれても...いらぬお世話よと、強がることもあります。人ががんばっていても...あの人は能力があるからできるのよと、その人の努力の価値を認めようとしないときがあります。自分に価値を求めるために、自分を守るための言い訳をしたくなるのです。

しかし、人は、それにも嫌になるときがあります。思えば、ひとりよがりな自分、自分のことばかりしか考えない自分、人のことを素直に認められない自分、そのような自分をふり返り、自己嫌悪に陥ることもあるのではないでしょうか。ややこしいです。人は、自分を弁護したくもなり、そのような自己弁護もイヤになり、きよらかな存在でもありたいと思うのです。

そのようなとき、自分の気持ちを断ち切る一喝があると、心は、解放されます。「感」は、その場面ではないでしょうか。よい生き方に衝撃を受けて、それまでの生臭い自分を吹き飛ばし、素直になって、いいことをいいことと思えようになる...それが、感動という心の動きではないかと思うのです。それまで、勝手気ままに動いていた心が素直になり、心にジーンとくるものを味わえるようになります。

わたしが思い出す、わが人生で初めての感動は...、幼稚園のとき、先生が見せてくれた『とししゅん』という紙芝居でしょうか。それは芥川龍之介の『杜子春』の紙芝居版でした。紙芝居の終わりの方に、牛の姿に変えられたお母さんが鬼にぶたれるのを見る場面があります。仙人になる修行中の杜子春がそれを見ます。そのときの杜子春には、声を出さないで耐えることが修行として課されていました。杜子春は必死になって耐えていました。しかし、とうとう、鬼にぶたれるお母さんを見過ごすことはできずに、「お母さん」と叫んでしまうのです。そこのところで、日ごろは、ぐずで、生意気であったわたしが、素直になって涙ぐむのでした。...先生、ありがとうございました。あれから五十数年...。人生は、悲しみの中にも味が出てくることを知りました。

思うに、あのとき、あの場面で、そのように素直に心が動いたのは、日々の生活のことがあったからではないかという気がします。当時、わたしが幼稚園に行くには、3キロの山道を歩いて行かなくてはなりませんでした。子どもの足での山道です。しかも、夏の暑さ、冬の寒さに耐えての歩きです。それは、嫌なことでした。なんで、毎日、こんなに遠くまで、歩かなければならないのか、幼稚園の近くの子どももいるのにと、子どもながらに、よくなげいたものです。意欲的な子どもではありませんでした。
ところが、お母さんが、わたしのために、毎朝、誰よりも早く起きて、かまどでご飯を炊いてくれました。当時、我が家では、一番早く家を出るのがわたしでしたから、ご飯が炊けると、わたしひとりがご飯を食べました。冬には、かまどの前のイスにすわって、「おき」の余熱で、温まりながら食べるのでした。その間に、お母さんは、弁当箱にご飯をつめてくれました。朝早く起き、かまどでごはんを炊いて、ご飯を食べさせてくれて、弁当をつくってくれる、そのお母さんの姿を見ていると、幼稚園に行くのは嫌でしたが、嫌とは言えませんでした。やがて、温かいお弁当箱をかばんに入れ、かばんの上からその温もりを押さえながら家を出て、とぼとぼと歩き始めるのでした。

日々、そのようなことがあったので、紙芝居の『とししゅん』で、杜子春の、「お母さん」と声を出してしまうところが、心に強い衝撃となったのでしょう。わたしにとっての「戈」は、その、杜子春の叫ぶ「お母さん」でした。まさに、威力のある武器でした。

生きるということは、うまくいくことも、うまくいかないことも、すべてを併せ、受け入れていくということです。その過程で、心には、喜びも、不満も、同じように蓄積していきます。喜びをもつと、喜びは自分を快活にさせます。しかし、その快活さは自分におごりを招きます。おごりはわがままを助長させます。また、不満をもつと、不満が自分に言い訳を言わしめます。いいわけは、自分勝手の助長です。自分では、よく生きようとしていても、自分に支配されてもがくことになるのです。しかし、そのようななかにあって、他から及ぼされる、よい生き方の「戈」が、自分を黙らせ、素直にさせてくれる、といえそうです。
 感動と感激とは、ちがいます。感動は、心の激しく高ぶる感激とは一線を画して、日々の生活の中にあって、心を素直にしてくれるもの、という視点を大切にしたいところです。日々、心は動いています。「ああでもない」「こうでもない」と。しかし、考えてみれば、そのような、日々の心の動きは、素直な心からは遠ざかることです。心が成長していくといういい面もあるのですが、ひとりよがりに進む道、イヤな自分になる道が築かれることでもあるのです。そこに、いわば、マサカリを振りかざされたかのように、とやかく言うな、よいこととはこういうことだと、人のよく生きていく事実が示されると、心は口を閉ざし、素直になります。自己弁護や、自己嫌悪に走ることなく、自分がもともともっていたよい心と共鳴し、心はジーンとなって気持ちもさわやかになり、心地よい世界を味わえます。
考えてみると、言いたいことがあるとき、言うことと言わないこととは、どちらが大きい力を要するかというと、言わないことの方が力を必要とします。言いたい放題に言うのは、もともと具わっている自分の力に任せているにしか過ぎません。言わないのは、言いたい自分をコントロールする自制の力を働かせているのです。感動の「動」はその「動」なのでしょう。

現代の世の中は、ますます、デジタル化、数値化され、子どもが学校で勉強することも、大人が職場で働くことも、数値で結果を求められる傾向にあります。日々努力しても、際限のない苦痛や劣等感を感じてしまうこともあるでしょう。そのようなとき、日常生活の中でのささいなことに、よく生きることの大きな衝撃を感じることで、心は素直になり、今、自分が大切にすべきこと、安心をもたらしてくれるものを見つけることができるのではないでしょうか。感動は、人生に、そのような役割をもっている、といいたいです。

ヒヤシンスもそうでした。3カ月間、冷たい水の中で根を伸ばし続けてきたその姿勢は、日々、あくせくしていたわたしを、引きもどしてくれました。そして、これから、自分らしい花を咲かせようとしている姿に、新たな元気をもらっています。春は、人にとっては別れの季節。心はさわぎます。でも、それを嘆くのではなく、新たに自分らしい姿を出す機会ができるよと、新芽は語りかけてくれます。


『心に羅針盤』には、次の手記が寄せられています。
◇ 命という意識の芽生え 
 ある日、学校での息子の様子が報告された。弁当箱の隅に残ってしまったご飯粒に向かってしゃべっていたというのだ。
「お米さん、ごめんね。せっかくボクのお弁当箱に来てくれたのに。ボクもうおなか一杯。稲を育ててくれたおじさんも、お料理をしてくれたママも、ごめんなさい。」
 私は涙が出そうになりながら、ああ、あれだ!と、思い当たることがあった。
 お米に謝っている息子の姿は、周囲の目には少しこっけいに映ったかもしれない。しかし、一年前の丁度今頃の時期に、種もみから発芽をさせ、小さな手を泥だらけにしながら苗の植え替えを体験した息子の気持ちをひもとけば、そのことがわかってくる。
 去年の春から秋にかけて、自宅で稲の栽培をしたのだ。JAの「バケツ稲」という企画に参加し、家族全員一つずつのバケツを用意して楽しんだ。観察の中で、毎日働いている農家の人々の話もした。日々水やりや天候の心配をした。旅行時にはお隣のおじいさんにお願いして預かってもらうこともした。
 秋の収穫時には、自分で作ったお米を食べる幸せを味わった。
 七歳の手の中にある土の感触が、命という意識の芽生えとなったことであろう。その体験を、家族で分かち合えたこともまた、一緒に生きていけることに対する大きな喜びと幸せを感じさせてくれた。

日々の生活が、心に感動の芽を育んでくれます。

2011年2月24日

美しいものを感じるということ


鏡に映る花.JPG

今期の「生命尊重と家庭教育」の授業は、最終回で、美しいものを感じるということをとりあげ、終了しました。
 美しいものを感じることが、心にしあわせな感覚をつくりだしてくれます。
 この場合、美しいものとは、形のある「物」の美しさをいうのではなく、心に美しいと感じた「思い」でむすばれるものをいいます。だから、美しい物ではなく「美しいもの」です。

 美しさを求めるために必要なグッズといえば...鏡。人は、鏡を見ようとします。美しさを求めるのです。その様子を客観的に見てみるために、鉢植えの花の前に鏡を置いてみました。花は、オキザリス。日差しのない日であったからでしょうか、花はつぼんでいました。この光景を見ていて気づいたことがあります。鏡の中の世界が、現実の世界よりも何だか華やかに、美しく見えるのです。思えば不思議です。鏡には現実の姿がそのまま映し出されるはずなのに、鏡に映る姿は、現実の姿以上の華やかさを返してくれるのです。それが、「物」から生まれた「思い」に因るのでしょう。

 花のつぼみは、寒空の下でも、めげないで自分の頭をもたげていました。けなげに生きていたのです。しかし、それが身近にあると、冬の中の、言わば、当たり前の風物として受け流してしまうのでしょう。花のけなげに生きる尊さが伝わってきません。ところが、鏡に映し出された姿を見ることで、心も少し距離を置いて見ることができます。そのことによって、見える「物」に、「思い」によってむすばれた像を重ねて見ることができたのではないかと考えられます。

 美しいものは、鏡に映すように、少し、距離を置いて見ることで、心に感じることができるのではないかと考えられます。.『心に羅針盤』には、次の手記が寄せられています。

「私は、小学生の二人の息子を育てている。ぜんそく気味だった息子たちの体を丈夫にするために、スイミングスクールに通わせた。スクールでは毎月テストがあって、バタ足ができれば次はクロール、背泳ぎと進んでいく。私が息子たちにテストの結果ばかりを求めたためか、息子たちはプールに通うことが苦痛になっていった。それでも私は、息子たちにがんばれと言い続けてしまった。親である私は泳ぐことすらできないのに。息子たちはなんとか泳げるようになったが、楽しいとは言わなかった。今にして思う、反省である。
 また、冬休み前の学校は、毎日、マラソン大会にむけての練習をするようになる。それで、一か月くらい前から、親子で走る練習をした。一年生の時に入賞に届かなかったのが悔しくて、ほぼ毎日練習した。息子たちもつらいが、走りなれていない私もつらい。
 とても疲れた朝、私が今日は走れないと伝えると、息子たちだけで走った。ところが、そのとき、いつもはけんかばかりしている兄弟であるのに、この日は疲れた弟を兄が励ましていたという。弟のペースに合わせ、兄もゆっくり走ったり、がんばれと言葉をかけたりしていたというのだ。それを聞いて、私は兄弟のいい所を忘れていたことに気づいた。マラソン大会で入賞するという結果ばかりに執着して、息子たちのいい所やがんばっている姿を見ていなかったのである。これも、また反省である。
 マラソン大会当日、息子たちはとてもがんばっていた。疲れて苦しそうだったが、しんけんでひたむきな、いい顔をしていた。がんばっている姿はとてもいい。命が輝いているようだった。
 努力の意味とは、何であろう。大人だって、未熟でできないことはたくさんあるし、努力しても報われないことはある。しかし、努力をすることで、楽しい気持ちや、いい顔をする気持ちが生まれる。そして、それが命を輝かせる。ここに努力の意味があるのではないだろうか。」

 子どもは、ひたむきに、生きています。お母さんは、その子どもの姿に、美しいものを感じるようになりました。そこに、親としての、そして、人間としての成長があります。

2011年2月28日

堅実 


ヒヤシンス126日目花.JPG

  ペットボトルで始めたヒヤシンスの水栽培が、126日目になりました。数日前から、かたく閉じていた葉をこじ開けて、花が顔をのぞかせるようになりました。
 この間、約三ヶ月。水に浸された球根は、急がず、しかし、着実に己の中に秘められた生命の仕組みを実行してきました。思い起こしてみると、水面下で約100日間をかけて根を張り、その後、約20日間をかけて葉の芽を伸ばし、そして、その葉の間を押し開けて花の芽が出てきたのです。球根をさわってみると、堅(かた)いです。何でもないことのようですが、ここには堅実な歩みがあるように思えます。
 わたしたちは、生きようとするとき、先を読もうとします。しかし、その読めることが、不安をもたらすこともあります。そんなとき、植物の生きる様子に理解を深めると、心に、ゆとりが生まれる、そんな気がしてきました。
 
『心の羅針盤』には、次の手記が寄せられています。
 ◇ ◇
「私が仕事場に向かう途中に、学校のグランドほどの広さの公園がある。そこには、大人が両手を回してやっと届く程の太さの木がたくさん植えられている。夏場には生い茂る葉によって木陰を作り、木々を通る風は心地良く、暑さをやわらげてくれる。朝はそこを通るとすがすがしい空気を感じる。土鳩やキジバトや雀の姿も多く見かける。小さな昆虫を見つけてついばむ鳥たちの姿や、季節によって葉の色を変化させてゆく景色の中で、命の繋がりをしみじみ感じる事ができる場所である。
しかし、年に数回、見るも無残な姿に伐採される。剪定などではなく、木々は枝も葉も全て切り落とされ、まるで大きな「つまようじ」のような姿になる。雇用対策の為に、「歩道や公園内に枯れ葉が落ちるのを防ぐ為」を理由に行われるのであるが、痛々しい姿である。日差しや雨をしのぐ枝葉も無く、休む場所を奪われた鳥たちも哀れで、本当に申し訳なく思う。人間の都合で丸裸にされた木を見るのが忍びなく、その時期はこの公園を通る事もなくなる。
ところが、気がつけば、木々は新たな枝を伸ばし、緑豊かな葉を茂らせている。そのたくましい生命力には感動する。木はそこに存在する事によって、私たちの気持ちを和ませ、木陰をつくり、風雨を和らげ、鳥たちを休ませる。落ち葉は土に返り養分となり新たな命を育む。木が木であることが素直にすごいと思える。どのような環境にあっても、必死に状況にあわせて生き抜いている。繰り返される季節の中で、当たり前に生きている事に力強さを覚えると同時に、たくさんの物を与えてくれていると感じる。
人間は困難な状況に置かれた場合には悩み、不安を抱き困惑する。又、単調な日々に慣れると変化を求める。しかし、自分自身の土台が出来ていない場合には、あがいても解決しない事が多い。木もぜい弱な幹や枝では、簡単に折れてしまう。風雨に身をさらしながら、日々、太くたくましく成長する事で、簡単には折れる事がなくなる。人間も同様である。繰り返される日々を誠実に生き、与えられた役割を果たすことでたくましく成長し、自分では気がつかないうちに誰かの役に立ったり、人を支えたりする人間になれるはずである。その為には、木が木であるように、人は人として生き抜こうとする気持ちを持つ事が必要ではないか。そのような生き方をしたい。」
 ◇  ◇
身の周りにある自然に、目を向けることで、人は、自身をたくましくしていく手がかりを得ることができます。今、季節は、春。植物にとっても、人にとっても、節目の季節です。

2011年3月 8日

あきらめる


龍と姫2.JPG

「あきらめる」という言葉を使って短文をつくりなさい。という問題が出たら...。
「ここ一年ほど、ウォーキングをあきらめていました。」
という文章が書けます。...ダメですねえ。何かのときにやめて、ついそのままずるずると、今に至っています。
 歩くことは体にいいことだとはわかっていても、歩く気にはなりませんでした。もう、あきらめていたのです。
 道徳で、あきらめないで、がんばりましょう、と言われても、その言葉だけでは、あまり効果はないようです。

 ところが、三日前の日曜日のことです。何をするともなく、ごろごろとして一日が過ぎようとしていました。外を見ると、もう日が暮れるようとしています。そのとき、この一日が無為に過ぎていくのが惜しくなりました。そのときです。何と、「よし、歩く。」と、思い切った言葉が口から出たのです。久々に、装備を整え、歩き始めました。歩いていると気持ちは前向きになります。新学期の準備のことが頭に浮かんできました。

 わたしが担当している科目に、「地域社会との連繋」という科目があります。この科目では、心の中に、いかにふるさとを形成していくか、ということをテーマにしています。新年度は、その中で、新たな活動を加えたいと思い始めました。そして、子どものときの心に残っている記憶を絵巻物にしたらどうだろうかと、考えついたのです。子ども時代に見たり、聞いたりしたことを、今、絵に描き表すことで、自分が生きていたことを、再確認することになります。子どものときのよい思い出は、いくつになっても、自分に力を与えてくれます。それは、生きることを支えてくれる力となるでしょう。帰ったら、まず、試しに絵を一枚描いてみよう。そう思うと足取りも軽くなり、1時間半を歩きました。

 家に帰ると、さっそく、A4のコピー用紙と鉛筆とを取り出しました。子どものときのことで、思い出に残っていること...、いろいろと考えていて、地域に伝わる伝説を思い出しました。おばあちゃんから聞いた、神社にまつられているお姫様と、龍との話です。平安時代のことだそうです。その中の、ある場面の絵を鉛筆で描き、色鉛筆で軽く色をつけ、携帯電話のカメラで撮影し、パソコンにメールで送りました。それが、上の写真です。この絵を見て、どのような場面かがわかる人は、わたしの郷里の人です。その思いを共有できる人たちのいる所が、ふるさとです。このような、自分にとっての思い出の絵を、次々とパソコンのファイル上に連結していくことで、自分のふるさとへの意識が高まりそうです。新学期になったら、ぜひ、取り組んでみたいと思いました。そして、ウォーキングも続けたいという思いがわいてきました。

 三日目の今朝は、5時起きで、早朝、1時間を歩きました。薄暗い中でしたが、心は晴れでした。今後もウォーキングを続けられそうです。一年間、あきらめていたのですが、復活です。

「あきらめる」という言葉は、現代は「やめる、放棄する」という意味合いで使われることが多いけれど、もともとは「あきらかにする」という意味で使われていた。ということを聞いたことがあります。

 そういえば、「深くする」ことを、「深める」といいます。「高くする」ことを、「高める」といいます。「明らかにする」ことを、「明らめる」といえそうです。

 あきらめるということは、単なる放棄ではなく、「できない」けれど「したい」という、せめぎあいの延長にあるのでしょう。そして、「したい」という思いが復活してきたとき、自分の真の思いを明らかにする、明らめるとなると考えられます。うぬ。ややこしい。問題は、自分の真の思いを、どうやって導き出してくるかです。今回のことでいうと、1年間、しなかったことが、そうさせたということでしょう。気を抜くことも、大切だということでしょうか。あきらめることが、明らめることになる。なんだか、「あきらめる」という言葉が、不思議な言葉になってしまいました。

2011年3月14日

一歩


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宮城県の方、岩手県の方、福島県の方、青森県の方、どうぞ、気を強くもってください。ご無事を祈っています。
 つらいことでしょう。
 怖い日々が続いています。
 一日、一日が、心に重く、のしかかってきます。
 この日々が、永遠に続きそうな気持ちになります。
 でも、生きていれば、きっと心が和む日が訪れて来ます。

 わたしは、あの地震があった日、横浜駅から東京の練馬まで歩きました。国道一号線を東へ、そして、環状七号線を北へ。寒くて、心細くて、ついには足が硬直してケイレンがはしりました。座り込みたくなるときもありました。でも、座ったら二度と立ち上がれなくなるという恐怖に、右足、左足と小声で言いつつ、足を交互に、少しずつ、前に運びました。同じように、多くの人が黙々と歩いていました。携帯ラジオでは、あるアナウンサーが、わたしたちのことを、「帰宅難民」と呼んでいました。心無い声に、そんな言葉は使ってほしくないと思いました。一方、通り過ぎる店のウインドウには、「トイレあります」「お湯あります」と、大急ぎで書いたと思われる張り紙がありました。これを見ると、心にじんわりと力をもらったような気持ちになりました。立ち寄ることはしませんでしたが、ありがたかったです。心配してくれている人がいることを知るだけで、心は安心していくのでした。途中のコンビニでは、おにぎりや弁当類はすでになく、お菓子を買ってはトイレを借りて、ひたすら、歩きました。つらくなると、一歩踏み出せば、確実に一歩、危機的状況から逃れることができると、思い返しました。そのようなとき、ラジオから、懐かしい曲が流れてきました。映画「エデンの東」のテーマ曲。静かな調べの中に「人間」を感じました。この曲を選曲してくれた方に感謝。そのようにして、ようやく、家にたどりつきました。10時間かかりました。真夜中のことでした。その靴が、写真です。わたしを支えてくれました。

 わたしは、まだいいです。津波に襲われた地域の方々は、この何倍もの苦しみと、悲しさの中にいることでしょう。でも、生きていれば、きっと、笑える日が来ます。そう思うことができるのが人間です。まわりの方々と、一歩ずつ、歩きましょう。一歩でいいのです。確実に、前に進めます。

2011年3月18日

温石(おんじゃく)


石を温める.JPG

ニュースで、震災の避難所の様子を知ることができます。辛い状況が続いています。灯油がなく、ストーブが使えないところが多いそうです。テレビでは、避難所の外でたき火をしている光景が見えました。でも、体の具合が悪くて横になっている方は、たき火のそばに行くこともできません。何とかしてあげたいです。が、遠く離れている身では、どうしてあげることもできません。室内で暖をとる方法は何か無いか、とずっと考えていました。そして、子どものときのことを思い出しました。

それは小学生の時の、冬の通学路のときのことでした。学校は、3キロの山道の彼方にありました。朝の通学路は寒くて、霜柱を踏みしめて学校に行きました。途中に、石切り場がありました。おじさんたちが、石を切り出している所です。そこにさしかかると、冬の間は、おじさんたちがたき火をしていました。石を切り出す仕事を始める前に、体を温めているのです。そのたき火に、当たらせてもらいました。その場面が上のイラストです。

子どもたちは、だれからともなく、にぎりこぶし大の小石をたき火の近くに転がしました。しばらくすると、小石が温かくなるのです。あまり熱くなりすぎないように、長い棒で小石の位置を調節しました。適温になったら再び小石を転がして、足元にもどします。そうしたら、その小石を手で直接さわらないで、帽子でくるみ、服の下のおなかのところに入れます。そうすると体が温かくなりました。50年も昔のことです。今でいう、「使い捨てカイロ」です。温かい石を入れた服の上からおなかを押さえて歩いていると、体中に温かさが回りました。

もし、可能であれば、これをされてみてはどうでしょうか。避難所の外でたき火をしているのであれば、その火の近くで小石を温め、それを長い棒で取り出して、布でくるみ、寝込んでいる方に届けてあげると、カイロになります。ただ、石が熱くなりすぎると、やけどをしてしまいます。だから、途中で、長い棒で石を取り出しては、温まり具合を確かめることが大切です。寒さを、何とか、乗り切りましょう。ご無事を祈っています。

尚、このように小石を温めて布にくるみ、体に当てる方法は、昔は病気の治療に使われ,その温めた石を温石(おんじゃく)といっていたそうです。

2011年3月27日

○△□


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ずっと以前のことです。10数年前になるでしょうか、皇居のほとりにある出光美術館に行ったことがあります。そこで、江戸時代の禅僧仙崖によってかかれた「□△○」を見たことがあります。太い筆で、黒々と、「□△○」と横書きに描かれていました。そして、「宇宙」と名づけられていました。描かれたのは江戸時代ですから、目をやる順番は右端からでしょう。見るときには、○△□と見るのだと思います。そこまではわかるのですが、そこからは、何のことだか...。○と△と□。これで、どうやって宇宙になるのか。深い精神があるのでしょう。でも、皆目見当もつきませんでした。そして、そのことは、忘れていました。
 ところが、先日、そのことがふっと頭の中によみがえってきたのです。

 それは、陶芸で、急須をつくっているときでした。何かオリジナルな形の急須をと考え、わたしのふるさと大分県の特産、カボスの形にすることにしました。で、カボスの形をうまく表現するために、「風船づくり」という技法でつくることにしました。風船づくりとは、ろくろで、風船の形のように、中が空洞の球を成形するつくり方です。そして、土が生乾きのときに、カッターでふたの部分を切り取ります。その後で、別につくった注ぎ口と、取っ手を合体させます。

 さて、メインとなるカボスの形をろくろでひいていると、粘土のかたまりが、しだいに球に変わっていきました。球は美しいです。そのことに改めて気づかされたのでした。余分なものをそぎ落としたところに美しさは生まれています。その美しさをしげしげとながめているとき、あの仙崖の、「○△□」が、頭に飛び込んで来たのです。あれは、「余分なものをそぎ落とし、ものの本質を見よ」「生きることもかくあらん」というメッセージではなかったかと。人は生きるとき、気にしないようであって、どこかで、欲や損得の勘定を働かせています。それから抜け出せたときが、美しいとき...。いつの間にか手は止まっていました。

 やがて、見事な球体も、ふたをつくり、注ぎ口を付け、取っ手をつけると、一つの具体を主張するようになってしまいました。これでは急須。当たり前です。それを作ろうとしていたのです。でも、なぜか、心はトーンダウン。途中で、道草を食っているときの方が、心ははしゃぎました。年を重ねます。

 その急須の素焼きができあがりました。(写真)この後、本焼きに。

2011年4月 8日

親子料理


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 先日、歩いていると、ある家の軒先に見事な雪ヤナギの花が咲いていました。見ていると、自然に心がほぐれていくようでした。

 さて、家族に起きたいい話をエッセーでつづる、家族生き生きエッセーの、№7を発行することができました。 下記のホームページで紹介しています。

→ 『家族生き生きエッセー』

 このエッセー集に寄せられた家族とのできごとは、家庭の意味を知らせてくれます。

 小学生の佐々木さんから、次のエッセーが寄せられています。

  ◇親子料理
 私は、冬休みの宿題の「親子料理」を、母と一緒にしました。つくったのは、カレー。 
 最初の仕事は、野菜を切ることでした。野菜はにえやすいような大きさに、ていねいに切りました。一番大変だったのは、玉ねぎを切ることです。わかってはいたけれど、ここまで痛くて、ここまでなみだが出るとは思ってもみませんでした。母が、笑っていたので、わたしも、泣きながら笑いました。
 大きなかべをのりこえて、次にぶた肉をいためました。油がパチパチととんで大変でした。
 そして、なべに、切った野菜・肉・水を入れて、にこみました。ここで、わが家のカレーのかくし味のおろしたニンニクを少し入れました。食べるとわからないけど、カレーのスパイスとなっているのです。最後にルウを入れて、じっくりにこんで完成。ちょっとからくて、ほんのりあまくておいしい味でした。
 夕食に家族で食べました。
「すごくおいしいよ。」
と、父と母が言ってくれました。うれしかったです。
 今回は、カレーだったけれど、またやるときは、オムライスやおすしなど、まだつくったことがないものもつくってみたいと思いました。
 家族と一緒につくることは大事なことだと思います。  


最後の、「家族と一緒につくることは大事なことだと思います。」という気づきが、とても尊いです。親子料理は、いい体験の機会となっています。

2011年4月10日

敬意と親密、理解と寛容


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4月になりました。新年度の始まりです。近所の桜も咲きました。自然は、生であることを示し続けます。道元禅師の『正法眼蔵』に、「生も一時のくらゐなり、死も一時のくらゐなり。たとえば、冬と春のごとし。冬の春となるとおもはず、春の夏となるといはぬなり。」とありました。春は冬がなったものではなく、春は、元々からにして、春であった。今、その言い回しに、力強さを感じます。

 さて、新年度にあたり、手帳を新しいのに、替えました。昨年度の手帳には、余白に、通勤途中で読んだ文庫本『ローマ人の物語』(塩野七生・新潮文庫)の中の、心にズシンと来た言葉が書かれています。読み始めたのは、昨年の7月の終わりの頃。そして、既刊分の40冊目を読み終えたのは、今年の2月の終わり。夏から冬にかけての長丁場でした。続きを買いに行っても、書店には無いこともしばしば。それでも、辛抱強く入荷を待ち、この本を読み続けたのでした。

 手帳にあるメモを追ってみます。
「敬意と親密さは並立しにくい。」「親密さは甘えを生む。図に乗る。」
「理解することと賛同することは別ものなのである。」
「寛容とは同意することではない。同意しないけれど認めるということである。」
古代ローマの人々の生き方をして、作者の塩野さんが言わしめている言葉です。

 敬意と親密さとのかかわり...これは、家庭での親子、学校での教師と子どもにいえます。今の世の中、親子や、教師と子どものかかわりでは、親密になることに心をくだく向きもあるようですが、それが子どもの「図に乗る」ことを進めるのであれば、子どもの成長には逆効果。ときに、敬意をもたれる、敬意をもつ、というかかわりに気を配ることが必要でしょう。

 理解と寛容とのかかわり...これは、人間関係にいえます。近年は、情報機器の発達とともに、人も、事実がどうの、データーがどうの、相手の間違いがどうのと、正当性にこだわりがちになっています。気質の具えもその延長にあるようで、友達や職場などでの人間関係でも、つい、トラブルを抱えがちになることが多いです。そのようなとき、あなたの意見に賛成はしないけれど、あなたがそう思っていることには同意する。あなたの意見に同意はできなくても、あなたのことは認める。という心の動きをつくり出すことによって、心は、おだやかになる方向性を見出すのではないでしょうか。

 思えば、昨年度は、これらの言葉に、生きることのヒントをもらっていたのでした。
 さてさて、今年度の手帳には、どのような言葉がメモされて行くのでしょう。

2011年5月31日

どんぐり


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 どんぐりの芽がたくましく育っています。若芽は、昨日の台風の余波の、時おり吹く強い風に細い茎を揺らせ、幼いながらにも、自然の中でたくましく育つ過程を垣間見せてくれました。
 思えば、昨年の秋、近くの公園でどんぐりを拾い、ヤジロベーをつくって、その残りを植木鉢に埋めたのでした。
 少々、気がかりがありました。それは、土に埋めるにあたって、中に入っているかもしれない虫の害を防ぐためにどんぐりを水につけたのですが、それが過ぎたことでした。一晩つけておくつもりが、気がついたのが一週間後。あまりにも、つけ過ぎてしまいました。真っ黒に変色している姿を見て、もう生命の源は絶たれたのかもしれない、捨てようかとも思ったのですが、何十年ぶりかでどんぐりを拾ったこと、そして、それを植えようとしたことを大切にしようと、万に一つの可能性にかけて、二個の植木鉢に、八個のどんぐりを埋めたのでした。それから、はかない望みか...と思いながらも、ときおり植木鉢に水をかけていました。ところがどっこい、冬の間、どんぐりは、地中で命の灯をともし続けていたのです。
 4月の終わり、ふと、気になって、植木鉢を見ると、芽を出しているではありませんか。そして、一ヶ月の間に、次々と8本の芽が出てきました。当初はさわやかな若草色であった葉っぱがこの頃赤く焼けてきたのは、紫外線のためでしょうか。UVカットの日差しよけが必要かな...。いやいや、それが過保護というものなのでしょう。

 子どものころ、大ききな、真ん丸のどんぐりは、欲しいものの筆頭でした。ビー玉の代わりに、地面を転がして遊ぶのです。
 その遊びの準備として、地面に、一辺が約2mの正方形になるように4角に一つずつと、中央に一つの浅い穴を掘りました。そして、ジャンケンをして、勝った人から順に、真ん丸いどんぐりを転がし、中央の穴に入れます。入ったら、四隅の穴に、次々と転がしては入れていきます。穴に入らない時には次の人に代わります。このようにして、互いに自分のどんぐりを進めていきます。どこか、ゴルフに似ていますね。そして、最後に、再び中央の穴に入ると、そのどんぐりは「キラー」になります。他の人のどんぐりに当てると、そのどんぐりをもらえるのです。ここはゲートボールに似ています。おもしろいです。

 どんぐりを転がすにはルールがありました。「どんぐりを持った手を地面から離して転がしてはいけない」というものです。手を地面につけたままどんぐりを転がすには、手の甲を地面につけ、てのひらを上に向けて、中指を丸め、中指の爪と親指の間にどんぐりを挟むようにします。そして、ねらう方向へ向けて中指をはじくのです。このようにしてどんぐりがまっすぐ進むには、熟練の技が必要でした。その技を先輩に学ぼうとしました。先輩の華麗な技を見て、いつかはあのように...との思いが、遊ぶことをますますおもしろくさせてくれたのでした。

 本来、この遊びはビー玉を使って遊ぶものでした。でも、学校にビー玉を持って行くことは禁止されました。それなら...と、子どもたちはビー玉の代わりに、山にあるどんぐりの中から、真ん丸いどんぐりを探し出し、活用したのです。真ん丸いどんぐりは、ありそうで、なかなか見つかりません。でも、子どもたちは、タフでした。山に入っては、真ん丸のどんぐりを見つけて、学校に持って行ったのです。そして、校庭のかたい地面に靴のかかとをグイと押し付けて回し、浅い穴を五つ掘りました。すると、そこには、すばらしい世界ができました。あのころが懐かしく思い出されます。

 このように、子どものとき、心をひかれた遊びの体験があると、それがもとになり、ふるさとを思う気持ちに発展します。いい、ひと時です。つらいとき、心がふさがっているときにも、心に落ち着きが生まれます。子どものとき、自然の中で遊ぶ体験をすることの意味を、今、感じます。おそかったかなあ。

2011年6月20日

暗さと明るさ


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 今日は、天下の日曜日。曇り空でしたが、雨は降っていません。それで、前々から気になっていたパソコンを修理に持って行くことにしました。デスクトップ型のパソコンの調子が悪く、電源を入れても立ち上がらなくなって2週間になります。これまで、もう一台のノート型パソコンで乗り切ってきましたが、メールやホームページの更新等は、デスクトップの方からですので、何とかしなければと、思っていました。

 このパソコンは10年近く使ってきたのでそろそろ限界かなという気もします。その場合は、買い替えです。その覚悟もしながら、電源やデスプレー等のケーブルを外しました。そして、パソコンの中にホコリがたまっていたらお店の人にはずかしいのでそうじをしようと、パソコンの中を開けました。

 何と、中は、ホコリだらけでした。特にミニ扇風機の下には握りこぶしぐらいの大きさの固まりができていました。まさに、チリも積もれば山となる、です。それを取り去って、組み立て、試しに電源を入れてみました。すると、懐かしい音と共に、パソコンが動き始めました。ホコリが、パソコンの機能を奪っていたのです。あ~あ、でした。ほっとするやら、自分の未熟さにあきれるやら、です。

 気分を晴らすために外に出ました。曇り空の下で、アジサイが咲いていました。This is 6月、です。携帯電話でカシャッ。ところが、曇り空で日光は弱いのに、写真は明るく撮れています。この頃のカメラ機能はすぐれもので、よい写真が撮れるようにと、日光が弱いときには自動的に露出が明るくなるようになっています。

 でも、晴れても雲っても同じでは画一的で、虚構の世界。よいが、よいにならずに、どうでもよいになってしまいます。それで露出補正をマイナスにして、再度、カシャッ。機械が無理に明るくしているので、それに反抗して暗くしたのでした。

 それが、上記の写真。曇り空の下で映えるアジサイ。見ていると、暗さと明るさの、その双方が価値のあるものになっています。暗さがあるから明るさに価値が生まれ、明るさがあるから暗さが生きる...これは、生き方にもいえそうです。とくに、誠実な生き方の価値を深める手がかりとなりそうです。後日、このことについて続けます。

2011年8月14日

コインに人生の意味を知る


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財布の中には、たいていコインが数枚入っています。電車の待ち時間などの所在無げなとき、そのコインに活躍してもらっています。コインには製造年が刻印されています。その年を見ては、その年のわたしを思い出してみるのです。当時の苦節は、時を経ると、かわいらしいものになっています。
思い出の使者となったコインは、その年よりも古いものが来るまでは、机の上に鎮座。で、今のわたしの机上には、写真のようにコインが並んでいます。それぞれのコインが、今のところの、古さのナンバーワンです。

 1円玉は昭和40年。その年、高校1年生。
 高校に入学したころは、農村の中学から町部の高校に入って、あまりの環境の違いについて行けず、何かに追い立てられるような、落ち着かない日々を送っていました。
そんなある日のこと、生物教室の窓から外を見た先生が、外に咲いている白い花が「卯(う)の花」だと、教えてくれました。そして、「夏は来ぬ」という歌があるだろうと...、何気なく言いました。その言葉が心に染みました。
 そう、「夏は来ぬ」という歌があり、その中に、「卯の花 におう垣根に ホトトギス...」という歌詞がありました。そして、中学校での音楽の時間、先生の伴奏に合わせて友達と一緒に歌った...、その勉強の時間があったことを思い出したのでした。中学を卒業してからは、新しい現実になじめずあくせくしていました。高校の先生も、そこらあたりの心の事情を和らげようとしてくれたのでしょう。教室の窓の外の自然に目を向けさせてくれました。卯の花を見ていると、中学校の時のことを思い出し、元気がわいてくるようでした。今から、四十数年前の出来事でした。高校の先生に、感謝。

100円玉は昭和42年。その年、高校3年生。受験勉強の合間に図書館に通って読書。吉川英治『宮本武蔵』、五味川純平『人間の條件』が印象的。図書館の方に感謝。

10円玉は昭和45年。その年、大学3年生。部活にあけくれていた頃。宮崎の空がとても青かった。日本武道館で試合もした。ともに若さをぶつけた部員の方々に感謝。

50円玉は昭和46年。その年、大学4年生。トラック運送の助手や、レストランのウエイターのアルバイトで社会勉強。ひと足早く、大人の世界を知りました。お世話をしてくれたトラックの運転手さん、課長さんに感謝。

5円玉は昭和48年。その年、岬の小学校へ教師として赴任。舟の櫓の漕ぎ方を習う。たて笛を必死に練習。漁師の方、音楽の先生に感謝。

コインはその年に製造されて以降、人と人との間を行き交い、人の人生にかかわって今に至ります。わたしも、その年に人にお世話になり、よい経験をつませてもらって今に至ります。コインに事寄せながら、自分を支えてくれた人に感謝をすることで、自分の生きる意味を知ることができます。みなさんも、試してみませんか。思い出は思い出してみると、前に進む力となります。その思い出を思い出すきっかけが、財布の中のコインにあります。
 
 追伸、渋滞待ちの車の中で、コインを使って親子での人生トーク、どうでしょう。

2011年9月19日

オリオンと彼岸花


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一昨日、9月17日の未明のことです。激しい雨音で目が覚めました。眠れなくなってしまったので、起きることにしました。午前4時。雨音が止みました。外に出てみると、星空になっていました。あの、雨は何だったのでしょう。そう思って星空を見上げると、何と、オリオン座が、あるではありませんか。
 
 え~っ、まさか。オリオン座は冬の星座だと、頭の中にあります。今は9月。しかし、まさか~の疑問は、もしかしたら、そうかも知れないという確信へ。なぜなら、オリオンのすぐそばに、冬の大三角形もあるのですから。寝ぼけ眼で見た9月の星空には、冬の星座があったのでした。
  
 感動と共に、頭の中が、混乱してしまいました。夜、時間とともに星座が動くのは知ってはいたのですが...(...いや、地球が動くのですが、ややこしいので星が動くことにします。ガリレオさん、ご容赦を...)冬の星座が、9月に出てくるとは...。うぬ、これは、地球の自転・公転によってなのか、と思ってはみたのですが、何だか、あやふやです。でも、季節には季節の星座がやってくると、漠然と考えていたことが浅はかであったことには気づきました。
 
 せっかくですから、オリオン座を頭上に見て、ウォーキングをすることにしました。5時には、空は青空になって、オリオンはいなくなってしまいました。そのとき、道端には、彼岸花が咲いていました。オリオンと彼岸花の場面転換。これも、今まで、考えもしなかったことでした。

 これまで、星座のことを、いいかげんに見ていました。これからは、きちんと観察をしてみたい、との思いを強くしました。東京の空でも、星が見えるのです。
 
 わたしの担当している開設科目に、『体験と心の育ち』『初等教育と家庭教育概論』があります。その中で、星座の観察報告をしていきます。
 ...何月何日、何時何分、何の方角に、何の星座有り、その形はこうであり、その星座には、このような伝説が...と。
 
 関心のある方、どうぞ、受講してください。そして、星空を見て、星座の物語に思いを広げてみましょう。これが、家庭での、親子の会話につながることを期待しています。親子で星座を見ることで、いい思い出が子どもの心に宿ります。大人になっても忘れることはないでしょう。

2011年10月11日

秋に新芽


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秋に新芽、そうか、その手があったか。10月も半ばになろうかとするこの時期に、新芽を見ることができました。
 新芽は、春から初夏にかけてと、いつの間にか決めてしまっていましたが、10月からだって新芽を出す木がいるのですね。その気概やいかん。やがて来る木枯らしの寒さも織り込み済みなのでしょう。そのけなげさに啓発され、気持ちをプッシュ。わたしも一念発起。

 実は、ずっと、グズグズと思い続けていることがあります。
 気にかけていた、新たなホームページ「心をひらく」は作成することができました。心の教育、道徳教育のための、手がかりとなる、ホームページです。学校の先生方や、家庭のお父さん・お母さん方が、子どもの心を育てる、また、自分自身の心を育てる、手がかになるように、育てるよい心を描いたものです。
どうぞ、みなさん、 心をひらく をクリックして、楽しんでください。

 そのホームページができたので、一段落していました。前々から、取り組んでみたいことが別にあったのですが、そのホームページの作成に思いのほか手こずり、新学期も始まって、そのことは先延ばしかなと考えていたところでした。でも、10月に新芽を出す木の気概にふれ、取り掛かることにします。それは、心の教育の教材として漢字を教材化することです。仮のタイトルとして、「漢字コミュニケーション」。

 学校では、心の教育・道徳教育の教材は、読み物が主となっています。読み物のお話に登場する人物の人生観を読み深めることで、価値のある心のもち方を学ぶことができます。ただ、家庭で、そのような雰囲気をつくりだすことは困難です。家庭はくつろぐところであるからです。その家庭での心の教育の方法を考えたときに、もっと、気軽に、日常会話の中で、人生観を学ぶ教材はできないか...。そう思っていて、子どもも知っている漢字の、その成り立ちを、人生観を学ぶ視点で振り返ってみたい...と思うようになりました。

 例えば、誰もが知っている、という漢字。この形は、山の頂が三つならんでいる景色をイラストしたものだといわれています。でも、不思議です。真ん中の縦棒が一番高くて、その両脇にある縦棒は、どうして低くなっているのでしょう。高い山が手前にあり、その両脇の遠くに低い山がある、という景色でしょうか。しかし、手前の中央に高い山があれば、遠くの山は片方だけで、もう一方は、中央の山よりも手前に近づくはずです。中央の山が、手前に突き出て、左右の遠くに低い山が二つあるという景色は、或る地域にはあっても、どこにでも見られる一般的な景観ではないように思います。文字ですから、一般的な、だれでもが納得できる景観がベースになっているはずです。だから、不思議なのです。

 このように思っていて、はたと、思い出すことがありました。長野県の八ヶ岳の一つ「三ツ頭(みつがしら)2580m」に、小学6年生の子どもたちと登ったときのことです。4時間程歩いて、やっと頂上に着くことができました。頂上には霧がかかっていてまわりはよく見えませんでした。しかし、休憩していると、風が出てきて、あたりの山々の景色が姿を現しました。何と、眼下には、切り立った山の尾根が幾筋も伸び、その尾根の両脇は谷になっていました。見事な景観に、いつの間にか、疲れは吹き飛んでいました。その景観が、まさしくの形でした。

 一番高い尾根の上にある道を自分たちが登って来ていました。その尾根の両側は谷になっていて、その谷の向こう側にも、低い尾根がありました。左右に、自分のいる尾根とは別の、一段低い尾根が別々に連なっているのです。山という漢字は、そのような景色を表していると考えられます。この山の形を見る人は、漢字で表した、真ん中の高い棒の先に立って、あたりの山々を見ていることになります。

 その目には、すばらしい景観が映っていることでしょう。そして、一歩一歩の積み重ねで山を登りきったことに満ち足りた思いや、流した汗にさわやかさを感じたりしていることでしょう。

 わたしたちは苦労を積み重ねることで、幸せを感じることができます。それが、生きることです。という漢字は、そのようなものの見方を暗示させてくれます。

 日々の生活の中には、高い山に登るように、地道な努力を積み重ねていかなければならないことがあります。でも、続けていても、思ったようには成果が出ないと、いやになったり、続けることがばからしくなったり、さらには、していることの意味を見失ったりして、へたりこんでしまうこともあります。

 そのようなとき、つい、叱咤激励しがちになります。でも、一旦、気落ちしてしまうと、なかなか、気持ちを立て直すことができないのも人間です。がんばりなさい、がんばらないとだめだ、というような引き締めだけでは、限界があるのです。かえって、心を追いつめ、そっぽを向かれてしまったのでは、何にもなりません。

 そのようなとき、山登りの体験を話しながら、このの文字の持つ意味を知らせたら、どうでしょう。注意するのとは違います。雰囲気もソフトになります。新たな展開があるのではないでしょうか。また、山という文字を見るために、一緒に山に登ろうよと、山登りに誘えたらいいですね。生きることの尊さに気づかせていくことができるのではないでしょうか。

 以上、という漢字の場合でした。10月に新芽を出した木の枝に元気をもらい、このような漢字コミュニケーションの話題を、春までには50ほどつくりたいと思いました。

2011年10月20日

星座の観察

先週は、曇り空や雨模様の日が続いて、やっと、10月15日の午後9時、星空を見ることができました。 南の方を向いて立ち、天頂近くの高いところ、右手の方向に、特徴のある星座を見つけました。星と星とを結ぶと、十字の形をしています。白鳥座です。

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 この星の集まりは、南半球の南十字星に対して、北十字星ともいわれています。白鳥は、右斜め下の星が頭になります。翼を広げ、右斜め下を向いて滑空しています。わたしたちは、それを見上げていることになります。想像をたくましくしてみましょう。ギリシャ神話では神ゼウスが恋しい人のところにいくために、白鳥の姿になって飛んで行ったとされています。

 ゼウスは、スパルタ国のお姫様に恋をしました。でも、一方的な思いです。突然、相手のところを訪れたのでは、相手をびっくりさせたり、警戒されたりしてしまうでしょう。それで、自分は「わし」に追われている「白鳥」となって、スパルタへ飛んで行ったのです。恋は成就したそうですよ。相手の警戒心を解き、心をつかむには、それなりの工夫がいるということですね。なんだか、ゼウスが身近に感じられます。

 星座の中の一番明るい星をα(アルファ)といいます。上の図では、青い色の星にしてあります。白鳥のおしりのところにあるαと、近くにあるふたつの星座のαを結ぶと、二等辺三角形になりました。これが、「夏の大三角」です。秋ですが、夏の大三角が見えました。

右のαは、こと座のαで、名前がついていて「ベガ」。下のαはわし座のαで、名前は「アルタイル」。(ちなみに、白鳥座のαは「デネブ」といいます。)

 この「ベガ」と「アルタイル」は、中国の伝説では、別の名前がついています。日本でも、よく知られています。そして、中国の伝説では、白鳥はカササギで、この二つの星に、大切な役割を果たしています。
さて、この二つの星は、それぞれ、中国や日本ではどのように呼ばれていたのでしょう。星を観察したり、考えたり、調べたりしていると、秋の夜が、とても、いい夜になります。

2011年11月 9日

ストーンサークル


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縄文の人たちは何を考えて広大な台地に、大きなストーンサークルをつくったのか。そんな思いにとらわれ、10日ほどが過ぎました。縄文時代の遺跡を目にして、そう思うようになったのでした。
 見学したのは秋田県北秋田市。当地での道徳教育研究大会に招かれて講演をした翌朝、近くにある縄文遺跡に案内していただいたのです。白い朝もやが立ち込める中、坂を上った小高い台地に、その遺跡はありました。能代大館空港がつくられ、その空港に行くための道路を開削中に発見されたそうです。この遺跡の特徴はストーンサークル。朝もやのなかに、文字通り、石が、大きな円形に並んでいました。石は、大人がやっとかかえられるほどの、大きな、かどが丸くなっている川原の石でした。遠くから運んで来たのでしょう。

 写真を見ると、数個の石が一つの小グループになり、その石の小グループが、列をつくって続いているのがおわかりいただけると思います。列は左の方に大きくカーブして、大きな円周を作り上げています。昔の人たちは、何のために、このような巨大なモニュメントをつくりあげたのでしょう。約4000年前のことだといいます。

 遺跡の周辺には、大きな木の切り株がたくさんありました。この遺跡が発見されて、周辺を整備したときに伐採された木の切り株でしょう。あたりの山々に、木を伐るチェーンソーの音が鳴り響いたに違いありません。しかし、この遺跡ができた4000年前は、もっと、大木のしげる台地であったに違いありません。そこに広場をつくったのです。チェーンソーはおろか、ノコギリなどはない時代。石斧で風雪に耐えた堅い木を切り倒す...このことを考えただけでも、気が遠くなるほどの時間と労力を要することがわかります。でも、人々は、あえてそのことに挑戦し、みごとに、山上に広大な広場をつくり上げました。そして、そこに、わざわざ川から石を運び上げ、円形に並べたのです。なぜなのでしょう。人々にとって、それほどに重要なこととは、どんなことだったのでしょうか。

 以下は、わたしのひとり言です。乱暴な発想ですが、ご容赦を...。
 昔の人たちも、わたしたちも、人としての基本的なところは同じはずです。それで、人が生きるのに必要な、基本的なことを考え続けていると、人の克服すべき原点に思い当たりました。

人は他の生きものとは違って、よく考えることのできる心をもっています。心で自らの安定した生活を願います。ところが、その自らの安定を願うところが、他の人と競合すると、欲や、怒りや、うらみが、発生することになります。現代でも、兄弟げんか、派閥争い、いじめ、民族や宗教の対立、ひいては戦争を引き起こしてしまいます。これを、克服することが人間の永遠のテーマでもあるのでしょう。昔も、きっと、そうだったのではないでしょうか。そして、それを克服するために、ストーンサークルが築かれた...と、思ってみました。

そして、現代の人もストーンサークルの考えを引き継いでいるはずだと思って、いろいろと思いめぐらせていると、小学6年生の時、社会科の教科書に、国連安全保障理事会の会議場の、特徴的な写真が載っていたことを思い出しました。席は円形に並べられていました。そう、席がサークルになっているのです。二つの世界大戦という貴い犠牲をはらって、人々は、安全保障理事会のしくみと、円形という会議場の席の配置に到ったのです。だれもが、争いをなくし、平和な世の中にしたいのです。この平和への願いは、人々の悲願です。常任理事国の拒否権が行使されたりして、なかなか、その人々の願いは実現できないけれど、そうすることに価値をもって、努力目標としているのです。それは、昔とて、同じはずです。

 4000年前の人々の最大の願いも、安全であり、安心した暮らしであったことでしょう。考えてみると、日々の生活を送るのに、今よりももっと神経をすり減らしていたに違いありません。特に、米や麦などの穀物の栽培や貯蔵が今のようにはできない時代であることを考えれば、食べ物を手に入れることは大変なことで、大事な家族を養うため、自分たちの集落を守るためには、争いも、当然、頻繁に起きたことでしょう。人を愛する人であるが故に、人は人との争いも起こすのです。
 しかし、争いは、できれば避けたいです。そのみんなの願いを解決するために、みんなが集まる広場をつくった...、としてみましょう。この地域の安定を願う長老の発案で。

 各集落から、各戸、それぞれ一個ずつ大きな川石を山に持ち寄ることにします。そして、集落ごとにまとめて置きます。広場は山で、そこに川の石を置くので、もとから山にあった石とは区別がつきます。石の小さな集まりが、その集落の戸数を示します。そして、それらを円形に並べて配置することで、各集落が集まって地域一帯の全体像ができあがっていることを体感するモニュメントとなります。

 これを見ることで、この地域一帯にいる人たちは、互いに、その存在を認め合うことになります。それは、きまりの基本ができることです。これをもとにして食料を配分することにすると、みんなは、それが公正であることを納得できるでしょう。集落の規模が明示され、互いの存在が保証されているのですから。石は、現代の戸籍や憲法のハタラキをしていたのではないでしょうか。

 近くの川には、今でもサケがのぼって来るといいます。当事、たくさんのサケがのぼってきたとき、公正に配分できる基準があると、我先にではなく、みんなで協力し、安心してサケを捕らえることができます。また、トチの実を収穫したり、大きな動物の狩りをしたりすることなどを、みんなで楽しみながらする余裕もできます。こう考えると、縄文の人たちが、身近に感じられてきました。

 このようにして、文字の無い時代、人々は、互いに心を合わせて、住みよい社会をつくろうとしたことが想像できます。貴い、人間の営みです。
 現代は文字があります。でも、かえって、文字情報を氾濫させ、大切なことは何かがわからなくなっているようです。

  遺跡で解説してくれた人が言っていました。
「何しろ、4000年前のことです。調べたことで、昔はこうだったのではないかということは言えますが、実際にどうであったのかは、だれもわからないのです。どうぞ、みなさんもいろいろ考えて、わたしに知らせてください。」
 いい言葉だなあと思いました。わからないということが、想像する楽しさと、人間の原点に思いをはせる機会を運んで来てくれます。どうも、お世話になりました。まだ、その余韻に浸っています。

 昔の人も困難を克服して、現代に、命をつないでくれました。

2011年11月25日

清らか


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寒くなりました。でも、夜空がきれいになりました。昨日、夜空に、この形を見つけました。
 南の空の、明るい星をたどると、オリオン、三角、六角。そして、右上に、かすかにスバルの瞬きが...。さらにそれらを見守るかのように、天頂近くに、ひときわ明るい星(右の図の外、右上に)、木星(ジュピター)が、孤高の光を放っていました。冬の星座の競演です。

 寒気が、大気中のチリを吹き払ったのでしょう。いつになく星がよく見えます。北風さんに感謝です。午後11時から午前0時まで、1時間ほど見ていました。星座は、静かに、右に動いて行きました。

 狩人オリオンの体は前向きです。で、オリオンの右肩(わたしたちから見ると左の方)の星がペテルギウス、そこから左の斜め下にあるのがシリウス、そして左斜め上に上がるとプロキオン。この、ペテルギウス、シリウス、プロキオンで、冬の大三角ができます。

 オリオンの左膝(わたしたちから見ると右の方)がリゲル。そこから右斜め上に上がっていくとアルデバラン、そして左斜めに回りこんで上がるとカペラ、そこから左斜め下に下がるとポルックス、そして、冬の大三角のプロキオン、シリウス。この、リゲル、アルデバラン、カペラ、ポルックス、プロキオン、シリウスで、冬の大六角形ができます。一つずつ見つけて行き、六角形になったときには、うれしいです。単純なことですが。

 ポルックスの右近くに、もう一つの星があります。カストル。この、ポルックスとカストルは、それぞれ、二人の男の子の頭の部分で、二人で「ふたご座」。その昔、神ゼウスが白鳥になって、スパルタの恋しい方のところへ行きました。そして、この「ふたご」が誕生したのだとか...。古代のロマンは星空で、引き継がれます。

 アルデバランの右上に、かすかに明かりが...。スバルです。6個ぐらいの星があるそうですが、個々の区別はつきません。全体で、その存在を示していました。ぼんぼりのようにほのかな明かりがありました。星のありようも、それぞれです。

 これらを見ていると、一時間という時間が、とても、いい時間となりました。星空のごとく、心が澄んで行くようでした。清らか、清々しい(すがすがしい)、という言葉があります。これらの言葉に実を与えてくれる、星空でした。

2012年2月 5日

左足の親指


行進では、どうして、左足が強い拍なのか...。
小学生のときから、ずっと、気になっていました。
 半世紀前の小学校。運動会が近づくと、朝会の後、校庭の周りを学級ごとに行進していました。そのとき、先生が言いました。「音楽をよく聞くと強い音ある。それが左足です。強い音に左足を合わせましょう。」
 そう聞いてスピーカーから流れる曲を聞くと、なるほど、強い音が、拍を打って聞こえてきます。行進曲は、旧友、双頭の鷲の旗の下に、などでした。曲名に時代を感じます。小学生に軍隊の曲です。ま、それはさておき、それらの曲の、強い音に左足を合わせると横の列の人と足がそろいました。左足は、強い音に合わせるので、力強くなります。それ以来、行進曲に合わせて歩くときには、左足を強い拍に合わせて歩いていました。そして、ずっと思っていました。右足の方が力が入るのに、なぜ左足を強く踏み込むのかと。

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このことを、改めて思い出したのは、「止」「歩」という漢字を調べていてのことです。
「止」という漢字は漢字のもとになったといわれている甲骨文字では、「足が止まっているようすをイラストにしたもの」だといいます。で、「歩」になると、足が二つ、前足と後ろ足になるというのです。これが、わかるようで、いまいち、わかりませんでした。

 『学研漢和大字典・藤堂明保編・学習研究社』での図解は、右のようになっています。
 青の部分が「止」で、緑の部分が「歩」です。
 でも、足の形だというけれど、なぜそうなのか...。それがわからないのです。

 止の、下にある横線は、スタートラインでしょう。そして、湾曲しているのは「かかと」でしょう。そこまではわかるのですが、ビユーッと斜め上に伸びている線は、何なのでしょう。足首かなとも思ってはみたのですが、無理があるような気がします。これで、何日も過ぎました。

 そして、はたと気づきました。これは、足というよりも足跡であるということ。さらに、足跡で外に出る特徴的なものは親指であることを。止まるには、足の親指をしっかり踏ん張る必要があると、古代の人は考えていたのではないでしょうか。そこには、意思の介在があるのを感じます。止まるということは、歩きたくないから止まるということではなく、止まる必要があって止まる、という前向きに生きる思想を漂わせています。そして、「止」は親指が右に出ているので、左足です。「歩」は、右足、左足と、進んでいます。

 で、行進曲のことを、思い出しました。行進では、なぜ左足に力をかけていたのかと。考えていると、力の入りにくい左足に力強さを感じさせることが、行進には必要ではなかったかと思うようになりました。弱い左足を力強く踏み込むことで、体のバランス感覚を整え、長時間にわたって、無理なく歩き続けることができる...かなと。子どものときには気づかなかったことです。

 そう思っていると、また、思い出すことがありました。行進を止めるときには、その場で足踏みをしていると、先生が、「ピーッ・ピッ、ピッ・ピッ・ピッ」と、笛を吹くのですが、始めの「ピーッ・ピッ」が、予れいで、今から止まりますよという合図、次の「ピッ・ピッ・ピッ」の音に、左足・右足・左足を合わせ、全員が、ぴたっと止まっていました。そう、左足で、止まっていたのです。「止」の文字と同じです。古代の人たちもそうだったのかもしれません。左足の親指が、活躍してくれていた、子どものころのわたしでした。
 一緒に行進の練習をしてくれた学友と先生に感謝、みんな、どうしているかな。

追伸  左足の勇み足 

翌々日は雨でした。道を歩くとき、傘をさして、下を向いて歩きました。前を歩いている人がいました。何げなくその人の足を見ていて、気づきました。あの、甲骨文字の足の形がそこにあるのです。甲骨文字の「止」の、右にビユーンと伸びていたのは、親指ではなく、やはりといういか、足首からふくらはぎにかけてのラインでした。今までは、自分の足を見ていたので、そうは見えなかったのですが、自分以外の人の足を見てみると、そうなります。自分の足を見るとき、目線は内側からになります。でも、他人の足を見るとき、目線は足の外側からになります。「止」は、左足で、その人の左斜め後ろから、他の人が見た形でした。親指だと思ったところはふくらはぎです。...いやあ、勇み足でした。ちょっと、反省。でも、これで決着がつきました。冷たい雨の中ではありましたが、左足に力が入ったのでした。

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