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子ども アーカイブ

2005年7月 1日

早期教育

梅雨空になりました。いつもは、横浜駅から大学までは歩きますが、雨の日は地下鉄のお世話になることが多いです。今日も、そうでした。私の後に、二人の子どもを連れたお母さんが乗ってきました。一人は5歳くらい。もう一人は3歳くらい。いずれも男の子です。

お母さんはシートにすわると、両脇に子どもをすわらせました。そして、バッグから小さな絵本を取り出すと、パラパラと絵本を開けて、「これ、何て読むの?」と左右の子どもに聞きました。見ると、ひらがなのおけいこの本でした。ページごとに、ひらがなの文字が一つずつ大きく書かれていて、そのひらがなをつかった言葉の物が絵でかかれています。どうやら、ひらがなのお勉強を始めたようでした。しかし、二人の子どもたちは、電車の中にいる人たちを、興味深そうに順々に見回しているだけでした。そのうち、お母さんが何度も呼びかけるので、弟はお母さんに向かって受け答えを始めました。そして「これ、…だよね。」と、絵本を指差してはお母さんに聞き返しています。弟は「お母さんの心をつかむのがうまいな」と思いました。お母さんの相手をしてあげているという雰囲気でした。

お母さんは、電車に乗っている時間を子どもの勉強時間に変えました。何かの心配か、考えがあって、機会をとらえてはひらがなを覚えさせようと、絵本に向かわせているのでしょう。世に、早期教育といわれているものです。しかし、子どもは、どうも食傷気味のようでした。逆効果にならなければいいけどな…、絵本には夢がつまっているはずなのに…、絵本がつまらなくなるよ…と、ついよけいな心配をしてしまいました。

「子どもは、育てたように育つ」と、言われます。しかし、子どもには、子ども自身の発達段階があり、それを無視すると、途中で意欲は頓挫し、反発ばかりが増幅されることになります。

お昼を食べるときにでも、「あれが地下鉄よ。もぐらさんみたいに、地面の中を走ったのよ。頭の上に町があったのよ。」と、地中を走ることができた不思議さを話題に出した方が楽しい雰囲気がつくれるのでは…。電車は、ましてや地下鉄は、子どもにとっては不思議体験ゾーンです。じっとだまって乗っているだけでも、楽しいはずだと思うのですが…。

2005年10月 6日

カンキリ

先日、我が家の朝食に缶詰のミカンが出ました。その空き缶がテーブルの端に見えました。食事が終わった後、何だかその空き缶が気になってずっと見ていました。何だか、気になったのです。

このごろ、そういうことがよくあります。無意識が何かを感じて、意識に気づくようにせついているのでしょうか。しかし、この日本語はおかしいですね。無意識は意識が無いから無意識のはずです。何も感じるはずは無いでしょう。しかし、何かのシグナルを感じるのです。心の動きは複雑です。仏教では、無意識の底にアラヤシキという意識があるとか。これはよくわからないので、ま、第六感としておきましょう。いやいや、人には、歳のせいだと言われるかもしれません。とにかく、ミカンの缶詰の空き缶がずっと気になってしかたがなかったのです。

何だか違和感がある、この違和感はどこからくるのか…と思い続けているうちに、はたと気がつきました。開けて立ててある缶詰のふたのふちがギザギザになって、ヒマワリのようにこちらを向いているのです。久しぶりに、そのような缶詰のふたを見ました。このごろの缶詰のふたには取っ手がついていて、それを引き起こして力強く引くとパッカンとふたの全部がとれるのです。このミカンの缶詰はそうではなく、旧来の仕様で、カンキリで開けるものでした。それが、めずらしくて、しかも、なつかしくて、気を引いていたのでした。

そういえば、子どものころ、食事の準備の時にカンキリで缶詰を開ける手伝いをしていました。これが、簡単そうで、むずかしいのです。理科の実験に出てくる、力点、支点、作用点をつかった「てこ」の応用です。缶詰のふちに支点となる部分をひっかけ、力点となる握りの部分をしっかりと逆手に握り、作用点となる刃先を缶詰のふたのふちにめり込ませます。それを、ギコギコと進ませていくのにはコツがいって、あまり力のない子どもにとってはなかなかむずかしいものでした。しかも、カンキリにはいろいろなタイプがありました。それぞれに、支点のかけ方、力点のかけ方が違います。けがもしましたが、それらを、なんとか、使いこなしていました。

近年のカンキリが無くても開けられるパッカンの缶詰(この言い方は我が家独特の言い方)は便利です。簡単です。しかし、これによって、子どもたちはカンキリの使い方をトレーニングする機会を失ったことになります。今の若者はカンキリで缶詰を開けられないのではないかと、朝の話題は進んでいきました。

子どもが生卵をうまく割れなくなった、リンゴの皮むきがうまくできなくなったと指摘されたのは20年ほど前です。現代では、ますます、家事の方法が子どもへ伝わらなくなってきています。掃除をするにも、家では便利な化学雑巾やモップ、電気掃除機が普通です。そのままですと、ほうきの掃き方、雑巾の洗い方・しぼり方・ふき方を教える機会はありません。機会をつくり、きちんと教えておくことが必要です。それは、親こそが子どもの師匠になってできることです。それも、小学生まででしょう。中学生になると部活等が忙しく、それどころではなくなってしまいます。

そんなことを考えていたその日の夜、息子がお土産を買って来てくれました。これまた、めずらしいことです。袋から出てきたものは、「脳を鍛える大人のDSトレーニング」というゲームでした。計算問題や図形の問題などをすばやく解いていくものです。年をとって世の中や若者のことをぼやくばかりでなく、自らの脳を現代に合わせて鍛えなさいとのメッセージでしょうか。そのゲームに、一時間ほど熱中しました。心地よい疲労感でした。うっちゃりでしてやられましたか。

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